◎産道◎

文字数 5,028文字

私の個人情報がネットに公開された。

クラスメイトのtwitterからだった。
そのツイートはクラス中に広まり、そのうち学年中に広まった。

冷静に考えれば大したことない情報だ。
なのに、皆夢中で飛びついて、それについてのお喋りが止まらない。

空っぽの人生。空っぽの世界。空っぽの教室。

「瑞谷さんあんな顔して、アイドルってあり得ないよね」

そんな私は今日、満員電車で髪を切られた。
15cm程。
一応駅員さんに声をかけてから帰った。



家に着いて
リビングに出ると、脅迫事件の特集がやっていた。

「何これーあり得な〜い」


母がソファで寝転びながらテレビに向かって喋っていた。

髪をバッサリ切ったのに、母は何も反応しない。ウチは放任主義なのだ。

日が暮れて、お風呂に入る。
私にだって秘密はある。
誰にだって秘密はある。
例えば身体。
例えば性癖。
例えば過去。
例えば現在。

湯船に浸かる。
昔はこうやって横を向いて寝転んで
目を瞑ったものだ。
もう17年前のことか。
そのときは、母の体温を感じていた。
母と一体で、血も栄養も全て母から直接渡されて、私は包まれて、守られていた。

私は17歳だ。
皆が羨むあの17歳だ。
誰もが手を伸ばす女子高生だ。
短いスカートを履いて長い髪を垂らした、典型的な宝石だ。
私は見世物になってもいい年頃になって、見世物に相応しい外見を手に入れるようになった。

今日は、私が見世物として消費された記念すべき初めての日。
皆の欲望の渦中に、私は巻き込まれていく。


そういうものなのだ。


ざんばらに切られた髪の毛を綺麗に切り揃える。母の笑い声が響く。15cm伸びるには最低2年かかる。その2年を、誰かの一瞬の衝動で消費された。そんなものだ。世界はとっくに終わっている。一滴の汚れもない潔白な1日などあるものか。それでも私は涙を零している。こんな面倒臭い感情、どっかに消し去りたいのに。私はいつまでも潔白な1日を求めている。いつになったら諦めがつくのだろう。とうの昔に諦めたはずなのに。

リビングから聞こえるテレビの笑い声。
何の根拠もない笑い声。
それで納得できればいい。でも、私にはそれができない。笑われた人を見世物として通りすがることができない。簡単に納得できる人がどんどん幸せになっていく。

私は時空の狭間に立ち尽くしたまま。
いつまでも腑に落ちないまま。


また朝が来る。

「凛、具合はどう?」
先月に入院してしまった、唯一友達と呼べる人との電話。
「いいよ。萌衣は?」
「え……普通かな」
「そっか」
「じゃあね」
「うん」
これくらいの会話しかできない。
いい感じといっても、あまり状況はよくないと聞いている。
あんなに人に囲まれていた彼女がひとりで一日中寝たきりで生きている。


"「クラス発表とかさ、うちはボイコットでよくね?」
「出店って、レンタルするの大変じゃんね。うちのクラスやる気ない人多いし。」

「「うちはボイコットでいいと思う人ーー」」
「「はーーい」」"

私はとっくにひとりになった筈なのに、どこかで皆の影に隠れている。


電車の中でtwitterを確認すると、
「瑞谷萌衣の㊙︎情報まとめ
・地下アイドルやってる(500円でお客さんにデコピンとかやってる)

・実は現代文の矢田がファンで、毎週通ってる

・クラブでバイトしてる

・母親はホスト通いで金無くなって、離婚して父親がいない。そのためにバイトでアイドルとかやってる 」

ふと、目の前に立っていたサラリーマンを見上げると、慌てて持っていたスマホを隠した。
嫌な勘を感じて、数秒、皮肉をこめた眼を向けるが、その表情は、慣れたように何事もなかった風に作り込まれていた。
全てを片手間に済ませる大人たち。軽い手つきで世界平和の図を描く。無邪気で純粋な子供たちの笑顔は、こんな大人達の薄っぺらい言葉と図に収められてしまう。

"その得意そうな顔が、この世界になんの価値を見出すのだろう"

……………価値など必要ない世界だ。
最初から分かりきっていることをまた考えてしまった。

ゴゴォオオという音とともにトンネルに入った。

スマホの画面をなぞりながら、
私は再び消費された。
冷たいレンズの視線。私はちゃんと感じている。

学校に着いて、誰とも喋らず、お弁当を食べて、無表情で帰る。そしてまた同じような時間に起きて、電車に乗って学校へ行く。明日も明後日もなにひとつ変わらない。クラスメイトは同じようなことで笑う。私に話しかける人はいない。テストは平均より10点下。お弁当のハンバーグは大量生産されたケチャップ味。帰りの電車には口うるさいおばさんが乗ってくる。
いつまで。いつまで続く。私はいつまで我慢すればいい。いつまで待てばいい。
もしかして、老いて死ぬまでずっと?


