第二話「奇声の街」

文字数 12,975文字

 少女は気を失って、ぞんざいに男の肩に担がれている。全身を覆う長い布にまかれた男は少女を滝の周りを囲むように築かれたレンガ造りの町の下層、苔の生えたボロの平屋へ運び込んだ。男は固い床へ雑に少女を置いて、とても低い抑揚のない声で家の奥で編み物をしている少女に話しかける。
「ユーグ。そいつから事情を訊きだしてくれ。 荒野で出会った子供だ。時期も丁度いい。 手足は縛ったままにしておけ。襲われるぞ。また来る。」
言いたいだけ言ってしまうと返事を待たずに男は出て行った。ユーグと呼ばれた少女は料理場からひしゃくに水を汲み、二、三歳年下に見える森から来た少女の顔にかけた。少女は小さく唸ってから目を開ける。きょろきょろ周りを見回して、床を触ろうとして手首を縛られていることに気が付いた。縄をちぎろうと力を込めながら、珍しい人間に独学の言葉で話しかける。
「ここはどこ?これをほどいて」
「ここは私達の家。ほどく前にあなたのことを教えてほしいな。名前は?何て呼べばいいのかな」
「ヒト。西へ行く。星空をもっと見るために」
「わたしも人だよ。そうじゃなくて私にはユーグって名前があって、ここでみんなの世話をしているの」
「わからない」
そう言うと少女はぱたりと横になり、目を瞑った。ユーグは少女を調べるように、覗き込み、左腕を補強するように絡みついた蔦に身じろぎした。少女は勢いをつけて体を起こした。首下で金属のプレートが揺れる。
「ダメだ、何も見えない。ないと困る?」
全く困っていないような表情と声で尋ねられてユーグはやりにくさを感じ始めていた。
「お父さんやお母さんはいないの?」
「いない。森にヒトは一人だけ。ユーグにはいるのか?」
「父さんは建築監督だよ。もっと上の方に住んでるんだ大人だから」
「ここにはいっぱいヒトがいるのか?」
少女は体を乗り出して尋ねて、手で体を支えられず前のめりに倒れた。ユーグが起こしてやる。揺れるネックレスに何か書かれていることに気が付いた。
「ねえ、その首飾りにはなんて書いてあるの?」
「これは、メを開けて最初に見つけた記念品だ。取引はしない」
「ちょっと見るだけだよ」
少女は不愉快そうに後退しようと体を動かしたが、縛られた状態では逃げ切れなかった。ユーグは紐が切れないように気を付けながら、プレートに付いた汚れを落とす。
「D14。 どういう意味か分かる?」
「わからない。ここでは、夢が見られないから、知らないものはわからない」
「生まれた時傍にはこれしかなかったの?」
「言葉はそう」
「じゃあ、変な感じだけど名前なんじゃないかな。D14って呼んでいい?」
「わかった。名前はD14」
少女は機嫌よさそうに復唱した。ユーグは話が通じると分かって気を許したのか体勢を崩した。
「D14は外で何していたか覚えている?」
思い出そうとD14は俯いて、目を閉じた。急に頭を上げて、扉に目を向ける。じっと見つめられたドアが開き、日に焼けた青年を先頭に子供たちが入ってきた。青年はD14を見つめて足を止める。子供たちはそんな彼の陰に隠れて期待に満ちた瞳だけ出している。
「その子はどうしたんだ?」
「見周りに出ていたワクおじさんが拾ってきたの。もしよければ、子供たちと同じように世話してやってくれだって」
「外にいた乾燥が酷かった。昼間は安めそうなら休んで、夜、歩いた。そうして西の方へ進んだ。星空を追いかけていたし、西からの風は少し濡れていたから」
突然話し出したD14の周りを取り囲むように子供たちが円を作る。縛られていることを見て取って青年が皆を庇うようにD14のすぐ近くに立っている。
「干からびて倒れそうなふらふらの時、大きな鳥に乗った人型の土塊を見つけた。そいつはご先祖様を杖代わりに突き刺して立ち尽くすと雑音を発しながら近づいてきた。最後のチャンスと切りかかったけれど避けられて、地面に倒れた。その後気が付いたら、ここにいた。そうだ、曲刀を知らないか?大事なものなんだ」
