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 県大会決勝の相手は優勝候補NO.1の呼び声が高いチーム、ここまで全く危なげなく勝ち上がって来たところを見てもその評価は正しかったようだ。
 ピッチャーはサウスポー、驚くほどの速球派と言うわけではないが、大きく縦に曲がり落ちるカーブを持っている。
 小学生では変化球を駆使するピッチャーは多くない、成長段階なので投げさせない指導者も多いが、そもそもごく小さい頃から野球を始めたとしても、野球らしい形になってくるのは4年生位から、変化球を思うようにコントロールできるまでには至らない、なかなかモノにはならないのだ。
それゆえ無理に変化球を覚えるよりもストレートに磨きを掛けたほうが得策だし、タイミングを外すだけならスローボールを覚えるだけでも有効だ。
 だが、彼のカーブはしっかりモノになっている、コースは右バッターの外角高目から内角低目へと曲がり落ちてくるパターン一つだけ、スピードが遅く曲がりが大きいのでストライクゾーンに決まるのはそのコースだけなのだ、そこから外れるのは単なる投げ損ない、意図的にボール球を駆使できるほどのコントロールはない。
 しかし、速いストレートにこの遅いカーブを交えられるとバッターにとっては厄介だ、タイミングを計りにくいだけでなく、左バッターは腰が引けてしまうし、右バッターにとっても斜めにストライクゾーンを斜めに横切って来る球筋にバットを合わせるのは難しい、しかも決まるのは内角低めの厳しいコースなのだ。
 彼は打つ方でも3番を務める堅実なバッターでもある。
 彼とクリーンアップを組むのはサードを守る4番とレフトを守る5番。
『4番・サード』と言うフレーズはかつてプロ野球を沸かせたある選手を想起させるが、実際良く似た、打ち気が前面に出るタイプだ。 
プレッシャーがかかる場面で打席に入っても緊張するという事はなく『もし打てなかったら』などと言うネガティブな考えは浮かばず、タイムリーヒットを放ってヒーローになる姿だけをイメージできるらしい、それゆえ、ここぞと言った場面での快打が目立つ。
5番、左打ちのレフトはいわゆるホームランバッター、天性の打球角度を持っている上に体も大きく、長打を警戒しなければならない選手だ。
警戒すべきはクリーンアップだけではない、1番・センターと2番・セカンドはともに俊足で由紀・英樹の1、2番にも匹敵する。
6番以降はやや力が落ちるが、上位打線だけならサンダースよりも破壊力があると言える。
守備に関してはレフトの動きがやや緩慢だが穴と言うほどではなく、充分に固い守りを誇る。
光弘から見ても、確かに主力はサンダースよりも一枚上だと思う、しかしチーム全体として見れば劣っていないとも考えている。
ピッチャーは確かに厄介ではある、しかし、そう言ったところで効力を発揮するコンピューターもサンダースには備わっているのだ。

d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

試合が始まると、雅美の調子がいまひとつだった、それと言うのも風が関係している。
強めの向かい風が吹いていて、「行き先はボールに聞いて欲しい」のナックルは曲がりすぎてしまい、制球に苦しんだのだ。
しかしキャッチャーの明男はそんな条件下でも速めで曲がりの小さいナックルを上手く織り交ぜてリードした。 その結果、2回までヒット2本を許しながらゼロで抑えることが出来たのだが、スリーボールまで行ってしまうこともしばしばで球数は多い。
一方の相手ピッチャーは向かい風を利用してカーブを多投し、サンダースは3回の表の攻撃終了まで一人の走者を出すことも出来ていない。

