第1章 内部へ
文字数 1,987文字
西銀座JRセンター、あるいは東京インターナショナルアーケード
Saven Satow
Feb. 05, 2019
「あなたが夢をくれたまち
銀座銀座銀座
銀座銀座銀座
たそがれの銀座」。
ロス・プリモス『たそがれの銀座』
その通りはもうない。しかし、あった時からそれを知る者は決して多くない。ただ噂だけが独り歩きしている。都市伝説にもならず、噂のままだ。
そこを訪れるなら、軽く酔った夜に限る。中に足を一歩踏み入れて目の前の光景に戸惑わない者はいない。現実の空間と言うよりも、映像の中に創作されたパンクな世界がそこにある。ホラーやアクション、SFでここに迷いこんだ主人公が襲ってくる敵をかわす場面が思い浮かぶ。蛍光灯の薄明るい光の下、人気はほとんど感じられない。廃校になった鉄筋コンクリートの校舎を歩いているようだ。
これは何だ、通路なのか、レストラン街のつもりなのか、オフィス街か、なぜこんな空間がここにあるのか、どうしてこのようなところになってしまったのかなどの問いが浮かび、頭の中を駆けめぐる。周囲の風景と異質であるが、それは時代の流れに取り残されたさびしさや抗うと称する身勝手な奇抜さではない。一口で言って、異様だ。
1962年、2年後の東海道新幹線開業に合わせて、国鉄はその高架下の有効活用を進める。有楽町駅と新橋駅の中間に位置し、現在の千代田区内幸町1丁目を南北に通るガード下もその一つである。ここを2階建ての街にし、1階を半地下として商店街、2階は主に事務所に利用する。この構想の下、道路とオフィス、店舗、駐車場が複合したその空間が誕生する。
最初に開店したのは土産物屋だと言われている。2年後に東京オリンピックの開幕を控えている。それに伴って増加が見込まれる外国からの観光客向けの日本的お土産を扱う専門店だ。その目的は外貨獲得である。完成直後はこの店舗の他にも入居する店も多く、雀荘が入り、にぎわったとされている。
その後の話は噂としてもあまり伝わっていない。そもそも、銀座という日本有数の商業地がすぐそばにあるのに、リピーターならいざ知らず、一見さんの外国人観光客がわざわざここまで足を延ばしてお土産を買うとも思えない。通路には過去の繁栄の名残りも見いだせず、すたれたという印象さえない。思いつきで始めたものの、結局うまくいかず、代替案もないまま放置され、惰性で今に至る。そんな経緯が思い浮かぶ。
入口の案内板によると、2018年6月時点の入居の大半がJRの関連企業である。他には新聞販売店や業界紙、広告会社、飲食店など少数だ。その中の「韓国料理 まだん」が常連客を集めている。もっとも飲食店と言っても、この店以外に営業している気配はない。
そこは、道路を挟んで、銀座ファイブの新橋側の出入口の対面にある。通りの入口の上に「新橋方面近道、西銀座JRセンター」とあるが、気づく者は決して多くない。入ってすぐの右側の壁に「TOKYO INTERNATIONAL ARCADE 東京インターナショナルアーケード」と記されている。これを通路の名称と思っている者も少なくない。だが、それは壁の裏側に位置する店舗の名前である。しかし、噂が独り歩きしているのだから、その方がふさわしい。
この通路を「近道」として利用する者は決して多くない。駅に直結しておらず、効果に沿った道路と距離にさほど違いがなく、実際には、「近道」になっていない。ここは銀座である。半地下にわざわざ潜るよりも、地上のガード下にさまざまな飲食店が軒を連ね、それを眺め歩く方が楽しいというものだ。
この半地下の通路の両側には事務所や飲食店が入っている。通路の利用者はそこに用がある人がほとんどだろう。
歩いていて、誰かと会うことはない。営業中の店からはほんのりとした灯りと酔っ払った話し声など人の営みのぬくもりが漏れ伝わってくる。しかし、それは店の前だけで、他には伝播しない。夜間、体温を感じさせる活気は通路全体にはない。
通りの真ん中付近に階段がある。その前に「関係者以外立入禁止」とチェーンが張られている。「近道」と開放された通路における「関係者」とは誰のことかと論理学者は嬉々として問うに違いない。そうした事情を考慮すれば、この字句の真意は用がない人は入るなと解釈できる。どうなっているのか見たい用があるので関係者を自認してチェーンをまたぎ、階段を上がる人もいることだろう。「関係者」が入れる2階も1階と同様の構造をしているが、オフィスがただ並んでいるだけだ。
新幹線が通過しても、騒音も揺れも少ない。また、風通しも悪くない。しかし、これがさらに現実感を打ち消す。薄明るく、音もせず、風が軽くそよぐ鉄筋コンクリートの半地下空間を歩く。だが、ここは銀座だ。現実なのかという疑いの意識だけが自分の存在を確認させる。