「その土にまみれた人が君を運んでくれたワクさんだ。武器を持っていたのなら、きっと上層の大人たちのところだ」
「あれはヒトだったのか。安心しろ、ヒトと分かったら襲わない。上層にはどうやって行く?」
「子供は普段は行けないよ。祭りの時以外は音が酷くてとても近づけないんだ。丁度次の満月に巫女選びの祭りがあるから、その時に行けばいいさ。それに、私達でかけあってもいいし」
青年はD14を縛っていたロープをほどき、籠を持ってユーグとともに奥の料理場へと引っ込んでいった。D14の外見よりも幼さを感じさせる仕草が彼女を外敵ではなく庇護すべき対象として認識させたようだった。他の子どもたちも同年代の異邦人に興味津々といった感じで、D14にあれこれ訊ねている。同年代が珍しい、それどころかヒトと話すことすらほとんど初めてなD14も言葉を使ったコミュニケーションを楽しんでいるようだった。
 少しして妙に頭の大きい魚の串焼き、アラ汁が運ばれてきた。年上の二人が先導し、夕餉が始まる。D14にとって調理された食べ物は初めてで匂いを嗅いだり、突っついてみたり興味深そうにしていたが、集まる視線に気が付き、何食わぬ顔で箸を握った。何とかみようみまねで夕食を食べ終えた。ワクが様子を見にやってきた。青年と家の外で何やら話し、少しして、服を手に少年が家に入る。
 机を片付け、川の字に布団が並べられ、全員眠りにつく。朝日が昇る前、風が家を揺らしている。眠ることが出来ずに屋根の上で星を眺めていたD14をユーグが呼ぶ。
「君にも仕事をしてほしかったんだけど、動ける?」
「問題ない。何をすればいい?」
「イヤと一緒に川に仕掛けた罠を見てきてほしいな」
髪の長い、日に焼けたD14と同じくらいの背丈の少女がD14を見上げている。
「行こうよ。暑くなる前に」
夜空には大小、月が二つ浮かび、遠く滝の飛沫が聞こえてくる。乾燥した地面の方々に人影がぼやけている。
「この感じだと今日から準備を始めるからきっと祭りは明後日だよ」
イヤが小さい月を眺めながら言う。大きな月は満月だった。空気が湿気を増し、川音が聞こえてくる。空は色彩豊かに一日を始めている。イヤが帽子をかぶり、D14もそれに倣った。河原の草は刈られていて、川は丸裸といった感じだった。東側で川は地中に消えている。上流には巨大な滝が裸の山から噴出している。用水路が引かれ、貧相な畑が点在している。D14はその景色を立ち尽くして眺めていた。イヤが川に入り、細長い籠を川から引き上げ、手持ちの籠に移す。D14も指示された通り、川に手を突っ込み籠から籠へ中身を空ける。ぬるぬるとした頭の大きな細長い魚が飛び出した。D14は川の不味い水に浸かっていたくなくて、仕事を投げだけして、刈られた草の上に仰向けに寝て、色づいていく空を眺めていた。
「やっぱりまだしんどい?」
荒野を歩いてきたD14は子供たちの尊敬の的だった。外に長い間出ていると体調が悪くなることを子供たちは体験で知っていたから。
「違う。その水は体に良くない」
「そうなの?でも、この水は山の中の神様の贈り物らしいよ」
「果実はない?」
水の由来などどうでもいいという風に空返事をして、木を探しながらD14が訊ねる。
「この辺りにはないよ。滝の中の神殿にはあるって聞いたけど。祭りの時には食べられるよ」
籠を持ちあげて歩き出しながらイヤが答える。荷物を半分持ち、D14が並んだ。
「採れた魚を見張り小屋まで持っていくんだ」
川が消えるあたり、砂に埋もれるようにして立っている建物を指して言う。
「ワクさんもそこに住んでいるから、荷物のことも何かわかるかもよ」
「あの地面を走る鳥もいる?」
「いるよ。でも気難しいから乗せてはくれないよ」
「なんで滝の方には近づけない?」
「嫌な音がするんだ。大人が何で平気なのか知らないけど、子供はみんな聞こえてる」
