第10話

文字数 10,231文字


 
 そして放課後も校庭。八の字跳びの練習。教室は施錠され、生徒の持ち物はクラスごとにブルーシートの上にまとめられた。大繩の順位がポイントに反映なのでどのクラスも真面目に練習をしている。
 五組は美作さん主導で正攻法をとった。背が高くて力持ちの二人を縄回しの担当に据えて運動神経の良い生徒、悪い生徒が交互に並ぶ。
「そういえば、千五百メートル走で圧勝したよ。大人しく私に賭ければ儲かるよ」
 ぎちぎちに間隔を詰める中、首を巡らせて後ろの茜に報告してやった。
「いやいや、それは飽くまで千五百メートル走だろ? 本番とは違うさ」
「五百×三にしたらどうこうの実力差じゃなかったよ。自分で言うのもだけれど、私がぶっちぎって圧勝すると思う」
 放課後の練習は制服のために、スカートを抑えながら前と同じテンポで跳んで駆け抜けタ、タ、タと列に並び直す。茜が跳んで列に戻るのを待って、
「風邪をひいても余裕で勝てる。この言葉を銀行に預けて貰っても構わないよ」
 少しムキになって強気な言葉を投げかけてみたけれど、茜は唇をすぼめるだけで飄々と遠い目をしている。相も変わらずに、
「まあまあ、運命は変わらんのだって」
 などと理屈のない戯言をほざく。茜のその自信はどこから湧出するのだろう。
 一人の女子生徒が引っ掛かって縄が止まった。それからいくばくか経った頃、また別の生徒が引っ掛かった。再開、誰かが引っ掛かる、再開……ノーミスでの一周を迎えられずに三十分程が経過し、皆の集中力が切れ始めてきた。
「私が手を叩くから全員同じテンポで駆け抜けようか」
 しびれを切らした美作さんが列を外れて何度目かの再開。ヒュンヒュンと風を切る大繩。彼女の手拍子に合わせて跳ぶ私達。全体のミスが次第に減り始める。
感心した。縄が乱れたら半テンポ叩くのを遅らせて、跳ぶのが苦手な子には掛け声もかけて。単純な調整だけれど、美作さん一人の力でクラスは目まぐるしく良化を遂げてゆく。
それでもノーミスでの一周はなかなかに遠い。毎回誰かしらが縄に引っ掛かってしまう。
「ちょっと休憩を挟もうか。列の並べ替え案を考えるね。それと仲真さん、ちょっといいかな」
 ブレイキングタイムを告げられて、クラスメイト達は地べたに座り込んだりブルーシートの方に行ってスクールバッグから水筒を取り出したりと様々。
そんな中で美作さんは私を手招きで呼び寄せる。
「仲真さんの前に羽田さんを入れてもいいかな? あのたくさん引っ掛かっていた子」
えーと、どうして私の前に?
「跳び込む前に小さく屈伸って癖があるようだからサポートをしてあげて欲しいの。具体的にはタイミングに合わせて背中を押してあげて。押されれば、屈伸の暇はなくなるでしょ?」
「……なるほど。背中を押すのね。私が。うーん、そっか」
 少し返事に窮した(今日はこんなのばっかだなあ)。私は感覚でこなしているから、他人の手助けは苦手だ。悪気はないのに、嫌な思いをさせてしまう予感がしてならない。
「自分の跳ぶリズムが狂うの嫌かもだけれど、運動神経の良い仲真さんがサポートに一番適任な気がするんだ。お願いできないかな」
 答えに窮したのをテンポ崩れの懸念、と解釈された。そうじゃないんだけどなあ。背中を押すってワンアクションの追加くらいで自分のリズムは崩れないし……。
「いや、私のリズムは全く問題ないんだけどさ」
 続きを喋ろうとしたその時、四組の方で怒号が響いた。
「誰だあ! 学校にライターを持ってきた馬鹿者は!」
 声の主は四時間目の体育の先生だった。どすの利いたしゃがれ声が鳴り渡って誰も彼もが身をすくめる。初老の先生のあまりの迫力に校庭中が静まり返る。
「全員、荷物を見せろ! たばこを隠し持っているのはどいつだ!」
 先生がブルーシートを指さしたのに合わせて、四組の生徒達がぞろぞろとスクールバッグを取りに向かう。休憩中だった五組のクラスメイト達は何となくブルーシートから離れる。
「縄を跳んだタイミングで制服からライターを落とした奴がいたんだ。そんで落ちているところを体育のセンコーに見られた」
 気が付くと横には茜が突っ立っていた。ポンと私の肩に手を置いて、