迎えた3回の裏、雅美はワンナウトを取ったものの、相手1番に痛烈なライナーを打たれてしまう、出塁を許せば厄介なランナーになるが、横っ飛びに飛びついたセカンド・新一のグラブがピンチの芽を摘み取ってくれた。
しかし、それでもピリッとしないのが今日の雅美、2番にフォアボールを与えてしまうと、3番のピッチャーにもライト前へヒットを許してランナー1、3塁のピンチを招いてしまう。
学童大会は複数の会場を使用して開かれるので、今日で5連投、さすがに疲労の色は隠せない。
ここでバッターボックスに入るのがポジティブ思考の4番・サード、第一打席で雅美は三塁線を強烈に破られる二塁打を喫している。
光弘は雅美を諦め、まだこの大会では登板させていないものの、ここのところ調子が良い勝にスイッチしようと腹を決めた。
だが……。
「どうもこの4番には嫌な予感がするんだよな、勝もコントロールは大きく改善されているから満塁策をとろうか」
 光弘は迷った時は淑子の意見を聞くようになっていて、この場面でも意見を求めた、すると淑子から意外なアイデアが飛び出した。
「敬遠するならもう一人ピッチャーを挟みましょう」
「敬遠の為に?」
 その考えも解せないが、一体誰に投げさせると言うのか……。
「どうせ歩かせるつもりなんですから、コントロールは関係ないでしょう?」
「あっ、そうか!」
 光弘にはそれだけでピンと来た、淑子のアイデア、それはつまりここでロビンソン譲治を使うということだ。
 身体能力抜群の譲治はとにかくスピードだけならクローザーの良輝にも劣らない、コントロールはほとんど期待できないので試合で使えるところまで達していないのだが、どのみち歩かせるつもりならば譲治をワンポイントで使うアイデアは悪くない。
「よし、伝令を頼むぞ」
「はいっ」
 淑子が伝令に走り、光弘は譲治に投球練習を始めさせた。

「譲治君はまだコントロールなんて出来ないからミットは真ん中に構えて、真ん中目掛けて投げてもボールは高めに浮くから腰はあまり落とさないで暴投に備えて」
「だったら低めに構えようか?」
「それはダメ、ど真ん中に投げ込んじゃうから」
「確かにな」
 伝令に走った淑子は雅美と話すフリをして、その実キャッチャーの明男に指示を出していた。
 その間に譲治の肩作りが急ピッチで進められる、地肩が異常に強いしコントロールは元々ないから、マウンドに上ってからの投球練習を交えて20球もあれば大丈夫、ブルペンでの肩慣らしが10球程度であれば淑子が時間を稼いでくれるだろう。
「何も考えなくていいぞ、とにかくお前のありったけのスピードボールをぶつけて来い」
 譲治への指示はそれだけだ、細かい事を言っても仕方がない、ナックルボーラー雅美の後を引き継ぐならスピードこそが武器になる。

 マウンドでは淑子が雅美の肩や二の腕を触っている。
「どうしたね? ハリーアップして欲しいんだが」
 主審がマウンドに歩み寄ると淑子が答える。
「ちょっと肩に違和感があるって言うんですけど、2~3球投げさせてみてもいいですか?」
「構わないが、早くし給え」
 雅美が3球投げた所で淑子は光弘に向って首を振って見せる、これだけ時間を稼いでくれれば譲治の方は大丈夫だ、光弘はベンチを出て主審に告げた。
「ピッチャー、石川雅美に代わってロビンソン譲治が入ります」

d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

規定の投球練習を終えた譲治がセットポジションに入る。
 実は譲治にはまだセットポジションしか教えていない、ワインドアップすると更にボールが浮いて手のつけようがなくなるのだ、もっとも体のバネで投げるタイプだからワインドアップは必要ないとも言えるのだが。
 
 相手の4番は燃えていた。
 かわすピッチングのナックルボーラーに代わって出て来たのは、褐色の肌を持ついかにもバネのありそうなピッチャー、投球練習を見る限りボールはひと回りもふた回りも速い、力と力の勝負になりそうだ。
(そう来なくちゃ)とばかり意気込んで右バッターボックスに入った。

 一球目は外角高目のストレート、勢い込んでバットを振ったが予想以上の伸びに空振り。
 二球目は真中高目、キャッチャーが伸び上がって捕るボールで1-1.
 三球目は内角高目、バットで捉えたが三塁線へのファールで1-2.
 四球目は外角高めに外れ、五球目は引っかかったのか珍しくワンバウンドになり、キャッチャーが身を挺して止めた、カウントは3-2.
 そして六球目、譲治渾身の真ん中高目のストレートは僅かにストライクゾーンを外れるかに見えたが、勢い込んでいる4番はそれを打ちに来た、力と力のぶつかり合いだ、そしてその勝負はボールの伸びが僅かに上回った、僅かにバットの上面にかすりはしたものの、それを明男がミットに収めた。
 両者の力が籠った対決の決着に主審もついオーバーアクションになる。
「ストラック・アウト!」
 いかにも悔しそうな4番と飛び上がって喜ぶ譲治、そしてピンチを脱したサンダースナインも勢い良くベンチに戻って来た。
 形成逆転とまでは行かないが、サンダースの士気はぐっと上がり、相手の士気には水が差された。
 譲治のワンポイントリリーフは三振と言う結果以上のものをゲームにもたらしたのだ。

