第3話 アディオスいきなりの危機 ~対決でしっちゃかめっちゃか~

文字数 10,484文字

「おい、権堂! 俺と勝負だ」
アディオスが仁王立ちして五十嵐の3メートル手前に立った。荒野の決闘の一場面のようだ。その両手にはなぜか缶詰めが握られている。
「ふっ、何を言うか。缶詰で対抗しようってのか。言っとくが俺の銃は本物だ」
権堂は口をゆるめ、ばかにした笑みを浮かべた。それでもアディオスは臆せず決闘の方法を提案する。
「よく聞け、俺はこの鯖の缶詰め、お前は水鉄砲か本物かよくわからん銃が武器だ」
「お前は俺のも所手と同じくおもちゃと思っているのか」権堂は不敵な笑みを浮かべる。そこには自信がありありに見える。
「これは、一つの賭けだ」
アディオスの顔はいつになく勇ましい。とても数分前までパンツ丸出しで座っていた男には見えない。
「先輩、やめてくださいよ。本物かもしれませんよ」
パンが並ぶ棚に身を隠し、前川は叫んだ。隣りに身を潜めた勝山が前川の耳元でつぶやいた。
「あの銃は……絶対に本物だ……」
表情が呆然として見える。その目には、いつの間にか客からかりたメガネがかけられていた。「えっ」「なんですと」前川と店長が同時に言った。店長が今までになく不安な顔になる。アディオスからはいろんな損害を受けたが、逆にそのことが我が子をみるようなほっておけない愛情をうんだのかもしれない。前川も信じられないという顔をする。他の客も合わせて液体窒素をかけられたように動きを止めた。緊張がはしる。前川はおそるおそる吃り声で勝山にきいた。
「な、何を根拠に、ほ、ほんものと?」
「んっ、……う~ん、あれだな、なぜなら、……」勝山の顔が瞬間曇る。そのたくましい腕は、前川らを権堂に近寄らせないため大きく広げられたままだ。
「なぜなら?」前川は早く知りたい気持ちを押さえきれずたずねた。勝山は唇をまごつかせ困った顔をしていたが、やがて重い口を開いた。
「なぜなら、……あれは……きのうなくした私の拳銃に似ている。いや、そのものだからだ! ふぁっふぁっふぁっ」
とんでもないことになったと悟ったのか、最後は半分らりらりら状態だ。
「えっ、きのうなくした? ……ちょっ、ちょっと! ピストルなくさないでよ」
「安心しろ。発覚したら懲戒免職一歩手前だからまだ報告してない」
「いやそれは即、報告でしょ」
前川は冗談だろおいという顔で勝山に言った。
「それはまずいぞおい」店長も動揺をかくせない。そんな会話がされているとはつゆ知らず、アディオスは権堂に向けさらに言い放った。
「そのかわり、もし本物だったらこちらの分が悪い。だから俺に先に3秒だけ投げる時間を与えてくれ。その間に私がなげる缶を全部よけられたら、お前の勝ちだろう。まっ、それは俺の死も同時に意味するだろうがな」
「ふふふ、おもしろい。ちなみに言っておくが俺は反復横跳び51回をほこる反射神経の持ち主だ。子どもの頃ドッジボールでボールを当てられた記憶もない」
「俺も先生の車に石投げた時の命中率は62%をほこるぜ」アディオスは缶詰をもった肩をぐるぐる回す。前川は「その悪事暴露いらない。というか命中率中途半端、さらにいえば62%っていったい先生の車に何個石投げた。百個は間違いなくいってますよね」とまくすようにツッコミを入れた。
 権堂は不敵なまでの余裕の態度を示している。当然だろう。缶詰当てられて重症なんて事件は聞いたことがない。そもそも避ける自信大ありである。唇を歪めて笑む表情からは、持っているピストルが本物ということが見てとれた。いや、勝山がいうから事実だ。
前川の頭の中でアディオスとの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