「もし荷物が山にあるなら取りに行きたい。わたしの故郷の食べ物もみんなに振舞える。協力してくれない?」
「取りに行かないでもきっと返してもらえるよ。それに、祭りの準備の邪魔しちゃだめだよ。今年はわたしたちの中から巫女が選ばれるんだから。Dも参加できるかもよ」
小屋の横では川が地中にしぶきを上げながら消えている。イヤがノックしながら、挨拶する。
「おはよう。魚か、ありがとな」
ワクが扉を開け、寝起きといった様子であいさつする。
「ヒトとは知らなかった。わたしの記憶にあんな肌の人はなかったから。申し訳ない。荷物を返してくれ」
「イヤ、上がっていくか?」
「もちろん。荷物返してあげてくれない」
「もう襲う理由はない。飢えてもいないし、乾いてもいない」
D14はワクの瞳を見つめ続けている。その、警戒した様子、反省しているというポーズを欠片も見せない眼差しにワクは少し困惑しているようだった。
「フラギやユーグが縄をほどいたってことは大丈夫だと思うが、荷物の件は俺と話した後だ」
薄暗い部屋は埃っぽく、紙や石板、組み立てと中の機械など雑多に物が詰め込まれていた。コップ三つに水を注いで、ワクが座る。イヤも座り、おいしそうに水を飲んだ。D14はあたりを見回している。目的の荷物は見つからない。
「俺はこの町唯一の考古学者だ。君は旅に慣れているようではなかったし、かと言ってここ以外の集落を俺は知らない。君のことを教えてくれないか」
不服そうに話の途中からD14は机の下に頭を突っ込んでいた。
「ワクさんが外の話を聞きたいって。昨日わたしたちに話したみたいに」
「話してくれれば、荷物のことを話す。それでどうだ?」
D14は納得したように話し始める。森を出る経緯を話すと、
「移動する森。そこに住んでたんだよな。どのあたりにあるかわかるか?」
「東の方。全部燃えて灰になっている」
ワクはかなり興奮した様子でさらに話してくれとせがむ。
「他に本当に人はいなかったのか?」
質問攻めにD14の言葉が止まる。
「ワクさん、ディーが困ってる。ちょっと落ち着いてよ」
イヤに宥められ、コップの水を一息に飲み干し、ワクは語り始めた。
「俺は考古学者だといっただろう。君が燃え尽きたと言った森はこの辺りでは「魔女の森」と呼ばれる災害として知られている。滝の信者たちは悪魔だと言っている。そして、俺が調べたところによるとその成り立ちに古い名家、ストラ家が関わっているはずなんだ。森の中にヒトがいなかったとしても、彼らの住処が残っているはず。ぜひ調査したい。案内してくれないか?」
「いやだ。わたしの目的地とは反対方向」
「その古い人たちがそんなに重要?」
「もちろん。彼らは一族以外の者を人として認識していなかったらしい。とても利己的な集団だ。そんな誇り高い彼らなら自身に関する歴史を保存していると考えられるから」
「でも、全て灰になってる」
「穴に落ちた先は廃墟だったんだろ。埋まっている部分が焼け残っているかもしれない」
そう言って、泥まみれの鞄から地図を取り出す。地図にはいくつもバツ印や丸が書き加えられていた。ワクが印の一つにD14と書き足した。地図を知らないD14に説明しながら、森が焼け落ちた場所を聞き出し、旗のマークを書き加えた。差し込む光で時間を察したのか、整理された一角から袋を取り出しイヤに渡した。
「長く引き止めすぎてしまった。俺は出かける用意をするから」
そう言って立ち上がるワクを捕まえて
「わたしの荷物」
「神殿の方にまだあるはずだ。今日中に取り戻してくる」
「どこにあるか教えてほしい。わたしが取りに行く。星空がどんどん離れて行ってしまう」
「あの鳥ならもうすぐここに来る」