d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

 4回の表、打者一巡して先頭打者は由紀、そして勝がブルペンに向う。
「2イニング、2点まではOKだぞ」
 光弘は勝にそう声をかけた。
 勝は秋の市大会で1イニング投げただけ、しかも県大会の決勝と言う大事な試合でスコアも0-0、小学生相手に『平常心で投げろ』などと言っても無理な話だ。
 しかし2イニングで2点までは許されると最初に言われていれば過度に緊張することもない、比較的簡単な目標を与えてやること、それは光弘が初めて試合に出る選手の緊張を解くための常套手段ではある、だが、今回に関してはその言葉には自信の裏付けがあったのだ。

「私がコーチャーズボックスで体をホームに向けたらカーブが来るわ、胸のマークに注意してて、ただし、ピッチャーがモーションに入るぎりぎり位のタイミングになるけど見逃さないでね」
 円陣の中で淑子がナインにそう告げていた。

d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

 3回の表、ラストバッターの雅美がバッターボックスに入っていた時の事だ。
(あっ)
 コーチャーズボックスで淑子は思わず声を上げそうになったが、なんとかそれを飲み込んだ。
 相手のエースがカーブを投げるとわかったのだ。
 ピッチャーのクセを見つけたのではない、それまで懸命にクセを見つけようとしていて果たせずにいたのだが、視点を変えてあることに気付いたのだ……。
  
 d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

「一球目はセーフティバントの構えで空振りして、そしたら二球目はカーブの可能性が高いと思うの、コーチャーズボックスを見てね」
 淑子はバッターボックスに向おうとする由紀にそう囁いてからコーチャーズボックスに向った。

 1回の表、由紀に対しては全球ストレートだった、由紀は非力なのでストレートで押せる、カーブに合わせられるとボテボテの内野ゴロになる可能性が高く、俊足を飛ばして内野安打にされてしまうかもしれない、そう言う読みからだろうと淑子は考えていた、この打席も同じ攻めで来る可能性が高い、だったらカーブを投げさせれば良い、カーブとわかっていれば強く叩けるから内野安打になる確率は高い、そのためのセーフティバント失敗の指示だったのだ。

 そしてそれは予想以上の結果を生んだ。
 二球目のカーブを引き付けて上から叩いた由紀の打球は三塁への高いバウンドのゴロ、サードが飛びつくがボールはそのグラブの先を掠めてレフト線へと転がった。
「セカン!」
 淑子は一塁に向ってダッシュして来る由紀に迷わず叫び大きく腕を廻した。
 サードが触れた事でボールの勢いは削がれてレフト前に緩く転がっている、相手守備唯一の弱点、それは大柄なレフトのやや緩慢な動きなのだ。
 ただし、強肩の外野手でもある、ボールを掴んだ時は間に合わないと思われたが、二塁への送球は矢のよう、由紀もスライディングの体勢に入る、クロスプレーだ。
「セーフ!」
 塁審の手が大きく左右に広がり、ベース上に立った由紀は帽子を脱いでポニーテールをきゅっと締め直した。
 ノーアウトランナー二塁、しかもランナーは由紀、サンダース絶好のチャンスだ。
 そして2番・英樹の狙いは由紀とは違った。
 カーブを引っ掛けては由紀の進塁を助けられない、カーブは捨てて外角のストレート一本に絞っていたのだ、そして相手は由紀の足を警戒しているはず、その証拠に執拗に牽制球を送ってきている、おそらく初球はストレート、それも外角に来るだろう。
 その狙いも見事に当たった、やや外れ気味の外角のストレートに飛びつくようにバットを出す、それは英樹が得意とするところでもある。
 一、ニ塁間を襲った英樹の打球、相手のセカンドが飛びついて止めるものの、立ち上がってからの一塁送球は間に合わず、ノーアウトランナー一、三塁。

