十一~十八

文字数 30,683文字

十一
 ぼくは静かな興奮を覚えていた。
 病院の外をこんなふうに歩き回るのははじめてだ。白金はもちろん、なるほど御池も高級住宅地だ。たとえ仕事をつづけていたとしても、決して手の届かない豪邸がずらりと並んでいる。それに品がある。というかどこか超然としていた。そんな家々の間を縫う路地を進むうちに、ここで起きるとは想像だにしなかった事件が垣間見えてくるような気がした。できることなら一人になりたかったが、ジョリーンを出たあともまるでお目付け役のように滝本警部補はついてきた。といっても彼女自身、御池に用事があった。上司から入った電話によると、マスコミの連中が集結しているという。青嶺学園前ではない。そこから豊後坂をすこし下った先の邸宅の一つ、アイドルタレントの街野豊の自宅だ。
「誰もそんなことしゃべっていないと思うんですよね」一時間ほど前に流れた民放局のニュースに滝本は憤っていた。「誰かが想像でいったようなことが曲解されて、あげく尾ひれがついて広がったんですよ」
 御池女子高生殺人、遺体に暴行の痕跡
 本庁の発表は死因が窒息死で、埋められたときにはまだ息があったことを伝えるだけだった。暴行を受けたかどうかはまだあきらかにしない方針だったが、そこが完全に漏れている。暴行といっても首に絞められたような痕が見つかったことは最初の時点で公表されている。しかしこの場合の「暴行」は意味がちがう。記者が原稿にそう書いたのは、新たな根拠をどこかで聞きつけてきたからだ。
 女子高生の体内から体液が見つかったというのだ。
 つまり膣内から精液が検出された。
 レイプだ。
 権藤をはじめ捜査本部の連中の頭が沸騰したのは容易に想像がつく。即座にクレームを入れたはずだが、一度流れたニュースをとめることはできない。ネットは祭り状態となった。そのなかでもっとも多かったのが街野豊容疑者説だった。折しも未成年淫行疑惑が週刊誌で報じられたばかりだ。あっという間に街野豊は社会から抹殺すべき極悪人と化していた。そして自ら撒いたタネだというのに、マスコミはネット民の声に踊らされ、街野が任意同行される瞬間を押さえるべく、徒党を組んで自宅の前に張りこんでいた。
「こうなるとどうしようもないですね」カメラクルーや芸能リポーター連中でごった返す自宅前を遠巻きに通過しながら滝本は嘆く。
「精液は検出されていないのかな」
「そういうことになりますね」
「じゃあ、街野さんもとんだ災難だな」
「淫行とレイプはかなりちがいますから」
「ただなあ、火のないところに煙は立たないっていうからね。なにも検出されなかったなんてことは、なかったんじゃないか。とくにクスリがらみだと、性行為はセットで考慮されるからね」
「もちろんわたしたちだってそういう検証はくわえていますよ。だけど事実に基づかないことにはどうしようもない」滝本は坂を下りながらぼくに説明をほどこす。そのわきを女性ランナーが猛スピードで走り抜けていく。懸命に話しつづける警部補にはもうしわけないが、ぼくの興味はあっさりそっちに向いてしまう。
「あの人、きのうも病院のまわりを走っていた。颯爽としてる。カッコいいな。よし、ぼくもあとで走ってみよう。せっかく外に出たんだ。ふだんできないことをしないと」
 滝本はこっちの話についてきてくれた。「そうですよ。それがいい。せっかくの外泊許可をこんな陰惨な事件を追うことに費やしたらもったいないですよ。これからどうされるんでしたっけ。ご自宅はどちら――」
「アラタさんのところに厄介になるつもりです。外泊許可を取るうえで身内と連絡を取る必要があるんだけど、べつにそこに泊まらないといけないわけじゃないから」
「ご家族が心配するんじゃないですか」
 これはごくふつうの反応だ。だからぼくも冷静に告げる。「滝本さん、これは簡単なお話だからあなたにもしておきますね。とくに新宿署長の耳にまつわる話をごぞんじというのだから。十年前、ぼくは本当に病気だったんです。どんな症状だったか自分でもまったく覚えていないくらいです。妻はそれに耐えられなかった。子どもがいなかったので離婚手続きも比較的スムーズでした。ほかに親類と呼べるのは、いまは弟夫婦だけです。だけど病気が病気ですからね、たとえ一時的にでもいっしょにはいたくないのでしょう」できるだけ落ち着いて説明したつもりだが、やっぱり最後の部分は声が震えてしまった。急に知世さんが恋しくなった。こんなばかみたいなことはやめて、いつもの“書斎”にもどるべきだろうか。そうすればあしたにはまた、ロクさんがランチに連れだしてくれる。
「すみません」これもまたごくふつうの反応として滝本警部補は恐縮した。「なにも知らずに勝手なことをいってしまって。わたし、こういうところがダメなんです」
「だいじょうぶですよ。気をつかわせてしまって、こちらこそ申しわけない。でもアラタさんが面倒見てくれますんで、ご心配なく」
「遠いんですか」
「浦和美園です。南北線で一本ですよ」
「でも遠いですね……そうだ」滝本の顔がぱっと明るくなる。「もしこのあたりをランニングして満喫したいのなら、こぢんまりとした静かな宿がありますよ。すぐ近くに。母がゲストハウスを持っているんです。古民家を改装して二年前にオープンしたんです」
「すごいな。古民家ってことはインバウンド狙い?」
「そうなんです。でもってご多分に漏れずコロナで閑古鳥。いまはお客さんの予約が入ったときだけ開けるようにしていますが、いつも月初めに掃除をしているんでじゅうぶん使えます。寝具は干して圧縮袋に入れたばかりです。カギはわたしも預かっていますからだいじょうぶ。この坂を下ってすぐです」滝本はずんずん坂を下りていく。
「すごい営業ですね。でも高いんじゃないですか」
「四部屋ありまして、一番いい二階の十畳間で素泊まり二万五千円。一階の六畳間だと一万五千円ですね。そっちのほうがコスパはいいかな」
 バス通りまで下ったところで白金高輪駅のほうに折れ、すぐにところにあるカフェのわきから小径をあがる。ゲストハウス「閑寂庵」はうっそうと生い茂る竹林に埋もれるようにひっそりとたたずんでいた。昭和初期の建物のようだが、ところどころ修復され、こぎれいに整っている。いかにも外国人ウケしそうな雰囲気で、玄関からのびる板張りの廊下と裸電球の灯る天井はタイムスリップしたかのようだった。
 一階の奥にある「MUGEN」のプレートがかかった部屋がコスパのいい六畳間だった。無限か夢幻か。こういうのって欧米人にはたまらないのだろう。引き戸の向こうの小ぶりの玄関の奥にもう一つ引き戸がある。憎い作りだ。部屋の畳はまだ新しい。たしかに掃除したばかりらしく清潔感が漂う。障子を開けると、目の前に竹林に囲まれた小さな庭があった。京都の石庭みたいなものとはちがうが、外界から隔絶された隠れ家感に満ちている。黒土の奥には一応、島のような石が地面から五十センチほど突きだしていた。あれを見つめていれば、きっとなにか現世の秘密が見えてくるのだろう。
「二階はご覧になりますか」
「いや、こちらでじゅうぶん。アラタさんのところに厄介にならずにすみそうだ」
 母親代行のセールス・レディはにっこりと微笑む。「お食事をされるなら、バス通りのところにあったカフェがおすすめですよ。モーニングセットもあるし、夜は居酒屋になります。すてきなママさんがいるんです」
 ぼくのスマホの番号を書き取るなり、滝本は捜査本部の会議に出席するためもどっていった。玄関と部屋のカギを渡され、ぼくは一人残された。ほかに客はいない。エアコンをかけたまま窓を開けてみる。よどんだ熱気がなだれこんできて、せっかくの冷気をだいなしにする。だけどこのすぐ先の空き地で生き埋めにされた十七歳の女の子のことを思うと、じっとりと体にしみつく蒸し暑さなんてどうってことはなかった。窓の向こうに竹を並べた縁側があった。蚊取り線香を抱え、そろそろとそちらに出ていく。電気代がかさんではもうしわけないので、窓は閉めておこう。
 火のついた線香の匂いに懐かしさを覚えつつ、縁側にあぐらをかく。体の大きな外国人には小さすぎるだろうが、彼らにとってはそこがまた魅力なのかもしれない。
 庭石をじっと見つめ、深呼吸をする。
 気になるのはクスリが検出されたことだ。
 十年前、入院先として御池病院を選んだのはぼくだった。住んでいたのはべつのところだし、縁もゆかりもなかったが、頭の片隅にわずかに残った冷徹な部分をはたらかせ、自らの判断で診療先を変更したのだ。それが正しかったと、ついにわかるときがやって来たのだろうか。
 インターホンが鳴った。
「なんだよ、今夜はうちに来るものかと思っていたのに。でもなかなかいい旅館だな」
「ぼくも気に入りました。アラタさん、あっちは見てきたんですか」
「ああ、といっても変わりはないさ。なかに入るわけにいかないからな。なあ、ハル、うずうずしているんだろう。けど、あそこは張りこみには向かない。まぎれる場所がない。近所の連中に目立ってしょうがないよ。やっぱり車がいるな。立ちんぼの張り番はきつい。ほら、これ」部屋にあがりこむなり、ちゃぶ台に紙袋を置く。「こういうジャンクなものが食いたいだろうと思ってさ」
「さすがですね」
