第2話 アディオスいきなりの危機 ~コンビニでやっさもっさ~

文字数 19,462文字

 
「やあ、メイちゃん、今日も元気そうだねぇ」
アディオスは店に入った瞬間、人気アイドル広瀬メイに向け明るい声をあげた。
「先輩、恥ずかしいから等身大ポスターに話しかけるのはやめてください」
前川は声を潜めて忠告する。もちろんアイドル等身大写真からの反応はない。
「前川君、これも将来のための練習だよ」
そういうアディオスは超楽観主義に違いない。
「将来どういう関係になる想定ですかっ。ムダです」
前川はアディオスの腰を軽く叩いて飲料水のコーナーを指した。店内を眺めながら歩く。店内は一般的なコンビニに比べると暗めだ。並べられた商品もまばらに並べられてあり、不人気店の印象を受ける。アディオスも不穏なイメージを感じ取ったらしく眉をひそめて商品を見て回りジュースが格納されたコーナーにたどりつく。
「前川、缶の底にある製造年月日をちゃんと見ろよ。こういう店はえてして賞味期限がすぎているものを置くことがあるからな」
「わかってますよ、新しい商品を取りたいときは一番奥に入れられたものをとればいいんですよ。知っていると思いますけど陳列冷蔵庫の裏側から新しい商品を入れられるしくみになっていますからね」
前川は好みのジュースを見つけると上手な食品購入方法を心得ているかのごとく奥から取り出した。すると店員らしき男がジュースが詰まったダンボールを抱えて隣へやってきた。冷蔵室の透明扉を開け、手前から新しい商品を入れていく。
「あれ、新しいのを手前から入れてますね」
前川がいぶかしがる。
「前川、一番奥の商品の賞味期限」
アディオスに言われ、前川は一番奥の商品を取り出し缶底を見た。
「賞味期限切れて五ヶ月……」
「店員が頭悪い危険な店だな。というかじきに潰れるぞ」
アディオスは声をひそめると自ら一番奥のペットボトル入りジュースを取って蓋の記載部分を見た。
「おい、これなんて24.01.06と書いてある。1924年が賞味期限だぞ。なんと大正だ!」
アディオスは興奮で大きくなりそうな声を抑えながら指摘した。
「いや、それは2024年ですね。間違いなく」
前川は一目見てあしらった。
「この店は危ない。賞味期限切れが置いてあるということは、消費期限切れ、異物混入商品、青酸カリ入り缶詰、事故車、事故物件なども売ってあるかもしれないぞ」
「想像膨らませすぎですっ。コンビニですから中古車やマンションは取り扱ってないですよ。というかその慎重さを運転にもわけてほしいですね」
アディオスを刺激する言葉に前川は思わず口を塞いだ。まだ目的地へのドライブが待っている。
 突然、ドンと荒々しくドアを開く音がした。前川がビクッとして後ろを振り返る。黒いレインコートを着た若者と時代遅れの皮ジャンを着た若者が入口のドアから荒々しく店に入ってきた。アディオスもにらむように男たちを振り返り見る。良識をわきまえない若者を見て前川に言った。
「まったく、最近の若いもんはマナーを知らんから困るな」
アディオスのつぶやきを聞き、前川は「あんたのドライブマナーでは人に言えません」と喉から口へ出そうになった。
「なんか雰囲気が『手を上げろ』とか言ってピストル構えそうだぞ、ははは」
アディオスはいきがる若者を見て冗談を言った。
「手を上げろ!」
レインコートの男が懐から銃をとりだし大声で叫んだ。銃口はレジに戻ろうとする店長らしき男性に向いている。アディオスは「ははは」と言った口のまま唖然とした。レインコート男の声に反応し、手を上げる店長。ちょうどズボンをせせくっていたところだったためズボンがずり落ちた。
「こんなことをして、無事にすむと思っとるのか」
事に動じず真顔で店長が男に言う。が、パンツ姿のため今ひとつ説得力がない。
「ふっ、逃げ切る自信はある」男は低い声で返した。アディオスと前川は棚の陰に隠れ、雇い主が引き起こした事件を覗きみる家政婦のように見ていた。
「ちょ、ちょっ、大変なことになりましたよ、先輩……」
前川は顔をしかめて隣のアディオスに目を向ける。
「正義の味方の前でそんなことさせるかっ」
アディオスはつぶやくと同時にレジに向かって忍び足でかけだした。
「邪魔立てするなっ」
アディオスは両脇に立ち並ぶスナック菓子群を意味もなくなぎ払いながら加速していく。
商品のスナック菓子が邪魔立てするものに見えるらしい。アディオスの声とスナック菓子が床に散らばる音に気づきレインコートの目がアディオスへ向く。
「アチョーッ」
時代遅れの雄叫びとともに、足をふりあげ力強く踏み切るアディオス。
「幻のあぢおキック!」
前川は見た瞬間さとった。アディオスの武勇伝によるものだが、これまで「あぢおキック」は数々の危機的状況で放たれてきた。かよわい女性が柄の悪い男性に囲まれたとき、いじめっこにいじめられる男の子を見かけたとき、そして、あおり運転で加害ドライバーから運転席ですごまれて困る女性。そのとき放たれたあぢおキック、本人いわく命中精度は一〇〇%。ただし、かよわい女性、いじめられる男の子、運転手の女性(半分しか空いていない運転席窓から足が入り込み命中)と被害者の方にすべて命中している。ちなみにアディオスは被害者を蹴倒してしまったことに気づくと「アイムソーリー」と告げ、加害者の柄の悪い男、いじめっ子、あおりドライバーに対しては両腕ぶん回し殺法で全員を倒したそうだ。最終的に全員が倒れた後での決め台詞は「喧嘩両成敗」。ただ、かよわい女性、いじめられっ子、悲劇のドライバーとダウンさせた実績はあるキックだ。前川は唾を飲んで見守るなか、アディオスの身体は野生人顔負けに跳ね上がった。普段鍛えているだけにすさまじい跳躍力だ。格闘力の鍛え方は「ラッシュ時の席取りダッシュ」「近道のための民家の垣根ジャンプ」「幽霊屋敷での幽霊マジ退治」「バッティングセンターでのデッドボール練習(痛みに耐える力)」と本人いわく日常生活のあらゆる場面を有効活用しているらしい。アディオスの辞書にモラルという言葉はない。