 3番の達也は左打ち、初回はカーブ攻めだった、そしてこの打席でも初球はカーブ、達也は体を開いてスイングして空振り。
 しかしこれは光弘の指示、二球目もカーブを投げさせる布石だった。
 実は英樹の打席で淑子からサインが送られてきていたのだ。
 眼鏡を外してユニフォームで拭いて掛け直す、それは『牽制のクセを見つけました』と言う意味のサインなのだ。
 英樹も俊足だという事は知られている、ピッチャーは立て続けに二球牽制を送り、次にホームへ投げた、その間に英樹は淑子から教えられた牽制のクセを確認していた、そして達也への二球目は思ったとおりのカーブ、スタートを切った英樹は悠々と二塁に達していた。

 ピッチャーはサウスポー、盗塁はし難い、そして構えや顔の角度と言ったわかりやすいクセはなく、ギリギリまでランナーに顔を向けながらホームに投げる、また逆に早めにランナーから目線を切りながら牽制球を投げると言った『だまし』のテクニックも持っている。
 それゆえ大会ではここまで盗塁を一つも許しておらず、逆にランナーを刺した事は度々あった。
 淑子が見つけたクセ、それは引き上げた右足、そのつま先の角度にあった。
 ホームに投げる時はつま先が真横を向いているが、牽制の時はやや上に向く、そのクセを淑子はわかりやすい表現で英樹に伝えていた。
「スパイクの金具がチラッとでも見えたら牽制、見えなかったらホームよ」と。
 つま先の角度はかなり微妙な違いなのだが、金具が見える、見えない、と言ったはっきりした基準があれば理解しやすい、英樹も二球の牽制と一球の投球でその違いをはっきり確認することが出来たのだ。
 
 達也のカウントは0-2、バッテリーは次の一球をストレートで外して来た、四球目のカーブへの布石、達也はそう考えながらバットを構え、ピッチャーがモーションに入る。
 しかし淑子は動かなかった、それを視界の片隅に捉えた達也はストレートに狙いを絞った。
 カーン。
 空振りを狙って内角高めに来たストレートだったが、達也のバットはそれを捉えた。
 犠牲フライには充分な飛距離、由紀はホームを駆け抜け、英樹もタッチアップして三塁を陥れた。
 サンダース1点先制、しかもワンナウトランナー三塁。
 続く幸彦もカーブを叩いてセンターに犠牲フライを打ち上げて英樹をホームに迎え入れ、続くバッターは5番の慎司。
 
 しかし、相手の監督もボンクラではない、何故かカーブを狙い打たれていることには気付いていた。
 向かい風なのでカーブを多投しているにせよ、ピタリとタイミングを合わせられている、2ストライクからでもカーブを狙って来るのだから球種を読まれている可能性が高い。
(どうしてなんだ? 俺が見落としていたクセでもあるのか……)
 監督は目を凝らすが、クセなど見当たらない、もしかしたら少し力んでテークバックが大きくなるかして握りがバッターから見えているのか……?
次の瞬間、慎司のバットが快音を響かせて打球はレフトへの鋭いライナー、監督は思わず立ち上がった。 幸いにして打球はレフト正面へ飛び、レフトは数歩動いただけでグラブにボールを収めたが、少しでもコースがずれていれば長打になるような当たり、監督はとりあえず胸をなでおろした。

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 4回の裏、雅美に代わって勝がマウンドに上った。
 勝にとってはこれが公式戦僅か2回目の登板、しかも県大会決勝と言う大舞台だ。
 だが、光弘からは「2イニング、2点までOK」と言われ、味方はその通りに2点を取ってくれた、ウォーミングアップの時間もたっぷりあった。
 先頭打者は5番・レフト、大物打ちの中心打者だが左打ちだ、サウスポーからのスリークォーターの自分に分がある、よしんばホームランを打たれても1点だ、勝は強気で攻めていくことが出来た。
 そして2ストライクからの3球目、外角に外したボールだが、体が早く開いてしまい、泳ぐようなスイングで空振り三振、最高の滑り出しに勝は勢い付いた。
 右投げのナックルボーラーであまりスピードはない雅美から、左のスリークォーターでクロスファイアーにズバリと投げ込んで来る勝へのスイッチ、目先はガラリと変わる。 6番、7番は膝元に食い込んでくるボールにバットを合せるのがやっと、緩い内野ゴロ2本であっさりと攻撃を終えた。