「いろいろわかってきたよ」巨大なバーガーに早くもかぶりつきながら、アラタさんがぽつりぽつりと話しだす。もちろんラージサイズのコーラもある。完璧だ。
「調べたんですか、解剖結果」
「ああ、さすがにあれは公表できない内容だ。へどが出たよ、おれも」
「じゃあ、その前に食べたほうがいいですね」ぼくもおなじサイズのバーガーを引っつかむ。袋のなかにはもう一つ、べつの大きな塊があったし、フライドポテトも待機している。こっちもラージサイズだ。
「食いながら話すさ。まあ、おまえならだいじょうぶだ」
 遺体の首筋には小さな傷がついていた。おなじ傷はそこだけではなかった。アラタさんは嬉々として話しだした。「大きな傷じゃない。五センチにも満たないものばかりだ。それが胸から下、全身についていた」
「全身ですか。やっぱり犬なんですか」
「そのようだ。下半身、あそこにもついていたよ。そっちは肉をかじり取る感じだった」
「肉って……」
「性器だよ。生きている間に咬まれたらしい。相当興奮していたんだろうな」
「飼い犬でしょう。けしかけられたんじゃないかな。なんてやつだ。あきらかに変質者ですね。西本佳奈は半年ほど前、ストーカー被害に遭っていたという話があります。さっき青嶺学園の生徒たちがよく行く洋菓子店で聞いてきました」
「流しの変態じゃないな。佳奈と面識のある相手だろう。だけど人間の変態性なんて、そう簡単に見破れるものじゃないぞ」
「経験上、そんな気がしています」
「男なんて全員、変態かもしれない。おれやおまえもふくめてな」
「程度の差はありますけどね。さすがに犬にそんなことをさせるのは、相当いかれてる」
「まだ先があるんだよ、解剖結果には」
 アラタさんは舌なめずりして目を輝かせる。この人も相当いかれてる。ぼくもだけど。「といいますと?」
「レイプされていたんだ。膣内から精液が検出されている」
 その点をさっき問うたとき、滝本は否定した。うそをつかれたか。だったら街野豊犯人説もあながち――。
「でも人間のじゃなかった」そうか警部補はぼくにうそをついたわけじゃなかったんだ。「トイプードルさ。DNA鑑定でわかった。歯形もそうらしい」
 そろそろ来るとは思ったが、あれはやっぱりやって来た。ゴオという音とともに頭の奥から一気に襲ってきた。フライドポテトに行き着く前にぼくは意識を失っていた。

十二
 野賀藩下屋敷跡地で見つかった奇妙な地割れは、巴武政(ともえ・たけまさ)の心をつかんで放さなかった。夜十時を回っても区の郷土歴史館の史料室で机にかじりついたまま、帰宅するそぶりすら見せない。ずっと前に自分で淹れた緑茶は、まだひと口もつけぬまま放置され、とっくの昔に冷めきっている。それを伝えたところで生返事しかしない。区が文化財発掘の監修を依頼している考古学者の性癖なら、天城典子は誰よりもよく知っていた。なにかに興味が集中すると、まわりが見えなくなってしまうのだ。
「誰かSNSに反応してくれるといいんだけどなあ」ツイッターのチェックを執拗に繰り返しながら典子はつぶやく。教授を残して帰ってもよかったが、彼女自身、今回の一件には並々ならぬ関心があった。現状、こちらがわかっている範囲の情報はすべて発信した。新たな情報がもたらされるのなら、トモさん同様、今夜は徹夜もいとわぬ覚悟だった。
「いくら調べてみても文化二年より前には記録がないんだよ」いすに腰掛けたまま両手をあげて大きく伸びをしながらトモさんが、二時間ぶりに言葉を発する。女子高生の遺体が見つかったきのうからきょうにかけて、トモさんは都内の図書館や史料館を駆けずり回り、地割れに関する記録を調べてきた。もどって来てからは、ずっとネットに没頭している。「ふつうの地殻変動なら周期的に起きるはずだから、遡れば見つかるはずなんだが。地表に現れる変化があまりにも小さいから、気づかれなかったのかもしれないな」
「野賀藩の下屋敷ができる以前、あそこはなにがあったのかな」
「ただの森さ。人里は街道沿いのもっと離れた場所だった。野賀藩の下屋敷は、その森を切り拓いて作った、まさに別荘地だよ」
「人が住んでいなければ事件も起きようがないわね。狐狸に化かされるぐらいはあったと思うけど」
「自然現象と凶事を安易に結びつけるのは人間の悪いくせだが、天気がいいだけで気分が良くなるのも人間だからね。当然、逆もありうる。地割れの線はないがしろにできんよ」
「雨の日に自殺が多いのとおなじね」
「雪山で発狂する人もいる」
「月夜の晩には――」
「人間の体や精神も宇宙の一部だと考えれば納得がいくかもしれないな」
「こじつけよね」
 トモさんは、下屋敷跡地が不吉な場所であるとずっと以前からいっていた。京都の鳥辺野や青森の恐山のような伝承や民俗が残っている場所でもないし、沖ノ島のような神聖視されている場所でもない。それでもこれまでの跡地周辺での発掘作業によって、文化年間以前の埋蔵物も見つかっている。槍や刀などの金属片や人骨だ。年代測定により十世紀、平安時代のものと判明している。それによりトモさんはここが古戦場だったとみており、掘ればもっとたくさんの人骨が出土すると考えている。いわば御池の丘自体が巨大な墳墓というわけだ。そりゃ、いろんな出来事が起きるわけだ。ただ、京都とちがって表だった記録がない。それが江戸の町が築かれる以前のこの界隈だ。魑魅魍魎がいてもそれに気付く人がいないのだ。だから太古の異界の入り口が東京にあったとしても、ぜんぜんおかしくないというわけである。
 その意味では、目下の懸案は比較的新しい時代の事象だ。
 十九世紀に入ってまもない文化二年七月五日、野賀藩下屋敷の母屋から出火し、屋敷は全焼した。酒宴後、寝入っていた江戸家老以下、二十三人が犠牲になり、野賀藩はその後、べつの場所に下屋敷を移した。このあたりの事情は藩の正史には記されていない。十年ほど前、トモさんが三田の旧家の蔵を探索したときに見つけた家臣の日記から明らかになったのだ。
 その後、明治三十一年、一八九八年五月十六日、跡地に作られた見世物小屋から出火し、客ら十六人が焼死した。待遇に不満を抱いた軽業師による放火だった。犯人は軽いやけどですんで逮捕され、新聞でも報じられている。
 終戦まぎわの昭和二十年四月八日には、防空壕で空襲を逃れた住人や兵士ら十人が死亡している。十七歳の二等兵による手りゅう弾の誤爆だと陸軍の記録にはあったが、トモさんが調べたところ、少年は防空壕のなかで意味不明なことをしゃべりつづけ、心中を試みたようだった。
 それぞれの事件の直前、跡地は地割れに見舞われていた。だが地震が起きた記録はない。文化二年七月四日、下屋敷母屋の南側の庭に長さ十間、幅三尺にわたって地面にひびが入った。深さは四尺におよんだとされる。野賀藩とゆかりのあった御池の寺の日誌に記録されており、添付された地図を照合すると、今回の地割れ地点よりも南に八十メートルほど離れた場所で南東から北西に向かって亀裂が生じていた。
 明治三十一年五月十五日には、文化年間の地割れとほぼ同サイズのものが、見世物小屋のわきに生じている。こちらは新聞でなく、町内の写真館主が撮影していた。見世物小屋から依頼されて興行写真を撮っていたのである。
「小屋はいまの学園でいえば中央校舎のあたりに建っていて、地割れは南から北に向かって走っていた」自ら書いた検証地図を指でなぞりながらトモさんが説明する。「昭和二十四年四月七日には、防空壕の真上に小さな地割れが起きている。陸軍の記録によれば、長さ三間、幅は一尺ほどだったという。実地検分できればいいんだが」
「跡地から学園敷地にかけてのどこかなんですよね」
「要人向けの防空壕だったから、くわしい場所はあいまいにされているんだよな」
「要人ってことはセレブたちが逃げこんだ防空壕ってことなの?」
「そういうこと。地割れの翌日、空襲があって大勢の市民が逃げ惑ったんだが、高級官僚と将校と金持ち、その家族たちだけがその防空壕に入ることを許された。ほかの連中はその後、洞穴の外で焼夷弾に焼かれてしまった。つまりそこでも格差社会さ。手りゅう弾を持っていた少年兵は壕の歩哨だった。目の前でそれを見させられた後、壕のなかで信管を抜いたんだな。かろうじて生き残った兵隊さんをうちの大学の先輩教授が二十年ほど前に見つけて聞いたんだ。ただ、その防空壕の場所まではわからずじまいだった。戦後の造成と学園建設のなかで、文字通り埋もれてしまったのだろう。ここは摩訶ふしぎな土地だ。見た目と中身がちがいすぎる。昼と夜、光と闇のような、たがいに相反する表裏がある。エジプトのピラミッドは政府が許可して近年、ものすごい勢いで発掘が進んでいる。けど、日本の古墳では、あんなに大規模な調査は宮内庁が認めていない。なぜかわかるかい」
「日本のお役所だから?」
 トモさんは意味ありげに典子を見つめる。「たしかにそうなんだよ。なにか起きたときに責任を取りたくない。というより、責任を取れないんだろう。それくらいのことが起きるってことだと思う。オカルトだとか非科学的だとか思われるかもしれないけど、不敬だとかそういうのを超えた判断があるんだよ。御池の丘には、それとおなじレベルのなにかがある。危険だけどとても魅力的だな」
「地割れの後には事件、しかもかなり陰惨な事件が起きている」典子は首をかしげる。「今回は女子高生の遺体が見つかって殺人事件であることが判明した」