 レインコート男に向け跳躍キックを放つアディオス。その高さは悠にカウンターを越えていた。そのまま、臭い足が男めがけて飛んでいく。
「もっと左ぃ!」
前川の言葉、もちろん飛び終わった人間に修正は不能。無理と判断した前川は叫び声をゴルフで使う「ファー!」(ミスショットのボールが飛んできます危ないですよのサイン)に切り替えた。
 ビビり疑惑もあるアディオスは顔を背け目を閉じたままキックの体勢を続ける。やがて足は男のあごを見事にとらえた。
「あぐぇっ」ゆがんだ顔のままうめき声をあげる男。
アディオスはそのままカウンターへなだれこんだ。アディオスは男の上に馬乗りになると、チャンスとばかりおしりから七種の臭い成分を含むガス、通称オナラを噴出する。
「うっ」という呻き超えが下敷きの男からもれる。さらに数発ばかりあぢおパンチと呼ばれるネコが繰り出すようなパンチが浴びせられた。見かねた前川が叫ぶ。
「先輩、それは店長! あぢおキックも店長に当たってますぅ」
前川の声を聞き、アディオスはすぐさま目をしっかり見開いて男の顔を見る。振り返って後ろの男を見る。パンチを浴びせた男、つまりパンツ姿の男。まさしく店長その人ということを初めて自認したようだ。
「しまった! 跳んだときにクーラーの風を計算にいれていなかった」
唇を噛むアディオス。
「うそつけ!」店長のどなる声が店内に響き、前川の「あんたは葉っぱか」というツッコミはかき消された。
 ところが、キックをよけた拍子にか、レインコート男がはめていたサングラスがとれていた。顔バレ状態である。アディオスは幸か不幸か男の顔を拝んでしまったようだった。顔を見られたことに気づいた男はうろたえた。
「ああっ、グッ、グラス!」
アディオスの視線はうろたえるレインコート男の顔を確実にとらえていた。ときどきするまばたきがカメラのシャッターのようだ。容量不足の頭脳に犯人の顔がそれなりに焼き付けられた。ショックでうろたえたのか、顔を隠すことも忘れた男は相棒に指図した。
「おい、顔がばれた、作戦失敗だ。出入り口をふさげ! 客を逃がすな!」
すると、もう一人の男が銃を懐からとりだし出入り口をふさいだ。
「しまった!」
前川は脱出のおくれを悟り、舌打ちした。
 それからほどなく、アディオスと前川をはじめとする客六名と店長、店員合わせて二名は、ピストルでおどされるまま一箇所にまとめられ、両手をひもでしばられて座らされた。「くそう、よけられたか」
アディオスはあぢおキックの失敗を苦虫をつぶしたような顔で悔やむ。
「いや、よけられたんじゃなくて、キックの軌道は終始わしに向いとったぞ」
店長があごが正常に動くか確かめるように動かしながらぼやいた。
「先輩、こわがって助走のときから目をつぶっていたでしょう」
アディオスの左どなりに座らされている前川がささやいた。
「雨が目に入ってな」
アディオスは天井を見上げる。
「いや、ここ屋内。スプリンクラーすらなしっ」
前川はすかさずつっこんだ。
「くそう、予定外のことになったぜ」
銃をもったレインコートの男がタバコに火をつけながらつぶやいた。それを聞いたアディオスが前川の方をみて笑みを浮かべ、同意を求めるように小声で言った。
「よかったな、予定ではこの店を爆撃機で爆破するつもりだったんだぞ、きっと」
「指示できる航空部隊はもっていないと思います。金とってすぐとんずらするのが予定の行動」
前川はうんざりした顔で返した。
「まったく、余計なことを」
会話を聞いた中年男性客が思わず漏らす。人質となった客たちは、冷たい視線をアディオスにおくった。最初はその視線をウィンクで返していたアディオスだったが、やがて踏みつけられた草のように首をうなだれた。
 それから、数十分が過ぎた。レインコートの男とその相棒は、今後について思案にくれている様子だった。しびれを切らしたアディオスが、二人に向かって一つの案をだした。「おい、犯人! さん。ここに、いらっしゃる方はみな罪なき人々だぞ! ですぞ! 特に俺。罪があるとすれば店長の人相だけだ。いや、でござる。良いことすると天国行けますぞ。まず手始めに俺を解放しろ」
結論として最も要求したいことを伝えるアディオス。
「おまえたちは大事な人質だ。解放は一人たりともできない。顔が知られたんだから当たり前だ」
犯人はわかりきったことを面倒くさそうに答えた。
「あっ、言い忘れていた。私は馬だ、ウヒヒヒィィン。ほら、ニンジンだって生でかじるぞ、人質ではなく馬質だ、解放しよう!」
ニンジンを手に往生際の悪いことを繰り返すアディオス。
「こら、うちのニンジン勝手に食うな! あとで134円払え!」
隣で声を荒げる店長の商魂はたくましい。
「後藤さんっ」
くじけずアディオスはレインコートの男に呼びかける。
「はっ? 俺は後藤という名前じゃないぞ」
「いや、強盗(ごうとう)といえば後藤(ごとう)でしょう」
「語感だけで決めつけるな!」
「私を助けたならば、お礼にこの疲れによく効く入浴剤セットをあげよう、なんならこののり詰め合わせもつけるぞ」
まゆをぴくぴく上下させて、解放を促すアディオス。
「それもうちの品物じゃ!」
店長はアディオスの手から商品を奪い返した。
「ちょっと待ちな店長。このスーパーヒーロー真田あぢお様が助かるのだぞ。そのくらいケチるな。私が無事解放されて、その後、衆議院議員試験に合格、大統領選挙をクリアして総理大臣になったら、この店を地下3階建ての巨大コンビニにしてしんぜるぞ」
アディオスは国会議員は試験でなるものと思っているらしい。さらにいえば総理大臣が大統領選挙で選ばれるという意味がわからない。だいたい個人店舗に税金を投入しようと企んでいる時点で議員になれない。地下に向けて拡張しても地上の見かけが変わらなければ客もこない。前川は頭の中でアディオスの話の一つ一つを審議した。店長はアディオスの誘いを鼻であしらうと、「ははは、おぬしが総理大臣になるなら、わしは有名女優と結婚できるぞ」と返した。
「えっ、どうやって? どうやって結婚?」