(祭りでよく先輩にせびられてリンゴ飴おごったなぁ)
(給料日前で困ってるとき、鼻水垂れ流しで頼み込まれてお金を貸したよなぁ)
(自分の車を貸したとき、ぶつけられて修理が必要なとき、切腹すると言われて自分で修理費出し被ったなぁ……)
駆け巡る思い出の数々。前川は眉間にしわをよせた。
(先輩に貸しためた5万円まだ返してもらってないぞ)
(ゲームソフト、アイパッドもだ)
(先輩の性格からして遺言は「借金はチャラで頼むぞ」とか死に際に「一緒に天国へ行こう」とか言い出しそうだな)
走馬灯に映し出された結論は、アディオスの死に際イコール自らの不利益である。
「先輩っ、死んじゃダメだ!」
前川はアディオスに向け叫んだ。アディオスは前川の方を向き、唇を緩ませ親指を立てて見せた。前川が走馬灯で自らの醜態を思い出していることは知らない。
「あの銃危ないですっ」
前川が二度目に叫ぶ。
「大丈夫だ。本物だとしても射撃技術が伴っているとは限らない」
アディオスが口元を笑んでみせる。
「言っておくが、俺はガンシューでパーフェクトを達成したことが何度もある」権堂の銃の構えはさまになっている。
「ガ、ガンシューって何だ?」アディオスが前川に問う。
「ガンシューティングゲームです。ほら、画面に向かってピストルで敵を撃つゲーム。本物っぽい銃を使って画面の敵に狙いを定めて撃つんです。パーフェクトってことは狙いは外さないってことですね」
前川は早口でまくしたてた。アディオスの顎が極限まで開いた。体は正直で足がわなわなと見えるほどに震えている。
「ふふふ、俺も英検五級、漢検六級、書道七級だ!」
「先輩っ、それ缶詰め投げるの関係ないっ。資格を連ねりゃ威圧できるわじゃないっす」
前川はアディオスだけに聞こえるよう声量調節して伝えた。
「投げるのもすごいぞ。遠投72メートルだ!」
「それですっ、それすごい記録っ」
「はっはっは、ただし、5投中4投はファール(失格投球)だがな」
アディオスの補足に前川は「コントロール超わるっ」と頭を垂れた。 
「何をごちゃごちゃ言っている! 投げる猶予を5秒やる。早くかかってこい!」
権堂は声を荒げた。その声にアディオスは「行くぞ!」と目で相手を威嚇しながら棚にあった缶詰めを予備のため左手にもうひとつ手にとった。時間的にいって五秒で投げられる缶詰めは二つまでだろうと思われる。つまり、この二発でしとめられなければジ・エンドだ。
「ようし、来い」
子ども相手のドッジボールプレーヤーのように権堂は銃をもった手を下げ、無防備な体勢をとった。ボクサーでいうノーガード挑発だ。ドスの利いた声で「1」とカウントを始める。
 アディオスはひとつ大きな深呼吸をすると、「えいやっ!」という声とともにまず右手に握っていた鯖の缶詰めを五十嵐へ向けて投げた。勢いよく缶が飛ぶ。だが缶詰めは五十嵐より右三メートルほど大きくそれる。前川は「外れすぎや」と思わずもらす。そのほかの客も次々に目の辺りを手でおおった。
「はははは、何だそのコントロールは、ぴくりと動く必要もないぞ。2、3」
五十嵐が高らかに笑う。コメントする時間も考慮に入れるらしく権堂は続けざま二つのカウントを済ませた。アディオスは唇を噛んだあと二投目を投げる。
「おらぁ!」
投げ放たれた缶は、アディオスの気合がのりうつったように速い。方向は間違いない。ただ、今度は五十嵐のはるか上へ向かってとんでいく。五十嵐は投げた瞬間当たらないと悟ると、「はあっはっはっ」とさらに大声で笑うと「4」とすごむ。カウントも忘れない。
「なにしてんだ、あいつは」店長がたまらず失望の声をあげる。
 勝山は5のカウントを前にピストルを構えた。もう三つ目の缶を手に取って投げる時間はない。
「先輩伏せて!」