そう言うとワクは地下へ潜っていってしまった。D14はこっそり部屋の中を物色していた時に見つけたフックをベルトの隙間に挟み込んだ。一歩外に出ると熱気が満ちて世界が揺らいでいる。小屋の外に放置されている布の山から一枚取り出し、川の水に浸し、イヤが身にまとった。少しためらったもののD14もそれに倣った。風に乗りまとわりつく砂の粒子を落とし、川で温度を下げながら歩いた。濡れた布の中では音もよどんで、会話なく歩き続けていた。子供たちの平屋に全員帰ってきており、暑さをしのぐために掘られた地下に避難して昼寝している。イヤも慣れた様子で横になり、壁側にD14のためにスペースを開けた。眼を開いてD14のことを眺めるのでD14は昨日から何度もしているように人のまねをする。真似をして寝転がったものの、自然と眠りにつくほど疲れてもおらず、森と同化するような希釈される感覚なしに意図的に眠ることが出来ず、D14はただ転がっていた。寝息が聞こえてきたころ、我慢できなくなったD14は足音を殺して外へ出た。ドロドロになった布、川の上流へ歩いていく。盗まれた曲刀を取り返すことが第一だった。D14は灰の中で目を覚ました時のことを思い出している。暑さによって思い出したのだろうか。まだ熱気のわずかに残る灰の中で目覚め、暑く痛み続ける左腕を庇いながら、白い蛇を探して歩いた。まだ暗い世界で地面を動くものを探していた。歩き回り、見つけたのは白く透き通った刀身の曲刀一つだった。柄や鍔に鱗の跡が見え、白い刀身の内側に骨のような模様が見える。
ひどく冷たい曲刀に触れた時、少女は力が抜けたように地面に座り込み、初めて夜空を見上げた。思い出すと今も目の前に夜空が見える。

 冷たさで目を覚ました。
「気が付いたか。この時間は外に出るなと聞いていなかったのか」
ぼやけた視界でまばたきして、頭を振った。
「俺が理性的な人間でよかったな。最悪な出会いから二回も命を救ったんだから」
「わたしはまだ死なない」
「そう思っていても死ぬときは死ぬさ。想像よりも元気そうだな。ユーグのとこまで送るからな」
ワクはD14を抱えて鳥を走らせた。
「荷物は?滝の方へ連れて行って」
「子供は入れてもらえない。そのことなんだけどな、まだ返せないそうだ。あの曲刀が呪われているとか」
「助けに行かないと」
「お前はどこに何があるかすら知らないのに無理だ。お前は神殿のことを知りたい。俺はお前の故郷を知りたい。今夜、一人で俺の小屋まで来れるよな。情報交換しよう」
 道中で回復したD14は子供の家の扉を開け様子を窺う。いい加減説明することが面倒になったのだろう。まだ、起きてきている人はいなかった。ワクがそんなことを気にもかけず、大きな声で呼びかける。返事はない。D14はさっさと地下におり、ユーグを揺すり起こした。目を擦って起き上がり
「どうしたの?」
はっきりしない頭で考えている様子だった。つられるように子供たちが起き上がる。
「まだ寝てたのか」
袋を差し出しながら、降りてきたワクがあきれたような声を出す。
「明日巫女選びの祭りを行う。それから、今年は全員祭りの間は上で過ごすように。イヤ、巫女になるなんてやめて、俺の助手になる気にはやっぱりならないか?」
イヤが首を横に振る。
「そうか。一番才能がありそうなのにな。フラギ、お前たちもそろそろ大人になるべきじゃないか。俺もいつまでも連絡役が出来るとは限らない。この機会に決心すべきだと思うぞ」

 夜更けに抜け出そうD14は身構えていた。動き出さないのは、ユーグが歌を歌っておりフラギが静かに聞いているからだ。D14も眠る体勢でゆっくり聞いていた。気が付くと静かになっている。体の下敷きにしていた右腕が痺れていた。少し眠っていたらしい。音を立てないように起き上がりこっそりと家から抜け出す。あの日焼かれ、蔦で補強された左腕。その中に、あの凝縮された夜空の一部が捕らえられている。昼間はその淡い光はまるで見えないが、少なくともD14が歩む道を照らすには十分だった。あるいはそう感じているだけかもしれないが、D14は快適そうに夜道を歩く。寝る前に聞いたユーグの歌を自然と口ずさんでいた。
