文字数 5,246文字

5月末、県大会が始まった。
 サンダースの前評判は優勝候補に続くグループと言った所、タイプの異なる3人のピッチャーを擁し、1、2番は俊足で、クリーンアップに加えて6番の和也までの打線は破壊力があり守備の堅さにも定評がある、しかし、下位打線は少し弱く、先発の雅美は少し安定感を欠く、と。
 しかし、それは市大会までの話、下位打線は厚みを増したし、雅美はスタミナが付いて来ている、もう一人のピッチャー、勝も成長著しい、そして、淑子と言う頭脳も加わっているのだ。
 
 サンダースは1、2回戦を順当に勝ち、準々決勝となる3回戦に駒を進めた。
 相手はあまり評価が高かったとは言えないチーム、しかし1、2回戦を勝ち上がって来たチームであることに変わりはない、そもそも小学生の成長は予測できない、一冬越したら別人のようになることも珍しくはない、足元を掬われないという保証はないのだ、油断は大敵だ。
 実際、相手のピッチャーは見た目よりも打ち難い、目を見張る速球はないが、コントロールが良い上に緩いボールを駆使してタイミングを外して来る。
 攻撃面でも、大物打ちこそ4番一人だが常に次の塁を狙う抜け目のない走塁が徹底されている。
 しかし、3回の表、サンダースの核弾頭とコンピューターが作動した。
 由紀がフォアボールを選んで出塁すると執拗な牽制球。
 当然の警戒だが、それでもバッターへの3球目に由紀は楽々と盗塁を決めた。
 マウンドに集まる相手の内野陣、明らかにモーションを盗まれた動揺が見て取れた。
しかし、実際はピッチャーに牽制の癖などなかった……。
 円陣を解く時、ピッチャーのお尻をミットでぽんと叩いて励ましたファースト、中心打者でもあり、ムードメーカーでもある彼は自分が原因だったなどとは気付いていない。
 彼にはキャッチャーから牽制球のサインが出た時、ミットをぽんと叩くクセがあったのだ。
 彼にしてみれば『よし、投げて来い』と言う意思表示、ムードメーカーならではの景気づけだったのだが……。
 またモーションが盗まれるのでは? と疑心暗鬼に陥ったピッチャーはランナーの由紀に気を取られるあまりに英樹にもフォアボールを出してしまう。
 ランナー一、二塁となって、再びファーストの『ぽん』。
 一塁側へ踏み出そうとしたピッチャーの視界に由紀が走ったのが入る。
「あっ」と驚いたピッチャーは悪送球、ボールがファールグラウンドに転がる間に、既にスタートを切っていた由紀はホームを駆け抜け、英樹も悠々と二塁ベース上……。
 緩急とコントロールが身上のピッチャーが動揺してしまえば歯止めなど効かない。
 サンダースが誇るクリーンアップトリオの連打に加えて、6番の和也が放った三塁打でサンダースは5点を挙げた。
 小粒ながら隙のないチームの特長は接戦でこそ生きる、一挙に5点のビハインドを背負った相手チームに、それをはねのける力はなかった。
 まして6回から登板した良輝は雅美とは打って変わった速球派、目を慣らす間もなく三振の山を築いた。


d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!