前川は叫んだ。後輩の指示とは裏腹にアディオスは三つめの缶詰めを手に取ろうとしていた。前川は「無理ぃ」と天を仰いだ。まともに投げる時間はない。アディオス最大のピンチだ。
「カコーン」鈍い音。
「ぐえっ」権堂の声。
音の方を見る。缶詰めが権堂の額ふきんに当たり、権堂が額を押さえている。
「えっ?」
あっけにとられる前川。次の瞬間、アディオスが猪のように低い姿勢で権堂の腰ふきんにぶつかった。たまらず権堂の体は後方へ押されレジの机へ激突し、床へ倒れ込んだ。権堂はアディオスのズボンをつかみ引き離そうと引っ張る。パチンとゴムが切れる音がしてズボンの腰がゆるんだ。次の瞬間、「ふんまっ」というアディオスの気合いの一声とともに権堂の急所へ右手に握りしめた缶詰めパンチが飛んだ。
「うおおおっ!」
苦悶の表情とともに権堂が股間を押さえる。緩んだ手からアディオスは銃を奪い取り後方へ放った。缶詰めは急所攻撃の武器だったのだ。相変わらず最後は汚い手だ。前川は思った。
 『刑事ドラマ格闘シーンのテーマ曲』を口ずさみながら権堂の顔面に左手で平手うちを繰り出すアディオス。権堂ももうろうとしながらも抵抗を示していたが、再び缶詰め急所攻撃を受け動きを止め人形のようにぐったりとなった。すかさず人質となっていた面々が助太刀にかけだし、前川が権堂の頭、店長が右手、店員が両足、子どもが左手、子どもの母親が権堂の股間を両手で押さえた。股間が隆起したとしてもさほど影響がなく思える。興味によるものか。とにかく権堂はガリバーのごとく大の字で押さえられた。
 前川は抵抗がなくなった頭を持ったまま「気絶しましたね」とアディオスに目を向けた。
「見たか。油断快適作戦」
「はっ? あっ、油断大敵作戦ですね」
前川はアディオス語を通訳した。気にも留めずドヤ顔で説明を始めるアディオス。
「一投目で右へとんでもない方向へ投げて油断させる。二投目は上へとんでもない角度で投げる。ただし、跳ね返りを想定してピンポイントの場所へ投げる」
「あっ、ということは権堂に当たった缶詰めは」
「そう。天井に当たって跳ね返ったものだ」
「そういうことだったのか」
「最後の油断は転倒させてからだ。顔面に攻撃をすると見せかけて、ガードが緩んだ股間でしとめる」
「ダーティー!」
周囲からは感心なのか軽蔑なのかわからない反響の声。
「でもボール投げは距離は投げても五球中四球はファールって言ってましたよね。コントロールはたまたまですか?」
「ちなみにボール投げのファールっていうのは四度とも前方の線から足がはみ出してのファールだ。俺の投げる方向に狂いはない」
「四回も同じ失敗くり返すなって話ですけどね」
前川は失笑した。アディオスは人質の面々に目を向け仁王立ちで言い放つ。
「みなさん、真田あぢお様のおかげで解放されました!」
「謙虚さゼロですね。というかズボンが膝までずり落ちてますよ。パンツ丸出し。権堂に腰紐切られたでしょ」
前川の指摘にアディオスはいそいそとズボンを引き上げた。
「皆さん、外の警官隊に犯人確保と人質解放のお知らせを」
人質の面々は気を失って倒れている権堂をおいて、外の扉へと走った。勝山も所手を連れて外へ向かう。
「では、俺は権堂を捕まえたということで懸賞金をいただきますかな」
アディオスはレジの金に手をつけようとする。
「こらっ、懸賞金は警察からじゃっ」
店長が振り向き声をあげる。アディオスは舌を出して見せた。
「先輩っ、後ろっ!」
前川が大声をあげた。アディオスの背後で権堂がむくりと立ち上がり、背後からアディオスに襲いかかろうとしている。
「うぐっ」
アディオスは首に腕をからめられ、苦悶の表情を浮かべた。人質たちはアディオスの声に振り向き足を止めた。
「くっ、全身麻酔をかけられた振りをしやがったな」
