第2話

文字数 3,131文字

 それからアリヤは二年間、死に物狂いで頑張った。家の手伝いもこなし、隙間時間を見つけては勉強と体力作りに励み、めきめきと成績と筋力、体力を上げていく様は友人達に若干、引かれる程だった。
 そうやって過ごした二年。十八歳の彼女は遂に学校を首席で卒業し、両親を説得して「一年だけやってみろ」と許可をもぎ取り、卒業証書を手にダーゼルが迎えに来るのを今か今かと待っていた。しかし、一週間経っても、彼は現れなかった。

「ダーゼル、どうしちゃったのかな」
「……まぁ、約束したその兄さん、ダークエルフだったんだろ? だったら、来ないかもしれないよ」

「ダークエルフは約束を破ることが多いから」と言う母にアリヤは「そんなこと無い!」と言い張った。

「ダーゼルは来るよ! だって……だって、約束したもん! わたしが首席で卒業すれば、迎えに来てくれるって! 来て、くれる……っ!」

 終いには泣き出してしまうアリヤを抱き締め、マゼンタ色の髪を撫でて母は「ごめん、ごめん。そうだね。きっとあの兄さんはあんたを迎えに来るよ」と慌てて慰めた。この二年、娘が如何に努力したか知らない母ではない。けれど、本心ではやはり一人娘を知らない男に預けるのは不安が付き纏うもので、つい意地の悪いことを言ってしまうのだった。



 それから漸くダーゼルが訪ねて来たのは、一ヶ月後だった。季節はもう四の春月。町中では大学へ進学を果たした若者達がこれからの大学生活に胸躍らせ、楽しげに歩いて行く姿が現れる頃だ。道行く新大学生達を眺めながら、店番をしていたアリヤははあ、ともう日課になってしまった大きな溜息を吐く。いつものように店周りの掃除から始めようと箒を手にしたところで、カランカランと入店ベルが鳴った。今日は早めに店の鍵を開けたが、まだ開店時間ではない。入店を待ってもらおうと振り返った先にいたダーゼルの姿に、アリヤは暫し理解ができず、目をぱちくりさせた。

「よっ」
「…………あ? は? ええっ!? だ、ダーゼルッ!?」
「約束通り、迎えに来たぜ。つか、なんで掃除なんてしてんの?」
「おっ…………こっ…………!」

「お前、この野郎」と言いかけて、慌てて咳払いを一つ。卒業からひと月も経っているので、アリヤはすっかり忘れられたものだと思っていたのだ。改めてダーゼルを見ると、かなり遅れてやって来た喜びが彼女の体を震わせ、それは居ても立ってもいられず、ダーゼルに突進させた。目に大粒の涙を浮かべて、アリヤはぽかぽかと彼の胸を叩く。

「バカ! ダーゼルのバカバカバカバカッ! 来るのが遅いよっ! もうわたし、卒業してからひと月も経ってるんだよ! バカぁっ!!」
「えっ? なに? いてっ……おまっ。痛ぇって。分かった! 分かったから離れろって! ――え、なに、ひと月!?」

「だって、お前、今月卒業だろ?」ととぼけたことを言う彼に、アリヤは叫んだ。

「卒業は先月! 三の春月だったのに、ダーゼルは来なかったのっ!!」

 怒り心頭の娘の叫び声に、アリヤの両親が何事かと慌てて来た。父は仕込みの途中だったらしく、両手がパン生地だらけだ。娘が知らない男に泣かされていると思ったアリヤの父は、怒鳴りつけてやろうかと口を開きかけたが、すんでのところで妻に口を塞がれた。