 5回の表、6番の和也はカーブを狙い打ってレフト前ヒット、スパイクの金具を確認してあっさりと2盗を決め、7番の新一は逆にカーブを捨ててストレートに狙いを絞って一塁線に転がしてワンアウト3塁。
 そして8番の明男はカーブをギリギリまでひきつけて叩きセンター前のヒット。
 サンダースのリードは3-0と広がった。

「タイム願います」
 相手の監督がたまらずタイムをかけてキャッチャーを呼んだ。
「どうも球種が見抜かれているみたいだが、テイクバックが大きくなって握りが見えているとか言う事はないか?」
「いえ……普段と同じだと思います」
「そうか……ブロックサインのキーは?」
「イニング毎に変えてますし、イニングの途中でもマウンドに行けばその都度変えていますが……」
「そうだよな……いや、気のせいならいいんだ」
 そう言ってキャッチャーを守備位置に戻したが、どうもしっくり来ない、何かあるはずだ……。
 迎えるバッターは9番の勝、初球のストレートを平然と見逃し、2球目のカーブを強振して来た。
(あっ!)
 監督は思わず声を上げそうになった、カーブを狙われる理由がわかったのだ。
 ピッチャーにクセなどなかったが、カーブを要求した時、キャッチャーが外角から内角へと尻を動かしたのだ。
 道理でピッチャーにいくら注目してもわからなかったわけだ、キャッチャーを呼び寄せた直後で、キャッターに視線が行っていて初めて気付いたのだ。
「タイム願います」
 監督は再びキャッチャーを呼び寄せてそのクセを伝えた。
「え?……」
 キャッチャーは目を丸くし、そして悔しそうに唇を噛んだ。
「仕方がない、お前だってあのカーブを確実に受けようとして自然に身に付いていたクセだからな、だが、次からは尻は動かすな」
 キャッチャーは力強く頷いて守備位置に戻って行った。
 果たして、次のカーブに勝はタイミングが合わずに泳ぐように空振りし、少し困惑したような顔で一塁コーチャーズボックスに視線を送った、すると、コーチャーは指で小さく×印を作った。
 これではっきりした。
 キャッチャーの癖から球種を見破っていたのはあの小柄な女の子だ。
 そもそも、ベンチ入りメンバーが15人と制限されている中でいかにも非力な女の子が背番号をつけている時点で違和感があった、その時から優れたコーチャーなんだろうと思っていたが、まさかここまでとは……牽制のモーションが盗まれているのもあの子の仕業に違いない……、しかし、とにかくカーブを狙い打たれる原因はわかった、キャッチャーに注意するだけで良いのだからピッチャーへの影響はない……ほくそ笑んでも良いくらいだったが、監督はむしろ怖れを抱いた。
 今年は県大会どころか全国大会でも優勝を狙えるチームが出来上がった、そう思っていた、決勝の相手・サンダースはバランスの良い好チームだとは思うが、個々の選手を見れば長所もあれば欠点も抱えている、自分のチームに勝るようなチームではない、そう考えていた。
 しかし……サードコーチャーのひ弱そうな女の子、クセ者と言う言葉は当らない、野球と言うゲーム上では観察力は重要な要素だ、あの子は自分が3年間見てきていて気付かなかったキャッチャーのクセを僅かの間に見つけ出した……相手軍隊がこちらの想像を超える高性能レーダーを装備しているようなものだ、まさかサンダースにあんな秘密兵器があったとは……。
 
 ともあれ、9番はカーブで三振、警戒する1番の女の子も非力さを突いてストレートで押し、ファーストゴロに仕留めた、スコアはまだ0-3、これからだ……。

d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!