「被害者が一人ならいいんだが」トモさんは検証地図に指を這わせる。「今回の地割れは跡地の北東から南西に向かって二十メートルほど延びている。前のときもそうだったと思うが、地中ではもっと長大な亀裂が起きているはずだ。レーダー測定ができるといいんだが」
「だけど妙よね」
「なにが」
「屋敷が火事になって二十人以上が亡くなり、さらにその後、べつの場所に屋敷が移転したっていうのに、どうして藩の正史に残っていないのかしら」
「たしかに引っかかりを覚えるね。酒盛りってところがよくなかったんじゃなかろうか」
「下屋敷には当時、誰が住んでいたんでしたっけ」
「藩主・瓜生忠則の正室、桐乃と嫡男の忠房が常駐し、江戸家老らがともに暮らしていた」
「火事からは逃れたのかしら」
「いや、そうじゃないんだ」トモさんは唇をかむ。「これは正史にも載っている話だが、おなじ年の七月三日に忠房が、翌日には桐乃がそれぞれ急死したとして、後に藩に届けられている。忠房は流行り病で、桐乃は元々、胸を患っていたそうだ」
「嫡男と正室って屋敷のなかでは一番位の高い人たちですよね」
「だろうね」
「その人たちが亡くなった直後にみんなで酒盛りしていたんですか」
 トモさんは腕を組み、天井をあおぐ。「精進落としかもしれないし」
「正史に載せないってところに逆にやましさを感じるんだけど」
「アズレージョのことも気になるしなあ」トモさんは以前の発掘調査で見つかった大量の陶磁器片やタイル片のことを口にした。
 それは典子も気にかかることだった。三年前に行われた下屋敷跡地の調査で母屋南側の庭の一部から、膨大な量の陶磁器片やタイル片が見つかったのだ。いずれも皿やグラスが粉砕されたもののようだったが、タイル片の一部に文字と紋章が刻みつけられていた。トモさんはそれがなんであるか気づき、ずっと謎に思ってきた。ポルトガル王家の紋章とジョアン三世の名前があったのだ。それは建物の壁面用のタイルのようだった。
 ジョアン三世は十六世紀の国王で植民地でのカトリック布教に熱心だった。フラシスコ・ザビエルをアジアに遣わしたのもこの王だった。その名を刻んだタイルが約三百年後に江戸の野賀藩下屋敷に残されていた――おそらくはきちんと保管されていた――というのはなにを意味するか。当時の禁教下の社会にあって。
 それで今回の一件を受け、御池の野賀藩下屋敷跡地にまつわる情報をSNSで問うてみたのだ。そして日付が変わってまもなく、一件の参考情報がフェイスブックのメッセージで寄せられた。大分の在野の研究者からだった。

十三
 陽は沈み、粘つく夜の王国が、さあ始まるぞ。
 戸を閉めても錠を下ろしても、もう間に合わない。
 魔界が噴きだし、町の隅から隅にはびこるぞ。
 ムカデを踏みつける者はその毒に体を腫らし、
 カラスを払う者は嘴(くちばし)の餌食となり、
 地獄の亡者たちを忌避する者は、腐臭に満ちた疫病にさらされる。
 もう逃げ道はないのだ。
 だが遠からずおまえたちにも気付くときがやって来る。
 すべては繋がるのだ。
 これは討伐であり、聖戦であり、因果である。
 闇の道を青き亡霊が寡黙な雄叫びをあげて疾駆する。
 その執拗なる攻撃におまえは耐えられようがない。

十四
 気付いたときは土曜の朝を迎え、隣でアラタさんが先に目を覚ましていた。
 五時過ぎだった。
 ぼくがこうなることはアラタさんにもわかっている。訊ねるまでもなく向こうから話してくれた。「覚えていないと思うが、おまえ、おれのぶんまでフライドポテト食っちまったんだぞ。あれこれ、ぶつぶついいながら」
「なにを話していたんですか、ぼくは」
 奇妙な質問にもアラタさんは顔色ひとつ変えずに答えてくれた。「おれに説教たれてくれたんだよ。勝手なまねしやがってとかなんとか。おなじことを繰り返していたな」
「あのときの話をずっとしていたんですか」
 アラタさんは苦々しい顔をして何度もうなずいてから話を変える。「きょうも暑くなりそうだ。もし体調がいいなら、いまのうちに行ってみるか」
 準備体操もろくにせぬまま、アラタさんにせっつかれるようにぼくは走りだした。仕事をしていたころは、いやでも毎日、長時間歩き回り、走ることだってめずらしくなかった。そのせいで体はいつだって戦闘状態。きゃしゃで貧弱そうに見えるぼくだって、同世代の男たちよりずっと持久力も筋力も上回っている自信があった。だけどこの十年で精神だけじゃなく、肉体も完全に萎えきってしまったと思いこんでいた。ところがこうしてアスファルトを蹴りだしてみると、思っていた以上に走れる。
「爽快ですね」アラタさんと並んで走りながら、思わず口にする。「若返ったみたいだ」
「つづけたほうがいいな。こっちにもいいはずだ」アラタさんは人差し指をこめかみにあて、にやりとする。だが先輩のいうとおりだ。運動により脳は活性化され、神経はふたたび研ぎ澄まされる。それは危険と隣り合わせだったが、この先、本気で外の世界で生きる覚悟があるなら避けては通れまい。
 路地をいくつも曲がり、ゴシックの雰囲気漂う洋館の前を走り抜けた先で、アラタさんは速度を緩める。「十年ぶりか」
「ですね。直線距離だと病院から二百メートルも離れていない。ずっとそばにいたんですよ。けど、地の果てのように遠い場所だった」
 十年前、薬物担当だったぼくらは六本木のクラブに蔓延する覚せい剤の密売ルートを調べあげ、元締めと目されるある男を追い詰めつつあった。半グレたちの抗争を利用してのしあがり、あとはクスリを売ったカネでやつらを手なずけてきたのだが、頭のキレる慎重な男で、自分では決して危ない橋を渡ることがなく、三重四重の防御壁を築いていた。その結果、六本木は悪の巣窟と化し、そこから流出したクスリは全国にばらまかれ、主婦や高校生への汚染がこれまで以上に深刻化していた。やつが流した覚せい剤のせいで地獄に落ち、家庭崩壊を招いた母親ならぼく自身、何人も見てきた。クスリは元から断たないと必ず再燃する。カビやゴキブリとおなじだ。根絶やしにしないかぎり繁殖は繰り返される。だからぼくもアラタさんも捜査員人生を賭してやつをあぶりだし、法の下にひざまずかせる寸前まで迫った。
 結果は、ぼくら二人の人生を狂わせることとなり、地上のどこかで人知れず息絶えていないかぎり、やつはいまも野放しだ。ただ、一縷の望みはあった。情報筋から、やつが新たに接触を開始した人物が浮上したのである。
「志田守はここに住んでいるんですか」屋敷を遠巻きにしながらぼくは訊ねる。
「らしいな」
「カメラや盗聴器を仕掛けないかぎり、なかのようすはわからないですね」
「防犯システムもしっかりしていそうだし、時間をかけてウォッチしないと難しいな。だけど、おまえ、本気でやつが来ると思っているのか」
「気にはなりますよ」
「もしおまえが本気なら、おれも考えるよ。だが自力で情報収集したあとは、内部の協力者、それも捜査の最前線にいる誰かを巻きこまないことには前進しないぞ」
 まさかそれが滝本杳子であるとは、さすがにぼくも考えたくはなかった。でもいまもっとも近しい現役の捜査員は彼女だけだった。ぼくが病院に連れもどされるのも時間の問題だ。いまごろロクさんは右往左往し、知世さんにも迷惑をかけていることだろう。つまり、ぼくにはもう後がないのだ。
 夕方までぼくたちは街をうろついたが、杳子の姿は見あたらなかった。あっちでは知世さんはすがりつくべきマリアだった。でもこちらでは彼女しかいないのかもしれない。そう思ってぼくは、アラタさんのことなどかまいもせず、杳子を捜しつづけた。十歳も歳の離れたおっさんが。かつての相棒にそそのかされて精神病院を脱走してきた不届き者が。
 五時過ぎになってようやく彼女を見つけることができた。テレビクルーたちの話から今夜六時から通夜が行われるとわかり、ぼく一人でセレモニーホールに足を運んでみたのだ。
 杳子は駐車場で小さな仁王さまのように腕組みして立っていた。表情は厳しい。弔問の生徒たちから話を聞こうにも、会場や周辺で教職員が目を光らせていたのである。
「遺体が見つかったとき、あの理事長、捜査には全面協力するっていったんですよ」
「協力していないのかな」
「校長室に何人かの生徒と職員を呼んで聴取しました。理事長同席でね。けど、こちらが聞きたい相手でなく、向こうが用意した人に話を聞かせてもらっているだけなんです。被害者の交遊関係や失踪前の状況などはある程度わかりましたけど、肝心なことはなにも」
 通夜の間じゅう、ぼくたちは会場の外で待つほかなかった。弔問を終えた生徒たちの口はいずれも重い。職員の目が光っているというより、在校生が惨殺された事実を改めて突きつけられ、言葉を失っているようだった。夜十時過ぎ、会場内に残っているのは遺族と数人の教職員だけとなった。捜査員たちを監視するように森野理事長もいる。捜査員たちは持ち場についたままだが、手持ちぶさたにしている。もう引き揚げる潮時だった。そのときぼくの隣を生温かい風とともに濃厚な甘い香りが通り抜けた。
 すらりと背の高い女だった。
 ミニスカートのような喪服の背に長い髪を垂らし、パンプスの音を響かせる。背後でタクシーが走り去る。女はエントランスにまっすぐに向かう。つられてぼくらもついていく。エントランスの奥、ロビーの真正面のドアが開放され、花々で彩られた祭壇が見える。真ん中に制服姿で朗らかに微笑む西本佳奈の遺影があった。ぼくらはロビーにまで侵入し、ようすをうかがった。