アディオスが背後の権堂へ目を向ける。
「ふふふ、苦しめ。今に楽にしてやるぜ」
権堂はにやりとした。
「そっ、その程度の力で俺がやられると思ってるのか」
アディオスはもだえつつも強がる。
「先輩っ、奴はナイフもってます!」
前川は権堂が右手のポケットからナイフを取り出すのを見て叫んだ。一瞬にしてアディオスの顔が「チーン」と臨終モードになる。こうなると下手に助けに行けない。
「ごっ、権堂っ、俺を人質にして逃げるつもりだな?」
横目でナイフを確認したアディオスがたずねる。
「いいや、お前は髪が臭いから人質はあいつだ」
権堂は前川を顎で指した。
「じゃあ俺は?」
「処刑」
権堂はナイフを持った右手を振り上げる。
「ちょうっと待てっ。俺は将来の大統領だぞ。俺を人質に使えば警察も軍隊も必殺仕事人も手を出せない。楽に火星まで逃げられるぞ」
「住む星を変えるつもりはない。さらばだ」
権堂は持っているナイフを頂点へ持っていった。
「うがあああああっ」
権堂の声が店内にこだました。アディオスが何かをしたらしい。前川はアディオスの右手を見た。アディオスが権堂の股間をつかんでいた。
「俺の握力七四パワーじゃあっ」アディオスが叫びながらつかんだ急所の出力を上げていく。
「む、無駄に強い」前川はつぶやくと、権堂へ向け突進、手のナイフをはたき落とした。権堂は力が抜けたように膝をつく。首にからめていた腕を外し、自らの股間救出へと向かわせる。
「はいいいっ!」
アディオスは気合いとともに引きちぎらんばかりのリアクションで股間から手を外した。権堂は両手で股間を押さえたまま倒れ込み悶絶した。店長が真っ先に権堂を取り押さえに走ってきた。自らの店で起こった事件に責任を感じていたのだろう。
 アディオスは権堂のことを店長に任せると、敵を倒した後は多くを語らず黙って立ち去るというヒーローの美学を実践しだした。まずはすくりと立ち上がり、出口へ一歩足を踏み出そうとする。そのとき勝山の合図で突入した警官隊が犯人の取り押さえに入ってきた。
警官隊はまっしぐらにレジへと向かう。
「おいっ、強盗犯はあっちぃ」
真っ先にとりおさえられようとしたアディオスが訴えた。余韻に浸るかのように恍惚とした表情が犯行を終えた悪人に見えたのだろう。ズボンがずり落ちパンツ一丁になった姿が変態男に見えたのかも知れない。
間隙を突き、ぐったりとしていたはずの五十嵐が間近にかがんで様子を見ていた店長をグーの手で突き飛ばした。倒れた店長にすばやく駆け寄ると、床に落ちたナイフを拾い首すじにあてた。
「動くな!」
その言葉に警官隊をはじめ、全員の動きがぴたりととまった。人質だった者たちもそれまでホッとしていた顔から戦慄の表情へと変わる。
「ふふふ、残念だったな」
その言葉には、負けてなるかという意地が感じられた。
「ま、待て、無益な罪をこれ以上増やすんじゃない」
勝山が呼びかけた。
「ふっ、今さら罪の数なんて……、野球でいう10点差と11点差じゃほとんど変わらないのと一緒だぜ」
「そこでおまえが犯そうとしている罪は、今までの罪とは比較にならないほど重いんだぞ!」
「……」権堂は口をまごつかせた。そのとき、首筋にナイフをあてられている店長が、悟ったような表情で権堂に目をやり、冷静な口調でつぶやいた。
「おぬし、美しいひとみをしておる。少年時代は夢見る少年だったのじゃろう。純粋に理想にむかって頑張る少年だったのじゃないかね……」
「へっ、……な、なにをっ」
「よろしければ、これにいたる経緯をおしえていただけぬかな? おぬしは昔から悪いことばかりを追求してきた人間には、どうしても見えんのじゃ」
「ふふふっ、よくわかったな、じいさん……俺も小学時代は優等生でならしていたんだがな……」
