第1話

文字数 3,106文字

「お願いします! 弟子にして下さい!」

 誠心誠意を込めて、アリヤは土下座した。年季が入って所々ささくれた木の床が彼女の手と顔を迎える。長年晒された土と木の香りに鼻孔をくすぐられている中、「止めな! アリヤ!」と会計をしていた母がカウンターから出てきて、彼女を立たせようとした。けれども、アリヤは頑として頭を上げなかった。なんとしても、このお客を逃したら、次は無いと確信していた。

「ったく、この子は……! ごめんね、お客さん。すぐ止めさせますんで。ほら、アリヤ! お客さんの邪魔になるだろ。さっさとお立ち!」
「なんで?」

 アリヤの母が彼女の腕を引っ張って退かそうとしている中、その客はそれだけ口にした。

「なんで弟子入りなんか、してぇの?」

 その一言だけにそれまで頑なに上げなかった頭をアリヤは勢い付けて上げる。丁度、頑張っている母の顎に当たったが、アリヤは気付かずに宣言した。

「わたし、絶景保存士になりたいんですっ!!」

 シアン色の目に薄ら涙を滲ませて「わたしの夢なんです!」と訴えるアリヤを客であるダークエルフの青年は「……へぇー」とだけ言って済ませた。

「それだけぇっ!?」
「だって、俺関係ねぇし。勝手に目指せって話じゃん」
「そうだよ、アリヤ! もうこれ以上、お客さんに迷惑かけんじゃないよ!」

「いいから、配達行きな!」と叱られ、アリヤは不満を顕にしながらも、渋々と配達の準備をする。その間に彼女の母は青年に包んだパンを渡しつつ、言った。

「だから、家には絶景作品なんて買うお金は無いんだよ。悪いけどね。他当たってちょうだい」
「……どもッス」

 パンを受け取った青年と配達分のパンが入ったバスケットを持つ膨れっ面のアリヤは、ほぼ同時に店を出た。アリヤは店を出る直前まで「そんな膨れっ面でお客さんとこ行ったら、ただじゃおかないよ!」だとか「さっきのお客さんに迷惑かけんじゃないよっ!」とか言われたが、アリヤにとって、それこそ関係の無いことだった。なんとしても、彼女は絶景保存士になりたかった。
 絶景保存士とは、その名の通り、絶景を作品として保存することを生業としている人々のことだ。手のひらサイズから水槽くらいまでのガラスケースに客の注文通りの絶景を作り出し、永久保存する。そうして、生み出された作品はスイッチ一つで風景を固定したり、時間帯をリンクさせたり、一つとして同じ顔を覗かせない自分だけの箱庭となる。世間では大変癒し効果があるとして、心理学者にお墨付きをもらったお陰で、その人気は未だ衰える気配は無い。職業としても収入は安定しないが、本人の努力次第ではかなり稼げると人気だが、絶景保存士になるには国家資格レベルの魔法技術を身につけ、絶景保存士の資格を取得する必要がある。その資格取得に有利な方法として、一つは絶景保存士の専門学校へ行くことだが、如何せん学費が高過ぎた。アリヤの家は家業としてパン屋をやっているが、それでも専門学校の学費はとても払えなかったのだ。
 仕方なく専門学校は諦め、普通魔法科の学校に進学した彼女だが、夢を手放すことはできなかった。そんなやるせない気持ちを友人達の前でぶち撒けたのが事の発端である。このまま夢を叶えること無く、人生を全うするのかと怒りを爆発させた彼女に、友人が言った。