急に真顔になって尋ねるアディオス。
「んっ、……よ、要するにわしが有名女優と結婚するのが難しいくらいに、お前が総理大臣になることが無理だという例えじゃ。いちいち解説させるな」
「そんな謙遜なされなくても」
そういうアディオスの手にはこの店の電気シェーバーが握られ、すねのムダ毛処理にいそしんでいる。
「だからうちの品物に触るなアホウ」店長はシェーバーをとりあげると、ついでに足げりをかませた。見かねた前川が讒言を呈する。
「店長、それ次の交渉材料」
アディオスが頬をふくらます。
「先輩、ここの商品を交換条件に交渉しても通用するわけないでしょう。すでにこの商店は人も品物も制圧されているんですよ。ここにある商品はもうやつらのものといっしょなんだから。中の情報を知る者をむざむざ外に出すようなことはしませんよ」
「なにっ、ここにあるものはもう我々のものではないのか」
「もともとお前らのものじゃないぞ」店長がどやしつける。
前川はレインコート男の顔を見ながらアディオスにささやく。
「先輩、あの男、指名手配犯ですよ。たしか権堂とかいう奴です。ポスターで見たことあります」
「ぬわんだと! どんな犯罪者だ。無銭飲食か? ピンポンダッシュか?」
「そんなみみっちい犯罪で指名手配にはなりませんよ。ほら、いくつかのお菓子会社に毒入りチョコを送りつけて身代金をとろうとしたやつです」
「ああ、ニュースであってたな。たしか客がほぼゼロの田舎の郵便局から脅迫状を出してたやつだな。消印と持っていた封筒から防犯ビデオで即バレしたあんぽんたんか」
アディオスの発言に前川は口の前に人差し指を立て、権堂を刺激しないよう忠告した。
アディオスの声の大きさに前川は左手でアディオスの口を押さえた。興奮気味に「権堂なら俺が予想した後藤と大して語感は変わらんじゃないか」と訴えるアディオス。前川はアディオスの口をさらに押さえながらささやく。
「声が大きいです。青崎製菓に脅迫状を送りつけて、それから立て続けにいくつもの製菓会社に脅迫状送った奴です」
「コンビニにも毒入り菓子をまぎれこませて脅しじゃないってやってたよな」
「はい。顔バレしてすぐに逃げなかったのはおそらく、指名手配犯とバレれば通報されると思ったからでしょう」
「顔がばれても美容整形で二重まぶたにすればいいものを」
「整形前に病院で即バレしますから。ほら、仲間がブラインドを閉めているでしょ。新たに店に客が入らないようにしてるんですよ」
「客が入らんとコンビニの売り上げは伸びないぞ」
「時間稼ぎですよ。顔を見られた客を放って逃げれば通報されて、どこそこに検問を張られます。だから客を監禁して通報できなくしてから遠くへ逃げる算段なんですよ」
「店が閉まっていると見せかけた後、我々は縄で縛られるということか」
アディオスが鋭い目を向けて質問すると前川は口を真一文字にしてうなずいた。
「あにきぃ、店を閉める準備できました。あとは入口の鍵をもらうだけっす」
「まあ待て。防犯ビデオを消去しとかないとな。店員つれて映像を消去しろ」
男の指示に舎弟はうなずくと、店員の一人を連れて事務室へと消えた。
 それからさらに、時は流れ行く。
「防犯ビデオに映った奴らの映像が消去されたら、我々は縄できつくしばられ猿ぐつわをはめられるってことになるでしょうね」
前川がアディオスの耳元でささやいた。
「まあ、命があっただけでもよしとしないとな」
アディオスは笑みを返す。
「さ、あとは逃げる際にこいつらをどうやって永遠の口封じするかだな」
権堂はぎろりと前川らに目をやった。
「おい、奴らは俺たちを始末するつもりだぞ。予報が外れたな」
「天気予報みたいに言わないでください。あの銃が我々にぶっ放されるってことですよね」
前川は身震いさせた。
「ここは機嫌をとらんとまずいぞ」
唇を噛むアディオス。 
「ああ、逃亡も疲れるぜ。腹がへったなあ」
権堂は銃を肩にかついだまま、ため息まじりにつぶやいた。
「銃を持ったお方、アップルパイなど、いかがかな?」
近くにあった商品を手に取り、アディオスは子どものような純な瞳で勧めた。
「おっ、気が利くじゃないかにいちゃん」
権堂はそれを受け取りかじりつく。
「うちの商品じゃ!」店長は融通が利かない。
「これがほんとの『パイジャック』ぬふっ」
アディオスは前川の耳元でささやき鼻で笑った。
「機嫌をとっても、僕たちは権堂の特徴を知りすぎました。仲間がいることもわかってます。生かして逃げるかは微妙ですね」
前川は上目で権堂を見ながら見解を示した。
「しかしよう、あの銃は本物と思うか? どうも偽物っぽく見えるけどな」
「僕も本物を見たことがないから、はっきり言えませんよ」
犯人に聞こえないよう小声でつぶやき返す前川。その目は権堂の持つ黒光りする銃に向けられている。
「もしかしたら、奴らは『陸上スターター愛好会』の会員なのかもしれんぞ」
「100万パーセントありません。そもそもスターターピストルは銃口がありませんから」
「あ、ああ、そんなのわかっとる」
アディオスは目を泳がせながら強がった。
「じゃあ、水鉄砲愛好家の組織『ラブラブウォーターガン』のメンバーかも知れんぞ」
「水鉄砲なら銃口はもっと小さいはずですよね。水を勢いよく遠くまで飛ばすんだから」
前川は即答した。アディオスは閉口する。
「とにかく、命にかかわることですから。本物かどうかを確かめることは難しいですね」前川は冷静に答え腕組みをし考え込んだ。アディオスも、前川の様子を見て腕組みをして考えるふりっぽく見えることをする。
「うーむ本物かどうか確かめる方法……、んっ? よし! 前川、奴が持っている銃が本物かどうか確かめるいい方法を思いついたぞ」
アディオスが万有引力を発見したニュートンがしたときのような見開いた目で口を開いた。いつになく、ここ近年になく、真剣なまなざしだ。
「えっ、本当ですか?」
前川はアディオスにすり寄った。耳を口元へ近づけ方法を聞こうとする。待っていたかのようにアディオスがその作戦を説明しだす。