 わっと泣き声があがる。
 佳奈の親族や学園の理事長らが、棺の前でくずおれた深夜の弔問客の肩に手を回す。
「あれが森野ナミじゃないかしら」杳子はスマホをのぞきこんでいる。芸能事務所のサイトだった。「仕事帰りなのかも」
「後ろ姿でも美人だとわかる。ロクさんが興奮するわけだ」
「ロクさん?」
「ランチ仲間さ。彼女のファンなんだ」
「街野豊のほうはテレビにまかせて、こっちはストーカーの線を調べないと。ナミさんから話が聞けるといいんだけど」
「ちょうど理事長もいるし、母親でもあるからね」
「落ち着いたところで、ちょっと交渉してきます」
 それから十分後、森野ナミはようやく立ちあがり、佳奈の両親とおぼしき中年の男女に深々と頭をさげる。そのとき理事長がこちらに気付き、あきれた顔で近づいてきた。それには杳子が応じる。彼女としても捜査にもうすこし協力してほしいのだ。ぼくはふたたび外にもどり、まばらに車のとまる駐車場の暗がりをぶらぶらと徘徊する。
 杳子としては、行方がわからなくなった七月七日の佳奈の下校後の足どりをまずはつかみたいはずだ。その日は帰宅がすこしばかり遅くなるようだったが、話を聞くかぎり現状、午後二時過ぎに学校を出たあと、帰宅したのかさえわかっていない。通学路の防犯カメラはもうすべてチェック済みだろうし、住人への聞きこみも一段落しているはずだ。捜査本部としては、生徒や教職員への聴取がはかばかしくないのを憂慮しているのだろう。それに佳奈の交遊関係についても、せいぜい街野豊の追っかけをやっていたことぐらいしかわかっていない。
 駐車場の外れの自販機で炭酸水のボタンを押したとき、視界のすみに動きをとらえた。十メートルほど離れた壁際に枝ぶりのいい桜の木があった。いまは葉ばかりとなり、そのせいでさらに闇が濃くなった幹に隠れるようにして何者かが立っていた。
 ナミだった。
 いつの間にホールから出て来たのだろう。ぼくに気づいていないようすで、ひと息ついて気持ちを落ち着かせようというのか、こちらに背を向け、葬祭用の黒いハンドバッグに手を入れたところだった。十七歳。周囲から見つかるまいと思っているのだろう。アラタさんなら飛びかかっているところだが、ぼくは足音をしのばせて近づいた。
「なかにあるものをいまは取りださないほうがいい。きみのためにも」
 真後ろでささやいた途端、ヒャッと短い悲鳴があがる。ぼくは周囲に目を走らせたが、気付いた捜査員はいないようだ。ロビーでは理事長と杳子が向かい合って話しこんでいる。
「気持ちを落ち着けたかっただけなんです。もうどうしたらいいかわからなくて」右手はバッグに入れたままだった。
「だからってここじゃまずいだろう。すくなくともおかあさんが目と鼻の先にいるじゃないか。あの人の立場を考えたら、よしといたほうがいいんじゃないかな。補導されてしまうよ」
「補導……?」バッグからすっと抜きだした手に握られていたのはスマホだった。「ラインかなにか届いていないかなって思って。サイレントモードにしていたんです」
 ハイティーン、それもモデル業界に片脚を突っこんだ女子がこの場ですがりつくものといえば、タバコにきまっていると踏んだのだ。暗がりで呆けたような顔をする中年男にナミが訊ねてくる。
「スマホは補導されるんですか」
「ごめん、勘違いした」すなおに謝るにかぎる。「一服やるのかと思って」
 遠くから届く水銀灯の明かりがけげんな顔つきを照らしだす。「タバコなんて吸ったことないですよ。よく勘違いされるんです。仕事してるからスレてるとか、遊んでるとか。ぜんぜんそんなことないのに」
「すまない。頭が古くてコチコチに硬くなっているんだ」
「記者の方ですか」
「いや、近所に住んでるんだ。御池病院さ」ぼくは暗がりから一歩前に出て、ちゃんと顔を見せる。
「ドクターの方ですか」
「いや、そうでもない」
「じゃあ、看護師さんですか」
「世話になるほうだね、看護師さんたちの」
 予期したとおりナミは小さな口元をきっと引き結び、さりげなく一歩下がる。「病院に住んでるってことは……ご入院されているんですか」丁寧な言葉にも恐怖が感じられる。だがすぐに踵を返すようなまねはしない。この歳で仕事をしているからだろうか。度胸が据わっているようでもあった。「よくわかりませんけど、そんな感じはしませんね」
 そんな感じがどんな感じか容易に想像できる。だけど彼女は超能力者じゃない。人の内面のもっとも奥になにがあるかなんてうかがい知ることはできないのだ。奥深い緑の森、焼けつく砂漠……。いまこの瞬間(とき)もぼくはそんなような場所をさまよっている。
「もう十年になる。外泊許可を取ったのさ。心配しているかもしれないから、あらかじめいっておくけど、きのう出て来たんだ。それまではずっと檻のなか。たしかめてもらってもいい。だからすくなくともぼくは“御池のジェイソン”じゃない」
「ネットで炎上してますよね。みんな、好き勝手なことをいって。人が一人亡くなったというのに」スマホを握りしめる手に力が入る。怒りに震えているようだった。
「ネットなんて無責任の極みだね。けど、それが気持ちを落ち着かせてくれるって、どういうことなんだろう」
「現実逃避ですよ。そんなのわかっています。けど、こないだまでいっしょにいた友だちがこんなことになるなんて……ありえないですよ」かすれ声になって訴える。「とにかく早く犯人を捕まえてほしい。近くをまだうろついているかもしれないと思うと怖いですし」
「警察も懸命に捜査している。西本佳奈さんの交遊関係とかをね。ただ、学校側の協力がいま一つらしい。それで、ほら、あそこ」ぼくはロビーのほうに手を広げる。「理事長を必死に説得している」
「あの人、刑事さんなんですか」
「そう、今回の一件を担当している。この手の捜査は時間がかかるし、慎重に進めないといけないけど、必ず犯人はあがるものだよ。経験でわかる」
「経験……もしかして警察の方なんですか」
「御池病院に世話になる前まではずっと捜査員だった」
「刑事さんだったってことですか。でももしかして仕事で心を病んだとか」ナミはズバリ訊ねてきた。
「真実はそこにあっても到達できないときがある。それに折り合いをつけられなかった」
「犯人がわかっていても検挙できなかった。そういうことなんですか」
「いろんなものから逃げだしたくなったのさ。それであの病院を選んだ」
「自分で入院されたんですか」
「そうともいえないだろうね。まわりの人間、とくに家族からしたら、ほんとに頭がおかしくなったと感じていたから。それに強制入院させざるをえない危険なこともたしかにしてしまった。いまとなっては反省しきりだ」
「そうなんですか。ふつうの方に見えますけど」
「医療のおかげさ。だからこうして外に出て来られるんだ」ほんとは許可なんて取っていないけどね。
「だけど病院のそばでこんな事件が起きて、ちょっと刺激が強すぎるんじゃないですか」
「いや、入院前とおなじような環境にもどったほうが、逆に気持ちも体もなじみやすいような気がする。ショック療法みたいなものかな」
「それなら早くこの事件を解決してほしいです。佳奈のことを思うと心が張り裂けそうで。わたしのほうが頭がおかしくなりそう」
「あなたのことは病院でも有名でしたよ。森野ナミさん、モデルをされているんだよね」
「ありがとうございます。でも、本業は高校生ですから。母からは厳しくいわれてます」
「あそこにいる理事長だよね。ずいぶんなやり手だと聞いてますよ」
 ナミは首をかしげる。「どうなんでしょう、刑事さん……いや、ええと――」
「丹下です。丹下晴幸。病院じゃ、みんなからハルさんって呼ばれてました」
「じゃあ、ハルさん」ぱっと明るい顔になってナミはつづける。「うちの母、家では娘に手を焼くシングルマザーって雰囲気を装っていますけど、一歩外に出ると、学校経営者としてよそ行きの顔になる。ただ、さすがに警察には協力していると思いますけど」
「どうだろう。生徒さんも、先生たちもみんな口が重いっていってたよ」
「佳奈が誰かとトラブルになっていたとか、見当もつかないってことなんじゃないかな。遊び歩いているような子ならべつだけど、佳奈はぜんぜんそんなんじゃないですから。だからへんな憶測が飛び交わないように注意しているのだと思います」
「ネットは街野さんのことで盛りあがっているね」
 ナミは顔をしかめる。「さっき見ました。ほんとに体液が見つかったんですか」
「どうだろう。そのあたりの情報は刑事さんたちもガードしているから」
「わたしには信じられないなあ。たしかに佳奈は街野豊の大ファンで追っかけをしていましたし、あの男もあっちこっちで悪さしているみたいだけど、まさか近所の女の子にまで手を出すとは思えないんですよ。ごぞんじですか、あの男がどこに住んでいるか」
「坂の途中だよね。佳奈さんの自宅は目と鼻の先だ。たしかにそんな身近な相手にまで手を出すんじゃ鬼畜だね。だけどどんな人間も鬼畜になれる。これが捜査員生活のなかでぼくが到達した一つの残念な結論なんだけどね」