「じゃあ、絶景保存士に弟子入りしてみたら? ほら、中流家庭の人は結構弟子入りしてなってるみたいよ?」

 そう言って差し出されたファッション雑誌には、中流家庭の出だが、今や世界的に有名な絶景保存士のインタビュー記事があった。そこには彼の生い立ちと『師匠』のことが書いてある。これだ。これしかないと彼女はその時、固く決意したのだった。
 そして、実際に行ったのがさっきの不審な行動である。青年の格好と母との世間話で、彼が目当ての絶景保存士だと分かると、すぐカウンターを出て土下座したのだ。アリヤとしてはあっさり弟子入りできると思っていただけに、世の中の冷たさを学んだ。
 店を出た彼女は、すぐ隣にいるダークエルフの青年をちら、と盗み見る。ピーコックグリーンの短髪にチョコレートみたいな色の肌、金の瞳を持つ青年の耳は長く尖っている。どこからどう見てもダークエルフだ。ダークエルフが人の集まる場所にいること自体珍しくて、アリヤは更に不躾な視線を浴びせる。彼の背中には大きなリュックが背負われ、腰には丈夫そうなロープとツルハシ。服は地味だが、機能的で暖かそうなものを着ており、明らかに登山用の服だと分かる。これだけなら、アリヤも絶景保存士だとは思わなかったが、至るところに付いているポケットに試験管のようなガラス瓶が無造作に突っ込まれているのを見て、分かったのだった。あんなにガラス瓶を持ち歩いているのは学者か絶景保存士しかいない。実際、彼が店に来た時、自身の作品の宣伝をしてきたから確信に至り、あんな真似をしたのだった。折角のチャンスなのにと悔しがるアリヤに、青年は少し迷惑そうな顔をしながらも、とぼとぼと配達に向かう彼女の隣を歩きながら理由を訊いてきた。

「なぁ、お前。なんでそんなに絶景保存士なんかになりたいの? 人としてのプライドまで捨てちゃってさ」
「言ったじゃないですか。小さい頃からの夢だって。小さい頃に一度だけ絶景保存士のお姉さんに作品を見せてもらったことがあるんです。凄く綺麗で本当に作りが凝ってて……わたしの憧れなんです。わたしもあの人みたいに他人に感動を届けたいんです」

「でも、うちのお母さんは専門学校に行くお金が無いから、経済学勉強して家業を継げ継げって、そればっかりで……」とぶちぶち愚痴を言い出すアリヤに、青年は大きな溜息を吐くと、「お前、歳は?」とだけ訊いた。

「なんですか、急に」
「いいから、言ってみろ」
「……十六ですけど」

「十六!?」と驚く青年にアリヤは子供だと侮られたと思い、怒り出す。しかし、青年は少し考えているようで、「あー」とか「う~ん……」と意味の無い音を発していたかと思うと、一度だけ頷いてから別の質問をする。

「絶景保存士ってのは想像よりずっと大変だぞ? 一見、綺麗で華やかに見えるけど、実際は地味で重労働。おまけに給料は歩合制ときた。本当にやる気あんの?」
「知ってます、そんなこと。そんなの覚悟の上で言ってるんです」
「んじゃあさ」

 突如、進行方向まで進み出た青年にアリヤは思わず、足を止める。青年は厳しい目つきで最後の質問をした。

「二年だ。二年待ってろ。お前が本気でなりたいってんなら、弟子にしてやんなくもないけど、学校で一番の成績取って卒業しろ。この仕事をするにはあらゆる知識と経験が必要になる。俺は正直、そこまでの学がねぇ。だから、俺が教えやすいようにお前がどうにかしろ。そしたら、弟子にしてやる」

 思ってもみなかった条件付きの承諾に、アリヤは暫し思考停止した後、「ほんとに? いいの?」とつい敬語を忘れてしまうほど、嬉しさと驚きが溢れる。返事の代わりに青年は「俺は嘘は嫌いだ」とだけ返す。そこでやっと状況を理解すると、アリヤは喜びのあまり青年の手を取ってはしゃいだ。

「ありがとう! 本当にありがとう! わたし、頑張るねっ! 約束だよ!」
「お、おう……」

 そこではっと自分が名乗っていなかったことに気付いたアリヤは、手を放して自己紹介をした。

「わたし、アリヤ。アリヤ・ベルガモット。あなたは?」
「あ? ああ、俺はダーゼル。名字は無い」

 何故、彼女の弟子入りを了承してしまったのか。ダークエルフのダーゼルはあの目の覚めるようなシアン色の目に根負けしたのだと改めて自覚させられた。
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