Saven Satow
Feb. 05, 2019
「あなたが夢をくれたまち
銀座銀座銀座
銀座銀座銀座
たそがれの銀座」。
ロス・プリモス『たそがれの銀座』
その通りはもうない。しかし、あった時からそれを知る者は決して多くない。ただ噂だけが独り歩きしている。都市伝説にもならず、噂のままだ。
そこを訪れるなら、軽く酔った夜に限る。中に足を一歩踏み入れて目の前の光景に戸惑わない者はいない。現実の空間と言うよりも、映像の中に創作されたパンクな世界がそこにある。ホラーやアクション、SFでここに迷いこんだ主人公が襲ってくる敵をかわす場面が思い浮かぶ。蛍光灯の薄明るい光の下、人気はほとんど感じられない。廃校になった鉄筋コンクリートの校舎を歩いているようだ。
これは何だ、通路なのか、レストラン街のつもりなのか、オフィス街か、なぜこんな空間がここにあるのか、どうしてこのようなところになってしまったのかなどの問いが浮かび、頭の中を駆けめぐる。周囲の風景と異質であるが、それは時代の流れに取り残されたさびしさや抗うと称する身勝手な奇抜さではない。一口で言って、異様だ。
1962年、2年後の東海道新幹線開業に合わせて、国鉄はその高架下の有効活用を進める。有楽町駅と新橋駅の中間に位置し、現在の千代田区内幸町1丁目を南北に通るガード下もその一つである。ここを2階建ての街にし、1階を半地下として商店街、2階は主に事務所に利用する。この構想の下、道路とオフィス、店舗、駐車場が複合したその空間が誕生する。
最初に開店したのは土産物屋だと言われている。2年後に東京オリンピックの開幕を控えている。それに伴って増加が見込まれる外国からの観光客向けの日本的お土産を扱う専門店だ。その目的は外貨獲得である。完成直後はこの店舗の他にも入居する店も多く、雀荘が入り、にぎわったとされている。
その後の話は噂としてもあまり伝わっていない。そもそも、銀座という日本有数の商業地がすぐそばにあるのに、リピーターならいざ知らず、一見さんの外国人観光客がわざわざここまで足を延ばしてお土産を買うとも思えない。通路には過去の繁栄の名残りも見いだせず、すたれたという印象さえない。思いつきで始めたものの、結局うまくいかず、代替案もないまま放置され、惰性で今に至る。そんな経緯が思い浮かぶ。
入口の案内板によると、2018年6月時点の入居の大半がJRの関連企業である。他には新聞販売店や業界紙、広告会社、飲食店など少数だ。その中の「韓国料理 まだん」が常連客を集めている。もっとも飲食店と言っても、この店以外に営業している気配はない。
そこは、道路を挟んで、銀座ファイブの新橋側の出入口の対面にある。通りの入口の上に「新橋方面近道、西銀座JRセンター」とあるが、気づく者は決して多くない。入ってすぐの右側の壁に「TOKYO INTERNATIONAL ARCADE 東京インターナショナルアーケード」と記されている。これを通路の名称と思っている者も少なくない。だが、それは壁の裏側に位置する店舗の名前である。しかし、噂が独り歩きしているのだから、その方がふさわしい。
この通路を「近道」として利用する者は決して多くない。駅に直結しておらず、効果に沿った道路と距離にさほど違いがなく、実際には、「近道」になっていない。ここは銀座である。半地下にわざわざ潜るよりも、地上のガード下にさまざまな飲食店が軒を連ね、それを眺め歩く方が楽しいというものだ。
この半地下の通路の両側には事務所や飲食店が入っている。通路の利用者はそこに用がある人がほとんどだろう。
歩いていて、誰かと会うことはない。営業中の店からはほんのりとした灯りと酔っ払った話し声など人の営みのぬくもりが漏れ伝わってくる。しかし、それは店の前だけで、他には伝播しない。夜間、体温を感じさせる活気は通路全体にはない。
通りの真ん中付近に階段がある。その前に「関係者以外立入禁止」とチェーンが張られている。「近道」と開放された通路における「関係者」とは誰のことかと論理学者は嬉々として問うに違いない。そうした事情を考慮すれば、この字句の真意は用がない人は入るなと解釈できる。どうなっているのか見たい用があるので関係者を自認してチェーンをまたぎ、階段を上がる人もいることだろう。「関係者」が入れる2階も1階と同様の構造をしているが、オフィスがただ並んでいるだけだ。
新幹線が通過しても、騒音も揺れも少ない。また、風通しも悪くない。しかし、これがさらに現実感を打ち消す。薄明るく、音もせず、風が軽くそよぐ鉄筋コンクリートの半地下空間を歩く。だが、ここは銀座だ。現実なのかという疑いの意識だけが自分の存在を確認させる。