第3話

文字数 3,041文字

「今ある素材で作れるものって言ったら、本当に簡単な物しか無いんスけど」

 そう言って、彼が取り出したのは掌サイズのガラスケースと何か柔らかい物が入った小袋。不思議そうに見るアリヤの母と期待の眼差しを向けるアリヤの前で、彼はガラスケースの中に小袋の中身を少しだけ出す。それはさらさらとした白い砂だった。

「それは?」
「先週採って来た海の砂ッス。このくらいの大きさだったら、少しで足りるんで。じゃあ、行きます」

 ガラスケースに両手をかざしたダーゼルは、一度深呼吸をしてから目を閉じ、集中する。ケースの中に小さな風が巻き起こり、ある一つの景色を作り上げていく。高い崖を背景に真っ白な砂浜とそれに寄せては引く青い海。砂浜に波が寄せる度、微かに海の音が聞こえてくる。それを窓から見える太陽にかざすと、きらきらと海面が輝いて見えた。それをアリヤの母に渡しつつ、説明する。

「今はこのくらいしか作れないんスけど、ここにもう一つ別の土を入れると、崖に地層を作ることもできるし、もっと硬い石とか入れると、洞窟を作ることもできます」
「絶景保存士はね、ガラスケースの中に入れた素材からその素材が持つ『記憶』を呼び起こして、自分のイメージと掛け合わせて絶景を作るの。ねぇ、お母さん。ダーゼルは凄い職人だって、わたし思うの。だって、こんなに小さなケースに崖と海と砂浜を作るなんて、難しいんだよ?」
「あんたは黙ってな。決めるのは母さんだよ」

 許可をもらおうとダーゼルの後押しをするアリヤに、彼女の母はぴしゃりと言って叱った。少し不安げに成り行きを見つめるアリヤと心なしか緊張した面持ちのダーゼル。厳しい表情でアリヤの母は完成した絶景作品を様々な角度から見ている。数分間、そうしていたかと思うと、そっとテーブルの上に置いて言った。

「あたしはね、ダーゼルさん。こういうのには全然詳しくないんだ。だから、こういう物の価値は正直、よく分からない。けどね、あんたが腕の良い職人だってことは分かるよ。どの角度から見ても、あんたの作品にはムラも無駄も無い。どこから見ても見事なもんだよ」
「じゃあ……!」
「合格だ。ダーゼルさん、うちの娘をよろしく頼むよ」

『合格』と聞いた瞬間、アリヤは飛び上がって喜んだ。喜び余って、母に「ありがとう! お母さん!」と抱きつき、そのままの勢いでダーゼルにも抱きついた。

「こら! アリヤ! 恋人でもない男に抱きつく女がいるか! 離れなよ!」
「あ、ごめん」
「……別に」
「ごめんね、ダーゼルさん。こんな色気も節度も無い娘だけど、一年間よろしくしといてやってくれ」
「……ウッス」

 母の言い草に流石に恥ずかしくなったアリヤは、一人赤い顔を俯かせた。それからすぐにアリヤは家を発つ準備をして、まだそれ程お客が来ないうちに両親と別れの挨拶をする。

「お父さん、お母さん。行ってきます。わたし、頑張るよ」

 その一言だけで涙腺がだめになった父は、片手で目元を覆い、母は「今生の別れじゃないんだ。泣くんじゃないよ」と夫の脇腹を小突く。泣いてしまった父が少し心配になったアリヤだが、とうとう夢に向かって歩き出せるのだと思うと、今更取り止めにするとは考えなかった。

「あ、アリヤ。待ちな」

 アリヤの母はポケットから小さな袋を出すと、それをアリヤへ投げて寄越す。少し危なげな手つきながらもしっかり受け取ったアリヤは、まじまじとそれを見た。

「これ、お母さんがいつも持ってるやつ……」
「我が家に代々伝わるお守り。絶景保存士ってのは、山やら海やら行くんだろ? だったら、持って行きな。ご先祖様があんたを守ってくれるよ」