「落下の一部始終を見ていたんだけれどさ、こっち側に並んでいる誰かが落とした。誰が落としたのか、そこまでは分からなかったな」
「……一部始終の意味理解している?」
「分かっているぞ。最初から最後までって意味だろ」
 いや、一部始終見ていたのに誰が落としたのか分からないって。
「茜の動体視力って結構、問題抱えていない? 誰が落としたのかってくらいは容易に視認できるでしょ。全員が同時に跳ぶ訳じゃないんだから」
「うるせえ。暇だなあってボーとしていたんだよ。それに、大体あそこら辺が跳んだ時に落ちたなあって、候補を三人くらいまでは絞れているし」
 見ていたなら一人まで絞れるだろ。茜は運転免許取れなさそう。
 ふと、四組の方に目を遣ると生徒の中に陸田陸男君の姿を見つけた。彼も例に漏れずブルーシートに群がって己のスクールバッグを探している。どれが自分のなのか見分けがつかないようだ。一つチャックを開けて中を弄って、今度は別のバッグを開けて……いやいや、それも違うよ、それは五組の生徒のだよ。……あ、自分のじゃないって気が付いた。
 この学校はキーホルダー類が禁止されている。だからスクールバッグを一まとまりにされると、どれが自分のなのか迷ってしまう。私は見つからない陸田君に同情した。
 ……あれ? 最初に弄っていたスクールバッグを持って行った? じゃあ別のスクールバッグ調べる必要なかったじゃん。何がしたかったんだ?
 五組の生徒のスクールバッグに何かを移した? 小さかったからたばこケースではないみたいだけれど。反射で光ったのが見えたから金属類? ……USBメモリとか?
まあ、どうでもいいや。そもそも私には無関係だし。
陸田君には対して関心が無いので、すぐに茜の方に向き直って煽り直す。
「スピリチュアルにハマるのって中年だよね。動体視力までも中年って恥ずかしくないの?」
 茜が無言で蹴りをかまして来たけれど、やはり運動音痴のモーション。簡単に避けられた。蹴りが空を切った茜はそのまま転びかける。
 微苦笑を浮かべてそんな私達のやり取りを眺めていた美作さんがごほん、と咳払いをして、
「それで? 西野さんから見た持ち主の候補は?」
 茜は私への追撃を断念し一瞬だけ不快そうな表情をみせた。その後、「えーと」ってきょろきょろと四組の生徒を目で追った。
「あ、いた。一人目はあの見るからに不良な茶髪の男子。そんで二人目はその奥の方の線の細い男子生徒で、三人目はさらに奥のショートボブの女の子」
 一人ずつ顎をくいっとやって指し示す。
「それにしてもセンコーも全員分調べなくていいのにな。誰が落としたのか、大まかに目処は立っているだろうに」
「確かに全員分調べずに八の字跳びのこっち側の生徒だけを調べたらいいのにね」
「ああ多分、それはね。茶髪の子がライターを落としたって考えていらっしゃるんだと思うよ」
 私達の顔を交互に見比べて、美作さんは言葉を続ける。
「あの茶髪の男子が問題児でね。それで今、近くに子分みたいのがいるでしょ? どうせ犯人は茶髪の男子生徒だけれど、ちょうどいい機会だから子分まで同時にしょっぴこうって魂胆なんだと思う。他の生徒は気の毒だけどね」
 なるほど。親分の茶髪は跳び終えた側、子分の方は跳ぶ前の側に並んでいた。その二人をまとめてしょっ引くための口実として、クラス全員の荷物調べと。
「……美作は隣のクラスについても詳しいんだな」
「生徒会に所属しているとさ、自然と西側の問題は耳に入ってくるんだよ。彼らの素行がこっちの推薦にも関わってくるからね。別に変な事じゃないよ」
 推薦の権利は西側か東側のどちらか一方の生徒会しか貰えない。そして選出は、各陣営全体のポイントによって決定する。素行の悪い子がいると、その一人のせいで全体が不利益を被るっていうのが洋学院高校独自のヘンテコなシステムだ。
「ねえ、美作さん。先生はあの茶髪が犯人だと確信しているんだよね」
「普段の振舞いを考慮したら、そう結論付けていても不思議ではないんじゃないかな」
「ええと、未成年喫煙イコール良くないだし、不良イコール良くないだから未成年喫煙イコール不良みたいなニュアンスで合っている?」
