第2章 外部へ

文字数 2,348文字

 もう少しで出口というところで右側の壁に2枚の人物画が貼ってある。縦長の大型で、鑑賞者の背丈より大きい。向かって左が男性、右は女性の絵だ。いずれも構図は縦で、全体の色調は暗い黄色である。一つのシーンを二枚に分けている。

 男性は横向きで、彫りが深く、短い黒髪をしている。白いシャツに黒いチョッキを着て、足元に豹を連れている。一方、女性は大きな目で正面を見つめ、長い黒髪をしている。白のイブニングドレスを着て、小型の犬を白い手袋をつけた手で抱いている。しかし、紙は破れ、色彩もくすんでいる。状態のみならず、その二人の人物の物憂げな表情がこの通路の気分をよく物語っている。彼らは生きているとも死んでいるとも言えない。モデルは西洋人であるが、その薄気味の悪さは応挙の頃からこの絵が貼っていたのかと錯覚してしまうほどだ。

 自由に通行できるのだから、この道は公共空間である。そこに展示される絵画は公共芸術だ。それは公共の理念を象徴していなければならない。しかし、この絵からそうした然るべきメッセージを読み取ることはできない。なぜ貼られているのかまったく理解できない。また一つこの通りの不可解さが増えただけだ。

 新橋側の出入口の付近は駐車場になっている。しかし、自動車がこの通路を通り抜けることはできない。また、駐車場が広がっているため、歩行者が新橋側から利用することは稀だ。全長300mのこの通路は、事実上、一方通行である。

 「近道」から外に出て、左手側に横断歩道がある。それを渡ると、そこはコリドー街だ。あの通路は銀座ファイブとコリドー街の間にある。

 コリドー街は夜の銀座でも人気スポットの一つだ。有楽町駅と新橋駅をつなぐ線路の高架下に評判の飲食店が並び、外国からも含めた観光客や社会人、シニアが集い、歩道を通り抜けるのさえ容易ではない。そのにぎやかさに異世界からの帰還を感じる。さっきまで歩いていた通路は本当に現実だったのか改めて思い返す。あの光景を反芻せずにいられない。

 通過して感じたその気分は通路の具体的な何かを表わしているわけではない。異様な雰囲気が通路の存在である。実在しているのではなく、ただ薄寒い空気が通りそのものだ。

 この異様な雰囲気の空間になった理由は、おそらくすべてにおいて「半」だからだろう。それは「半地下」の「半」である。半地下は地上でも地下でもない空間だ。

 確かに、ここは道路とオフィス、店舗、駐車場の複合空間である。しかし、それはどれにしても半端なことでもある。複合は補完や互恵してこそ意味がある。ところが、ここは相殺している。

 1階が飲食店街で2階がオフィス街と完全に住み分けをしていれば、このような状況に至ることはなかったろう。

 1階が銀座ファイブのB1のようなレストラン街であったら、こんな雰囲気にならない。店が軒を連ねていれば、様子見も含めてお客が集まる。また、店の入れ替えもあり、通りの新陳代謝も起こる。さらに、常連客中心の店が大半でも、新宿ゴールデン街のように、よそ者を拒む硬派な個性により安定した人気を保つに違いない。

 かりに飲食店がないオフィス街であったとしても、無味乾燥で実用的な鉄筋コンクリートの建築物という印象を与えるだけだろう。その際、出入口には扉が設置され、空間は閉鎖的になる。通路の機能は消え、全体が「関係者以外立入禁止」である。

 これはTCC試写室が入っている銀座8丁目の高速道路ビルを思い浮かべれば、想像がつく。そこはガード下であるが、通路ではない。雑居ビルで、ドアが設置されている。普段、用もなくこのビルに足を踏み入れることなどない。映画の試写会に招待された時に訪れる。試写室にたどり着くには、このドアを開けて、階段を降り、右側の廊下を長々と歩かなければならない。そこに人気はあまりない。ただ、その雰囲気は、スチール製のビジネス机のように、簡素である。

 銀座ファイブや高速道路ビルと比べて、ここは飲食店街としても、オフィス街としても中途半端である。加えて、道としても同様だ。道路は、本来、開かれた空間である。しかし、「近道」として利用する人は稀で、事実上、半開きである。また、通路でありながら、歩行者にとっても自動車にとっても一方通行である。道としても中途半端だ。

 この「半」の複合が互いを相殺している。すべてにおいて「反」であるため、アイデンティティが確立できず、グロテスクな空間になってしまったと言える。ただ、そのアイデンティティの曖昧さのため、そこにいると、映画『マルコヴィッチの穴』の世界を垣間見せてくれる半地下空間と想像させてくれる。アイデンティティの異様なものについて語ろうとする時、その形式も捉えどころがないものにならざるを得ない。

 国鉄民営化やバブルの際に、ここが再開発されなかった理由は伝わってこない。噂が口コミやネットで独り歩きする空間に実証的な原因などそぐわない。

 2018年の夏、いつの間にか、「新橋方面近道、西銀座JRセンター」入口が閉鎖される。リノベーションされるような歴史性もない。2020年の東京五輪を前に再開発されるのだろうともっぱらの噂だ。開業の時と同じく、今回も2年前だ。1964年の東京オリンピックは東京の地下世界を消したと言われている。今度のそれが半地下を対象にしているとしたら、納得させられてしまう噂だ。

 探検することはもうできない。噂の世界にしかそこはない。ネットでその記録や画像を探索するしかないだろう。噂は本当であるとも虚偽であるとも言えない。人の口に上り、伝わっていく。かくして「東京インターナショナルアーケード」としても知られる「西銀座JRセンター」は噂として今も独り歩きしている。
〈了〉
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