 5回の裏は8番から、勝はキレの良いクロスファイアーで8、9番から連続三振を奪ったが、1番は高いバウンドのショートゴロ、和也がそれを捌いて素早く一塁に送球するが、由紀にも匹敵する俊足を誇る1番は一瞬早くベースを駈け抜けて行った。
 初ヒットは許したが、決して良い当たりではない、勝はランナーを釘付けにしようと2球、3球と牽制球を送る。
 以前の勝には牽制のクセもあったが、淑子に指摘されてそれは直している、しかし、2番への初球にランナーは走って来た。
 サウスポーの勝るにはスタートを切ったランナーが目に入る、あっと思った瞬間、わずかに手元が狂いインサイド低目へのストレートが低めにショートバウンド、明男は膝をついてそのボールを受けざるを得なかった、ツーアウトながらランナー二塁。
ピンチには違いない、だがまだ3点のリードがある。 
 
 明男は次も内角低めにミットを構えたが、警戒をかいくぐって盗塁を決められた事で勝の手元は微妙に狂った、ショートバウンドになる事を恐れて真ん中に入ってしまったのだ。
 カーン!
 快音を残して鋭い打球が勝の足元を襲い、あっという間に二塁ベースの真上を通過して行った。
 センター前ヒット、打球は速く、センターの由紀のダッシュも速い。
 しかし、由紀の肩が弱点である事は知られていた、ランナーは迷わずホームに突っ込み、ショートの和也が由紀の送球をカットした時には既にランナーは三塁ベースを大きく回っていて、キャッチャーの明男は両手で×を作っていた。
 ツーアウトながらランナー一塁で打順はクリーンアップ、なおもピンチは続く。
 だが左のスリークォーターである勝にとって続く3番が左打ちなのは好材料だった、勝の右側を襲う痛烈なゴロを打たれたが、ショートの和也が追いついてそのまま二塁ベースを踏んだ。
 5回を終えてサンダースの3-1、『2イニング、2点』のノルマにはおつりを残して勝はその役割を終えた。

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 6回表、もうカーブ狙いの決め打ちは出来ない。
 2番の英樹はストレートにタイミングを合わせて待つが、2ストライクに追い込まれればカーブも頭に入れなければならない、1-2からの4球目、待っていた外角のストレートに手を出すが、ボール気味だった上に僅かにタイミングも遅れて平凡なファーストゴロ、3番・左打ちの達也はカーブ攻めに会って三振、あっさりとツーアウトを取られた。
 それでも4番の幸彦はカーブに狙いを定めてセンターに鋭いライナーを放つが、センターの好捕に阻まれてスリーアウト、流れははっきりと相手に傾いた。

 6階の裏、マウンドに立ったのは良輝、間に勝を挟んだものの、いつもどおりのクローザー役、過度に緊張することなくマウンドに立つことができた。
 先頭打者は4番、力勝負は良輝も望むところだ。
 スリークォーターの勝はストライクゾーンを横に広く使うが、オーバースローの良輝は縦に広く使う、1-2と追い込んでからの4球目、良輝渾身のストレートはやや高く行ったが力で勝った、打球は高く上ったがレフトの慎司がやや前進して掴んでワンナウト。
 だが、続く5番への初球、外角低目を狙ったボールがやや高く入った。
 快音を残した打球はライト英樹の懸命の背走も及ばず二塁打。
「帽子のマーク! 帽子のマーク!」
 ベンチから淑子の声が飛ぶ。
 ヘッドアップのクセは淑子の「帽子のT’sマークからレーザー光線が出ているつもりで」と言うアドバイスで修正できたはずだったが、決勝戦の終盤と言うシチュエーションに知らず知らず少し力んでいたようだ。
 良輝は淑子に向って大きく頷き、セットポジションに入った。
 淑子のアドバイスが利いたのか、続く6番には低めにボールを集め、セカンドゴロに仕留めた、ただ、バウンドが高かったのでランナーの3進は止むを得ない所。
 要は7番を抑えれば良いだけのこと、ここで切って置けば7回は8番から、勝利はぐっと手元に引き寄せられる。
 しかし、そう簡単には行かせて貰えなかった。
 7番への初球、バッターは右手をバットの先端に向けて滑らせた。
 セーフティ・スクイズ!
 この作戦には光弘も淑子も、そして守備に散ったナインも意表を突かれた。
 バントそのものは良くはなかった、小フライになってファースト方向へフラリと上ったのだ。
 ファーストの幸彦が猛然と突っ込み、セカンドの新一がベースカバーに入る、ライトの英樹はバックアップに走り、ピッチャーの良輝はキャッチャーのバックアップに向う。
 サンダース守備の連携には何一つぬかりはなかった、ただ、不運にも打球の勢いは弱く、幸彦が懸命に差し出したファーストミットの僅か前に落ちた、バッターランナーは既に脇をすり抜けていて振り返っての送球は間に合わない、幸彦はミットからのトスを試みた。
「セーフ!」
 主審の腕が大きく広がった。
 タイミングは微妙、明男のブロックも完璧だったが、ファーストミットからのトスは少し浮き、明男は少し腰を浮かさないわけには行かなかった、その分追いタッチとなってしまったのだ。
「すまん、素手で行くべきだった」
 ホームベース後ろに立ち尽くす良輝に向って幸彦が片手で拝む仕草。
「いや、お前のせいじゃないさ」
 確かにワンバウンドを覚悟して右手で行けばトスは浮くことなくアウトに出来たかも知れない、しかしダイレクトに捕ろうとした幸彦の判断は間違っていない、ピンチを招いた自分が悪い。
 そう考えると却ってサバサバした気持ちになれた、まだ1点リードしている、後続を断てば良いだけのこと。
 良輝は続く8番を抑えて味方の攻撃を待った。