過去を見透かされ、苦笑いをうかべながら五十嵐は重い口を開いた。その目は周囲へ微動だにするなという威圧を与えたままだ。ナイフを持つ手が瞬間ゆるんだように見えた。店長に抵抗する気配はない。
「いまだっ」アディオスはごちると、権堂に向けて駆けだした。
「邪魔するなっ」
権堂が引き留めるべく袖をつかむ。手が滑ってアディオスはそのまま駆け出す。みるみる権堂へ近づくとアディオスは走り高跳びよろしくレジのテーブルより高く跳ね上がった。左脚をまっすぐ権堂に向け飛んでいく。
「あぢおサンダーキック!」
しかし、助走の段階で勝山に引き留められようとしたため、アディオスの進路は大きくそれ、そのままシェイクをかき混ぜるミキサーの方へと突っ込んでいった。権堂はほとんど動くことなくアディオスの攻撃を回避した。アディオスの足はミキサーに命中し、ミキサーもろともレジの奥へと姿を消した。どうやら自分の弁償額をへたに増やすだけの行為となってしまったようだ。
 何事もなかったかのように、店長と五十嵐の会話はすすむ。
「中学に入ると油断からかな、ちょっと遊びにはまっちゃってさ。そのうち、勉強がわからなくなったんだよ」
「よくあることじゃな……」
「最初は、ドンマイ頑張れとか言っていた親や先生も、そのうちお兄ちゃんは優等高校でいい成績収めているのよとか兄貴を引き合いに出し始めてさ」
「ぐれだしたと」
「そうさ、それに加えて気をまぎらすためやった悪いことがことごとくばれちゃってさ。悪いレッテルをはられまくったってわけ」
「うぅむ、よくあるパターンだ」店長が重々しい声でぼそっと言った。
「自分を見失っていてさ、ずるずるずるずると……、自暴自棄ってやつかな、自分でブレーキがかけられなかった。誰か代わりにブレーキ踏んでくれりゃよかったんだけどさ。誰もがビビってできなかった。今考えると俺の何やってんだろとか思うよな」これまでのことをかみしめながら、鍵をかけていた心の扉をこじ開けるように言葉をつむぎだす。
「改心しようとは思わんかったのか」店長は腹をくくったように首を無防備にしたままたずねた。
「途中から、やっぱりまっとうに生きようと思ったときがあったけどさ……俺がちょっといいことをしていると偽善ぶりやがってとか、どうせ裏でまた何かやってるんだろとか言われてさ……しまいには改心しようとしてたのに、しもしない事件の犯人に疑われてよ」権堂の唇がふるえだしている。
「指名手配を受けている事件は本当にあなたがやったんですか?」
「最初の青崎製菓の事件はな。出来心だった。ほかに送りつけたのは模倣犯だ。巧妙に俺の手口をまねやがったんだ!」
「なるほど……。その冤罪を警察署で晴らせばいいじゃないですか」
「もういいんだよ。どうせ俺はすべての犯人にされる。……どうでもよくなってきたんだよ、人生ってのが……」権堂は吐き捨てるように言った。
「ちょっ、ちょっとまってください! 今、世の中がどうでもよくなったといいましたね……。ここにいる男はもっとひどい言われをどこ吹く風、我関せずで乗り切ってきたんですよ!」
前川がアディオスを指さして訴えた。権堂は目を細めてアディオスを見、小首をかしげる。前川は勇気をふりしぼるように握りこぶしをつくり、さらに声を上げて続ける。
「この人はあほとか、ボケとか、真田家の汚物とか、地球外生命体とか言われながらも、人に大きな迷惑もかけずに、ノー天気に生きているんですよ! そのくらい何ですっ」
前川は誠意にじみでる顔で、五十嵐にうったえた。
「……えっ、俺、地球外生命体とか言われたか?」
アディオスが過去の記憶をたぐり寄せようとしている。他人事のように首をかしげる。アディオスの脳にある記憶保持装置には三日前までしか記録できないに違いない。
 すかさず店長が口を震わせながら後を継いで言った。