「怖いですね。とにかく、あの子がいなくなった日の足どりがわかればいいんですよね。『すこし遅くなるかもしれない』っておかあさんに話していたってネットに出ていましたけど、どこか出かけたのかなあ」
「そこが不明なんだよ。七月七日午後二時過ぎに学校を出たことまではわかっているそうだ。ナミさん、あなたもいっしょだったのかな」ぼくはさらりと訊ねた。
「いっしょじゃなかったです。わたしはもっと後に下校しました。だけど家までの間、どこかの防犯カメラに――」
「映っていないそうだ。スマホの電源も落とされたままでね」
「誘拐ですかね」
「可能性がないわけじゃない。防犯カメラのないところで車に乗せられたら、それでおしまいだからね」
「変質者ですか“御池のジェイソン”?」
「ただ、佳奈さんだってとてもかわいらしかった。周囲がほっとかないだろう」
「そういうの、わからないなあ。あの子、街野の追っかけをしていたぐらいで後は堅かったから。まじめだったんですよ。わたしなんかよりずっと」
「ストーカーみたいな被害はあったかもしれないね」
 一拍置いてナミが反応した。ようやくそこにたどり着けた。「聞いていますか」
「へんな男につけ回されて家のまわりに来られたこともあったとか」
「そうなんですよ。でももう半年ぐらい前の話かな」
「どういう相手かわかっているのかな」
「学校側も把握していますよ」
「そうなんだ」ぼくはいろめきだった。
「ある意味、このあたりじゃ有名人ですから」
「誰なんだろう」
「ポール。わたしたちはそう呼んでいますね」

十五
 杳子が西本佳奈の両親に面会するのははじめてだった。どんな事件でもそうだが被害者の親族に話をしなければならないのはこたえる。とりわけ子どもが殺された親からの聴取は、できれば自分以外の人間にまかせたかった。
 母親の亮子は、棺にしがみついて離れず、話が聴ける状況ではない。
「学校から家まで防犯カメラはいくつもありますよね。ぜんぶ調べたんですか」父親の善太が静かに詰め寄ってきた。
「九か所をチェックしましたが、佳奈さんの姿は確認できていません」
「わたしもどん底だけど、妻はもっと深刻です。とにかく娘を返してほしい。そうなることしかいまは考えられません。佳奈は生きている。ねえ、そうなんですよね。そうなんでしょう? どうしてうちの子がこんな目に遭わなきゃいけないんですか。あなたたちがちゃんとパトロールしていれば危ない連中が近寄って来ることもなかった。そうですよね」
 混乱を極める父親にいまにも腕をつかまれそうになり、杳子はたじろいで一歩下がる。「いま、全力で捜査しているところです」そして心を鬼にして訊ねる。「もしなにか思いだされたようなことがあれば、教えていただきたいと……交遊関係をふくめ、ふだんの暮らしのなかでなにか気になったことはございませんでしょうか」
 善太はむっとしたまま口を真一文字に結ぶ。それがわかっていれば、とっくに話している。目がそう告げている。杳子は質問を変えた。
「行方不明となった七日ですが、登校前のようすをあらためてお聞きしてもよろしいでしょうか」
「わたしはいなかったんです」父親は感情を押し殺す。「大阪に単身赴任しているものでして。けど、ふだんどおりだったと妻は話しています。期末試験も終わってほっとしているようすだったと」
「一つ気になるのは『すこし遅くなるかもしれない』とおかあさまに告げた点なんです」
「ああ、それはあなたの同僚の方にもう何度も話しましたけど、それ以上でも以下でもない。どこに行くか話していないんですから。それに元々、バイトもしていたので帰りが十一時ごろになることもあったんです」
「あの子ね」いつの間にか母親が棺から顔をあげ、真っ赤な目で杳子のほうを見つめていた。「とってもうれしそうだったの。試験が終わったからっていうのもあったんだろうけど、もっとなにか心の霞が取りはらわれたような雰囲気だったの。あの日、七夕の朝よ。だからわたしまでたのしい気分になっちゃって、帰って来たらなにか特別においしいものでも作っておいてあげようかしらなんて……そんなふうに思ったりもしていたんです」
「どこかに立ち寄ったのはまちがいなさそうですね。ただ、それは自分の意思にもとづいたものだった」
「そうだと思いますよ」善太がいう。「でもそれがどこなのか、まるで見当がつかない。友だちとかにもっと聴かないと」
 そのとき気付いた。亮子はガタガタと震えていた。体の奥底からあふれてくる慟哭を必死にこらえているのだ。痛ましい姿に杳子は耐えられなくなってきた。いますぐ逃げだしたい衝動に駆られる。
 善太が歩み寄り、妻の背中をさする。妻は涙を流しながら夫を見あげる。善太はそれを見つめ、ゆっくりとかぶりを振る。二人の痛切な思いが杳子にのしかかってくる。
 耐えられなくなったのか、亮子はすっと立ちあがり、控室へと消えた。善太は大きくため息をつく。「妻のことが心配なんです。心と体を壊しかけている」

十六
 翌日曜の葬儀のあと、ナミは代々木上原に向かった。
 最悪の結果を目の当たりにしたときからはこっちのほうが生きた心地がしない。あの晩のことを何度も反すうしては、自分のせいじゃないと繰り返し言い聞かせてきたが、どうしても誰かに安心させてほしかった。入り組んだ路地を抜け、目指すマンションに吸いこまれていく。最上階の八階が吹石猛のセカンドハウスだった。
 ここに通うようになって二年になる。付き合いだしたのはナミが仕事を始めてからだが、あの男のことなら子どものころから知っている。御池の土建屋の息子で学校のそばにそびえる要塞のような家に住んでいた。父親は有名な政治家でもあり、よくテレビに映る。でもそれ以上のことはわからない。ママはなにかと頼りにしているみたいだけど。
 猛とは十歳以上離れているが、見た目が若いからいっしょにいてもふつうのカップルに見える。父親譲りのしっかりした顔だちがエネルギッシュで、幼なじみだという街野豊なんかよりよっぽどハンサムだ。それにいろんなことを知っているし、立ち振る舞いに品がある。いまは父親の秘書をしているが、いつかその後を継いで政界に打って出るはずだ。ナミのことなんて熱心な支持者の一人としか考えていないのかもしれない。それじゃあの子と変わらないじゃない。
「なんかつかれちゃった」部屋に入るなり、恋人にしがみつく。
「今週末、ロケだっけ?」
「ぜんぜん気乗りしない」夏休み二日目の金曜、伊豆のホテルでファッション誌の撮影がある。朝が早いからナミは前日入りするつもりで、宿泊の予約も取っていた。でもこんな状況でまともに仕事ができる自信がない。
「無理もないよ。キャンセルしてもいいんじゃないか」
「ダメよ、それは」心とは裏腹に言葉が出る。「仕事は仕事だもん。子どもじゃないんだし」
「えらいね、ほんとにきみは。おつかれさま」
「タアくんがいっしょに来てくれたら元気が出るんだけどなあ」ナミはとびきり甘えた声でねだる。「おいしいものもいっしょに食べられるし」
「木曜から?」猛は困ったようにうなる。「親父の頼まれ仕事があってさ」
「ウソよ、いいって。ちょっといってみただけ。だいじょうぶよ、一人で。だけどさ、タアくん――」
「ん……なに」猛は耳元でささやく。
「あたしのことが一番?」
「どうした、急に」
「ねえ、一番?」
「なんだよ」両手でナミの頬をやさしくはさみ、見つめてくる。「あたりまえじゃないか」
「ホントにホント?」
「世のなかにぼくほど幸せな人間はいないと思うけどな」
「じゃあ、ちゃんと結婚してくれる?」
 猛は笑いだす。「ナミはまだ十七歳だろ。ティーンを愉しまなきゃ」
 大波のような悲しみが襲ってくる。「いやよ、絶対結婚して。するって約束して」
「するよ」ためらわずにいってくれる。うそとわかっていても、ほんのすこしナミは安堵する。そんな自分がなさけない。「でも、その前にきみはもっともっとすてきな大人になって、きれいにならなくちゃ。身も心もね」
「絶対よ、結婚するの、約束だからね」
 もう一度、力強く抱きしめ、猛はそのままゆっくりと柔らかく小さな唇を吸いはじめる。ナミはそれに合わせて自分から舌を突きだしていく。はぐらかされているようだが、置いてきぼりにされないようしがみつかないと。まだ高校二年だが、そうしないといけないことはわかっている。
 だけどいっしょにベッドに入って、もう完全に彼を独り占めしてからはずっと頭が冷めていた。やっぱりあれを飲まないと盛りあがらないのかな。もうそういうカラダになってしまったのかしら。猛はサプリっていってるけど、そんな気軽なものでないのは薄々わかっている。とはいえきょう、いま一つノリきれないのは、サプリをもらえないせいじゃない。佳奈の葬儀のあとだ。彼女の死の真相は正直、ナミにもわからないが、失踪した七夕の夜の出来事となると、彼女の両親も教師たちも、もちろん警察もつかんでいない事実をナミは知っていた。それが胸の奥につかえたままだから、苦しくてしかたないのだ。だけど冷静に考えたら、余計なことはいわないほうがいい。どうあろうと彼女の死に自分はかかわっていないし、猛たちだって無関係だ。