 ノックもせずにワクの小屋へ入る。読んでいた本を閉じ、D14の足元を照らすようにランタンを持ちあげた。ワクは紙を広げる。
「さっさと始めよう。まずは・・・・・・」
見取り図を描きながら、見張りの薄い場所や目的地を説明する。ルートを矢印で繋げ終わり、D14に地図を渡して新しい紙を広げ、鉛筆を差し出した。
「今、俺がやったように森の地図を作ってくれ。まずは焼ける前のから」
初めての鉛筆を握ってガタガタの線の森を書き上げる。概要が出来上がると、ワクが引き継ぎ、話を聞きながら細かく注釈を入れていく。二枚の森の地図が出来上がり、ボロボロの地図に森の頭の向きを書き加えてワクは地図をたたんだ。
「なあ、俺はこの町が嫌いなんだ。だから、大暴れして来いよ」
いつものぼんやりとした表情でD14はワクのことを見つめた。笑いを漏らし、小さく袋にまとめられた鍵縄をD14に渡す。
「プレゼントだ」

 日が昇る前、子供たちは大きな荷物を持ち問の前に並んでいた。年上の二人を除いて、浮かれた様子で話している。崖を削り作られた道をキノコの傘のような被り物をした大人に先導されて登っていく。滝の音を取り込んだ奇妙な祭囃子が頭上から降り注いでいた。都市の中腹あたり、民家の層で仮住まいを与えられる。荒野の住処とは大違いで水に満ち、冷たくよく磨かれた岩造の一室だった。イヤとD14は一枚の布から作られたフード付きのローブに着替えた。年下の子供たちの分も部屋に置かれていた。幾何学模様が描かれており、特にイヤの物は模様が縫い込まれ、青色に光を反射し、その衣装自体が歴史を纏っている。他の子どもは羨ましそうな声を上げていたが、D14はただ、水から身を守ることが出来ただけで満足だった。じっとしていられなくなった子供たちは、活気のある神殿を目指して駆けだした。
 削り取られたような大きな穴を守るようにしてドーリア式の神殿が子供たちの前に聳え立っていた。神殿の前の大通りはまばらに屋台が立ち並び、美味しそうな匂いの煙を立ち昇らせている。子供たちは銘銘に興味を持った屋台に向かっていった。D14は柱の影を縫うようにして神殿の内部を観察しに行く。ランプが点々と設置された仄暗い空間に丸いヘルメットをかぶった大人たちが列を作り、笛と太鼓で祭囃子を奏でている。背を向けた巫女たちが歌を歌い、唯一生身の頭を晒している黒衣の老人が大穴の前に作られて祭壇に向かい祈りをささげている。ワクの説明ではこの祭壇の周りか下層の居住区に曲刀が収められているはずであった。祭壇の周りは暗く、恐らく儀式的な意味があるのであろう構築物の群れの中から目的のものを見つけることは不可能であろうと思われた。引き釣り出されるように前へ前へ歩くD14は後ろに近づく陰に気が付かず、
「何をしている」
低い声に詰められると同時に、ローブをつかみ上げられた。吊るされた格好のD14はもがくがゆったりとした布が絡みついて逃げ出せない。
「そろそろ始まる。他の子どもたちはもう揃っている。」
D14を捕まえたまま、大男は神殿の外へと歩き出した。
 飾り付けられたわけでもない、しかしこの土地においては希少な木材を用いた簡素な小屋が神殿の下の層に建てられ、その前に巫女服を着た子供たちが神妙な顔で並んでいる。見物人は少なく、傘を被ったような巫女が三人、子供を囲むように立っていた。D14は右端に立たされ、巫女に肩をつかまれていた。先頭に立つイヤが巫女に連れられ、小屋の中に入っていく。少しして、次に並んでいた子供が小屋に入り、やはり巫女だけが出てきた。それを繰り返し、ついにD14の番が回ってきた。最後だからなのか、両脇を巫女に固められる。小屋の中には何もなく、少し雨漏りしている。誰もいなかった。何をしろともいわれていなかったので小さな小屋の中を見て回ったが、下に抜ける穴もなく、ただ滝が壁にさえぎられることなく存在していた。唯一の出入り口は巫女に塞がれている。見るものもなくなってD14は部屋から出ようと巫女を押しのけようとする。