 アリヤには、そのお守り袋に見覚えがあった。幼い頃、興味本位で母のポケットから盗み出し、中身を見ようとして酷く怒られたことがある。「これは有難い物だから、無闇に開けてはいけない」と言われて、母は自分よりもそのお守り袋の方がずっと大事なんだと拗ねるアリヤに「これはうちの当主に代々伝わる大事な物なんだ。だから、いずれはあんたがこの家を継いだ時、これはあんたの物になるんだよ。だから、大事にしな」と言われ、渋々謝ったのだった。
 でも、今ならあの時、母が言ったことが分かる。そして、そんな大事な物を託してくれた意味も。必ず帰って来い、という昔から勝気な母のメッセージだろう。
 じんわりと胸の辺りに広がる温かさに、少しだけ涙が滲んだアリヤだが、泣き顔は見せまいと慌てて目元を擦り、もう一度「行ってきます!」と言ってダーゼルと共に歩き出した。



 家を出たアリヤとダーゼルは、まずは組合に挨拶がてら、近くの貸し工房へ行くことにした。アリヤ達家族が住むこの町ブレは、小麦で栄えた町でそこそこ大きい。平地にあるので、小麦や他の農作物用の畑が多くある。貸し工房はアリヤ達が住んでいる居住・農業区の反対側にあるようだ。貸し工房には必ず工房の組合があって、そこで絶景保存士の見習いとして登録しなければならない義務がある。歩きながら、アリヤはダーゼルに色々確認しておこうと、口を開いた。

「もし、登録しなかったら?」
「なんだ、お前。やる気ねぇのか?」
「そういう訳じゃないけど、一応確認の為!」
「まぁ、いいけど。もし、登録しなかったら、まず工房が使えない。無闇に誰でも入れる状態になっちまうと、工房の道具盗んだり、製作途中の物壊されたり、機密情報漏洩に繋がるからな。正直、機密情報漏洩ってのは、よく知らねぇけど」
「他には?」
「山とか海とか行って事故死しても、登録してなかったら、身元が分からねぇから、かなりめんどくさい。最悪、誰だか分かんないうちにひっそり弔われるな」
「それだけ?」
「後は報酬が支払われるかどうか、分からん状態になる。登録する時、連絡先訊かれっけど、これが無いと、報酬が入ったかどうか分からんから、最悪無しになりかねねぇ」
「えっ? そうなの!? どうしよう、わたしの連絡先ってどうなるの?」
「ん」

 つい、とアリヤの目の前に差し出されたのは、木製機械式の鳩。樫の木製のそれは、まるで生きているように首をきょときょとと忙しなく動かしている。どうやら、これが彼の連絡手段のようだ。これらは木製機械(ウッドマキナ)と呼ばれ、人々の間で親しまれている機械類だ。これらは、木でできた機械仕掛けの物で、その表面は壊れないように魔力でコーティングされている。この鳩も例に漏れず、表面は魔力で加工されていた。

「可愛い! ダーゼル、木製機械(ウッドマキナ)なんて持ってたんだ」
「もっとデカい街に行ったら、お前のも買ってやる。最初は俺のと兼業だな」
「いいの? ありがとう」
「一応、言っておくけど、貸すだけだからな?」
「分かってるよ! 失礼な!」

 今はまだ使わないので、鳩を元の鳥籠に戻してリュックの中にしまうダーゼル。よく見ると、彼のリュックはパンパンに膨らんでおり、二つあるうちの留め具が片方だけ辛うじて留まっているというだけだった。リュック自体もだいぶ長く使っているのか、所々、革が日焼けして表面が剥がれたり、小さな穴が空いたりしていて、かなり年季が入っている。

「ねぇ、ダーゼル。荷物減らさないの?」
「あー、まぁ、色々仕事に必要なもんも入ってるからな」
「分けたい時は言ってね。わたしのリュックはまだ空きがあるから」

 自分が背負っているリュックを軽く叩いて見せるアリヤ、そんな彼女の気持ちだけ受け取っておくことにしたダーゼル。
 そうやって色々話し込んでいるうちに、目的の工房に着いた。
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