「いいかよく聞け。私がまずここで急病にかかったふりをする」
「ほうほう」
「そうすれば、奴は必ず私の身を案じて、『大丈夫ですか』とか言って、奴らがかけつけてくる」
「うぅん、まあ可能性はありますね」
あいづちを打ちながらも、早くも猜疑心を抱きだす前川。かまわずアディオスは続ける。「そこで入り口に隙ができる」
「そうですかね……まあ、あいつが来ればですけど」
「権堂が私に気を取られたところで、すかさず前川が脱出を図る」
「えっ、いいんですか?」
おいしい役じゃないかと思い、前川が目を丸くした。
「いいのだ。ここにいる皆さんのためだ。ここからが大事だからしっかり聞いておけ。」「はい!」
光栄でありますと言わんばかりの目でアディオスを見る。アディオスは我が子を見るような視線を、前川に浴びせながらさらに先を話す。
「そこで俺が『後ろ、逃げてる!』と奴らに向かって叫ぶ」
「えっ?」
急に不安を露骨に顔にだす前川。
「すると、奴らが前川に向かって銃を発砲する」
「発砲?」
「そこで撃たれたと思われる場所から血がでれば本物。透明な液がつけば水鉄砲ということだ」
「……要するに、実際撃たれろ、ということですね?」
「んっ、うぅむ、言いたいことを20文字以内で簡潔に述べよ、ということならそうなるな。もし防弾が必要なら背中に十円玉をいくつか貼っておけばいい。うまく当たれば弾をはね返す」
「当たる確率は宝くじ一等当選並みですよね」
前川は白い目を向けた。
「いや、そうともいえん。俺の財布には十円玉だけでも35枚はあるから」
「十円玉を少しは消費するように支払ってくださいよ」
「この間、300円の商品を十円玉30枚で払おうとしたら拒否されたんだぞ」
「あの、同じ種類の硬貨を20枚以上使ったら拒否する権利発生しますから」
「……とにかく、皆の命がかかっとる。やってくれ」
「ははは、それならそれに対する答えは二文字以内で言えますよ。ヤダ」
「あっ、なんと言う我がままな! 安心しろ、逃げて撃たれたとき、銃からもし透明な液がでたら、次の瞬間私が奴らに飛びかかって急所を蹴る。テレビのインタビュー原稿もすでに頭の中につくってあるぞ」
「血が出たら?」
「んっ、……たとえ血がでても、おまえの死は無駄にしない、ように努力する」
「先輩が実験台になればいいじゃないですか。僕が急病人を装います」
「な、なんと! ばか、私は水鉄砲で撃たれても血が出るのだ」
「はいはい、先輩ができることを僕にも言ってください。そんな犬死にはできませんよ」「なんと、なんと情けない奴だ、わかった、成功したらあのレジにあるお金を半分お前にくれてやろう。のこりの半分は私の逃走資金にする」
「こらっ、一銭たりともやらんぞ!」
黙って話を聞いていた店長が鋭い目を向け口を挟んだ。前川の「往生際が悪いですよ」という言葉は店長の発言によってかき消される。
「店長、資金提供を頼む。ここから逃げ切るためには飛行機代が必要でしょう。せめてハワイくらいまで行かないと奴らに追ってこられる」
「ここから逃げるのにそんな金がいるかっ。どんなに助かろうとお前ごときに漫遊はさせんぞ」
店長が早口にまくしたてた。
「ああ、なんと心のせまいしみったれ店長なんだ……」
手で十字をきり、胸の前で手を合わせるアディオス。有効な打開策を見いだせぬまま、防犯ビデオの消去をすませた子分が事務室から出てきた。その手には麻のひもが握られている。権堂は防犯ビデオの映像を消去したことを確かめると、子分に人質の両手を背中に回してきつく結ばせていった。権堂が銃を構えているため反抗できない。
 やがて、全員の両手を結び終えると、子分は入口付近の持ち場へと戻った。権堂は子分に「トイレへ行ってくる」と言って銃をあずけトイレへと歩いて行った。子分が入口のところで外と人質の両方を見張っている状況となった。
前川は横からエルボーを喰らわせるアディオスに気づいた。
「なんですか」
前川の反応にアディオスは視線とともに顎で向かい側に座る男を指した。前川が視線の先を見る。前川をさらに一回り大きくさせたような中年の男性が座っていた。
「ちょっと場所を変われ」
アディオスは告げると子分に気づかれぬように場所を前川と入れかわった。即座に中年男性に挨拶をする。
「こんにちは、わたくし真田あぢおと申します。ハウマッチユアネーム」
名前の値段を聞いてどうするのだ、前川がずるけた次の瞬間、中年男は「勝山だ」と仏頂面のまま名乗った。以心伝心で意味が通じたらしい。
「いやいや災難ですよねぇ、休日にこんな目に遭うって」
定番の世間話から入るアディオス。
「そうですな、運がわるいですな」
勝山は無表情のまま答える。
「しかし、すばらしい体格ですねぇ。まるで柔道でもやっていたようだ」
アディオスは勝山の体躯を見つめながらおだてる。
「やってましたが、それが何か」
「んもう、たくましい」アディオスはにやけだすのを抑えるようにして「その体格からして、お仕事も体力使うようなものなんでしょうね」と尋ねた。
「まあ、そういうことになりますかね」男は無愛想に答えた。前川は勝山と権堂の体格を見比べた。年齢の差はあるが、体格では遜色がない。
「ずばり、お仕事は何でしょう」アディオスがクイズ番組の司会ふうにたずねた。
「それは、警察で……」
男はしまったという表情で口を閉じた。
「ああ、警察かぁなるほどなるほど……ぬわにぃっ!」
アディオスは勝山を二度見した。その表情は「おっさん、ちょっと待て」と言っている。
「だが誤解するな、今日は非番だ。今日の私は一市民だ」
となりで何を聞くのかと聞き耳をたてていた前川が質問する。
「そういう問題じゃなくて警官としてこの状況、どうにかせねばとか思いませんか?」
「わかっとるわかっとる。今はまだ時期尚早。おいは柔道技には自信があるが、銃弾を避ける技術はない。いま飛びかかっても的がでかい丸太で射撃練習させるようなものだ」
そう告げる勝山の身体は寸胴だ。
