節分 

文字数 976文字

 節分の夜は、彼女に豆と酒を捧げに行く。
 僕の所属する祓い屋の一派の、古くから続く慣習であるらしい。
 彼女は大変古い鬼の一族の、最後の生き残りだそうだ。生まれたのは室町か戦国か、はたまた平安なのか。本人もとうに覚えていないという。
 名前は秘されているので、「姫」、とだけ呼んでいる。
 僕が彼女に節分の供物を捧げる役目を仰せつかってから、はや五年。彼女はずっと幼女の姿だ。多少、幼くなったり大人びていたりするのはご愛敬といったところか。いつも、「姫」というには少し素朴すぎるなりをして、ほがらかに笑っている。
 先代によると、気分に応じて、美青年の姿をとったりむくつけき大男の姿をとったり、ということもあったらしい。なので、「姫」が正しい呼称なのかどうか誰も知らないのだが、遠い昔、本性は女であるのだと、酒に酔った彼女が一度だけこぼしたことがあるらしく、今でもそういうことになっている。
 なぜ『節分』に、彼女に供物、しかも豆など捧げるのか。それも、誰も知らない。
 実は、追儺(ついな)とも鬼遣(おにやらい)とも、あまり関係がないのだという。
 彼女はきっと、「キ」ではなく、「カミ」や「モノ」といった類の鬼なのだろう。神前に捧げものをするのと、そう変わりないのかもしれない。
 しかし、今年はどうも、様子が違う気がする。やけに視線を感じる。
 いつものように豆の袋を御前に捧げ、下がろうとする僕の手を、つと立った彼女がぎゅっとつかんだ。
「おまえ、あの女の弟子にしておくのはもったいない。どうだ、(わし)婿(むこ)にならんか?」
 僕が答えに窮していると、畳みかけてきた。
「人の生など短いぞ、この『姫』にしばし、身を(ゆだ)ねて(たの)しんでみよ。姿を変えることなど容易(やす)い、男でも女でも、おまえの好むようにしてやろうよ」
 あどけなく、邪気の全くない笑顔だ。台詞とのギャップが、かえって怖い。
 僕がおどおどと何も言えないでいると、彼女はくく、と含み笑いをして、ぱっと手を離した。
「かわゆいなあ。……待っている者がいるのだな?」
 指先で、ぽんぽん、と僕の手を叩く。
「さ、帰れ帰れ。長居は無用だ」

 彼女の宮からの帰り道、僕は静かに考えていた。
 握られた手から流れ込んできた、彼女の「姿」。広大で、奥深く、密であり()でもあり、途轍もなく途方もない、あの感じ。
 あのように大きなモノでも……時には寂しく、なるのだろうか、と。
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登場人物紹介

古くから在る鬼。性別は不明。通常は女性の姿をとっていることが多い。

名は秘されているため、ヒトからは『姫』、モノからは『窟の主』と呼ばれている。

『姫』に仕える、とある祓い屋一派の青年。節分の出来事を経たのちに、職務を超えて、『貴人の窟』に通うようになる。


別の一派に、とても似ていてよく間違われる男がいるとかいないとか。

『貴人の窟』のある山に住む狐。とある年のお勤め中、青年に出会う。

山の神。社の主、とも呼ばれる。格の高い、力ある神のようだが、いかんせん長く在りすぎて、ときおり記憶があいまいになることもあるらしい。

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