「うん? 私はそういうニュアンスのつもりで言ったんだけれど……」
 真意が飲み込めないって風に首を傾げられた。
「あずさって偶に変な質問するよな。それが分からないのか? みたいな」
 気が付くと話題が私に向いている。ライター事件の方が面白そうだし、個人的にはもっとそっちの話をしたいのに。
「いや、私って連想が苦手なんだよね」
「連想? マジカルバナナとか山手線ゲームみたいなこと?」
「そうなんだけれどもうちょっと正確に言うと、五×三がイコール十五なのは理解ができるんだよ。けれども例えば鳩イコール平和って言われてもピンと来ないんだよね」
「でも、ライターが落ちたイコールたばこ所持の疑惑っていうのは飲み込めたんだよね?」
「それは飲み込めるよ。他に使い道が無いんだし」
「よく分からんけれど随分と難儀な人間なんだな。あずさは」
 伝わらなくてもどかしい。そういうライターとたばこみたいな因果関係は納得いくんだよ。両者は火を付ける道具と火を付けられるアイテムの関係だから。
「仲真さんはどうして文系にいるの? 理系の方が適正高そうなのに。就職のしやすさ?」
「……えーとね、連想が苦手だからと言って理系科目が得意な訳でもなくて。むしろ現代文や歴史の方がパズル感覚で楽しいし」
 私は頬を掻いて目を反らす。本当は倫理の授業を受けたいから文系なんだけれど、それを言ったせいで前の高校では変人扱いされた。同じ轍を踏みたくない。
「私のことよりもさ! そんなことよりも!」
 手を叩いて話題を修正しにかかる。やっぱりライターが気になって仕方ない。
「そんなことよりも持ち主候補の三人についてもう少し教えてよ。もう少しっていうのは、特に放課後の過ごし方について。アルバイトとか習い事とか」
 四組の生徒がスクールバッグを持って横一列に並んでいる。傍からだとシュールだけれど、巻き込まれた彼らは堪らなそうだ。……あ、化粧品所持で無関係の女子がしょっ引かれている。
「ええと、放課後に限定するのはどうして? 学校とか部活のことは気にならないの?」
「校内のことはどうでもいいかな。たばこを吸うとしたら放課後だから」
 茜が不思議そうに眉を寄せた。
「喫煙が放課後とは限らないだろ。火災報知器だって無いんだし、トイレで吸っていてもおかしくないじゃないか」
「それは無いよ。だって、喫煙者って臭いで簡単に分かるんだもん」
「例えば、トイレで口臭ケアのタブレットを噛めば解決するじゃないか」
「無駄無駄。お兄ちゃんが喫煙者なんだけれど、タブレットでかき消すなんて絶対にできないよ。それに臭いが一番きついのは口臭じゃなくてこっちだし」
 そう言って親指、人差し指、中指の三本を立てる。
「口臭よりも指が臭いんだ。ボディーソープで念入りに洗っても、臭いは落ち切らない。多少は薄まるんだけれど相当鼻が詰まっている相手じゃない限り、察知されちゃう」
「お兄さんっておいくつなの? 前に大学生だって教えて貰った気がするんだけれど」
「今年で大学二年生。東京の大学に通っているよ」
 この時、何故か二人にきょとんって顔をされた。
「てことはあずさが東京に住んでいた去年は一年生だよな? 留年か浪人したのか?」
「いや、現役で入学だし、浪人もしていな……」
 ここでようやく己の失態に気が付き口をつぐむ。そうだった。兄は未成年だった。
昔からずっと吸っていたせいで感覚が麻痺していた。しくじった。
これ以上、兄について質問されたらどう言い逃れをしよう。対応次第では私の今後の学校生活に影響を及ぼすかもしれない。だって未成年喫煙は、普通じゃないんだから。
私は顔色を変えず、心でだけ冷や汗を垂らしながら、
「お兄ちゃんは高校で留年したんだ。……二回ほど」
 我ながら苦しい嘘だこと。
「……あはは。まあ、色々と事情があるんだよねえ」
 美作さんがちょっとだけ大げさに作り笑いを浮かべて、すっと失言を水に流してくれた。私は、ほっと胸を撫でおろす。