「雑誌に夢中になっていたら後ろから銃をつきつけられてな。いや、決していかがわしい雑誌じゃないぞ。破廉恥な雑誌じゃない。そんな雑誌がATMの隣に並べてあることも知らない」
勝山は額に汗を滲ませ弁明した。
「すべて真実ですね」
アディオスは白い目を向けた。
「銃をつきつけられたとしても、得意の柔道技でかわせなかったんですか?」
前川が細い声でたずねた。勝山はびくりとして前川に目を向ける。
「い、いやあ、なかなか力が強くてな。成人指定雑誌熟読中の様子をスマホで撮られて脅されたわけではないぞ」
「そうなんですね」前川も白い目を向ける。
「でも引き下がったままなら、このあと両手しばられてさらに分が悪くなりますよ」
アディオスが勝山に奮起を促す。勝山は返事に窮した。
「勝山さん、あの拳銃は本物ですか?」
前川がやさしい笑みをうかべながら見解をたずねた。
「ふふふふ、私は目が悪いからはっきり見えんのだ、悪いな」
「えっ、視力が悪いんですか? メガネとかは?」
「逃走中の窃盗犯を追跡中に格闘をして壊してな」
「へえ、その窃盗犯と格闘した際に不覚の一発をもらったってわけですか?」
「んっ、いや、追跡中にぶつかってしまった主婦にけりとパンチを喰らって眼鏡が吹っ飛んだ」
勝山は含み声で経緯を語る。
「うわっ、ださっ」
アディオスが信じられないというしかめ面でつぶやいた。前川が勝山を慮って口を挟む。
「ださいとか失礼ですよ。先輩だって、かっこつけてサングラスはめたまま市民プールで泳いでサングラスを水中になくしたことあるじゃないですか。尾行で変装するため友人から借りた度付きの眼鏡なんて、かけたまま地下街までの階段を下りようとして段を踏み外して最上部から転げ落ちて眼鏡が真っ二つになったこともあるし」
前川のまくすような指摘にアディオスはうろたえた。
「尾行ってストーカーか?」勝山が鋭い目を向ける。
「まあストーカーアディーという異名もありますが、一応探偵です」
探偵という紹介を受け、アディオスは頭を掻きながら打ち明ける。
「いやいや探偵といっても大学のサークル的にやっているやつです。事務所は大学構内に部室を乗っ取ってかまえてます。依頼者は蟻地獄の穴にすべり落ちる蟻程度の頻度にしか現れませんけど」
「それって結構来るということではないか? どう見ても四半世紀に一人しか依頼者が来ないインチキ探偵に見えるが」
「まあ、見かけは敵の油断を生むための偽装ですよ」
アディオスは鼻毛が伸びた鼻の穴をふくらまし、不敵に笑んだ。
前川が質問する。
「勝山さん、警察としての正義感に頼って言いますが、この状況どうにかできませんか」聞きもしないのにアディオスが口をはさむ。
「現状打破にはまずはこの紐を切らんとな。ふふふ、私のマッスルパワーをもってすれば、ぬおおぉぉ……うぬぬぬぬ……いったぁい、食い込んじゃった」
3秒後には弱音を吐くアディオス。馬鹿男の奮闘を無視するかのように勝山が首を振って答えた。
「打開するには縄が邪魔だ。だが私の力でも紐を切るのは無理だ。私のは特に多く巻いてある上に、八の字に何重にもなっている」
勝山の応えに前川はため息をついてうなずいた。すると、トイレのドアが開き権堂が店内へ戻ってきた。
「チャンスが遠のきましたね……」
前川はかくりと頭を垂れる。店内の監視は再び二人となった。
 するとそのとき、ブラインドごしに外を覗いていた子分が叫んだ。
「あっ、サツが来てますぜ、アニキィ」
「なにっ!」
それを聞いた権堂が急いで通り側の窓へと走った。ブラインドの一部を開け外を覗く。
「前川、サツが来たってよ。一万円札が。おそらく将来の首相である私のための身代金三十億を誰かがもってきたのだろう。やっと現総理も私の身を案じたか」
アディオスの想像力はどこまでも飛躍する。
「サツって警察のことでしょう」前川は呆れ顔で注意した。
「だ、誰だ警察呼んだのは!」
権堂は、動揺を隠せず叫んだ。
「おそらく、仕入れ業者か誰かが中を見たんでしょうな。商品をおろしに来たのに、開いているはずの店が閉まっている、中は電気がついている。不審に思って隙間から中の様子をうかがったとしても不思議じゃない」
冷静に店長は答えた。
「不思議じゃないうんうん」
それに呼応するようにうなずくアディオス。
 以外に早い警察登場と包囲された状況に、権堂の表情はあっという間にあせりへと変わった。外で拡声器を使った呼びかけが漏れ聞こえてくる。警察による説得工作が始まったらしい。
 権堂と子分の男は互いにそばにより口を手で覆いながら話し合いだした。その様子は野球に例えれば、一点差でノーアウト満塁、次打者が打率五割の四番バッターという場面さながらだ。
 やがて確認を終えた二人は権堂が外の見張り、子分の男が人質の見張りという配置についた。
「絶対延命ですな」
アディオスが子分の男に向けて言った。
「先輩、それ言うなら『絶体絶命』です。延命する状況じゃないでしょ。ちなみにぜったいのたいは体ですからね」
老婆心に前川がささやき声で注告する。
「ば、ばかわかっとる。フフフ、イッツジョーク。いやはや絶体絶命ですな」
不敵な笑みを浮かべて挑発する。
「フン、それはどうかな。予定が早くなっただけだ。警察はどっちみち呼ばなきゃならなかったんだよっ」
子分の男は声が震えていて強がっているようにも見える。
「ところで君。匿名で呼び合ってもフレンドリーにはなれない。名前を教えてくれ」
「先輩、ははは、そんな教えてくれるわけないじゃないですか」前川は犯人の男の気持ちを逆撫でしないよう気を使っていさめた。すると、男は言った。
「俺の名前か、ふっ、指名手配されているからな、どうせばれるから教えてやろう。聞いて驚くな、連続放火犯、所手だっ!」
どうだ、びびったか、という表情で前川らを見下ろすように見る男。場が静まりかえった。入口近くで所手の言い放ちを聞いた権堂があわてていさめた。
「おっ、おい、お前まだ指名手配にはなっていないぞっ。名バレしてない」