それでもまた朝が来る。
冷たい空気がべったりと私に抱きつく。
「凛、気分はどう?」
「いいよ」
「そうか、じゃあね」
凛しかいない私は、彼女が病床に伏せている間もしがみついてしまう。
どうせ電話するくらいなら、見舞いに行きたいところだが、気持ち的にとてもできそうにない。家のすぐ隣だというのに。


こんな平行線の毎日は、根拠のない装飾でまかなわなければ仕方ないのだろうか。
いつまでも本質とか本格とかいう形の見えない何かを待っている。

「凛、体調どう?」
「まあまあかな」
「よかった。じゃあね」

「凛、今日はどう?」
「普通だよ」
「お大事にね。じゃあね」

「凛、今日は雪だけど、冷えてない?」
「あったかいよ」
「よかった。じゃあね」


迷惑な頻度だと分かってるのに、私は一時も一人になれない。


こんな一面単色の世界、リタイアしてもいいかな。
わたしは屋上へ出て、柵を乗り越えようとまたがった。
すると近くの病院の患者がわたしのところまで走ってきた。

凛だった。
久しぶり------
と言いたいところだったが…
凛は私が想像していたよりもずっとひどく無力な身体になっていた。
その姿に言葉が出なかった。
きっと彼女も私と同じ心情なのだろうと思っていると、
勢いよく引っ張られて、海に連れていかれた。

わたしは冷たい海へ投げ飛ばされた。
「どうせ死ぬなら、こんなところにいても死なないその身体を頂戴。」
「……………」
「どうして死にたいの?」
「…………」
「その目は、誰かに振り回されるための目じゃないでしょ?あなたのために使ってよ。いくらでも変えられるから。流されないでちゃんと自分の足で立って。」

彼女には私を見る目も右脚も無かった。
でも、しっかりと立って私を見ていた。

わたしの雑念は海に洗い流された。

それから気を失ったのか、よく分からないあたたかい時空を揺蕩った。


気づくと私は屋上で横たわっていた。
もう空が明るくなりかけてる。
階段を降りると、そこは病院だった。
そうか、マンションの屋上は低いから病院の屋上から飛び降りようとしたんだった。
5階は慌ただしく看護師たちが動いており、緊迫した雰囲気を放っていた。
一人の少女が運ばれてきた。
凛の身体だった。
人工呼吸器をつけられ、全身に管とテープが貼られ、顔は蒼白で、腕や脚の肉は削ぎ落とされたかのごとく無い状態だった。

儚い少女の生死を背負った医者達は何度も早口でうるさく会話を交わしながら走っていった。

「なんで管なんか外して出ていったんだ………」

一人の男性が肩を落として頭を抱えている。

その言葉に、悔しいようなものすごいような、なんとも言えない推測がよぎった。

「海辺なんて寒いところに出たらどうなるか分かってたはずなのに……」


彼女は、私の軽率な行動を目にして、彼女の命を犠牲にしてまでも、最後に私に伝えたかったのだ。訴えたかったのだ。
彼女は無力だった。それでも最後に私に訴えたかった。
何もせず大衆の渦に飲み込まる私の愚かさを。生きるという覚悟を。


しばらく私はその場に立ち尽くし、父親だと思われる男性の泣き声を聞いていた。
病院の廊下は広いから、よく響いた。

頭の中でさえ言葉が出てこない状況で、私も訳が分からないまま小さく泣いた。生命の擦り減る音を肌で感じる。何か怖いものを見たときの子供のように、鋭くドロドロに泣いた。