立ちはだかる巫女が抵抗しながら、崖を指さす。何かあるのかとD14が滝壺をのぞき込むと、ほぼ同時に勢いよく背中を突き飛ばされD14は落下した。いきなりのことに驚きながらも、動きにくい巫女服を脱ぎ棄て、腰に巻き付けておいた鍵縄を疎らに生えた弱弱しい木に引っ掛けた。落ちるとともに伸びていく縄を強く握りしめて、ぶら下がる。木がしなる。ワクの「鍵縄がどうしても必要になったときに、横穴を探せ」という言葉を信じてあたりを見回す。いくつか見つけた穴の中で広い足場を持つものを目指して縄を伸ばした。縄の結び目をほどき、全体重が両腕にかかる。体を振って勢いをつけて足場近くまで移動し、手を離した。放物線を描いて、岩場に着地する。滑る岩で危なく落ちてしまいそうになりながら、立ち上がった。明かりのない暗い道が内部へと続いている。
「鍵縄を使って、一人になったのなら想定通りに事が進んでいるから後は好きにしたらいい」
ぬめる壁の洞窟を進む。地図の通りだと山の内部の大空洞に出るはずだ。大空洞を見下ろして螺旋状に階段があり、上ると神殿の大穴に出るはず、ワクの地図が正しいならば。D14の左腕から漏れる星明りが粘性の壁面に反射して瞬いていた。中心に近づくにつれて腐った水のにおいが強くなり、つらら石も増えてくる。甲高い不快な音が穴の奥から風に乗り襲い掛かってきた。ざらついた空気の中、穴に向かい跪く影。物音を立てないようにD14は近づいた。妙に揺れる笠をかぶった頭から洞窟内に充満する不快な音が発せられており、初めてD14はその音がある種の歌であると気が付いた。上に昇るにはどうしてもその横を通らなければならない。熱心に祈っているように見えるが、D14は手ごろな石筍をへし折った。しっかりと握ろうとするが強く握れば握るほど内部から粘液があふれ出し、絡みつく蔦により補強された左腕にしみこみ焼ける痛みが再発した。周囲の確認もせずに水音を立てながら走り、勢いをつけ両手で構えた石筍で巫女を殴りつけた。傘がひしゃげ声もなく倒れる。石筍を投げ捨て、べたつく巫女を検める。下半身は触ると粘液の中に溶けていった。イヤが来ていた巫女服の様に豪華な刺繍が施されたそれも、洞窟と一体化しており、さっきまで生きていたとは思えない。傘のようなシルエットも頭蓋と一体化しており周囲の粘液と同質のそれを吐き出している。倒して変装するつもりだったD14は顔を顰めて手についた粘液を服に擦り付けて顔を上げた。洞窟内にいくつかの足音が響いている。内側に作られ何年も放置され溶けた滑りやすい階段を登る。頭上に光が漏れている。粘液に触った手足は痺れ、不快な音の振動が体を撫でてD14は明らかに弱り始めている。転ばないように気を付けながら足早に上る。道中で先の巫女の様に洞窟と一体化した者に上半身のみで飛びつかれたが蹴とばして進んだ。脆くなってなお人間らしい感触を残した肋の折れる感触を何度も感じて、D14は疲れ、苛立っていた。さっさとご先祖様を取り返して綺麗な星空のもとに帰りたかった。両手を広げ、酔ったようにふらつき歩く巫女の集団に追いついた。肩や足元は粘液にまみれ、清潔そうなのは胴体だけだった。その模様も水に滲んでいかにも使い捨てといった感じだ。さっさと地上に戻りたいD14にとってその千鳥足は我慢ならずかといって平穏に追い抜く当てもないので比較的綺麗な胴に手をかけ、穴へ押した。不確かな足元で踏ん張ったせいでD14はよろめいたが、押された巫女のほうはよろめくどころではなく穴へ吸い込まれていった。ひりつく右手に温かさを感じたが、何かが這いずるような感触につつまれ、警報が鳴り続けている。気にしている余裕はなかった。緩慢な動作で振り返った巫女たちも襲い掛かってくるというわけでもなくじっと見つめている。
命令系統の不具合なのかとにかく絶不調のD14は身体能力に劣る相手を何とか全員突き落として進んだ。