 7回表、5番の慎司を迎えて、相手の監督はレフトとライトを入れ替えた。
 レフトは4番打者だが大きな体が災いしてかやや動きは遅い、相手守備陣の唯一の弱点だ、つまり慎司にはカーブ攻めと言う布石に見える……しかし、相手監督は抜け目がない、逆にストレート攻めかも……その真意を掴めないまま、慎司はストレートを叩いてセンターライナーに倒れた。
 だが、当たりそのものは良かった、少し左右どちらかに飛んでいれば長打となったに違いない、ツキも相手側に向いて来ていると感じさせる打球だった。
 6番の和也もストレートをしっかりと捉えたが、ショートの好プレーに阻まれ、7番・新一の右打ちもセカンドの好捕に会ってスリーアウト。
 サンダースは流れを引き戻せないまま、僅か1点のリードで7回の裏を迎えることになった。

 相手の打順は9番、そこに代打が送られた。
 ちょうど由紀のような小柄な女の子、他のチームなら見くびったかも知れないがサンダースナインは違う、キビキビした動作も足の速さを連想させる。
良輝はむしろ警戒しすぎてしまい、フォアボールを与えてしまった。
 点差は1点、当然送りバントが予想できる、サンダースの内野陣もそのつもりで守ったが、1番のバントは絶妙だった。
 ワンナウト・ランナー二塁、同点のピンチだ、いや、2番、3番と続く打順を考えればサヨナラのピンチに繋がる怖れもある。
 そして、2番が打席に立つと、淑子が光弘に訴えた。
「監督、タイムをお願いします、伝令に出たいんです」
 無論、光弘に異論はない、言われずともここは一呼吸置いてナインを、良輝を落ち着かせたい場面だ。
 しかし、淑子が直訴した理由はそれだけではなかった。
「セーフティバントが来るかも」
 マウンドに出来た輪の中で淑子が言った。
「なるほど」
 ツーアウトになってしまう代償を払ってもランナーを三塁に進める作戦は『有り』だ、3番は全てを託すに足るバッターだし、バッテリーミスが許されない状況を作ることによって低めギリギリは狙い難くなる。
 しかし、淑子が言っているのはそれだけではなかった。
「さっきはバッターボックスの一番後ろに構えたのに、今度は真ん中なの」
 バットコントロールには自信があるが、やや非力な2番は普段バッターボックスの一番キャッチャー寄りに立つ、ピッチャーからの距離を少しでも開けたいのだ、いくらかでも球速は落ちるしタイミングも測りやすくなるからだ。
 だがバントならばそれよりも転がせる範囲の広さを優先したくなる、あまり前に構えては悟られるかも知れないが、真ん中ならば不審には思われないだろう、それが2番打者の考え、それを淑子はひと目で悟ったのだ。
 マウンドから内野陣が散り、プレー再開。
 1球目は外に外すボール、バットの動きから良輝と明男のバッテリーも淑子の推察が正しいと確信した。
 そして2球目は真ん中高目のストレート、バントをさせて小フライに討ち取ろうと言うバッテリーの狙いは当たり、ピッチャーへの小フライに切って取った。
 2アウト、あと一人で県大会優勝、全国大会への切符が手に入る。
 クローザー役を任され、緊張する場面には慣れている良輝だが、なんと言ってもまだ小学生、さすがにこのシチュエーションには足が地に着かないような緊張を覚えた。
 打順は3番、トーナメントをここまで一人で投げ抜いて来たピッチャーでもある、この場面で打てなければここまで投げ続けて来た苦労が報われない……ある意味、良輝以上のプレッシャーを背負って打席に入った。
 どことなくぎこちない勝負だった。
 手元が狂ったボール球があるかと思えば、バッターも真ん中の好球を打ち損じる、だが気持の上ではややバッターが上回ったのか、1-2と追い込まれてからファールで粘り、最後は良輝渾身の速球が高めに浮いた。
「ボール・フォア」
 主審が一塁を指差す。
 そして、勝負は4番とクローザーの一騎打ちに委ねられる事になった。
 逆転のランナーを許してしまい、ピンチを広げてしまった事は間違いない、しかし、ここに至って良輝の気持は落ち着いて行った。
 ポジティブ思考の4番は打ち気満々、ブンブンと音を立てる素振りをくれてバッターボックスに入った。
 光弘からのサインは『勝負』、満塁にしてしまうとシングルヒットでも逆転サヨナラになると言う実質的な面はもちろんある、しかし、全国大会をかけた重要な場面で、両チームが信頼するクローザーと4番の対決、勝っても負けてもこの勝負に賭ける、それでいいじゃないかと言う気持だった、淑子もここに至っては何の策もない、ただ顔の前で両手を握ってお祈りするしかない。

