第2話

文字数 4,165文字

「ひょっとしたらあなたの彼氏って、結婚詐欺師なんじゃない?」
 真理はまたも辛辣なことをいった。
「そんな事ないわよ」私はそっけなく答える。
「どうしてそう言い切れるの。なんだか怪しくない?」
「だって結婚詐欺師って金銭目的で近づいてくるでしょ。真理も知っての通り、私の実家は小さな八百屋でこれといった財産もないし、勇太からこれまで私の貯金の額を訊かれた事ないわ。――まあ訊かれたところで、ほとんど無いんだけどね」
「そっか。もし詐欺だったら、もう半年も付き合っているのに、そんな話が出ないのはおかしいわね」
 確かに勇太の事を一度も疑わなかったといえば嘘になる。だが、あの件があって彼を信用するに至った。私はその時のエピソードを真理に語ってみせた。
「それに彼の会社に一度電話した事があるの。彼が私の部屋に大事な書類を忘れて、慌てて携帯に掛けたけど、仕事中はマナーモードにしてあるらしくってつながらない。迷ったけど番号をネットで調べて直接会社に掛けたら彼に繋がったの。その後、彼の会社の丸川興行に行って受付に書類を預けたら、おかげでなんとか間に合ったって、後で感謝されたわ。――彼がもし詐欺師ならそんな手の込んだトリック使わないでしょう」
「やっぱり只のドケチか」
「もう、それやめて」
 肩を叩きながら真理と笑い合った。

 ところが、である。
 勇太と出会って丁度一年後の九月九日。その日の彼は明らかにいつもと違っていた。
 私は会社帰りにメールで急に呼び出され、タクシーに乗り込むと、運転手に指定された住所を告げる。ひとしきりタクシーに揺られて降りてみると、目の前には有名な高級レストランがあった。
 まさか勇太がこんな店を予約するなんて思ってもみなかったので、私は少し戸惑いを憶える。今日は普段通りの量販店で買った安物のワンピース姿で、しかもメイクもほとんどしていなかった。私は自分の格好を恥ずかしく感じた。
 だいぶ気後れしながら思い切ってレストランの扉を開け、中に入ってみる。すると、目の前に勇太がさっそうと現れ、大量のバラの花束を手に私を迎えた。いつもは野暮ったいトレーナーとくたびれたジーンズが定番なのだが、今夜の彼はハイブランドのスーツに身をまとっており、髪はセットされていて靴もピカピカ。うっすらとコロンの香りもしている。店の奥からは生演奏のピアノとバイオリンの音色が聞こえてきた。さり気なく周りを見渡すが、他の客の姿は見当たらない。どうやら貸し切りのようだった。
 促されるままテーブルに座ると、今まで雑誌やテレビでしか見た事がないような上品な料理が次々と運ばれてきた。勇太はドヤ顔でワイングラスを掲げる。
 そんな彼に「こんな高級店を予約したのなら事前にいってよ。こんな格好じゃ恥ずかしいわ」と小声で文句をいったが、彼は笑顔で「大丈夫だよ」とはにかんでみせた。緊張で味の半分も分からなかったが、なんとかデザートを済ませると、突然演奏が止んだ。それと同時に照明が落ち、店内は暗闇に包まれた。
 停電かと思ったが、すぐに演奏が再開されると、店の奥からほのかに明かりが見える。
 やがてローソクの灯った大型のケーキが運ばれて来て、テーブルの横に止まると、レストランのスタッフがバースデーソングを合唱し始めた。勇太は椅子から立ち上がり、仰々しく両手を広げると、右手を胸の前に当てがいながら会釈した。
「誕生日おめでとう。僕からのプレゼント、受け取ってくれるかい」そういって彼はケーキの横に添えられたシャンパンの入ったグラスをひとつ手に取ると、そっと差し出してきた。
 それを受け取り、口にしようとした瞬間、私は思わず息を呑む。
 グラスの底にはシルバーに輝く指輪が沈んでいたのだ。
 私はシャンパンを飲み干し、その指輪を取り出すと、勇太はそれをハンカチで拭き、私の指に優しくはめた。
「サプラーイズ!」
 彼はそう叫ぶと、店内からは割れんばかりの拍手が湧き起こった。間違いなくこれまでの人生で最高の誕生日。気が付くと私は彼の腕の中でいつまでも泣きじゃくっていた。
 その後の記憶はハッキリしないが、唯一確かなのは、窓の外が満天の星空だったということだった……。

「へえ、あのドケチがねえ~」
 真理のディスりに、もうすっかり慣れた私は、右手の人差し指に光るプラチナリングをこれ見よがしにチラつかせると、あの夜を思い出して顔がにやけた。
「そうよ。実をいうと、ついこの間までは彼の気持ちがどこまで本気なのか疑ってたの。でも彼の誠意が伝わったから、今は何も心配していないわ」
「でも、誕生日過ぎたらまたドケチに戻ったんでしょ」
 真理の言う通りだった。その後、勇太とは以前と同じような節約デート(?)が続いたが、私にはなんの不満もなかった。むしろこれまで憂鬱でしかなかった九月九日を最高の日に変えてくれた彼に感謝の言葉もない。これが本当のお金の使い方だと思った。

