第1話

文字数 3,017文字

 九月九日は私の誕生日。私は小さい頃から自分の誕生日が嫌いだった。
 この日が近づくとクラスの男子から九月九日生まれだから九九をいってみろとからかわれていたのだ。物覚えの悪かった私は九九をうまくいえず、泣きべそをかいているその様を男子たちは、ますますからかいの的にしていた。また別の男子から救急車、救急車ともいわれた。ほかにも九十九里浜や白寿などと呼ばれ、子供の付けるあだ名は実に残酷である。

 さすがに中学生になったら誰も私の誕生日の事でからかう人はいなくなっていた。だが、そのトラウマのせいか、新しい友達に自分の誕生日を伝える時はいつも卑屈な声になり、顔を真っ赤にしていた。

 勇太と初めて出会ったのは私が二十七の誕生日を迎えた夜だった。
 その日は仕事帰りに友人の真理と話題の恋愛映画を見る予定になっていた。誕生日を一緒に祝おうと彼女の方から誘われたからである。正直、あのトラウマのせいで誕生日は毎年憂鬱な一日を過ごしていたが、真理が半ば強引に迫ってきたので断り切れなかった。
 ところが私が映画館の前で時計とにらめっこをしていると、真理からメールが入り『ごめん、急用ができちゃった。今度埋め合わせするね』とあった。
 またか。私は溜息をつかずにはいられない。真理はいつもそうだ。どうせ彼氏と急にデートが入ったのだろう。友情より愛情が優先されるのは仕方がないが、いつもドタキャンされるのは私の方。これまで男の人と縁のない人生を送っていたが、私はそんな彼女を恨む気にはなれなかった。結局、独りで映画館に入り、ビールとポップコーンをがむしゃらに頬張りながら退屈な映画を鑑賞した。

 映画館を後にして、私はそのまま独り暮らしのアパートに帰るのも癪だからと、目についた居酒屋の暖簾をくぐる。すぐさまカウンターに腰を下ろし、ハイボールと焼き鳥と注文しながら独りで乾杯した。隣には紺色のスーツ姿の男性がひとり、ビールジョッキを傾けていたが、特に気に掛けることもなく、焼き鳥にかぶりつく。これが真理とだったらついオシャレなイタリアンでも決めていただろうが、独りならこれで充分。気取る必要はない。
 ハイボールが焼酎になり、やがて日本酒をあおる頃には、自分でも酔いが回ってきたかなと自覚し、食べ終えた串をぼんやり数えだした。その時、隣の席にいたスーツ姿の男が話しかけてきた。
「お一人ですか」よく見ると男は水色の明るいネクタイを締めたなかなかのイケメンだ。きっと会社帰りなのだろう。
「ええ、まあ」私は反射的に答える。
「僕もなんです。良かったら一緒に呑みませんか」
 男性に声を掛けられるのはこれが初めてではない。だがナンパする男はチャラいというイメージがあり、その都度、無視してきた。軽い女だと思われたくなかったというのもある。しかし、今日はなぜかその男と話をしようという気になった。不遇な誕生日の勢いがそうさせたのかもしれない。
「実は私、今日誕生日なんです」
「そうですか。おめでとうございます」
「ちっともめでたくないわよ」そういうと、私はこれまでの経緯を語りだした。酔った勢いもあるかもしれないが、誰かに話を聞いて欲しいという欲求に駆られたのかもしれない。気が付けば、口から愚痴がこぼれだしていた。
 子どもの頃、誕生日のせいでいじめられていた事、こんな日に産んだ両親を恨んだ事、それが今でもトラウマである事、それに今日も友達の真理にすっぽかされた事……。男はずっと私の眼を見ながら黙って頷いてくれていた。気が付くと私はうっすらと目に涙を浮かべていた。
 話が終わると彼はポケットから赤いハンカチを取り出した。涙をぬぐう為に貸してくれるのかと思いきや、彼は自分の左手をギュッと握りしめ、その上にハンカチを被せた。
「これからは幸せな誕生日が送れますように」
 そういってハンカチを取ると、その左手には一凛の小さいバラが握られていた。呆気にとられながらそのバラを受け取ると、彼は小声で「サプラーイズ」と耳元でささやく。私は自然と笑みがこぼれ、涙はいつの間にか乾いていた。思えばそれが彼の最初のサプライズだった。
 彼は勇太と名乗り、自然な流れでメール交換を済ませると、やがて彼との交際が始まった。
 毎週日曜日にはデートをし、その度に真理にのろけては彼女を呆れさせていた。

「でも、それってケチってことじゃない?」真理が声を上げた。
 それは勇太と付き合いだして三か月が経った頃の事だった。昼休みに社員食堂で真理と二人で昼食を取りながら話をしていた。
「確かに食事はいつも割り勘だし、映画も必ず割引券を使うし、ポイントが付く店は必ずもらうし。――この前なんか遊園地で値切ろうとしたのよ。私、恥ずかしくて顔から火が出そうだったわ」
「でも彼氏……勇太さんだっけ、丸川興行に勤めているんでしょう?エリートじゃないの。給料もいいんでしょう?」
 丸川興行は日本でもトップクラスの大手証券会社で、勇太はそこの総務部で課長をしている。
「勇太はケチじゃなくて倹約家よ。賢者は無駄な事にはお金を使わず、必要な事には惜しまずに投資するものよ」
「あなたとのデートは無駄な事なの?」
「そんな事はないと思うけど……」言葉に詰まった。そうじゃないとはっきり否定できないところが悔しい。
「もうすぐクリスマスじゃない。約束はしてあるんでしょ」
「一応ね」
「じゃあ、その時どんなプレゼントをくれるかが見物ね」
「そんな言い方しないで。私、あんまり期待してないから」
「まあ、あなたがそれでいいなら、私はこれ以上口出ししないけどね」
 そういうと真理は席を立ち、食器の載ったトレイを返却口に戻すと食堂を後にした。残った私はコップを何気なく持ち上げると、中の氷をくるくると指で回した。

 勇太からのクリスマスプレゼントは、なんと歌だった。
 その日はレストランが予約できなかったからと彼のマンションに招待された。彼の部屋に行くのは初めてではなかったが、その日は壁にぎりぎりクリスマスだという事がわかる程度の飾り付けがしてあり、テーブルには子供用かと思う程の小さなスパークリングワインと弁当屋にありそうな鳥の唐揚げが盛られた皿が並んでいた。
 何とも言えない微妙なクリスマスディナーを済ませると、勇太は席を立ち奥の部屋から中学生の頃から使っているという色あせたギターを抱えてきた。勇太は、「君の為に作ったんだ」とギターを鳴らしてゆっくりと歌い出す。やたらバカでかいギターの音だけが耳に響き、歌声はほとんど届いてこない。当の本人は真剣に心を込めて歌っているのだろうが、その様子はまるでテレビのコメディアンのコントのように思えて、笑いをこらえるのに必死だった。
 それでも彼が歌い終わると、「ありがとう感動したわ」と精一杯の拍手を送り、涙をぬぐうフリをした。私がプレゼントのネクタイを渡すと、彼は感激してまたギターをかき鳴らす。
ひとしきり歌い終わって満足したのか、やがて彼は冷蔵庫に仕舞ってあった小ぶりのクリスマスケーキをテーブルに出した。ライターでゆっくり火を灯すと二人で写真を撮り、クリスマスを祝う。ケーキは安物のクリームの味がしたが、私は感激で胸がいっぱいだった。
 街の明かりの灯る窓の外に目を向けると、いつの間にか雪が降り始めていた……。

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