 佳奈とは中学に上がったときに知り合った。ナミは小学校からエスカレーターで上がってきたが、佳奈は中学受験して入ってきた。一年生でおなじクラスになり、部活もおなじダンス部だった。家が近かったからすぐに仲良くなり、たがいの家に泊まったり、いっしょにディズニーランドに行ったりもした。聴いてる音楽も読んでる漫画も似通っていた。トレジャーズのライブにも中学のころは何度かいっしょに通った。そのころからあの子は街野豊にぞっこんだった。けど、ナミのほうはだんだんとあのグループからは気持ちが離れていった。高校に入って自分がモデルの仕事を本格化させたことが大きい。大人の世界が見えてきて、アイドルに熱をあげるほかの子たちが急に幼稚に思えてきたのだ。だから佳奈のこともそう感じるようになっていった。なんとなく距離を感じるようになったのもそのころからだ。
 そんなとき妙なことをあの子が口にしたものだから、ナミはひどく動揺した。それがきっかけだった。二年生に上がるころには、もう以前のようには付き合えなかった。でもずっとおなじクラスだった。いまにして思えば、おたがいにとってそれが不幸だった。
 七夕を迎えたあの日、学校ではあっちこっちで夜の集いが企画されていた。けど、ナミはそんな子どもの誕生会みたいなパーティーに興味はなかった。大人の世界、ビジネスの世界を味わいたかったし、あの子にも味合わせてあげたかった。それであんまり背伸びするとどういうことになるかわかるはずだった。
 思いきって声をかけると、喜んであの子は話にのってきた。半分はひさしぶりにナミに声をかけられたのがうれしかったのだろうが、豊はもちろん、猛にも会えるとほのめかすと、目の色が変わった。
 天井を見つめ、ナミは訊ねる。「佳奈はどうしてあんなことになったのかしら」
 猛は大きな枕を抱えながらいっしょに天井を見つめる。「佳奈ちゃんのことはほんとによくわからないんだ。あの晩だって先に帰ったのかと思っていた。ずっとぼくは別室にいたからね」
「きのう、お通夜のあと、いわれたの。佳奈のおかあさんから」
「なんて?」
「あなたのことは本当のきょうだいのようにずっと慕っていたのよって。だけどそのとき、おかあさん、ずっとわたしの腕をつかんでいた。ぎゅっとね。痛いくらいだった。そこから体の震えが伝わってきたの。ふつうじゃなかったわ」
「きみのことを疑っているとでも?」
「そういうんじゃないの。けど、言葉と体が別人みたいな感じがした。おかあさんとはかけ離れたちがう人。その人ににらみつけられていた」
「それはきみ自身に罪の意識があるからなんじゃないか」
「ないわよ、そんなの。だってあたしは関係ないじゃん」
「そうさ。そこが一番たいせつなポイント、ぼくらが寄って立つ岸辺だ。警察に協力したい気持ちもあるが、それをどうするかはぼくらでもうすこし考えないといけない。ただ、それはきみが心配することじゃない。いいね」
 あの晩、佳奈がナミや猛といっしょにパーティーをしていたことは知られてはならない。サプリのことがあるからだ。それくらいナミにもわかっている。「あたしは余計なことはいわないわ。うちのママにも」
「ただ、庭できみが見たっていうものは、たしかに気になるけど」
「ちゃんと見たわけじゃないんだけどね」
「いずれにしろその手のおかしなやつが犯人だ。ジェイソン説もあながちまちがっていないと思う。いずれ警察に話したほうがいいだろう。でも酔っていたのもまちがいないよな」お酒というより、サプリのことを猛はいっている。へたに警察に伝えるのはちょいヤバい。あれは楽しい夢も見せてくれるけど、ときどきへんな夢も見る。
「マジに怖かったんだから」
 あの晩、猛や豊、それに佳奈もエアコンのきいた屋内にいたが、外だって意外と涼やかな風が吹いていたので、ナミは零時ごろにパーティーを抜けだして庭のハンモックに寝そべっていた。お酒もサプリもかなり入っていたし、佳奈のまわりに集まった男たちがさらになにをしはじめるか、もう見てはいけないような気がしたのだ。
 尿意をもよおして目が覚めた。
 二時を回っていた。屋敷のほうはチルアウト・ミュージックがかかっていたが、声は聞こえなかった。みんな眠ってしまったのだろう。庭のほうは殺虫灯の青白い光がぼんやりと灯るのみで人気はなく、しんとしていた。眠たいし、体が重かった。トイレは一階の広いラウンジを突っ切って廊下に出た先、玄関のほうだ。暗がりを歩いてそこまで行くのが億劫だった。ナミはハンモックから起きあがり、あたりに目を凝らした。
 庭に出ている者はいなかった。ブロックを積みあげたバーベキューコンロの裏は屋敷のほうから死角になっていた。ナミはそろそろとハンモックを離れ、ためらうことなくコンロの裏に回り、パンツを下ろしてしゃがんだ。貯めこんだおしっこはとめどなく解放され、足もとにまで流れてきた。そのときだった。ぞくりとした。
 視線だ。
 庭に誰かいる。いや、庭じゃない。生垣の向こう、学園の敷地との間に築かれたコンクリート塀のこちら側に人の気配を感じた。殺虫灯の弱い光が降り注いでいるが、密生した生垣にさえぎられてしまっている。
 おしっこはとまらなかった。そこにいる人物とナミは距離にして三メートルも離れていなかった。悲鳴をあげ、すぐに立ちあがるべきだった。でも体が動かないし、他人事のように放尿がつづく。
 男だ。
 直感がそう告げていた。怖くなってナミは股間をぬぐうのも忘れて部屋にもどった。猛たちの姿は見あたらなかったが、明かりをつけてたしかめる気もしなかった。すくなくとも室内なら安心だ。ナミは空いているソファで丸まり、じっと庭に目を凝らした。
「そのまままた寝ちゃったんだけどね」
「庭は調べてみたよ。塀を越えて隣から侵入することはできるけど、高さが三メートルもある。どうだろうね。ぼくもよじ登ってみたけどなかなかたいへんだ。しかも向こうは崖だ。七、八メートルあるんじゃないかな。校舎は離れている。せいぜい熱帯植物園があるくらいだ。だからあの時間だし、人がいるわけがない。いるとしたら警備員ぐらいだろう」
「じゃあ、そうなんじゃないの。警備員が犯人」
「可能性はあるけど、何時にどこにいたか、勤務中の行動はGPSでチェックされているんじゃないかな。もう調べられていると思う。学園側から崖と塀を登ってマナーハウスにほんとに誰かが侵入して、そいつが佳奈ちゃんをさらったんだとしたら、学園の防犯カメラに映っているはずだ」
「学校の防犯カメラなんて死角だらけよ。毎日通っているわたしがいうんだからまちがいないよ。怖いわ……ジェイソン……意外と近くにいるのかも。危なそうな人なら何人もいるから、あのあたり。見た目ほどいい場所じゃないわ」
「あの晩、理事長が出張していたのは不幸中の幸いだね。もし家にいたら、きみの帰りが遅いと心配しただろうし、佳奈ちゃんのことであれこれ結びつけてしまうかもしれない」
「ああ見えて人一倍、心配性なんだ、ママ」
「わかるよ。でもそうじゃなきゃ、あの仕事はできない。この物騒な世のなかで女の子ばかりを預かるなんて並みじゃないよ。すばらしい教育者だ」
「そんな感じはないけどな。いつもおカネの計算ばっかりしてる。なにを減らそうかって。先生たちもママからしたら備品とおなじなんだわ。簡単にクビを切られる」
「それは経営者だからしかたないよ。けど、理事長、以前は中学の教員だったそうだね。オヤジがいってたよ」
「あたしが生まれる前の話でしょ。長野かどこかで」
「出身地なんだっけ」
「よくわからないけど、長野の田舎町だっていってた」
「教科はなんだったんだろう」
「聞いたことないわ。そのころの話ってほとんどしたことないの。自分は教師向きじゃなかったって前に話してた。たしかにママが担任とかだったら、うるさそうだもの。生徒には嫌われるんじゃないかしら」
「どうして辞めたんだろう。生徒に嫌われたって必死にしがみついて定年まで勤める人がほとんどだろう。ラクな仕事なんだよ」
「ラクじゃないでしょう。いまは忙しすぎて教師の成り手がいないって聞いたことがあるわ。責任ばかり負わされて割が合わないんじゃないかな。もあたしは絶対にイヤ」
「人によるんじゃないかな。ぼくぐらいの年齢になると、本音と建前というか折り合いの付け方も身についてくる」
「うまいこと責任を逃れて給料だけもらうってこと?」
「それは悪いことじゃない。責任を逃れているわけじゃなくて、背負いきれないものはあえて背負わないというポリシーさ。ナミもそのうちわかると思うけど、ぼくらが生きる世のなかなんて、そうそうきれいごとじゃすまされないことばかりだ」
「ドロドロなのね。学園の理想からかけ離れている」
「教師だけじゃない。生徒たちだって有数のお嬢さま学校に通っていることを鼻にかけて、人が見ていないところじゃ、なにをしてるか知れたものじゃない」
 ナミは恋人のいうことを否定しない。「そうよ。公立のほうがよっぽど人間がまともかもしれない。みんな、見えっ張りの親たちに無理くり送りこまれて腐っちゃってるから。鬱々としているわ。そういうの、あたしはキライ」
「そうさ。ナミは自由に生きてる。ママは心配しているかもしれないけど、気にすることはない」
「あたしはなにからも束縛されないわ。タアくん、あなたからもね……なんちゃって」
「ぼくは束縛なんかしないさ。おたがい、対等じゃないと」
「ダメ!」ナミはもう一度、彼氏にしがみつく。「タアくんはあたしのもの。誰にも触らせないから。わきまえも分別もクソくらえよ」

十七