権堂の諫言を聞いて所手は「えっ、ウソ!」と顔をしかめ後悔の表情をした。徐々に事の重要性にわかってきたのか、さらに半泣き顔へと移ろっていく。だが、強がるように顔を締まった表情にすぐにもどした。
「ところてん……変な名前」
「ばかやろう『ところで』だ!」
「・・・ああ、苗字がところでね、……接続詞かっ。ださっ」
「なんかいったか」
「えっ、いえいえ、で、ところでを漢字で書くと……『便所』の所に『お手洗い』の手ですか?」
「ばかやろう! どっちもトイレかっ。下品な例えをするなっ、それを言うなら北の政所の所に、『あにきぃ、てぇへんだ、追っ手がきやすぜ追っ手が。なにっ、追っ手が? ふざけやがって、よし、逃げるぞ! ポチっお手っ!』の手だ」
例えが混迷を極めているところから判断するに正常な判断力を失っている。
「……へっ? 要するに……お手の手ですね」
「……うむっ、そうだ……まあ上品に言えば『神聖で清らかな手』の手だ」
「そりゃ強引ですね」
前川が冷めた顔でつぶやいた。
「所手さんか。それじゃあ私の名も明かさねばならないな」
アディオスは落ち着いたしぶい声をあげる。前川の「明かす必要性ゼロです」という進言を無視して迷惑顔の所手に言った。
「私の名は、“さなだあぢお”アルファベットで書くと、SANADA ADIOだ……かな?」最初の勢いどこへやらで最後は前川に確かめた。それから前川に合格のうなずきをもらったアディオスは、再び勢いを盛り返して続けた。
「漢字でかくと、真田の『さな』は真心の真、真田の『だ』は、だでぃでゅでどの『だ』だ!」
「そんな漢字ありませんよ」すばやく突っ込む前川。
「……そ、そのくらいわかっとる。真田の『だ』はな、『よいではないか、よいではないか、やめてくださいお代官さまっ、そう暴れるでない、ポチ、おだっ!』の『だ』だ!」
「なんやそれ」
所手は鼻であしらった。低レベルな漢字の例え合戦だ。
「名前を明かしたところで所手くん。君の今までの罪歴を聞かせてもらおうか。さっき、放火といってたけど、放火はかなり罪が重いはずです。なぜここにいられるのかも含めてね……」
「俺の罪歴か?ふっ、聞いておねしょするな。 俺はこれまで何十種類ものネズミ小屋、ゴキブリ小屋に火をつけてきた」
「ネズミ? ゴキブリの小屋? え? ネズミ捕りとかごきぶりホイホイのこと?」
前川は目をしばたたいた。
「前川、早合点するな。人の家で火をつけたら害虫駆除妨害になる。立派な犯罪だ」
アディオスは真剣な眼差しを前川に送ると「小屋に火を放った数は?」とたずねた。
「回数? ふふふ、らくに五〇回はこえるぜ! すべておふくろにバレたがな」
「……自宅で火をつけたみたいっすね」
前川はアディオスに目をやる。アディオスは所手に触発させたように声を張り上げた。
「五〇回火をつけた? ふふふっ、俺なんか線香六〇本にまとめて火をつけたことがあるぜ!」
「先輩、はりあわなくていいです」
「三〇カ所に供えてまわったがな!」
アディオスはドヤ顔を見せている。
「二本ずつ供えたわけですね。先祖思いは伝わりましたから」
前川はとりあえずいさめた。所手は肩をいからせ声をあげた。
「この傷を見ろぃ」
所手は半そでのシャツを胸のあたりまで捲り上げた。そこに、無数の引っかき傷が現れた。
「そ、それは格闘の跡」
アディオスが傷跡を見てひるむ。
「ふっ、これが俺様の勲章だ。これは飼い犬の犬小屋に火をつけたあと、紳士的に犬を救い出したときについた傷だ」
「ケンカの跡じゃないみたいですね。犬救出してるから動物愛護団体からはギリギリ訴えられない行為。先輩、とりあえずこの男は凶悪じゃなさそうです。戦えばいけますよ」
前川は自信満々な表情の所手を横目で見てつぶやいた。聞こえなかったのかアディオスは鼻息あらく所手に向け言い放った。
「犬小屋ほうか? ふふっ、俺などは家庭ほうかいだ! 大学生なのに仕送りなしっ。奨学金で借金まみれっ」発言はとどまることをしらない。
「それは別次元です。自慢することじゃありません」
暴走するアディオスを引き留める前川。
 外は徐々に騒々しくなっていた。ブラインドが邪魔して外は見えないが声や笛の音などから察して相当な数の警察や野次馬がコンビニを取り囲んでいるらしい。警察は次の作戦を練っているらしく、ハンドマイクで犯人へ呼びかける声は聞かれない。
 股間をおさえてもじもじしだした所手が、五十嵐にむかって言った。
「兄貴ぃ、ちょっと俺トイレいってきていいっすか、こいつら見張っといてくださいっ」権堂は表の様子を確認したあとこちらを見ると、二度うなずいた。
「その場から立ったら銃をぶっぱなすぞ」
大声で威嚇してくる。警察が突入することを恐れてか、人質のところへくる様子はない。「いやぁ、監視されていると実につかれますな。どうです、ここで息抜きに栄養ドリンクでも、みなさん」
今がチャンスとばかりアディオスは小声で伝えると、冷蔵棚から栄養ドリンクを後ろ手にしばられたまま手に取った。しばられたまま器用にふたを開ける。間髪いれずに店長が突っ込む。
「こら、それはうちの商品だっ、しかも一番高いやつじゃないか、あとで3150円払え!」
アディオスは後ろ手にしばられたまま蓋を開けたところで飲むことはできない事実に気づき、蓋をあけたまま棚にもどした。
「蓋は開けたけど、消費期限を二時間後に書きかえればセーフです」
アディオスは冷静に説明する。
「書きかえるかっ」店長は野犬のように唸った。
 店長の言葉にノーダメージな様子のアディオスは、貧乏ゆすりをしながら辺りをきょろきょろしだした。ふとその目に小学生の姿が映る。
「おっ、ぼくもつかまっちゃったでちゅねぇ。いくつでちゅか?」
アディオスがおどけて話しかける。不必要に顔の筋肉を動かす様子はまるで妖怪だ。妖怪を見て本能的に身をひきながらこどもが答えた。
「3年生」
それを聞き、ほほをひきつらせ、声を荒げるアディオス。
「なにっ、『観念せい』だとっ!? 貴様も犯人とグルか? 俺はまだ観念はせんぞっ!」それを見て呆れ顔でなだめる前川。『観念せい』じゃなくて『3年生』ですよ」