「まあお兄さんのことは措いておいて。話を戻して三人の放課後だよね。私の知っている範囲で喋ると、一人目の茶髪は他校の生徒へのカツアゲを頻繁に目撃されている。アルバイトはせずに巻き上げたお金で遊んでいるみたい。補導の経歴もあり。二人目の細身の彼は塾講師のバイト。それ以外だと予備校に通っているのも知っている。三人目のショートボブはカフェの店員さんのバイトをしていたはず。あと、これは関係ないけれど生徒会にも所属しているね」
 一気にそこまで述べて、さらに言い募る。
「もちろん、ルーティンみたく毎日カツアゲしたりバイトしたり予備校に行ったりな訳では無いんだから参考程度に聞いてね」
私は適当に「ふーん」と相槌を入れながら顎を撫でた。
やっぱり私は天才なのかもしれない。ちょっと、にやついてしまう。
「三人目のショートボブなんだけどさ、カフェって普通のカフェ?」
 茜が美作さんに間抜けな質問を投げる。
「ええと、普通じゃないカフェって? チェーン店かどうかってこと?」
「いや、駅前に水たばこのシーシャカフェがあったのを思い出して」
 流石、茜だ。なんて的外れな質問だろう。
「やっぱり茜って本質的に馬鹿だよね。シーシャカフェで未成年はバイトできないじゃん」
 一瞬、瞳を大きく見開いたのを私は見逃さなかった。本当に気が付いていなかったみたいだ。
「それは年齢を偽ればいいじゃないか」
「身分証明書を一般人がどうやって偽装するのさ」
 茜は苦い顔をして目を反らす。ざまあないな。
「ていうか、今回は犯人分からないの? いつもみたいに予知がどうとか言わないけども」
 私と目も合わせずに茜はぶんぶんとかぶりを振って、
「いや、今回は視えていない。てか、もう普通に茶髪が犯人でいいだろ。なんか乗せられて考えちゃったけれど、最初からほぼ確定じゃないか」
「視えたり視えなかったり相変わらず都合の良い設定だね」
 隙を晒したので追撃を加える。すると茜はムッとした相好を作り、
「視えている時は本当にふわーって視えているんだよ。直感が働くみたいな感じでさ。今回は茶髪で間違いなさそうなんだから、いいだろ別に。センコーだってそう睨んでいる訳だし」
「どうだろうね。犯人はもしかしたら……いや、やっぱりまだ言わないでおこうかな」
 これで外していたら茜に死ぬほど煽られそうだし。
「へえ、誰が落としたのか判断がついたと? きちんとした根拠もあるんだろうな? 口ぶりからして茶髪以外のどちらかを疑っているみたいだが?」
「根拠もあるよ。正解だったら教えてあげる」
「正解じゃなかったら覚えていろよ?」
 横一列に並ぶ四組の生徒達。一人ずつ順番に先生がスクールバッグをひっくり返していき、ついに茶髪の番が回って来た。先生は不良を睨み付けながら、彼のスクールバッグを受け取る。
「これで三人ともしょっ引かれたら面白いのにな」
「もしそうだったら大人しく白旗かな。靴を舐めてあげるよ」
 私達が軽口を叩き合っている間、美作さんは黙って考えを巡らせているようだった。
「仲真さんがヒントにしたのは、放課後の過ごし方だよね?」
 美作さんは「うーん」って唸って首を捻って、
「仲真さんの考えだと犯人は一人だよね? それは一人だけ積極的に条件に合致するって風に導き出したの? それとも残りの二人には不可能だからって消極的に残った一人が犯人だ、って感じ? 情報量が少ないのだし、考えれば私でも当てられそうな気がするんだけどなあ」
 積極的か消極的か。面白い質問の仕方だなと思った。
「前者だよ。該当者が一人だけだった。該当しないってだけで残りの二人も有り得なくはないし、それ故に絶対に推理が当たっているって確証は持てない」
 それでも自信があるかないかと問われれば、大ありと答える。
 真っ先に疑問を抱いたのは、あのことだ。それで三人の放課後を聞く限り、その条件の該当者が一人しかいない。筋は通っていると思うんだけど。
「三人目の女の子なのかなあ。三人とも着替えを持ってきているようには見えないし」
「仲真さんの口ぶりからして茶髪は違うのだろうし……これは根拠でも何でもないんだけれど、彼の実家はお寿司屋さんなんだよね。食べ物関係ならおうちもたばこのとかうるさいんじゃないかなって。シャリに臭いがつくとか。それに両親が常に家にいる中で、たばこの臭いを誤魔化すのは難しいしさ。塾講師は子供相手でたばこを吸うって言うのが感覚的に違う気がする。となると根拠はないけれど三人目なのかなと」
