安堵(4/8)

文字数 1,066文字

休みの日は、椅子に座って外を眺める。見えるものといえば、ベランダに干した洗濯物と通りを挟んで聳え立つホテルの客室窓だけ。顔を上げて視線を向ければ僅かに空が覗ける。ベランダに出れば、もっと広々とした空を仰ぎ見ることができるのだが、そこまでして空が見たい訳でもないから座り続ける。縦長のワンルームは風通しが悪くて狭苦しいのだが、仕事終わりが遅く、どうせ寝に帰るだけなのだと割り切り、とにかく駅から近い物件を選んだ。小降りなら、傘も差さずに駅に駆け込むことができる。以前は休みの日になれば、部屋にいても息が詰まるので出歩いていたが、マスクをして歩き回る方が息切れするので、閉じ籠るようになった。ここならマスクも不要なので、寛げるのだ。
先日、ペットショップの前を通りかかり、はじめて足を止めた。私は動物が苦手で、犬が散歩していると端に避けながら道を譲る人間なのだが、休みの日の自分と彼等を重ね合わせたのだ。もちろん、ケースの中で飼い主が現われるのを待つのと、何も待たずにホテルの客室窓とにらめっこしているのとでは明るさが違う。飼い主を待つ誰かに手を差し伸べたら、私も明るくなれるのではないか? ふと、そう思った。他の客と違い、ケースから距離を取りながらうろうろしていると「お客様、今日はどのような目的で?」と声を掛けられたので、「えっ、いや、何となく。目的がないといけないのですか?」と聞き返す。店員は笑顔で「どうぞ、ごゆっくり。気になる子がいたら、声をかけて下さいませ」と立ち去っていく。不自然な会話を聞いたペット群が一斉にこちらを見たような気がする。そして、一匹の子猫と目が合った。間違いなく、しっかりと。
休みの日、私は膝の上に白い子猫を抱いて外を眺める。ホテルの客室窓から、羨ましそうな視線を感じる。狭苦しい部屋が、飼い主を待つケースのように明るくなったような気がする。人間が変わったことで、人生が変わった。悪いことばかりではない。悪いこともあれば良いこともある。そして、始まりがあれば終わりがある。考え事をする余力が生まれたことに安堵する。
目が合って運命を感じ、店員に声を掛けて膝に抱かせてもらった。決心がつかないいま数日が過ぎてペットショップに行くと、子猫は売約済となっており、私の知らない生活を始めたようだ。
子猫は大きくなることなく、私の膝の上にいる。部屋でなくても、職場でも思い出せば現れる。あの日、あの時は自分が飼い主であったと信じている。始まりもなければ、終わりもないのだと言い聞かせるが、これで良かったのだとも安堵する。
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