腕の中の銀河

文字数 1,730文字


「先生はお強いですね」

人はそう言ってくれる。仕事柄、そう見えるのかもしれない。けれど「そうですね」と答えたことはない。

「ほんの少し、道を知っているだけですよ」

遠回りをしたおかげで、この先も遥か遠く続く道のりを垣間見た。そしてそれは有限であり、舗装も装飾もはたまた袋道を置くのも旅人(ほんにん)の自由であると知った。
だから、壁を見越して迂回路を行くこともあるし、疲れたら立ち止まることもする。いまだに、意図せず迷路に入ることだって。それでも諦めずにいられるのは、道端に咲く花が美しいからだ。夜空に浮かぶ月が私を慰めるからだ。

迂回路を縁取る花、迷路に降り注ぐ月光。高低差も未開拓の区画もあるこの道は、直線道路にはない良さがある。そう思う。


***


私には思案癖がある。思考の種は何でもよかった。些末な失敗も小さい後悔も、誰も見ていない溜息さえこの頭を動かしたがる。故に私の迷路は深く、長く、広大だった。

鉱化後、すぐに私に出会い、私は私に優しく言った。

『出口は彼方(あちら)です』

信じて進んだが出口は見当たらない。彼は微笑んで言った。

『出口はもうすぐです』

行けども行けども景色は変わらない。

「いますぐ出口を教えてください」

彼は立ち止まって答えた。

『信じてくれないのですか』

そのとき、ゆっくり口を開いた彼は、無表情だった。

『いつもそばにいたわたしを』

そのとき、道に迷った理由を知った。


やがて鉱化から目覚めたとき、担当医がくれた言葉は今でも私を支えている。

「おかえり。待ってたよ」

初対面で名も知らず、血の繋がりも絆もないのに、心底嬉しかった。素直に感謝した。生まれて初めて、生きた心地がした。


***


回診中、ベッドの上で微笑む幼い君。

「先生、アランにいつものやって」

言いながら、きらきら輝く両腕を伸ばす。カルテを傍に置いて抱きしめると、耳元で心地よい笑い声が奏でられ、こちらもつられて二重奏。しばらくしてそっと体を離すと、シトリンだった君の輝きが白衣に転写。タンポポのように優しい黄色で彩色された。私の胸元を見つめ君は言った。

「ここにピンクの色がある。他の人もぎゅってした?」

「おや。ばれてしまいましたか」

「んもお、先生の浮気ものっ」

「ハハハ」

そしてまた笑いながらくっつく君。

「先生、アランね、ずっときらきらでいい。そしたら、ここでずっとぎゅってできるから」

「きらきらでなくとも、いつでも大歓迎ですよ」

「ホントにっ!?」

「ええ。ずっとそばにいますからね」

回診を終え医局に戻る頃には、また白衣が虹色になっていた。


***


鼓動する輝石、美しさの結晶。
そのそばで、奇跡を祈る人々。

「お願いまた逢いたい」

私も祈る側の一人だ。
ほら、ここにおいで。そして君の軌跡を教えて欲しい。
その手で掴んだ明日の風は、どんな色にしたの。
取り戻した君の声で、私に教えて欲しい。


***


消灯時間を迎えても眠れないというアラン君。ベッドの上で横になり一緒に絵本を読んだ。

「勇者のおかげで村は平和を取り戻し、みんな仲良くずっと幸せに暮らしましたとさ」

小さな手が伸び、閉じゆく表紙を止めた。

「先生。僕も大きくなったら、こうやっていられるかな」

彼の見つめる先には、笑顔で暮らす人々がいる。勇者は仲間に囲まれ、大切な人と寄り添って。

「もちろん。大きくなるのを待たなくても、勇者の(つるぎ)がなくともね」

「そっかあ」

彼は絵本を傍に押しやり、私の上によじ登って胸に顔を埋めた。ようやく睡魔が訪ねてきたらしい。微睡みながら、にこにこと話す君。その右手を私と繋いで。

「わかったよ。大きくなるのを待たずに、今から先生のお兄ちゃんになってあげるね」

「っふふふ」

「ほんとだもん。先生家族いないって言ってたから、アランがお兄ちゃんになる。アランも弟欲しかったの。もうこれで勇者と同じ。ううん、それよりもっと嬉しい。アラン、優しい先生と優しい世界にいる」

そして穏やかに閉じ行く瞼。月明かりに照らされ淡く瞬く頬。まるで銀河を抱いているよう。

「せん……せえ……だいすき…………」

腕の中が、胸の内が、とても温かい。
寝息を遮らぬよう、落涙を抑えるのに必死になった。

優しい世界が迎えにきてくれた。
いつか見た幸せよりも、遥かに私らしい。
それはとても、温かくて柔らかな、美しい世界。
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