 美作さんはポニーテールを束ね直しながら、
「それにカフェのバイトならお店の服に着替えるでしょ? 制服姿でなければたばこを吸っていても未成年だってバレっこないし。そう考えれば学校にたばこを持参も有り得なくはない。仲真さんの言う該当者が制服から着替えること、って考えられるし」
「惜しい。私もわざわざ学校にたばこを持ってくるってことは、帰宅せずにバイトにいくんだと思う。制服でスクールバッグ持ってたばこ吸う、は破天荒すぎるしね」
 先生による念入りな茶髪の荷物検査が終わった。不良の彼は白だった。子分ともども、たばこは未所持だった。調査にあたった体育の先生は驚愕の念を隠そうともしない。
 ニヤニヤと笑う不良の茶髪。不快そうに舌打ちを鳴らす先生。
「良かった。茶髪が怖かったんだよね。彼が制服のまま堂々と喫煙する人間だったら仮説が破綻していたから。茜に馬鹿にされるところだった」
 そろそろネタ晴らしをしてもいいか。当たっていそうだし。
「ライターの持ち主は細身の彼だと思うよ。美作さんは制服から着替えるって理由でショートボブの女の子を疑ったんだよね。私は反対。つまり、制服のまま一服可能な人物」
 私の仮説通りだった。スクールバッグからは何も検出されなかったけれど彼の制服からたばこが発掘。細見は泣きながら先生にしょっ引かれて職員室の方へ消えてゆく。
 唖然とする茜。私の方に振り向いて、
「どういうことだ? 制服着ていても吸えるって」
 ちなみにショートボブも白だった。これでライターの持ち主は二人目の彼で間違いない。
「種明かしをしてくれない? 制服で一服可能ってどうして? 校内でも校外でも制服のままで喫煙を誰かに見られたら何かしらの不都合を被るのに」
 私は唇を軽く舐めて得意げに「ふふん」と鼻を鳴らす。
「まずさ、美作さんは着替えられるからショートボブの女の子が怪しいって考えたんだよね。もし本当にライターの持ち主が彼女だったら不自然じゃない?」
 ピンと来ていない様子だった。
「だってライターは制服のポケットから落ちたんだよ? たばこが発見されたのもポケット。もしバイト先の服に着替えて一服するのなら、制服にたばこをしまうとは考えにくくないかな。絶対に無いとは言い切れないけれど普通ならスクールバッグにしまうよね」
 私はライターを落とした人物は制服を着たままで喫煙を行うと仮定した。そうでもないのに、わざわざ制服のポケットとは考えにくいから。
「いやいや、制服で喫煙なんて馬鹿でもやらないだろ。そんなの未成年喫煙ですって主張しているようなもんじゃないか」
「……そっか、塾講師なら誤魔化せるんだ」
 察しの悪い茜に対して、美作さんは合点がいったようだ。
「塾講師にはスーツのドレスコードがあるから。それに大学生がほとんどだもんね」
 そういうこと。塾の吊り下げ式の名札を首から提げて塾の近くで喫煙すれば、たばこを吸っている大学生バイトにしか見えない。それに三人とも荷物に替えを持っていないようだったし。
「以上のことから、制服でバイトができる。それで、未成年だとばれない。ドレスコードが必要なアルバイトっていうと塾講師」
 茜だけはまだ納得のいかないようで手刀を横に振りながら、
「やっぱりおかしいぞ。制服って学校の紋章の入ったブレザーだし、高校のネクタイだって着用している。それに、子供達には大学生だと装えても、同僚の他のバイトにバレるし」
「この学校のスクールバッグって黒のレザーでまあその気になれば日常使いできちゃうし、これは私の想像だけれど、たばこは他の大学生のバイトとのコミュニケーションツールだったんじゃないかな。そうでもないのに高校生が喫煙なんてしないでしょ」
 高校生が一人で喫煙……絶対に無いとは言い切れないけれども、コミュニケーションツールでもなければリスク犯して持ち歩くだろうか。
「そりゃあ、ニコチンの依存症とかじゃないのか? 吸ったこと無いから分からないけどさ」
「兄曰く、たばこに依存成分はそんな無いそうだよ。美味くもないし税金高いしその気になればいつでも禁煙できるって言っていた」
「クレタ人は嘘をつかない的な話か?」