「なっ、なにっ、普通『いくつ?』と聞かれたら、『5才』とか『2ヶ月』とか年齢で答えるだろう。学年で答えるか?」
「そもそも2ヶ月とか答える乳児はいませんけどね」
「え、答えられるのは5ヶ月くらいからか」と真顔で問いかけるアディオス。
「言葉で答えられるのは三才くらいですよ」
「なるほろ。よし、三年生の君、俺も大学全入時代の申し子と呼ばれた男だ。申し子から問題を出して進ぜよう」
「なんせ定員割れした学部ですからね」
前川はぼそりとつぶやく。前川の指摘を気にも留めずアディオスは三年生に問題を出した。
「かけ算の問題だ。23×42は?」
アディオスは告げた後、ドヤ顔を見せた。
「139」
三年児は即答した。
「うおっ、すごい! 正解だ」アディオスが目玉をひん剥き尊敬の眼差しを向ける。
「先輩、絶対違いますよ。20×40が800ですよ。それよりかける数もかけられる数も多いのに139なわけないじゃないですか。ていうか先輩、答え知らないで問題出してるでしょ」
「俺は電卓がそばにあっていじらないと落ち着いて計算できないのだ」
アディオスは身をよじらせて訴える。
「要するに計算機じゃないと計算できないわけですね」
前川が白い目を向ける。同時にアディオスに鋭い視線を浴びせかける女性、察するに三年生児の母親らしい女性の存在に気づいた。前川はあごを突き出すように母親を指しアディオスに親の存在を示す。
「おい前川。あごがしゃくれてるぞ」
アディオスの失礼な指摘に「男の子の隣見てください」と小声で伝える。母親の存在に気づいたアディオスが、急に真顔になって現状を分析した。 
「つかまってあっちもこっちもいかない状態にみんないらだってるな」
「それ言うならにっちもさっちもいかないです。それにいらだってる原因はあなたです」
前川は冷静に指摘した。
「このいらだちかたを見れば、監禁された皆さんに5000本の針に糸を通せとお願いしても無理だな」
「いらだってなくても無理ですけどね」
そのとき勝山が冷静な顔でぼそっと言った。
「ああ、せめてこの手かせ足かせが外せればいいのだが……」
前川はそれに呼応して言う。
「カッターとかあればですねぇ……」
聞きつけたアディオスが前川に「カッターとはこれでいいのかな?」と言って縛られた手を器用にくねらせ、ズボンの右ポケットから真新しい値札のついたカッターを取り出した。「あっ、それもうちの商品じゃっ、いつの間に」
怪しい客を監視していたかのように店長が間髪いれずに指摘する。
「……あれっ、カッターナイフのコーナーはこの向こうの向こうの棚じゃなかったですか? いつの間にポケットに入れたんですか? 万引き?」
前川が疑う目で質問する。
「人聞きの悪いことを言うな。寒そうにしてたからポケットで温めていたんだ」
「ひよこじゃないんですから」
「じゃあ、こういうこともあろうかと、先を読んでポケットに忍ばせておいたのだ」
「この理由がだめならこの理由みたいな感じで言わないでください」
前川が指摘する間に刑事勝山がアディオスの隣りに近寄ってきて、左のポケットを探りだす。すると、左のポケットからストッキングが見つかった。
「これは何だ」
勝山が、取り出したストッキングを後ろ手にぶらぶらさせながら言う。店長らの視線がストッキング一点に集中する。アディオスは目を泳がせながら言い訳した。
「こ、これか、……これは……あれだ、『脱出用あぢお変装セット』の一つだ」
「……女装用真田変体セットの一つの間違いじゃないですか?」
前川が冷たい目で言う。アディオスが答えにどぎまぎしているところをさらに勝山と店長がポケットを探る。
「いやん」アディオスがそう声をあげた直後、店長の手により今度は右のポケットの奥から袋入りアイスクリームが掘り出された。
「こりゃなんじゃ」とりだした店長が眉間にしわをよせて突っ込む。
「アイス? もうドロドロべちょべちょじゃないですか」前川が顔をしかめて言った。
「これはどう説明するのかね、真田くん」
勝山が取調室の刑事よろしく鋭く突っ込む。アディオスは「んっ」と首をかしげてとぼけたが、どろどろアイスと怒る店長を交互に見て何か言わないとと思ったのか、息を静かに吸い込み言い放った。
「……このアイスクリーム、耐温テスト、不合格っ!」
「要冷凍って明記してあるもの常温でテストしてどうするんですか」
前川は真面目に諭した。
「そ、そんな重箱の隅をつつきまくるようなことはやめて、いまこそ結束しなくてはなりませんぞ、さあ結束を固めますぞ」
アディオスがあぶら汗にまみれながら提案した。
「お前がみだしとるんじゃ」店長をはじめ人質みんなが鋭く突っ込む。
「おい、騒がしいぞっ」
権堂がこちらに歩み寄りドス声を響かせる。アディオスの背筋が模範囚のごとくピンとなる。権堂は人質にした面々をにらみつけた後、入口の持ち場へと戻った。
 前川は権堂が去ったのを確認すると、小声で言った。
「しかし、結果的には救世主ですよ。ナイフがあれば紐はなんとかなる」
「前川、わかっているじゃないか。やっと私のことを本格的に崇めだしたな、使用料は500円にまけとく」
アディオスはそう言ってカッターの包装部分を器用に外し、後ろ手のまま前川に差し出す。
縛られているため体を倒しながら急いでそれを隠すようにとった前川が、「まず店長さんのを切りますよ」と小声で告げ、体で犯人の目の死角をつくり、紐を切りだした。
 五十嵐はいらだたしげにブラインドのすき間から外を見ている。取り囲む警察の数も増えたのだろう。外の様子に気をとられ、こちらの動きにきづかない。所手はまだ便所にいる。前川は尺取り虫のように足を動かし尻を滑らせながら次々と紐を切っていく。犯人を気遣いながらの作業のため、時間がかかる。それでも一人、また一人と縛られたひもを切断していく。そして残りは「自分は最後でいい」と辞退し後回しになっていた勝山一人となった。前川は向かい側にいる勝山の方へ動こうとする。タイミング悪くトイレのドアが開く音が聞こえる。
「トイレから出てきたぞ」