「なんじゃとっ、あほとか、ボケとか、人類の恥じとか、宇宙からきた寄生虫とか言われてもか?」
「ちょいちょい、そこまでは……」いくらなんでもそこまではと、確信もって否定しようとするアディオスをさらに制するように勝山が一歩足を踏み出し渋い声を響かせる。
「なんと、あほとか、ボケとか、エサ与えないでくださいとか、地球からでたダイオキシンとか言われたうえに、こんなことされてもか」勝山はすばやくアディオスにかけよると手をとり、コブラツイスト(プロレス技)をかけた。
「ぐえっ! オゥー、ノー!」
アディオスはうめき声をあげて、勝山の太い二の腕を手でたたき、ブレークを懇願した。「実は私も自分の欠点についていろいろ言われたことがあったんです。それがいやでいやでたまらなかった。でもある日、ある本をヒントに考え方を変えたんです。その欠点以上の長所をつくろうと・・・・・・。苦労はしましたよ、最初は欠点ばかりを指摘されていた・・・でも根気強く頑張ったおかげで伸ばした長所のほうをだんだん認められるようになった。それでも、私に対する評価を変えようとしない人はいました。でも、その人も周りから口説きおとされるようにして、改心してもらったんです・・・・・・。だれしも何らかの形できつい思いをしているものなのです。問題はそれをどうとらえるかということじゃないですか?」
「人の評価に翻弄される。その時点であなたの負けです。自分の信じたことをやっていけばいいじゃないですか。評価というのは、自分の信じるよいと思うことをやっていくうちに少しづつ変わっていくものです。すぐに結果はでないかもしれない。しかし、くじけず根気づよくやっていけば、味方は一人、また一人と増えていくものなのです。」
「そ、そんな猫だましにはだまされないぞ」
「私はあなたが“本当は善人になりたい”とさけんでいる青年にみえる。あなたは根っからの悪人ではない。そうでしょう」
「俺には悪人ぽく見えるがな……」アディオスが思わず元も子もないことをもらそうとする。瞬時に勝山がすばやくアディオスの口をふさぎ、ついでにヘッドロックをした。せっかくの説得工作を台無しにすまいという阿吽の呼吸だ。
「ぐえっ」あとにはアディオスのうめき声がヒキガエルの鳴き声のように鳴り響いた。
「ば、ばかやろう! もう、お、俺は取り返しのつかないことをしてしまったんだ……コンビニで恐喝というな……」
権堂の叫び声にはわずかな嗚咽がふくまれていた。
「恐喝? そんなことありましたっけ。だいいちこれは私の銃です。私以外触ることはできない。首にあてられたおもちゃの包丁がどけられれば、結果は何もされていませんですよ。ねえ店長」
勝山は手にとった銃を自分のポケットにしまいこみながら店長に目を向けた。
「えっ、……おうそうじゃそうじゃ。わしゃ全然怖くなかったぞい。だいたいこう見えてわしゃ柔道30段じゃ。脅しになっとらんわい」
「そうそう、被害者が強者で恐れていなければ恐喝未遂で罪は軽くなりますよ。皆さんもここで買い物をしてただけですよね」
「ちょっとくつろいでただけですよ」
店員がすかさず応えた。人質となっていた客たちは、すべてを察した様子でお互いをみながら次々に首をかしげ、何も起きていないというジェスチャーをした。
「で、でも外には警察やらなにやらがたくさんいるんだぞ」
「実は私は刑事です。外には私の知り合いもたくさんいるでしょう。私が中の状況については、詳しく知っております。私が説明をしましょう。その代わり、銃のことは内密にですぞ」
勝山は権堂の耳元でそういうと、軽くウィンクをした。
「真田くん、ここのミキサーとか倒れた棚とか悪ふざけでやったものはちゃんと弁償してくれよ」
店長はアディオスの方を見ていった。アディオスの加害は軽減するつもりはないらしい。