 1球目は内角低め、バッターは強振したがバットは空を切った。
 2球目は外角に外れるボール、バッターは身を乗り出すようにしたがそれを見送った。
 3球目、明男の構えは内角高目、空振り狙いだが、内野フライを打ち上げてくれれば尚良い、打ち気満々のバッターなら手を出して来るだろうと読んだ配球、その策に間違いはない、しかし、良輝の手元が少しだけ狂った。
 内角高目ギリギリを狙ったのだが、高さはそのままでコースだけ真ん中に入って行ったのだ、バットが一閃し、快音を残した打球は青空を切り裂くように飛んだ。
 ライト・センター間への鋭いライナー、2アウトだけに2人のランナーはスタートを切った、抜けてしまえば逆転サヨナラ、両チームナインの目は快足を飛ばして打球を追う由紀ただ一人に注がれた、もう連携も何も必要ない、由紀がそれを捕れなければ負け、捕れれば勝ち。
 しかし、ただ一人、由紀をサポートしようとする者がいた、ライトの英樹だ。
 打球のコースからして自分は間に合わない、由紀に託すしかないが流石の由紀でもギリギリ捕れるか捕れないかと言う当たりだ。
 このシチュエーションではバックアップに回り込む事は意味がない、由紀が弾いた時にどうすれば良いか、それだけを考えて走った。
 由紀が打球に飛びつく……グラブの先に引っかかるかどうか、英樹は腰を落として備えた。
 パシッ。
 由紀のグラブが打球に触れた、それを収める事は出来なかったが、グラブの先端で弾かれたボールは英樹の背後にフラフラと上がり、英樹はそれに飛びついて行った……。
 
「アウト!」
 追って来ていた二塁塁審が英樹のグラブに収まったボールを確認して拳を突き挙げた。
 そしてそれを確認した主審も掌を挙げた。
「ゲーム・セット!」
 
 一塁を回ったところでボールを見守っていたバッターは天を仰ぎ、サンダースナインが我先にと由紀に駆け寄った。
 だが、その歓喜の輪に淑子の姿はなかった。
光弘が『捕った! 勝った! やったぞ!』と叫んだ際、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまっていたのだ。
 もちろん、試合後の挨拶を終えた由紀が真っ先に抱きついたのは腰を抜かしたままの淑子だったが。


 
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