第8話 序 ホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ22世の復興への一歩

文字数 3,700文字

 我は白猫である。名は生まれながらにある。ホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ22世である。我らゴールデンアイ家は、代々、金色の眼を持つ猫の一族であるのだ。その中でも白い毛皮は、グリーングレー一族から独立した英雄、ホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ1世と同じ毛皮であり、我が一族では最も優れた猫の証であり、始祖と同じくホワイトアスパラの名を名乗ってきた。そして、我もまた始祖や、八龍に渡った我が祖父ホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ21世と同じく純白の毛皮だ。
 しかし、我がゴールデンアイ家は存亡の危機にある。人間とかいう頭にしか毛がない二本足の巨大な生き物のせいである。彼らは我らを『保護』と言いながら捕獲、監禁し、ゴールデンアイ家を滅さんとした。我が父は一族を率いて奮闘したが、我を身籠もっていた母を庇い、無茶な跳躍をしたためにその御命を散らしなさったようだ。残された母は、これ以上の犠牲を出さぬよう、残される一族に隠れ住むよう言い残し、人間共の猫質(ねこじち)(注:この言葉は元来、猫にはない言葉であるが、人間は古来より交渉などにおいて価値のある身内を差し出す事があったそうな。それに倣い、この言葉を不服ながらも提案、使用する)として腹の中の我と、同じく腹の中の幾匹かの兄弟と共に『猫様一番』なる国へ送られた。
 父は白黒の毛皮であり、母は斑模様の毛皮であったから、兄弟たちも白黒と斑模様の猫達であった。しかし、我だけが一色も混ざらぬ白い毛皮を纏い産まれた。だから、母は幾度となく我に言い聞かせた。
「良いですか。あなたの父、スミタレ・モヨー・ゴールデンアイ15世は勇敢な猫でした。そのお父上、あなたのお祖父様はこの地に一族共に渡ったホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ21世です。あなたはかの偉大な始祖と同じ毛皮、同じ瞳を持つ猫です。勇敢な父上の血と、偉大な始祖と同じ毛皮を持つあなたは滅亡の危機にあるゴールデンアイ家を復活させるために産まれてきたのです。あなたはいつか、兄弟もこの母も置いて、ゴールデンアイ家の縄張りに戻るのです。良いですか、人間に心を許してはいけません」
 にゃあにゃあ、と遊ぶ兄弟を見つめながら母は幼い我に語りかけた。我は終生、その母の金色の瞳を忘れないであろう。
 しばらくして、我は人間に連れていかれ、眠らされた。次に起きた時、我の腹には切り裂き、縫われた痕があった。驚く我に、長く住んでいる老猫が言った。
「人間が管理しやすいように、子を作れんようにしたのじゃ」
 それを聞いた母は嘆いた。始祖から決して途絶えさせる事をしなかったゴールデンアイ家の血が途絶えたのだ! しかし、嘆く母と我に、その老猫は語りかける。
「しかし、ここの生活も悪くはない。我を失う衝動とも無縁の、心穏やかな生活じゃ……我のように、すっかり野生を忘れた愚かな猫には、贅沢すぎる暮らしじゃ……」
 その言葉に母は顔を上げ、呆然とする我に強く言ったのだ。
「血は途絶えましたが、始祖やお祖父様、父上の魂や猫の誇りは、途絶えさせてはいけません。ここから出て行けたのならば、生き残った一族を探しなさい。一族の中で最も見込みがある、偉大な猫の精神を宿す若い猫をゴールデンアイ家に迎え入れ、ゴールデンアイ家の誇りを引き継いで行くのです。血が途絶えたくらい、なんとでもないですわ。我々は気高き、猫の一族、その事が一番大切なのです」
 それから我は、母が教える伝統的猫生活をこの身体に叩き込んだ。人間との距離の置き方、獲物の追いかけ方と仕留め方、細い道の歩き方、跳躍の仕方。幸いにもそういった訓練のための道具には事欠かなかった。
 そして、幾年か過ぎ去り、母がこの世を去った。
「あなたは、十分、立派なゴールデンアイ家の猫となりました。良いですか、あなたの名前はホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ22世です。いつか、故郷へ……父上の、スミタレ様……」
 母は最期に父の名前を呼び、この世を去った。その亡骸すら、我らは弔う事を許されず、人間共に持ち去られてしまった。人間共め、どうして、どうして我らをそのように侮辱する! 我は毛を逆立て、ふー、ふーと息を吐いた。早く故郷へ、一刻も早く、母の願いを叶え、父の無念を晴らし、猫の誇りを取り戻さなければならぬ!