「だから私の想像だって言ったじゃん。動機は結局、本人に訊かないと分からないよ」
 制服のポケットから落ちたのなら十中八九、彼だろうなと思ってはいた。思ってはいたのだけれど私の推理に隙が多いのもまた事実だし飛躍があることも素直に認める。
「まあいいや、動機は措いておくにしてもブレザーとネクタイはどうするんだよ。ブレザーには紋章が入っているし、高校のネクタイって結構、分かりやすくないか? 塾の生徒に洋学院高校志望の子もいるかもしれないし」
 私の代わりに美作さんが説明をしてくれた。
「西野さん、今って何月だっけ?」
「六月だけれど、それがどう……」
 そこまで自分で言いかけて茜は気が付いたようだ。
「そうか。クールビズで着用の義務がないのか。ネクタイもブレザーと一緒にスクールバッグの中にしまっておけばいい」
「そういうこと。これで白シャツ、地味ズボンの塾講師完成。洋学院高校のって、どこにでもありそうな黒ズボンじゃん?」
 一応は納得したように不承不承に頷いた。
「ていうかあずさ、連想が苦手って言っておきながらちゃっかりやっているじゃん。たばこイコール、コミュニケーションツールは連想だろ」
「繰り返すけれど高校生はコミュニケーション以外でたばこを吸わないでしょ」
「お前、実は決めつけが激しいタイプだよな」
「違う。そうじゃない。そういうことじゃない」
 決めつけではない……ないのだけれど、傍からすれば同じなのかもしれない。
 違うのだ。私はコミュニケーションツール以外で連想ができなかっただけなのだ。学習能力はあるから経験則的に判断は下せる。裏を返せば経験則的な判断しか下せない。
 私は常識とか暗黙のルールを肌で理解できない。だから一つ一つ、失敗に照らし合せて言語化してパターンで暗記を試みてきた。
 たばこの知識は兄のせいで持ち合わせているし、アルバイトでも何でも他人の輪に入らなければいけない必然性も中学生のうちに学習した。因果関係と経験的な常識パターンの把握。私の推理は両者の組み合わせに過ぎない。
 中でも特に、感情とかいう不規則なものには苦労を強いられる。行間さえ読めれば私はこう何度も転校に追い込まれていない。
「喫煙者ってどうして存在するんだろうね。彼はコミュニケーションのために吸っていたのかもしれないけれどもっと根本的にさ。身体に悪いし吸わなくても生きていけるし、それにたばこって高いんでしょ? 害があって無利益なのに」
 どうしてなのだろう。私は美作さんの疑問の答えを持ち合わせていない。
「まあいいや。そろそろ練習を再開しようか。会話しながら並べ替え案も考えていたんだ」
 しれっと変えられた八の字跳びの並び順。私の前には抜け目なく羽田さんが配置されていた。
 練習再開。私の手助けは虚しいどころか、むしろノイズのようで羽田さんは縄に引っ掛かり続けた。私が手を貸してからの方が悪化した気さえする。やがて、つまずく度にクラスから舌打ちにため息、「努力不足なんだよ。他の皆はできるんだから」って野次まで飛んでくる始末。
 羽田さんより私の方が打ちのめされた気がする。私への罵倒であれば「対処せねば」って躍起になりはするけれど、それだけで済む。焦りつつも「まあ、私の問題だし」って割り切れる。
しかし自分の落ち度で他人が不利益を被るのだと、もうダメだ。責任って刃に心をえぐられる。「私のせいだ」って罪悪感に胸を抉られる。
 放課後練習は、四組より先に終わった。彼らはロスのあった分、少し遅くまで練習を続けるらしい。ブルーシートに入り乱れる各クラスのスクールバッグ。キーホルダー禁止の本校で自分のを見つけるのは一苦労だ。隣の四組のスクールバッグを掻き分けて記憶を頼りに探す。
 凹みつつ、茜と喋りながら帰路につく。ふと校庭の方を振り返ると夕焼けに照らされて表情までは見えなかったけれど、美作さんと羽田さんが残って何やら話し合いをしていた。
 そして次の日。羽田さんは遅刻して登校してきた。ギプスを巻いて三角巾に吊るされた痛痛しい左手をぶら下げながら。
 
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