 準決勝の相手は大会屈指の好投手を擁するチーム。
 チームとしても3番に座るピッチャーは手首の強さを生かしたバッティングで長打を連発し、4番に座るファーストは小学生とは思えない大きな体で、スイングスピードを見せ付けるように素振りをすると『ブン』と空気を切り裂く音が響く、5番に座るキャッチャーはファーストと同じ位の身長に加えて横幅も大きい、そしてさして速そうに見えないスイングから外野手の頭を越すような大きなフライを打ち上げる。
 優勝候補の一角と前評判の高かったチームだ。
 しかし、光弘から見ればチームとしての総合力には疑問符が付かないでもない。
 全体に大振りだし守備も固いとは言えない、目立って足が速い選手や小技の上手い選手も見当たらないのだ、準々決勝までの3試合は圧勝を繰り返して勝ち上がって来たのでその欠点は表面化していなかっただけの事、一つのミス、一つの好走塁が勝敗を分ける接戦になれば弱みもある、光弘はそこに勝機を見出していた。
 そもそも強打を誇るチームには雅美のナックルはむしろ有効だ、『貰った』とばかりに勢い込んで振ってくるので、ふわりと逃げるボールにバットはくるくると回る。
 3回まで雅美が許したのは高いバウンドのショート内野安打1本とフォアボール1個。
 しかし、相手ピッチャーの速球にサンダース打線も3回まではパーフェクトに押さえられた。
 それでもサンダースにはこういった展開を打破する術がある。
 4回表の先頭打者、由紀に出た指示はセーフティバント、1球目からストライクを取りに来ることは読めていたので由紀はセーフティバントを敢行した……が、伸びのある速球に押され、小フライとなってしまった。
 一塁側にマウンドを駆け下りたピッチャーが地面スレスレで掴んでワンナウト。
「うむ……セーフティバントもダメか……」
 唸る光弘に、淑子がアイデアを出した。
「栗田君にもセーフティバントのサインを出しましょう」
「また小フライにならないか?」
「賭けですけど、もっとファースト側を狙えば……」
 確かに大柄なファーストの動きは少し緩慢だ、由紀のバントも俊敏なファーストならば楽に捕れていたはず、ピッチャーが無理することはなかった打球だった。
「よし、やってみよう」
 光弘のサインで英樹がバントする、由紀はピッチャーとファーストの間を狙ったが英樹は一塁線へ、今度はピッチャーでは届かない、ファーストは猛然とダッシュして来たが間に合わずにショートバウンド、振り向きざまにベースカバーに入ったセカンドに送球しようとするが大きな体に付いた惰性に邪魔されて山なりの送球。
 英樹が一瞬早く一塁ベースを駆け抜け、サンダースの初ヒットとなった。
「よし! 頼むぞ」
「はい!」
 淑子がファーストコーチャーズボックスへ走る。
 淑子の背番号10を見てファーストはちょっと怪訝な顔をした。
 小柄でいかにも非力な眼鏡っ子、ベンチでもバインダーから手を離さないのでてっきりスコアラーか何かだと思っていたのだ。
 走って来る姿まで様になっていないのだから無理もないが……。

 ピッチャーはセットポジションに入って、すばやい牽制球を送って来た。
 英樹も俊足であると言う情報は入っているのだ、もっとも、由紀ほどに危険なランナーだとは思っていないが。
 そして3番の達也への1球目を確認して、淑子は英樹に耳打ちした。
「顔の向きを見て、牽制の時とホームの時では角度が違うわ」
 淑子にしてみればこんなにわかりやすい癖はない。
 ピッチャーにしてみれば『ばっちり見てるぞ』と言う意思表示なのだろうが、必要以上にランナーに顔を向けてしまうのでホームに投げる時は顔の向きがはっきりと変わってしまうのだ。
 果たして次の投球、角度の違いが英樹にもわかった。
 こうなればもう二塁ベースは英樹のものになったも同然、英樹はピッチャーがモーションに入ると同時にスタートを切った。
 キャッチャーは強肩ではあった、しかし横幅もたっぷりの彼は立ち上がって送球動作に入るまでに時間がかかってしまう。
 英樹は悠々と二塁を陥れた。
今のタイミングを見る限り、三塁盗塁も成功率は高そうだ。
 光弘が淑子に視線を送ると淑子も小さく頷いた、同じ意見なのだ。
 ピッチャーはリードを取る英樹を睨み付けるようにして牽制球。
 肩越しの視線でないだけに一塁への牽制よりわかりやすいくらいだ、英樹はもう半歩リードを大きく取った。
 次の投球、ピッチャーがモーションに入った瞬間に英樹もスタートを切る。
 キャッチャーは肩には自信がある、しかもバッターの達也は左、膝をついたままサードへ送球するが、完全にモーションを盗まれた上にピッチャーのクイックも不十分とあってはそれでも間に合わない。
 そして、立て続けに走られた事で動揺したのか、3ボール1ストライクからの5球目は少し高めに浮き、達也はそれを見送った。
「ボール! ボールフォア」
 主審がそうコールすると、キャッチャーはボールが収まったミットを動かさずにしばし残念そうに固まった後、膝をついたまま山なりのボールをピッチャーに返した……英樹がホームを覗っていることに気付かずに。
 英樹が走ったことに気付いたピッチャーが慌ててホームに投げ返し、キャッチャーも慌てて立ち上がる……ボールを受けたキャッチャーが体をひねるようにタッチに行った時、英樹の左手は既にホームベースを掃いていた。
「セーフ!」
 主審の両手が広がった。
「今のはいいんですか?……」
 タイムをかけたキャッチャーが怪訝そうに主審に訊ねると、主審はきっぱりと言った。
「フォアボールはイン・プレー、盗塁は認められる、ホームインだよ」
 相手のナイン、ベンチは茫然。
 ピッチャーにとっても悪夢だった。
 警戒する相手の1番の女の子はバント失敗の小フライに切って取り、2番のバントも記録上はヒットになったものの小フライ、討ち取った当たりだ。
 それが2、3盗を決められて、フォアボールで気落ちした一瞬の隙を突かれて1点を失うことになるとは……。