 汗だくで粘液に塗れ、外傷ほとんどないがボロボロのD14は祭壇の裏の清潔な石の上で寝転がっている。神殿内は相変わらず祭囃子に満ちており、不快な這いずる音は聞こえなかった。右端の呪符が多数張り付けられた一角に巨大な骨や涼しげな光を漏らすひび割れた壺などと共に曲刀をはじめとするD14の持ち物が置かれていた。問題は取り返そうと動くと確実に黒衣の老人に見つかることだった。彼は焦点の合わない見開いた目で祭壇の奥を睨みつけている。聴衆からは遠すぎて見えないことはD14自身が確認していた。巫女たちは顔を布で覆われており、気づきそうにない。それでも、気が付かないという点にかけるにはD14は弱りすぎていた。そんな訳で寝転がり、体力の回復を待ちながら様子をうかがっている。滝を透過して夕日が神殿内を染める。一度の休憩もなく祈り続けた老人は立ち上がり、聴衆のほうを向き、声を張り上げた。待ちに待った隙にD14は立ち上がり、足音を殺し曲刀に近づいた。
「われらを直接苦しめ続けた悪魔は最早Cprmlgsのみである。今こそ大地を我ら人の手に取り戻す時だ!今宵、我らが神がCprmlgsを打ち倒す!」
急に老人が振り向き、祭壇の右端に向かって歩き出した。D14は慌てて階段に転がり落ちた。
「儂自身がやつをこの地に呼びよせる!この地に近づいたが最後神罰が下るであろう」
神殿内に染み込ませるようにゆっくり一言一言人間らしい抑揚をつけて歩きながら唱える。そのおかげで、D14は老人が一度、右端で止まったのち外へ向けて歩いていることを知った。頭を出し、安全を確認し、痺れの抜けない腕で何とかよじ登った。老人の右端に一人の汚れた巫女が控えている。D14と同じように乾燥した粘液が張り付いているその巫女から五歩離れて、歌う巫女たちが続く。D14は久しぶりに木の実や干し肉の入ったポーチを腰に下げた。
「皆の者、信仰を!緑地を人の手に!」
崖の端で老人は叫び、札に塗れた壺の封印を解き、右手を突っ込んだ。手のひら大の実体化した夜空を掴みだし、飲み込んだ。頭を抱えて蹲り、少しして立ち上がった。老人の右腕は肘のあたりまで灰になり、風にさらわれ、胸は透き通り、黒衣は燃えている。言葉にならない祈りを続け、汚れた巫女から渡された鈴を受け取り、一度鳴らした。涼しげな音が一つ。力強く世界が揺れるような音の後、老人は滝の中に身を投げた。力強さに見入っていたD14も老人の身投げにより、現実に引き戻された。呪符塗れの鞘に納められていた曲刀を抜く。D14は地面に胡坐をかき、牙の名残の様に鋭くとがった柄頭を左腕の夜空に突き刺した。刀身に星が流れ、D14の周りに火の粉が舞う。D14がこの力に気づいた理由は単に焼ける左腕に耐えられなかったからだ。
森が焼け落ち、旅に出たD14だったが歩き始めてすぐに左腕の内部に残った夜空が飛び立とうともがき体内を焼く痛みに耐えられなくなった。抉り出そうと曲刀の柄頭を突き立てると腕の中の夜空はおとなしくなり、それどころか夜空にD14自身が溶けだすような、森との一体化に似た感覚につつまれたのだ。今も、曲刀は夜風に撫でられるようにかすかに呼吸し、D14の体内から痺れを洞窟内の汚れを吐き出している。またも、鈴の音が世界を揺らす。汚れた巫女があの鈴を手に祭壇に戻ってきている。D14は立ち上がり、腕の夜空を掌へ引き出すように柄を動かし、両手で曲刀を構えた。巫女以外の民衆は暮れていく空を眺めている。