彼女はきっと死ぬ。空気でわかる。
助かる見込みはない。もう何もできない。


それでも、やっと、取り戻した気がする。
凛の命を消費してまで、私は生きる人として選ばれた。

硝子の割れる音がきこえる。

こんな私が、この世界に残った。

階段を降りて外に出る。
夢であって欲しかったが、そこは確かに家の近くのあの病院だった。




朝4時半。家に着いて急いでシャワーを浴びる。

レバーを捻ると、冷たい水が降り注ぐ。
ちゃんと感じている。
私はちゃんと感じている。
目を瞑って、耳を立てて、皮膚を強張らせて、心臓を揺り動かす。
飛び上がって声をあげたりしない。
「冷たい」と感じて、
その先に何かを見出そうとする。
私は考える。
感情にもたれかかったりしない私の幸せを紡ぎ出す。
右手で毛先を掴んだ。
皆が「最高」と呼ぶものなんていらない。
私はいつだって世界を睨むと決めた。

どうして大衆と共に生きていかねばならないのか、
雄と雌、ふたりだけの世界に生まれた果実はあんなにもみずみずしくて甘い。

一人で深い眠りに就く。




懐かしい音が聞こえる。
着信音だ。
「はい」
去年やたらと私にくっついてきた元クラスメイトの男の子から電話がきて、
夕方話がしたいと言われた。

いつぶりだろう。新しい出来事。初めての何か。その久しい物珍しさに動揺しながら、いつもの一日を過ごした。

トイレの鏡に映った私は昨日より少しだけ綺麗な顔をしていた。



近くのスタバで向かい合わせで座った。
夕日が机に反射して眩しい。

「ほんと、いきなりでごめんね。」
一応申し訳なさそうだ。
でも、
その眼も仕草も表情も、量産型とすぐに見抜けるものだった。昨日も、一昨日も十年前も、この先も、どこにでも転げ落ちている、見飽きた空き缶だった。
"やっぱりおんなじだ"

「ずっと好きだった。付き合ってほしい。」
合金。

私はしばらく何も喋らなかった。
彼は必死で話してくる。
色々と理由を言ってくる。メッキが剥がれていく。足掻けば足掻くほどぼろぼろ。この人は合金の愛しか知らない上に浅はかだな。

「世界一大事にするから」

ガタンッ

彼の手を引いて、坂道を全力で駆け上がった。もうすぐ日の入りだ。
浜辺に着いてもなお、海の方へ走り続ける。
そのまま海の向こうへ走り続ける。
ちょっと待ってと抵抗されたけど、精一杯海へ引き摺り込む。
真冬の海は美しい程冷たくて、痛いほど気持ちいい。


彼の頭を勢いよく手で抑え、沈める。
彼にまたがり、動けないようにしてやる。泡がうるさく弾ける。

「…………こんなに苦しいんだよ?」

私達は、真冬の海を泳いでいかなければならない。
もう、羊水にはいられない。


ねぇ、私のことを見てよ。
両目かっぴらいてちゃんと見てよ。
苦しくてもずっと見ててよ。

「はなして……」
微かに聞こえる。

人間でしょ?
自分の眼球くらい使いこなしてよ。

「おい!!!何してんだ!!!」
おじさんがこちらへ走ってきたので、急いで奥まで泳ぐ。

人間の体って重いな。
彼はどうやら死にそうだ。

近くの灯台まで泳いだところで彼の顔を上げる。
二、三回揺らすと、意識があるような反応があった。

「目開けて」
「ねぇ」
「もう一回言ってみてよ」

「…意味わかんねぇよ……」と彼は言う。

「眠っちゃダメだよ」
「そのまま溶けて海になっちゃうから」
「海になっちゃダメだよ、志田くん」
「気持ち良くてもダメだよ」
「起きてよ志田くん」
「眠ったら、死んだも同然なんだから」

私の硝子は割れる。


「、あのね、ツイッターでさ、わたしがアイドルやってるって騒がれてるけど、あれ嘘なの。わたしが自分で嘘の情報ばら撒いたの。みんながどれくらい怠惰に生きてるかちゃんと確認してみたかったんだ。バカな遊びだけどね。この海の向こうにも、同じように流されて生きている人たちが腐るほどいるの。皆んな同じ。皆んな同じように流れている。かっこよく言えば、生ける屍とでも言うべきかな。せっかく生まれたからには、わたしは生きたい。幸せになれなくたって、やっぱり生きていたいの。幸せをこの目で探し続けなきゃいけないの。
ねぇ、わたしと付き合える?」

夕日を切り裂くような血液が唸るように身体の中で踊っていた。

「海と同化した死体となんて生きてられないよ」

例え孤独と呼ばれても、どうせ皆ひとりなんだ。
いつから仲間など必要になった。
形の有無に過ぎない。

産声をあげたあの日から何ら変わりない姿のまま、生きていたいんだよ。
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