『フォアボールはインプレー』それはもちろん光弘も教えていた、しかし、社会人野球まで経験した光弘にとってはインプレーならば警戒を怠らないことは当たり前の事だった。
 しかし、子供たちにとってそれは当たり前の事ではなかったのだ。
 普段、子供たちがテレビなどで目にするプロ野球なら、ピッチャーが気持を落ち着かせるためにロージンバッグに触れるような場合でもランナーに視線を送っている、しかし、子供たちにはそこまでわかっていないのだ、例えば自分が一塁ベース上で次のバッターにフォアボールが出れば小走りで二塁に行き、隙を覗おうなどとは考えていない、逆もまた然り、それが子供たちにとっての『当たり前』なのだ。
 しかし、淑子はルールに精通している上に子供の思考も理解出来る、だから、『フォアボールを出した時とかって、ランナーの事を気にしてないチームって多いよね、でもフォアボールはタイムをかけない限りインプレーなの、ランナーもバッターランナーも次の塁を狙って良いんだよ』と具体的にアドバイスできる、そして子供たちも同じ子供の淑子相手なら『こんな時は? あんな時は?』と気軽に聞ける。
その能力に注目した光弘は、毎練習終了時に淑子に5分ほどのレクチャータイムを与えた、それ以上長く色々な事を教えられても頭に入りきらないが、一つ二つならば興味を持って聞き、頭にもすんなり入る、サンダースはそうやって『野球脳』を養って来たのだ。

 しかし、さすがに相手の監督は気付いていた、1塁コーチャーズボックスに入った小柄で弱々しい女の子、どうもあの子は曲者だと。
 監督は早速伝令を送って『コーチャーに気をつけろ』と指示を出す、しかし、気をつけろと言われても何に気をつけてよいものやら……。
 その指示は完全に裏目に出た。
 ランナーだけでなくコーチャーの動きにまで気を取られ、続く幸彦にまでフォアボールを与えてしまう。
 しかもランナー1、2塁になった所で淑子はサードのコーチャーズボックスに移動して来た、そうなると余計に気にかかってしまう。
 牽制の癖は見切っているから幸彦と達也のリードは大きい、ピッチャーはムキになってセカンドへ牽制球を送るが、ベースカバーに入ったセカンドの動きの逆を突いてしまいセカンドはそれを後逸、ランナー2、3塁になった所でバッター慎司のカウントは3-1、ピッチャーの頭にさっきの悪夢がよぎる。
 フォアボールだけは嫌だとボールを置きに行ってしまい、慎司はそれを見逃してはくれなかった。
 ランナー一掃のツーベース。
 
 鮮やかに打たれた事で却って開き直ることが出来たピッチャーは後続を断ち切ったが、スコアは3-0でサンダースのリード。
 そうなると雅美のナックルボールは更に威力を増す。
 キャッチャーの明男は速めで小さく変化するナックルを織り混ぜたリードに切り替えた、さして速いとは言えない雅美のストレートだが、低めに決まれば『落ちる』と見て手を出してこない、そして遅くて大きく変化するナックルを見せられるとストレートが速く見えてしまって振り遅れる、ストレートにヤマを張ればナックルはあざ笑うかのようにひらひらと落ちる。
 全体的に大振りな相手打線は、雅美のナックルと明男のリードに手玉に取られて凡打と三振の山を築き、雅美は4番にソロホームラン1本を許したものの完投勝利を収めた。

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