あの頃の我が家と、長野県白馬村(1/3)

文字数 3,097文字

 先日、ある短編を読んで一人の女の子のことを思い出した。ある短編というのはマンの何とかとかいう短編で、思い出した女の子というのは、僕が六歳か七歳か、まだそのくらいだった時に、家族旅行で出かけた白馬のペンションにいた「ユキちゃん」という名前の女の子だ。
 正直言って、僕はもうそれが「ユキちゃん」だったか「ユキコちゃん」だったか、あるいは「ナツコ」だったか、「ハルコ」だったかも覚えていない。だが多分「ユキちゃん」だったと思う。というのも、頭の隅にかすかに残っているその子の服が、雪のように真っ白なワンピースであるからだ。

 今思えば、あの頃の我が家というのが、一番、家族らしい家族をしていた。
 こんなことを言うと、なんだ一家離別でもしたのか、誰か死んだのか、とか思う人もいるかもしれないけど、別にそういうわけではなくて、ただあのころの我が家というのが、我が家成立以来の歴史の中でも、最も平均的核家族像に近接した時代、言い換えれば、最も平凡でありふれた家族生活を営んでいた時代であったのではないか、ということなのである。
 というのも、僕と妹はその後二人ともサッカーを始め、そっちの方に夢中になり、家族はすっかり僕たちを中心に回り始めるようになり、僕たち一家は少しずつ、“田舎のスポーツ家族”とでもいうべき、少々中央からはズレた形態に変形していったからだ。あるいは、サッカーにのめり込む二人の子どもを中心に回っていく核家族というのも、十分平均的家族であると言われればそれまでなのだけど、土日に全く旅行に行かなくなったり(スポーツ少年団というのは、土日のどちらかは絶対に試合か練習が入る)、家族の交友関係もすっかりサッカー関係者ばかりになってしまったりしたことを考えてみれば、やはりあのころが一番、家族が平凡であった、もっと言えば、一番牧歌的であった、とすら言える時代であったのだろう。
 四人家族である我が家が、一番何の色も無くそのままの四人家族らしかった時代、それがとにかくあの頃、僕が六歳か七歳かそのくらいで、妹が五歳か四歳かそのくらいのことだったのである。
 そしてそんな年の夏に、僕たち一家は旅行に出かけたのだ。長野の白馬村に。

 長野県白馬村。どうしてその時の父と母が、一家の旅行先をそんな場所にしたのか、そのへんの事情はよく分からない。ただ、今、年齢的にも、人生段階的にも(もしそんなものがあればだけど)、あの頃の両親に徐々に近づきつつある僕からすると、なんとなくその理由が分かる気がする。子育ても結構分かってきて、子どもも二人とも物心がついてきて、行こうと思えばどこにでも遠出は出来るようにはなったけど、でも、家計的にはまだまだ苦しくて、だからなるべくなら近場が良くて、でもあまりに近場過ぎると子供たちは退屈するし、なにより自分たちもいまいちテンションが上がらない(忘れられがちなのだが、家族旅行においては子どもたちのテンションと同じくらい親のテンションというのも大事なのだ)、だからまあ、遠くもなく近くもなく、そんなに金もかからないが決してケチな旅行ではない、白馬あたりに行こうと、そして登山でもしてペンションでも止まって二三日山の空気を吸えばきっとそれなりの満足感は得られるだろうと、おそらくそういう考えだったに違いない。生意気かもしれないが今の僕には当時の両親が何を考えていたのかよく分かる。たぶん九割は当たっていると思う。
 だけどまあ、正直に言えば、僕はその時期にそのようなことを考えていた両親二人を、なかなか好ましく思う。家族生活というものにも慣れ始め、そして今度はその新たな形態を模索しようとしていて、自分たちなりになにかいろいろな工夫をしようとしている、そういう、ある種の若夫婦的ないじらしさというか、かわいさ、みたいなものが、その旅先のチョイスによく現れているような気がするからである。
 で、まあ、そんなこんなで、僕たちは白馬のペンションに行くことになった。

 “夏休みの旅行”。これはもう、聞いた瞬間に、無条件で喜べる。だが“白馬のペンション”、これは聞いた瞬間に喜ぶ、というわけにはいかない。事実、僕は、行先を両親から告げられた時、なんだそりゃ、と思った。ユニコーンとマンションが思い浮かんだほどだ。お分かりだとは思うが、僕は別に長野県白馬村が嫌だったというわけじゃない。そんなんじゃなくてただ単純に、“白馬村”と“ペンション”が分からなかっただけなのだ。だから僕は両親に尋ねた。白馬のペンションとは何なのだ、と。そして両親は僕に説明した。白馬というのはかれこれこういう村で、ペンションというのはかれこれこういう宿泊施設なのだ、と。なるほど、と僕はうなずいた、はずだ、たぶん。でも内容は全然覚えていない。
 ただ妙なところだけは忘れないもので、宿泊先がなぜ普通のホテルではなくペンションになったかということはよく覚えている。というのも、母が父にそうねだったからなのだ。 
 そう、母は昔からそうだった。ペンションだとかコテージとか、そういう、ホテルとはまた違った宿泊体験を売りにしている宿泊施設というのに、やたらめったら弱かった。暇さえあれば居間のテーブルに座ってハウステンボスの旅行パンフレットをぱらぱらめくりながら、コテージの写真を見て、一回でいいからこんなところに泊まってみたいね、とかなんとか言っていた姿を僕はもう昨日のことのように思い出せる。ただそんなふうに特殊な宿泊施設には憧れがあるくせに、少しランクの高めなシティホテルだとかラグジュアリーホテルだとか、そういう分かりやすく豪華な宿泊施設には、これまた別の意味で弱いのだ。一度、父がやたらと奮発して埼玉の少しだけ高級なホテルに一家で泊まったことがあったけど、その時なんかは、母は、客室のガラス張りの風呂を見るなり、いやだわ、とか、あらあら、とか言って口を覆い、一人で部屋の中をそわそわと歩き回りながら、なにか空回りした下品な冗談を言い続けた。そしてせっかくホテル代を奮発してくれた父の気分を盛り下げ、そして一家の雰囲気をも妙なものにしてしまったのだ。
 とにかく、母は昔からそういう、何かつくられたあからさまな贅沢というようなものを嫌い、ナチュラルで小ぢんまりとした朴訥さを好むというところがあった。そして迷惑なことに、今やそれは息子の僕にまで遺伝し、おかげで僕はいまだにドレスコードのある高級なレストランだとか、やたらとぴかぴかしているホテルなんかを苦手としている。もっとも、そんなところ苦手でも別に生活に支障は出ないだろうと思われる方もいるかもしれないけど、始末の悪いことに、そのオーガニック根性というべきか、小市民根性とでもいうべきか、そういうものは、今や僕の妻にまで遺伝しつつあるのだ。出会った当初の妻は、そういう気取ったきらびやかな雰囲気に全く臆しない、どころかそれを平然と享受できる実に貴族的な精神の持ち主であり、僕はそんな彼女を実に頼もしく心強く感じていたものだけど、そんな妻も今となっては、例えば誕生日だとかで、少し高級な店なんかに行くと、まるで僕のように落ち着きなく店内をきょろきょろ眺めまわし、そして背筋をピンと伸ばして席に座り、終始硬い表情で箸の進みも悪くなる、という具合なのだ。そして食べ終わって店を出た時に一気に表情を崩し、あー、おいしかった、またいつか行きたいね、なんて言うのだ。まったくこれでは本当に小市民ではないか。
 まあそれの何がダメなのかと言われれば、正直全然悪くはないのだけれど。
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