ドアが開く音を聞きつけ、店長が注意をうながした。間もなく「きもてぃ」という所手の声とともにトイレから店内へ入ってくる足音が聞こえた。人質の面々はいっせいに自由となった両手を再び背中に回して隠した。前川はあわてて体を勝山の隣に移し、自分の体で勝山を隠せるようにした。
「右隠れてない、もっと右」アディオスによる小声の指示がとぶ。前川は素直に右へ尻をずらす。
「今度は左」アディオスが再び指示を出す。今度は左へ微妙に尻をずらす。
「今度は両方はみでてる」アディオスが不服そうに訴える。
「ていうか、勝山さんのほうが体格いいんだから全部隠れるわけないでしょ」前川は近づいてくる所手の足音を気にしながらノンバーバルコミュニケーションを交えて抗議した。
アディオスがあごで権堂の方を指した。前川ははっとして棚から片目だけだして権堂の様子を探る。銃を構えて外の様子を探る権堂のところへ所手が歩み寄り立ち止まった。所手は銃をせせくりながら軽く会釈をした。権堂は目で「人質を頼むぞ」という合図をおくる。所手は「外は大丈夫っすか」と不安げに外をのぞみこむ。権堂が「こっちはいい、早く人質のところへ行け。のさばらせすぎだ」と指示すると所手は親指を立て了解のハンドサインを示しこちらへ歩き出す。前川は素早く身を隠し勝山の隣へ戻った。
 所手は再び人質となっている客の前へきた。人質がおとなしく座っているのを確認すると、再び心配そうに外のほうを眺める。前川は所手の目を盗み、額をてからせながら勝山の紐を切り出した。客たちは前川の作業に気づかれないように目線を思い思いの方へと向けている。前川は手探りでは切れ具合がわからず横目で勝山の紐の状態を見た。
「おいっ!」
所手が声をあげた。前川は思わず力が入り、紐と同時に勝山の手首も切りそうになった。顔で『おいおい、頼むぞおい』というサインをおくる勝山。しかし、そのおかげでもっとも頼もしい男、勝山の両手もはれて自由になった。前川は、口の中で一寸法師が棒でつついているかのように口をおおきくひきつらせながら、懸命に笑いでごまかした。所手の目線はなぜかアディオスの股間に向けられていた。アディオスを見ると、両膝をぱかんと開き股間を所手に向けて平然と座っている。所手はアディオスに向けて言い放った。
「股間のチャックが開いてるぞ」
所手は少し抑えた声で注告すると、アディオスの前でしゃがみこみ股間のチャックを閉め出した。意外に親切なやつだ。前川は全身の力が一気にぬけさった。所手がアディオスに背を向け再び定位置へ歩き出す。アディオスは前川にウィンクをしてきた。どうやらアディオスは自分に注意を向けるためにわざと股間のチャックを開けて見せびらかしたらしい。ただ、所手の注意をひきつける手段はごまんとあるなかで股間のチャックを選ぶというのはさすがは変態だ。助かったことに違いはないので、前川は頭を下げて礼を示した。そのときだった。
「ぬおおおっ!」という唸り声とともに勝山が所手に向かって突進しだした。所手に後方からタックルをしかけるつもりらしい。所手はすんでのところで勝山をかわす。勝山の突っ込んだ頭は左わき腹をかすめておにぎりコーナー横の柱にぶつかった。ゴン!という音の後「うぎゃ」という声が漏れ聞こえた。しかし、さすが体を鍛えているだけあってそれくらいではへこたれない。勝山は顔を思い切りゆがめながら体を素早くターンさせると、再び所手に向かって臨戦体勢をととのえた。気を確かにしようと頭をふりながら所手のほうへ歩みよる。体格もあって迫力はものすごい。威圧感に耐えかねてか、「うわあ」という声とともに所手が銃を勝山にむけた。前川は「あっ」という声をあげた。しかし、時すでにおそく所手の人差し指が引き金をまさにひこうとしていた。勝山も焦点が合いだしたときには銃を構える所手の姿がそこにあったためどうすることもできない。それを知るなり『終わった』と思ったのか、両目をしっかりとつぶった。客たちもその光景に言葉を失った。やがて、「バーン、バーン」という銃声が……いや銃に似せた声がした。前川が頭に録音されたいまの銃声を繰り返す。やはり人の声、所手が口でだす銃声だ。「玉切れなのか?」前川は思った。銃口から発射された弾はパチンという音を立ててあちこちへ跳ね返っている。エアガンだ。一発が勝山のおでこに当たりはじかれた。
「うぐっ……」
勝山は額を押さえ倒れ込む。そんなに威力があるのか。
「勝山さん、エアガンです」
前川が勝山に告げると、勝山はむくりと起き上がった。どうやら本物の銃で額を撃たれたと思ったらしい。警官といえど、本物の銃で撃たれた経験はない。後方の権堂が撃った可能性もあるのだから誤解はやむなしか。所手は一生懸命引き金をひいてプラスチックの弾を連射する。勝山の衣服に着弾するが、ノーダメージだ。それと同時に人質だった客たちの顔が『今までの恐怖はなんだったの?』という顔にかわる。
 勝山は助かったことを悟ると、体格をいかした猪タックルを所手にかませた。所手は「アヘアへ~」といいながら背後の女性用下着の棚とともに後ろへ倒れた。商品に埋もれたためか、快楽に満たされたような顔で気を失う。その上から勝山が馬乗りになり身柄を押さえた。ガッツポーズをした前川だったが、次の瞬間、権堂の存在が気になり入口を振り見た。するとそのときすでにアディオスが、権堂の前に立ちはだかっていた。
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登場人物紹介

真田あぢお

肥後大学3年生 独特な正義感と天然ボケを繕うための詭弁を弄し、たまたま遭遇した事件をもやっと解決していく。

前川幸彦 肥後大学4年生 真田あぢおの元後輩。かつてはあぢおが1学年先輩であったが、なんやかんやで逆転した。しかし、武道系の部活動にありがちな縦社会の鉄則により、立場は後輩のままである。あぢおの天然ボケに勇敢につっこむ爽やかな好青年。

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