 西本佳奈を荼毘に付した翌日、ぼくは強烈な熱波と蝉しぐれを浴びながら豊後坂をとぼとぼと上った。月曜だからアラタさんは出勤した。あとでまた来るというが、あてにならないし、自力で調べないことには始まらない。
 学園には何事もなかったかのように生徒たちが登校した。だが野賀藩下屋敷跡地には、きょうも制服の御池署員が立っている。相変わらずテレビ局が来ているし、野次馬も後を絶たない。街野豊犯人説が炎上したのが影響している。だが目下のところ、署員を困らせているのは、現場の跡地わきの路上にとめた軽ワゴンから降りてきた小太りの男女二人組のようだった。どちらも役所のものらしい作業着を着ている。元々、区の管理地だ。事件から四日が過ぎたのだし、そろそろ入らせてもらえると思っているのだろう。
「まったく無責任の極みだな」近づくと、署員とやり合っていたひげもじゃの中年男が苦りきる。女のほうはどこかに電話を入れていた。「せめて捜査本部と連絡を取ってくれてもいいじゃないか」
「どうされました」
 ぼくが声をかけると、署員のほうが驚いた顔になる。こないだ勝手に跡地に入りこんでいた男だと気付いたらしい。だがいまは文句をいわれる筋合いはない。
 誰でもいいから憤まんをぶつけたいらしい。男はぼくに向かってまくし立ててきた。「例の地割れの話さ。パルスレーダーを入れて調べてみたいんだ。遺体が見つかった現場を壊したりなんかしないさ。地表に現れていないクラックがどこまで広がっているか調べてみたいんだ。ここではおなじような地割れが過去にも何度か起きている。なにか共通性があるはずなんだ。それはこれまでに御池で起きた奇妙な事件について、貴重な示唆をあたえてくれる。まちがいないんだがね」
「奇妙な事件……もしかしてここにあった野賀藩の屋敷が火事で焼けた話ですか」
 男の目の色が変わる。「そう、それだよ。知っていたか」
「ええ、友だちが歴史マニアでしてね。明治時代には見世物小屋で火事があったし、終戦間際には防空壕で手りゅう弾の誤爆が起きた。どれもたくさんの人が亡くなったんでしょう。けど、地割れの話は聞かなかったな」
「それはわたしも書いたことがなかった。これまで関連付けてこなかったんだよ。だが目の前で事件が起きたんだ。調べないわけにいかないだろう」
「区の方なんですか」
「文化財課だよ。ここの発掘を担当している」
「急ぐんですか」
「雨が降ったらおしまいだ。相手は土だからね。亀裂があってもすぐに泥で埋まってしまう。だから早く調べさせろといってるのに」
 電話を終え、ぼくらのやり取りに耳を傾けていた女性が口を開く。「トモさん、いま御池署に電話してみたんですが、担当者につないでももらえませんでした」
「まったく失礼な話だな」
「ぼくのほうから聞いてみましょうか」
「警察の方なのかい?」
「今回の事件を担当している滝本さんという方を知っているというだけです」
 女性のほうがそっと名刺を差しだしてきた。「わたくし、区の文化財課の天城ともうします。こちらは発掘を委託している巴先生。城南大の考古学の教授です。失礼ですが――」
「丹下です。名刺がないんで申しわけありませんが、今回の事件では担当の滝本さんに協力しています」
「御池の方なんですか」天城が訊ねてくる。
「ええ、もちろん。十年ぐらい暮らしています」うそじゃない。ただ、めったに外出しないだけだ。界隈の来歴についてはぜんぶキュウさん情報だ。
「頼むよ、ぜひとも、その人を説得してほしいんだ」巴教授は乗って来たワゴン車の後部座席にぼくをいざなう。
 天城が運転席につくなり、エンジンをかけ、エアコンが一気に噴きだす。彼女は気をきかせてアイスボックスからペットボトルのスポーツドリンクを取りだしてくれた。役所にしてはいいサービスだ。警察も見習ったほうがいい。
 助手席でペットボトルをぐびぐびとあおってからトモさんが聞かせてくれた。江戸、明治、昭和の各時代で起きた謎の地割れとその後の凄惨な事件。しかも最初に起きた下屋敷火災については、二十人以上が亡くなっているというのに野賀藩の正史に記録が残っていない。火災の直前に屋敷の住人のなかで最上位にあったはずの、藩主の正室と嫡男がいずれも病死しているが、それについては藩に届けられている。さらに跡地からはアズレージョと呼ばれる十六世紀のタイル片が大量に見つかっており、その一部には、ポルトガル王家の紋章と当時の君主であるジョアン三世の名が記されていた――。
 これらの事象が関連付けられるのかどうか、トモさんと天城がSNSで情報を募ったところ、大分の在野の研究者から連絡が入った。研究者は野賀藩の菩提寺の蔵を一年以上調べているところだった。
「記録に残してはならないものほど、記録されているんだね。“憚書(はばかりがき)”は正式な文書というより、藩の役人たちによるメモ書きみたいなものだったのだろう」
「なんですか、その“憚書”って」
「他聞を憚る出来事、つまり不祥事の記録だろう。不祥事のなかでも特級のトップシークレット、決して後世に残してはならない出来事について、ごくかぎられた者たちが良心に基づいて書き残したんだ。そのなかに江戸下屋敷の用人の証言が記されていた。もちろん幕府にも知らせていない話だ。藩主である瓜生忠則の嫡男、忠房は病死ではなかった。ひどい暴行を受けて殺された。家臣たちによって」
 言葉を失うぼくにかまわずトモさんは話をつづける。
「忠房は隠れキリシタンだという情報が寄せられたのだ。しかも藩内外に散らばった野賀キリシタンたちの精神的支柱だという話だった。幕府による厳しい禁教政策がつづけられているなか、次期藩主となる者がそれに反しているだけでなく、反体制勢力を率いていたとなると、もはや藩の命運は尽きたも同然だ。藩主は切腹、藩は消滅する。そうなると、忠房のそばにいた江戸家老がなぜ気づかなかったのか、責任が問われることになる。自らの切腹は免れないし、お家はお取りつぶし、一族郎党も自害せざるを得ないだろう。それがいやなら忠房を亡き者にするのはもちろん、つながりのあったキリシタン連中も闇に葬るほかあるまい。
 一計を案じた家老は下屋敷の敷地内を秘密裏に捜索して、忠房がキリシタンである証拠を見つけようとした。それで氷室として使っていた洞窟を探り、奥のほうに不自然に岩が積みあげられた場所を見つけた。まるでなにかを隠しているかのようで、家老自ら岩を取り除き、さらに延々進むと、そこに清水が滾々(こんこん)と湧く泉が出現した。泉には縄のついた釣瓶(つるべ)が浮かんでいた。洞の天井部分に穴がうがたれ、縄はそこから伸びていた。井戸だよ。井戸の真下だったんだ。泉の向こうには、マリアさまの像を祀った祭壇があった。それを証拠に家老は、年若い次期藩主を拷問にかけ、ひそかにつながっていた反逆者たちがどこにいるか白状させようとした」
「忠房はしゃべったんですか」たまらずぼくは訊ねる。
 トモさんはゆっくりとかぶりを振り、助手席の窓からぎらつく太陽を仰ぎ見る。
「体じゅうを焼かれ、手足をもがれても明かさなかったし、祭壇から叩き落とされたマリア像に唾を吐くよう命じられても拒みつづけたと、用人は証言している。ただ、自分がキリストさまやマリアさまを篤く信奉していることは認めたそうだ。絶命する直前にね。そのときの顔がとても穏やかだったと用人は話したそうだ。文化二年七月四日のことだよ」
「母親のほうは?」
「藩主忠則の正室、桐乃は、息子が拷問されるのを目の前で見させられた。それでも口を割らなかったんだ。そしてわが子の命の炎が尽きたとき、体を押さえつける家臣を振り切ってその体に飛びつき、ひとしきり嗚咽をあげたのち、息子とともに泉に身を投げた。マリア像も抱きしめてね。泉は思ったより深かったらしい。体は浮かびあがってこなかった」
「底にしがみついていたのかもしれませんね。まさに殉教だ。もしかすると御池の『池』というのはそのことなのかな」
 ぼくの想像にトモさんは同意してくれた。「きっとそうなのだろう」
「たしかに他聞を憚る話ですね」
「でもそれだけじゃない」トモさんは無精ひげが伸びきった顎をぼりぼりとかきながら、ぼくのほうを見る。「忠房と桐乃を病死として届けることで事態の収拾を図った家老は、翌五日、直会(なおらい)の酒宴を設けた。そして夜も更け、一同の酔いが回ったころ、一人の若い家臣が急に苦しがって胸をかきむしりだした。仲間たちがおぼつかない足取りで近づくと、家臣はいきなり刀を抜いて切りつけてきた。相当飲んでいたはずだが、まるで酔っていないかのようだったと用人は話している。その騒ぎのなかで出火したんだ」
「その家臣も隠れキリシタンだったんですかね。忠房の復讐を果たしたとか?」
「可能性はある。でもどうかな」
「呪い……」天城がぽつりとつぶやく。「後に起きた見世物小屋や防空壕の一件にもつながりそうな気がするんですけど」
 しかしそれにはトモさんが顔をしかめる。「そう考えるのが一番ラクっていうか、おもしろいんだろうけど、こりゃあ、わからないな。闇だよ。ただ、過去の一連の事件に関して調べていることがもう一つあるんだ。それがわかれば話は前に進むと思う。それとはべつに科学的な視点からは、地割れについて調査しないといけない。文化二年の惨事についていえば、忠房と母親が亡くなった日に地割れは起きている。それと今回の地割れをどう比較するかだ」