「あんたがダーゼルってダークエルフかいっ!? どういうつもりなんだ! うちの娘はずっとあんたを待ってたんだよっ!?」

 ダーゼルの前でぐずぐずに泣くアリヤ、怒り心頭の母に先程とは一転しておろおろし出す父。そんな三人にダーゼルは非常に言いにくそうな顔で言った。

「あー…………。俺、卒業は四の春月だとばっかり――」
「学校の卒業月は! 三の春月です!!」
「………………はい。すみませんでした」

 泣き喚きながらも訴えるアリヤに、ダーゼルは平身低頭謝った。

 それからアリヤも落ち着いてきた頃、改めて今回の弟子入りについて、アリヤと彼女の母は話をしようとダーゼルを店の裏にあるベルガモット家へ通した。アリヤの父も立ち会おうとしたが、「あんたは開店準備しな」とベルガモット家の稼ぎ頭に言われてしまっては、すごすごと厨房へ戻るしかなかった。
 店の裏口から短い通路を通ってベルガモット家へ入る。店よりは小さな家だけれど、家族三人で住むには丁度良いくらいの広さだ。小麦の彫刻細工が施された玄関扉を開けると、明るい玄関ホールに迎えられる。ホールの左側にすぐリビングが見えた。リビングに通されると、まず目に入るのは大きな暖炉だ。今は春だから火は点いていないが、そのすぐ上には着火魔法具が置かれ、その奥には肖像画が並んでいる。その殆どが貫禄のある男性の肖像画だった。じっと肖像画を見つめるダーゼルに傍まで来たアリヤが我が家の歴代店主だと教える。

「てっきり女将さんが仕切ってるから、代々女主人なんだと思ってた」
「元々は台所に立つのは男の人の役目だったんだけど、何代か前から女の人も台所に立っていいってことになったの。今はもううちは女の人の方が強いけどね。うちのお父さん、婿養子だし」
「へぇ~。俺らエルフとは逆なのか」
「エルフって男の人の方が強いの?」
「いや、昔から女の方が強い。今もだけどな」
「ほら、あんた達。お茶が入ったよ」

 ダーゼルとアリヤが話している間に、彼女の母がお茶と茶請けを用意してくれていた。今朝食べたサンドウィッチの切り落とした耳を砂糖とスパイスでまぶして焼いたお菓子だ。温かいお茶はほんのり麦の香りがする。促されるままにそれぞれテーブルに就いたアリヤとダーゼルは「いただきます」と両手を合わせてお茶を一口飲み、パン菓子を一口食べる。

「こら、アリヤ。お客さんより先に食べる子がどこにいるんだい」
「だって、お母さんのパン菓子、美味しいんだもん」
「珍しいッスね。麦のお茶なんて」
「うちは代々、小麦さんで保ってる家だからね。何でも小麦を使うのさ。それより、あんた達の話が先だろ」

 サクサクとパン菓子を夢中で食べるアリヤの口の中は既にパン菓子でいっぱいになっており、もごもごと何事か話すが、全く何を言っているのか分からない。代わりにダーゼルが約束までの経緯を話した。
 話が終わると、アリヤの母は頭を抱え、「本当に迷惑掛けてすまないね」と言うしかなかった。起こってしまったことは仕方がない。アリヤも口に入っていたパン菓子を飲み込んだところで、彼女の母はアリヤが弟子入りすることに関していくつか条件を出した。
 弟子入りは一年、それまでに何らかの成果が無ければ、アリヤは夢を諦めてここに帰って来る。もう一つは定期的に手紙を出すこと。やはり、アリヤの身が心配なので、内容は何でもいいから彼女が生きていることだけ分かれば良いということらしい。

「それと最後の条件だけどね」
「ええ~? まだあるのぉ?」
「お前の母さんはお前のことが心配なんだよ。いいから、聴いてやれ」
「あんた、良いこと言うねぇ。兄さん。んで、最後の条件だけど、これは簡単だよ。ここで一回見せてくれたら、いいだけだしね」
「見せる――ってぇと、あれッスか?」

 何か合点がいった様子のダーゼルに、アリヤの母はにっと勝ち気な笑みを見せた。

「その様子じゃ、もう分かってるみたいだね。そうさ。あんたの実力を今、ここで見せてもらおうじゃないか。うちの娘の夢を叶えるにはそれなりの職人の許にやった方がいいだろ? 下手な職人に大事な一人娘をやるなんて、ご免だからね」
「ん~……確かに。分かりやした。んじゃ、即席で小さいのを作ります」

 ごそごそと足元に置いてあった自分のリュックを漁り始めるダーゼル。アリヤは目の前で作るところを見られるとあって、目を輝かせながら待っていた。
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