姿を隠すことなく立つD14は無視され、鈴の音と祈りの声が神殿内に満ちる。鈴の音が響く度に視界の揺れがひどくなり、逃げ出そうとするD14は走ることができなかった。ついに揺れは感覚的な力だけでなく、天井を裂き、大穴が広がった。穴から聞こえる不快な音が大きくなり、立っていられないほどの地震に襲われた。巫女以外の民衆は地に付した。そして、崖に夜空が貼り付けられ、神殿内部に止まっていた一部の人物を除き、聴衆は焼け落ちた。乾燥した泥の塊に覆われたCprmlgsが集落を焼き始める。その後ろに立ち上がった支流が触手のようにのたうつ泥の柱が見えた。体表にチリチリと熱気を感じながらD14はすべてを忘れて故郷を焼いた夜空の鳥に見とれていた。泥の触手が川がCprmlgsに纏わりつき、引きずり落そうとしている。その様子に怒りを覚えても、髪の先が焦げ始めてもD14は微動だにしなかった。彼女の周りの薄い夜にCprmlgsの濃い夜が流れ込み始めて、神殿内に夜が満ち始める。生活の後を感じさせる椅子やらを含んだ粘液が間欠泉のように吹き出し、巫女を守るように包み込んだ。変色した滝が大量の泥を流し込み大穴が塞がれる。地中の暗さの中、D14は曲刀が発する薄い星明りにつつまれている。
視界からCprmlgsが消えたことで我に返ったD14は二つ考えた。ここから早く逃げ出さなければならない。あの鈴はどうしても手に入れなければならない。まず、夜空の鳥は攻撃するわけでもなくただそこに居るだけでこの都市の神に対して優勢だった。少しすれば、ここも夜空のような黒い炎にのまれるだろう。次に、老人がやったことを見るにあの鈴は超常の存在を呼び寄せることができるようだった。そう考えると、D14はあの鈴が欲しくて欲しくて我慢できなかった。そうして、汚れた服の巫女からいち早く鈴を奪い、逃げ出すと決めた。瞬間に曲刀を構え、突進した。大阿野の中に響く毒の波長を薄い夜空が緩和しているが頭痛が始まる。
いずれにせよ、D14には時間がなかった。少女が振るうには大きすぎる曲刀をその重さを回転に利用し叩きつけるように振り下ろした。緩慢の動きしかできないと予想されていた巫女がひらりと身をかわし、足元から噴き出した泥によってD14は吹き飛ばされた。汚れた巫女を守るように5本の柱が立ち、巫女の呟くような祈りに応えるようにうねっている。鈴はもうならされていない。不安定な重心のD14は大袈裟に時に避け、時に切り裂き巫女への接近を試み続けていた。不愉快な音を打ち消すためにD14は左腕を夜の神にささげていた。もともと、小さく手首のあたりに封印されていたD14の星空は今や肘に達しそうなほど広がっている。熱気が増し、水分が飛び、大穴を塞ぐ泥の壁はひび割れ始めている。巫女の操る触手の数は減り、巫女自身も逃げるように歩くことすらできなくなっている。弱ったのはD14も同じだが、執念の差か一瞬の隙に曲刀を投げ捨て飛び込み、巫女を左腕で押さえつけ鈴を奪い取った。苦悶する触手が勢いそのまま、倒れこんでくる。D14は何とか身をかわし、触手は巫女に直撃し沈黙した。
泥の壁の隙間から月明かりが差し込んでいる。粘液を吐き出し、壁は崩れ、戦闘の間祈り続けていた巫女たちを粘液が飲み込み大穴へ殺到した。D14もともに飲み込まれ、唯一できたことは曲刀を握りしめることだけだった。ひときわ大きな揺れの後、地下から吹き上がる粘液とD14を含む粘液が合流し、山頂を突き破り噴き出した。なんとか泳ぐようにして、固形化し剥がれ落ちる円周部にたどり着き転がり落ちた。曲刀を杖の様につきながらどろどろのD14は溶けたり焦げたりしたボロボロの地図を確認して歩いた。干上がった川の近く、眼下に蔦に覆われ錆び付いたプロペラ機を発見した。転がり落ちるように乗り込み、コクピットに座る。半信半疑ながらも、ワクの「きっとお前なら動かせる」という言葉だけを信じ、左腕の夜のエネルギーを打ち込んだ。蔦が戦慄き、鈍い音を発しながら、プロペラが回転し始める。操縦桿を握る力もなく、なすがままに滑走路代わりの川底をはねながらD14は空へと投げ出された。はるか頭上でCprmlgsがバッタでも捕まえるように一つの都市を支え続けた神を飲み込んだ。支えを失った山は大空洞の中に落ち込むように、崩れ去った。死にかけのD14は夜風を感じながら、少し溶けていると体を眺めて笑った。

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