勝山は権堂の両肩に手をのせ、語りかけた。
「あなたはこれから、新たな人生のスタートを切るのです。見返しパワーを他の人のために使ってみなさい。あなたならできますよ」
五十嵐はぼうぜんと勝山を見つめていた。信じられないという様子だ。やがて涙を切るまばたきの回数が増え、口元に笑みがかすかに見えた。その顔は未来への希望を見出したかのようだ。
 外では今か今かと待ち受けていた野次馬たちが群がってくる。警察のいかつい男たちがそれをさえぎり道をつくった。勝山を筆頭に、権堂、店長、アディオス、そして前川と次々にまだ薄暗い店の外へと足を踏み出していく。
「この男が主犯ですか」警官の一人がアディオスの腕をつかんで前川に訊きにきた。
「店内の物品を次々と私有物にした点では主犯ですけど。まあ、店長が許すでしょう」
「あっ、前川っ、なんだその言い草は!」
アディオスは警官の腕を振りほどくと、思わずふところから何かをつかみ、それを取り出しざまふりあげて怒った。ふりあげたものを見て店長が叫ぶ。
「あっ、うちの巨大ぺろぺろキャンディー!」
店長の言葉で我に返り、アディオスは右手に握られた巨大キャンディーを見た。とたんに顔がゆがみ「しまった」と漏らす。この店から拝借したものに間違いないらしい。
「なんですか?」警官が店長にきく。
「うちの商品です。ただし、彼に売った覚えは全くありません。うぅん、ひょっとしたら盗られたものかな?」
これまで人質同士だったことを、あっさり裏切るように店長はいった。それを見て、アディオスは顔で“そんな”という表情をつくり、急を要すると判断したのか「あぢおスマッシュ!」と叫び、テニスのスマッシュよろしく、ぺろぺろキャンディーを遠くへ放り投げた。証拠隠滅とばかりに。日ごろの行いの悪さがたたったのか、単なる運動能力的な問題なのか、その遠くへ放り投げたつもりの盗品キャンディーは近くで聞き込みをしていた警官の後頭部に命中した。顔をゆがめアディオスの方を振り向く警官。アディオスは前から後ろからの挟み撃ち的状況となった。
 アディオスが場を混乱させている間に、権堂は前川らに見守られるようにして、自らの足でゆっくりとパトカーへ歩んでいった。待機していた警官がパトカーの後部ドアを開く。権堂は乗りこむ前に礼儀正しく隣の警官を手で制すると、店長と勝山の方に正対して立ち、深々と頭を下げた。乗りこむように促す警官に抵抗を示すことなくパトカーへと乗り込む。その姿は、「もう大丈夫ですよ、刑事さん」と固く告げているようだった。
 ドアを閉める直前、前川は権堂と目があった。前川は励ますような暖かいまなざしを送った。権堂はそれを受けるとすぐ視線をそらした。心を許さぬ人間には最後まで必死に今までに築いた虚構の自分を演出しているようだった。前川は強情な人だと言うように苦笑いをうかべた。だが前川の目はしっかりと権堂の目からこぼれた涙をとらえていた。
 東の空は白みだし、新たな一日を告げようとしていた。
 

                  おわり
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

真田あぢお

肥後大学3年生 独特な正義感と天然ボケを繕うための詭弁を弄し、たまたま遭遇した事件をもやっと解決していく。

前川幸彦 肥後大学4年生 真田あぢおの元後輩。かつてはあぢおが1学年先輩であったが、なんやかんやで逆転した。しかし、武道系の部活動にありがちな縦社会の鉄則により、立場は後輩のままである。あぢおの天然ボケに勇敢につっこむ爽やかな好青年。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み