 勇太のサプライズはその後も続いた。
 翌年の誕生日にはイルカショーで彼はアシカにまたがり真珠のネックレスを運んできたし、またその翌年も海岸の砂浜にサンゴで『I Love You』と並んであって、促されるままその横を掘ってみるとシャネルのハンドバッグが出てきた。
 彼はその都度『サプラーイズ』と満面の笑みで叫ぶ。一年に一度、私の誕生日に全力でサプライズを仕掛けてくる。彼はそういう男なのだ。

 その日は朝から雨が降り出していた。気が付けば彼と付き合いだした日から三年の月日が流れていた。
 いよいよ迎えた四度目の九月九日。今、私たちはショッピングセンターのフードコート内のホールに面したカフェテラスにいる。その日は日曜日だったこともあり、雨だというのにコート内は大勢の客で賑わっていた。ホールにはインストルメンタルの曲が静かに流れている。私は前日に美容院へ行き、朝から二時間かけてばっちりメイクを施し、先週奮発して買ったばかりの薄いピンクのブラウスに、年甲斐もなく流行りのギンガムチェックのスカートを決めた。足元は茶色のショートブーツを履いている。我ながら完璧なコーディネートだ。もちろん彼にもらったプラチナリングと真珠のネックレスを飾り、シャネルのバッグも忘れなかった。
 ところが今日の勇太は普段通りの格好だった。シワの目立つワイシャツにヨレヨレのスラックス。泥のついたスニーカーで、髪にも寝癖が目立つ。なんだか自分だけが気合入っている感じで、ばつが悪い。大勢の客の視線が気になり、余計に気持ちを滅入らせた。彼を見るとカプチーノを手に何だかそわそわしている。目がきょろきょろ泳いでいて、しきりに時計を気にしていた。
 怪しい。最近はデートの頻度も間が空くようになっている。前回のデートで気が付いたのだが、私の知らない香水の移り香が微かに勇太から漂っていた。まさか浮気でもしているのだろうか? 気のせいだと信じたい。
 会話も途切れて気まずい沈黙が流れた頃、彼は立ち上がってトイレに行ってくると姿を消した。
 独り残された私は、ぼんやりと行き交う人々を眺めていると、突然ホールに流れていた音楽が止まり、アップテンポな大音量のダンスナンバーが響き渡る。すると通行人の一人の青年が立ち止まり、いきなりダンスを始めた。周囲の客がざわめき出すと、やがてダンサーが二人、三人と増えていき、私の目の前でフォーメーションを組み出していく。周囲には彼らにスマホを向けている客たちもいる始末。
 戸惑いながら勇太のいた席に視線を向けると、相変わらず空席のまま。仕方なく再びダンサーたちに向き直ると、彼らの人数はいつの間にか十人を超えている。しかもそのダンスは明らかに私に向けてのものだった。
 なるほど、今年はこう来たか。私はすぐにピンときた。
 確かフラッシュモブっていうんだっけ。以前テレビで見たことがあった。最近デートの回数が減っていたのはこの為の練習をしていたのね。だからここを待ち合わせにして、さっきから時間を気にしていたんだ。ダンサーの中には女性の姿もあるから、香水の匂いも練習の時の移り香に違いない。だとしたら勇太は今頃大急ぎで着替えているはず。最高の笑顔で迎えてあげなきゃ。
 そう思った矢先、ダンサーたちが左右に分かれ、私の予想通りその中央から勇太が颯爽と現れた。
 二年前のあの時のレストランを思わせる見事なタキシード姿で、少しぎこちないながらも、髪を振り乱しながら笑顔で賢明に踊っている。よく見るとズボンのポケットがこんもりと膨らんでいるのが目に入った。きっとそこに指輪を忍ばせているに違いない。
 待ちに待ったプロポーズの予感に、急速に体温が上昇するのを感じて、私は瞳を潤わせた。
程なくして勇太が先頭でポーズを決めると、そこでダンスが終わる。万来の拍手の中でポケットをまさぐると、予想通り、勇太はこぶし大のリングケースを両手に構えた。そして私の前に歩み寄り、片膝をつくと、手にしたそれを震えながら差し出す。彼は一呼吸すると私の眼をじっと見つめ、はつらつとした声を出した。
「僕と別れてください」
「はい、よろこんで……えっ?」
 私は頭が真っ白になり腰が抜けそうになった。状況が全く呑み込めない。勇太は何を言ってるの? 一体、今なにが起きてるの?
 勇太は真顔で「他に好きな人が出来た。だから僕と別れて欲しい」と告げ、手にしたリングケースの蓋を開けると、その中は空っぽだった。
「……」あまりの展開に言葉が出ない。目の前の出来事が信じられなかった。
「そういう訳で僕のプレゼントしたプラチナの指輪を返して」勇太は返事も待たず、平然と私の指からリングを抜き取る。「あとネックレスとバッグも」
 最悪の誕生日になったことを悟り、私はめまいを憶え、目を閉じてゆっくり深呼吸をした。そして両手のこぶしを強くしっかりと握りしめて目を見開き、天を仰ぐと、思いっきりの大声で叫んだ。

「サプラーイズ!!」
 外は激しい雨が滝のように降り注ぎ、雷鳴が響いていた……。
                                 ――完結――
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