第二話

文字数 1,510文字

 次の日のことだ。息苦しさで目を覚ました。何か乗っているようで自由に体を動かせず首だけ起こすようにして自分の上に乗っているそれを見た。アルルだ。アルルは手足をくるめて丸まるように眠っていた。まだ、眩しいのに慣れない目をしばたかせ、なんとなく触れてみようとタオルケットの隙間から手を伸ばす。ふわふわとした温かい毛皮に小さな命を感じた。重い……。私は再び息苦しいことを思い出しゆっくりとアルルを起こさないようにタオルケットから這い出て、うーんと伸びをする。エアコンは一日中つけていたので暑苦しさはなかった。家の中は昨日片づけたときのまま散らかってはいなかった。アルルはちゃんと自分の話を聞いていたんだなと思い少し顔が緩んだ。公園か……。ふと昨日の約束を思い出す。面倒だが、ちゃんと連れて行ってやらないとな。キッチンに向かい自分とアルルの分の朝食を用意する。アルルは感情を持っているどころか私の言ったことまできちんと理解しているようだ。話すことはできないけれど、もし、文字を教えたら……私は昨日のことを文章にまとめようと目玉焼きを焼きながら頭の中で文字を巡らせていた。とたとたとた、と軽々しい足音が聞こえてきてぱっと振り返る。そこにはアルルがタオルケットを引きずってぽかんとした間抜けな表情を浮かべていた。その表情に少し笑えそうだったがそんな表情を表に出すことはなく眉をひそめて
「どうしたんだ?」
と尋ねる。アルルはやはり私の言葉を認識したように何かを訴えようとタオルケットを手放し、自分を指さしながら
「きき? ききき?」
と不満そうに声を上げた。
「あーあ、私にもお前の言うことが分かればよかったのにな。さあ、突っ立ってないでそこの椅子に座ってなさい」
 私は、さしてアルルの様子を見もせず、朝食を白い食器にのせながらいった。トーストがちょうど焼けてそっちの方に手を伸ばし、ついでに冷蔵庫のミルクも取ろうと向きを変える。その間もアルルは
「きぃきっ!!」
と声を上げていた。私は、こっちといってアルルを抱き上げ椅子に座らせ、適当に盛った果物をアルルの前に置く。ちがう、というように下唇を突き出し不満げな様子を浮かべていたが、目の前の果物の誘惑には勝てなかったようでじきに嬉しそうに体を揺らし始めた。
「先に食べていてもいいぞ」
 私がそう声をかけたがアルルは
「きっき」
といっただけで、果物を食べ始めはしなかった。私は、ちょっと首をかしげたがまあいいか、と付け合わせのサラダにドレッシングをかける。すべての用意が終わってアルルの座る向かいの席に着くとアルルは
「ききききっきっき!!」
といって目の前のリンゴを手に取り食べ始めた。私も一人じゃほとんど言わなかったのになんとなく
「いただきます」
といってトーストをちぎった。いつもと同じ、目玉焼きに、トーストに、サラダに、ミルクなのにどうしてかおいしいといいたくなった。鼻をくすぐるバターの香りが、ピリッときいたコショウが。今までは、食事という行為にそれ以上の意味はなかったのに、今は確かにこの時間に甘美な意味が与えられていた。どうしてだろう? ただそっと顔を上げると目の前にはアルルがいて、さもおいしそうに夢中で果物にかぶりついている。そして思い出す、いただきます……そして、先に食べてもいいといったのにどうしてか食べなかったアルルの後姿を。アルルは私が席に着くまで食べるのを待ってくれていたんだな。子供のころは当たり前にできていたことなのに、当たり前に言っていたいただきますの言葉すら忘れていたなんてな。ちょっとこの小さな生き物に感謝して、一段とおいしく感じるただのサラダを食べてふっと微笑んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み