 さて、そのために如何とす、と月を眺めながら考えていた、母の死から9日経ったその晩、我に取り憑く何かがあった。それは、イッスンサキと名乗った。
「貴様は化け物であるか」
 我が尋ねると、イッスンサキはけけけ、と笑いながら答える。
「否。人の欲望である」
「人の! 無礼者! 我がゴールデンアイ家の猫と知っての狼藉か!」
「知らぬ、知らぬ。ただ、お前に呼ばれた気がしたのだ」
「呼んだ? 我がか?」
「ああ、そうだ。お前はこの先の未来を見通したいと願っていた」
「……ああ、そうだ。我はこの先の未来を憂いていた」
「俺は、未来を見る欲望である」
「未来を?」
「左様、左様。僅かな未来を見る欲望、それが俺だ」
「だから、我が呼んだと」
「然り」
 我はイッスンサキを睨んだ。外の匂いを纏った白い煙は我の周りを大きくぐるりと回る。
「どうだ、俺と一緒に外へ行かないか?」
「なにゆえ、我を連れ出す?」
「俺はな、誰かにしがみついていないと消されちまうのさ。煙は風に乗ってふわふわ動いちまうだろ? そうしたら人間どもが俺を捕まえちまうのさ。人間より速く、どこまでも駆ける事ができる獣の足が俺には必要なのさ。なぁに、礼ならするさ、俺は100歩先の未来まで予言できる。お前のために予言をし続けようじゃないか!」
「どうして我なのだ」
「俺はなぁ、白猫が好きなのさ。俺の生みの親は生粋の猫好きなのさ」
 我は、このイッスンサキを信じる事を恐れた。得体の知れない『何か』だと、我のヒゲがヒクヒクと震えているのだ。
「お前さんだって外へ出たいだろう? 1人で出れるのかい? 俺と一緒なら、出て行けるぜ。なぜなら、俺はイッスンサキ、未来をちょこっと覗ける!」
 我はにじり、にじり、と後ずさった。我1人で外に出られるのか、それはずっと考えていた。とてもじゃないが、兄弟達は腑抜けて、人間共ににゃごろにゃごろと媚びへつらうばかりで、ゴールデンアイ家の誇りどころか、猫の野生すら忘れている始末で、縄張りに戻ったとて生きてゆけぬだろう、もはや、ここに置いていく方が幸せだと諦めていた。だから、協力者は欲しくてしようがないものである。
「お前と手を組んで、我は猫のままであるか?」
 尋ねる声はか細く、情けなかった。
「お前さんが猫と思えば猫さ。まあ、尻尾が増えたり、寿命が伸びたりするかもしれないが。しかし、それがどうした? お前さんはやっぱり猫なんだ」
「もう良い」
 我は頭を上げ、白い煙に前脚を伸ばした。
「我と共に来るがよい、イッスンサキ。お前を、我が守ってやる。だから、お前は我にその100歩先の未来を見せよ!」
 そして、我は『猫様一番』を飛び出した。
「おゆき様!」
 人間の声が聞こえたが、我はそれに言い返してやったのだ!
「我はホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ22世だ!」
 イッスンサキが示す通りに道を駆けると、追いかけてくる人間は見えなくなった。それからも、追いかけてくる人間はイッスンサキが教えてくれた。逃げ、走り、飛び上がり、おやきだおもちだなんだと呼ばれ、時に作戦的抱っこをされ、またすり抜け、我は故郷へ戻ったのだ。
 故郷の一族は疲弊していたが、我が戻ると、喜び勇んだ。ゴールデンアイ一族は、復興の兆しを見せたのだ! しかし、問題は山積みだ、後継に縄張り、人間共……ふらふらと歩き回っていると、イッスンサキが言う。
「次に会う人間は良いやつだぜ。お前さんの臣下にしちまえよ」
「人間なんかに、面倒見られてたまるか」
「いいや、お前さんはそいつの猫になった方がいい。あの人間達が来た時、そいつに匿ってもらって、ついでに飯と寝床も貰うのさ!」
「……それも良いかもなぁ」
 その時の我は、疲れ果てていた。だから、にゃあん、と鳴いてしまった。そうして鳴くと、目の前に人間が現れた。
「おや、猫さん。君、おこめっていうの?」
 その人間からは、鰹節の香りがしていた。全く、不可抗力である、我はその手ににゃあにゃあと擦り寄った。
 なんやかんや、それから、ロリューとかいう人間の家を縄張りにしている。鰹節に困らず、寝床もある。ロリューも何も言わないし、しつこい人間もいない。我はここを中心に、一族の復興を進める。悪くない生活である。人間はロクでもないものだと思っていたが、人間がいないと鰹節がない。しようがないので、共存する事にしたのだ。我ら一族の繁栄を邪魔しないのであれば良いのだ。日向に当たり風に吹かれていれば、猫だって変わる。我だって変わるのだ。
 しかし、変わらないものだってある。ロリューはしつこく「おこめ」と呼ぶが、その度に我は訂正しているのだ。
「おこめではない、我は偉大なゴールデンアイ家当主、ホワイトアスパラ・カン・ゴールデンアイ22世である」




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