「興味深いですね」ぼくは豊後坂のほうに目をやりながら、トモさんを促す。「さて、調査を前に進めるキーパーソンがやって来ましたよ」

十八
「相変わらずの独自捜査ですね、ハルさん」
 滝本杳子は軽ワゴンの後部座席に潜りこむなり、ペットボトルのお茶をあおる。
 御池で起きた怪事件の数々について、ハルさんがさらっと話してくれた。「だけど地割れが関係しているなんて突拍子もないような気がするんですけど。歴史を解き明かすうえではおもしろそうですけど、今回の事件とはちょっと――」
「地割れがどの程度広がっているか調べるだけでいいんだ。そうそう起きることじゃなさそうだし、雨に降られたらおしまいだから」巴教授が懇願してくる。
 杳子はスマホの天気予報を開く。「週末あたりからあやしいですね」
「夕立のひと降りでせっかくの標本がダメになる」
「わかりました。本部に問い合わせてみます。かならずお返事しますから」
「これは事件解決にもきっと役立つはずだ。ただの地殻変動じゃない可能性がある。人の行動にも影響をおよぼす自然現象だ」それはたしかに杳子の興味をひいた。
「地中の隠れた亀裂を調べると具体的にどんなことがわかるのでしょうか」
「確認されているかぎり、御池では過去に三回、今回と似たような地割れが起きている。一つは場所がはっきりしないが、あとの二回はだいたいわかっている。江戸時代、文化年間に起きたものは、寺の住職が手書きの図面を残してくれていた。それに目印としてオオイチョウが記してあってね。いまも学園のグラウンドわきに残る木なんだ。地割れはその根本付近から北西方向に向かって延びていた。明治の地割れは、いまの中央校舎のあるあたりに建てられた見世物小屋のわきから真北に向かっていた。これを見てくれ」教授は使い古しのデイパックから分厚いファイルを取りだし、一枚の写真を杳子とハルさんに見せた。「興行の記録を残していた写真館主が地割れを撮ってくれていたんだ。南から北に向けて撮影している。背景に見える雑木林の西側に火の見櫓(やぐら)が見えるだろう。これは当時の地図にも残っている。それを基に地割れの場所が特定できたんだ」
 ファイルをめくり、教授はゼンリンの住宅地図を取りだす。
「二つの現場を現在の地図に転写したのがこれだ。地割れに沿って線を延ばすと、ここで交差する」教授はあらかじめ引いてあった二本の線が交わる点を、きちんと爪を切った丸っこい指で指ししめす。「でも線が二本あれば平行でないかぎり、どこかで交差する。ごくふつうの話だ。だけどどうだろう、もう一本べつの線があって、それもおなじ点に向かっていたら? その確率はかなり低い。つまり調べるに値するということなんじゃないか、その場所を」
「そのためにも今回の遺体発見現場の周辺を調べたいというのですね」教授は大きくうなずいた。杳子は唇をかむ。「地割れが事件の前兆だというのはイヤな感じですね。西本佳奈は地割れが起きる前に埋められていたんですから」
「犠牲者が出るのはこれからだというのなら、未然に防ぐことだってできるはずだよね」ハルさんのいうことはもっともだった。
「でもどうやって」
「それを知るためにも、地面を調べてみる必要があるのかもしれないですね」運転席にいた天城が振り返る。「過去の事件はどれも大量殺人、人が集まるところで起きている。出土品を分析すると、下屋敷があったころのずっと前、平安時代は古戦場だったようです」
「古戦場ですか」
「膨大な数の刀剣類や人骨が出てきているんです」
「つまりそのころから大量殺人の現場であると?」
「多くの人が集まり、その人たちの命が奪われた。それは事実なのではないかと考えています。それで、このあたりで人が集まるところといえば――」
 エアコンの涼風とは異質な寒気が車内に広がったとき、耳元で怒鳴り声が聞こえた。杳子は外に目をやった。ワゴンをとめた通りの反対側に青嶺学園初等科の児童たち五人が通りかかったところだった。少女たちはその場に立ちつくし、おびえている。
「何度いったらわかるんだ、おまえたち! 歩道で広がって歩いたらほかの人に迷惑だろ! その人が車道を歩いて轢かれたらどうするんだ! 学校で習っていないのか!」Tシャツにハーフパンツ姿の銀髪の男が自ら歩道に立ちはだかり、鋭い目つきで女の子たちをにらみつけている。「学校も親もどういうしつけをしてるんだ! ろくな大人にならないぞ!」男は小わきに抱えた板切れのようなものを子どもたちの前で振り回す。たまらず杳子が外に出ようとしたとき、男のほうがこちらを振り向き、近寄ってきた。
「おい、おまえたち、役所の人間だったら注意したらどうなんだ」
 杳子は外に出た。「どうされました」
「どうされただと?」男の沸騰は収まらない。「青嶺の生徒たちはいつもそうなんだ。歩道をわがもの顔で占拠してほかの歩行者の迷惑なんだよ。バスのなかだって空いてりゃすぐに座ろうとするし、譲りもしないで大騒ぎだ。ほんとに親の顔が見てみたいもんだ。あんたら役所が放置していい話でもないだろう。子どものしつけは親だけの責任じゃないからな。見て見ぬふりっていうのが一番いけないんだ。公務員ならもっと自分の仕事に責任を持ったらどうなんだ。税金で食ってんだからよ」
「失礼ですが」背筋を伸ばして杳子はいった。「おっしゃることはわかりますけど、怖がっていますよ、あの子たち」
「怖がっている?」男は振り返る。児童たちはもう遠くへ歩き去っていた。何人かがちらちらとこちらに目をやる。「どこが怖がっているもんか。平気の平左で行っちまったじゃないか。ほら、また広がって歩いてる!」男は束にした板切れのようなものを小わきに挟んだまま、子どもたちのほうへ歩きだした。
 あわてて杳子もついていく。「このあたりにお住まいなんですか」
「あたりまえだろ。住人なんだから」杳子に向けられた剣幕に児童たちは走って逃げだす。
「いつもこんなふうに声をかけているんですか」杳子はそっと警察の身分証を見せる。
「なんだよ、おまえ。これのどこが犯罪なんだよ」
「お気持ちはわかりますが、限度というものが――」
「バカ野郎!」男は道の真ん中で足をとめる。通りがかった車が停車するが、不穏な空気が伝わったのかクラクション一つ鳴らさない。「そうやってまともなことをやっている人間が憂き目を見るなんておかしいだろ。それが警察のやることなのかよ!」
「すみません、ちょっと向こうに行きましょう。ここじゃ、危ないので」
「おれが足をとめるようなことをおまえがいうからいけないんだろ」男は一歩も動かずに杳子をどやしつづける。とまっていた車はゆっくりと遠巻きにしてわきを通り過ぎていく。
「危険ですから」杳子は男のひじに手をやり、歩道にいざなおうとするが、振り払われた。
「触るな! 警察だからってなにをしてもいいってわけじゃないんだぞ」それでも男は歩道に移動する。
「すみません、お名前を教えていただけますか」
「はあ? なんで名前なんていわなきゃいけない? おれがなにをしたっていうんだよ。女子高生を埋めて殺したっていうなら話はべつだが、社会のためになることをしているだけじゃないか。おまえたちのそういう姿勢が冤罪を生むんだぞ」
「理由は理解できますが、子どもたちが怖がっていたのは事実です。それはわたしも現認しています。せめてどちらにお住いの方なのかぐらいは、わたしも確認しないと」
 男はわきに抱えた板切れの束を威嚇するように振り回した。針金が何本も飛びだして危ないったらない。
「危険なことはよしていただけますか。なんなんですか、それは」
「これか」男は振り回す手をとめ、五、六枚ある板束の一つを杳子に見せた。「こういうのを勝手に貼りつける輩がいるんだ」
 3LDK1億8000万円 新築物件――。
 マンションや戸建て住宅の電柱広告だった。「ぜんぶ条例違反だ。しかも過剰宣伝、詐欺なんだよ。だから悪徳業者に騙されないよう、ボランティアで引っ剥がしているんだ」
「ですが、正当に掲示したものもあるかもしれませんよね。確認をしないと。そのためにもご住所とお名前を教えていただけませんか」
「教える筋合いなんかないだろ。おれは犯罪者なのか? そうじゃないだろう。こんなところでふつうの市民に絡んだりしないで、あの子を殺した犯人を挙げてみたらどうなんだ」
 そのとき豊後坂を派手な黄色のフェラーリがあがってきた。サングラスをかけた禿頭の男が運転している。速度を落とし、杳子たちのわきを通過したとき、まるで文句でもつけるようにエンジンを何度か空吹かしする。
「うるせえんだよ! このクソ野郎!」拳を振りあげ、銀髪が怒鳴る。「ペテン師めが!」そんな声をかき消すほどの爆音をあげ、フェラーリは急加速して走り去る。「ちくしょうめ! 逮捕するならあの野郎だぞ。史上最悪の悪徳不動産屋だ。若造のくせしやがって」
「お知り合いなんですか」
 杳子を無視して男は大股で坂を下りていく。
「待ってください」後について行こうとした杳子は後ろから腕をつかまれる。
 ハルさんだ。
「有名人みたいだからだいじょうぶですよ。ぼくも見かけたことがあるし」
「え……?」
 だが元刑事は杳子の疑問に答えることなく、一人で納得していた。「そうか、だから“ポール”なのか」
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