第7話

文字数 3,663文字

   7
 次の旅は、きっと前回より楽しいはず。
 長袖シャツ1枚で旅をしていたあの時だが、今回は半袖の襟シャツを着ている。そして、隣には未来乃がいる。やっと彼女と旅に行ける。
 あれから本格的に付き合い始めた裕也と未来乃だけれども、裕也の鉄道旅に未来乃が付き添うのは初めてだった。
 前乗りで高崎に泊まっていた2人は、高崎駅の歩道橋をフリーきっぷを手に持ちながら歩いて行く。まだ、夜の明ける前だった。
 発車の時刻は6時21分と出ている。これが水上行きの一番電車で、この列車の先端にある2人掛けの席に座る。
「やっぱり早起きしたから眠いね」
「しゃーない」
「とりあえず、寝ててもいい?」
「寝てる間にキスとかされてもいいならね」
「もぅ・・好きだね君も」
「だってかわいいんだもん」
「・・・・っ!」
2人で話しているうちに電車は発車していた。未来乃はそのままウトウトと眠り、裕也は駅のコンビニで買ったおにぎりを3個ほど平らげて、車内もガラガラだったので、未来乃の太ももをさすりながら彼女のほっぺにキスをした。未来乃は微かに微笑んでいた。
 静かな車内で、車窓も関東平野では雪が積もるわけが無いので。裕也もいつの間にか眠りこけていた。けれども、終点近くのアナウンスで意識が戻って、車窓をちらっと見た時に眼がはっと覚めた。
 ただ草木が枯れていただけの車窓が一面の緑園を装った山間に変わっていた。そして、うたた寝からの夢から覚めると、そこはもう既に国境の中だった。
 水上駅を降りた瞬間に吸う空気は、とても冷たくて、それでいて都会の空気にはない清らかさが感じ取れるようだった。旧型電車の唸るようなモーター音に野生の生き物たちの声が乗っかって、1番線の2人だけのホームで見る水上駅は、初代のFFで例の橋を渡った時のような、旅の始まりが感じられた。
「何だか旅に来た気分」
「そりゃあ旅に出てるんだからな」
「へへへ」
「それにしても・・・おなか空いてこない?」
「そっか、未来乃食べてないもんなまだ今日」
「時間あるし、駅前のお店入ろうよ」
「分かった」
温泉街の駅前の店たちの朝は早かった。改札を出たのは7時30分くらいの事だったが、そこから見える店のいくつかは店内が明るくて、営業中の札がぶら下がっている。その中で唯一、土産物屋ではなく飲食店だと思われる、昔ながらの喫茶店のような店に2人は入った。
 喫茶店の朝食は、期待していない店で食べる期待していない味だったけれども、それはどうでも良い事で、裕也にとっては食事よりも未来乃と過ごす時間の方が重要だった。
 水上駅での乗り換え時間は1時間くらい開いていたが、それは狙って作った1時間だ。
 改札に戻り、次に乗る長岡行きの列車のボックス席で待っていると、高崎から来た電車が左に止まる。止まると、5両分の座席が大体埋まった程度の人数の人達が、ホームの先の狭い跨線橋目掛けて一斉に駆け出す。
 階段がケチなエスカレーターのような狭さなので、ばらけていた人波が、パチンコ台の玉の発射口のように狭められて行く。その狭い階段を下ってきた人達が2両しか無い上越線の長岡行きに分散されて乗ってきた。
「すごい人だね乗り換え」
「本数も少ないからな国境越えの列車は」
2人は小さな乗換駅で発生した人のさざ波を、ボックスシートから眺めている。
 長岡行きの列車は2両しか無く、それなりに立席の客がいるような混み具合で水上駅を発車していった。車内には鉄道マニア風の人、登山の装備をした人、スキーの道具を持っている人、色々居る。ただ、車内の混雑度は朝の地下鉄と変わらない。
 しばらくしない内に長いトンネルの中に入って退屈なので、川端康成の小説に出て来る国境の超えた先はまだかと思いながら過ごしていたが、今走っている線路はあの小説よりも後に敷かれた新線だと気付いて考えるのをやめた。やめたタイミングで車掌が切符を拝見しにやって来た。
 トンネルを抜けてしばらくすると、右側に朽ち棄てられたゴンドラが転がっているのが見えて、その先の原っぱに旧型客車が亡霊のように止まっている。線路は繋がっていないし、冬場は近くのスキー場の休憩場所として使われてるのかもしれないが、8月の車窓から見たそれは、成仏していない国鉄の影にしか見えなかった。
 越後湯沢でホームに出て、停車時間は2分しか無かったけれど、それでも在来線ホームの階段を上った先にある、昭和の趣がある建屋の立ち食い蕎麦屋へ駆け足で立ち寄る。立ち寄ると言っても蕎麦を食べる訳では無くて、店横の券売機に2100円を入れて券を2枚買う。それを蕎麦屋の店員に渡すと、店員は横の冷蔵庫から弁当を2つ取り出して裕也に手渡した。その立ち食い蕎麦屋は駅弁屋を兼ねていた。買った駅弁の巻紙には『牛~っとコシヒカリ』と書いてあった。上越線のホームに下ったら、車掌がドアを閉めようとしている所だった。
 ホームに出る時は停車の2分前ぐらいからドアの前に張り付いていたのでわからなかったが、越後湯沢を過ぎて車内が空いてきているようだった。越後湯沢までは東京の私鉄と大差ない車内だったが、今は地方の電車の車内になっていて、少なくとも車内で駅弁を食べるのに似つかわしくない事は無い。
 電車は小さな崖の上のような所を走るようになり、眼下には見ただけで別荘とわかるような建物が点在している。それからスキー場が見えて、そのスキー場の前にある停留場のような駅を発車して行き、電車は国境の先を走る。裕也は窓の先を見ながら、弁当を食べ、未来乃は裕也を見ながら弁当を食べている。
「ねえ裕也」
「ん?」
「これ食べきれそうにないんだけど」
「大丈夫だよ俺が食うからどうせ」
「やっぱり」
「ほら、もう俺の分無くなったし、それもついでに食べちゃうよ」
「お、おう・・・」
未来乃は腹の苦しそうな表情をしながら食いかけの弁当を裕也に手渡すと、窓の外へ向けて顔をやる。裕也は手渡された弁当をものの数分で平らげると、車内は何人かの人が立ち上がり、電車は止まった。看板には『六日町』と書かれていた。
 車窓は別荘地の中から水田の中に変わり、収穫までもう少しの稲穂が電車の車体を覆いつくさんとばかりにゆっさゆっさと揺れる。その合間に集落とホームが現れて、そこに時々ローカル線や新幹線がくっついて来る。そんな駅が数駅ごとにあって、それらの駅で人が降りて、乗って、また発車して、終点が近くなってくれば、その分人は増えていって、終点の長岡に着く頃には、2両の車内がパンパンになっていた。
 長岡で新潟行きに乗り換える。乗り換えるといっても加茂や新津を通る新潟行きでは無くて、燕三条を通る新幹線の新潟行きに乗り換える。
 乗り換え時間は30分くらいあったが、これは好都合だった。裕也は改札を出ると、駅前のヨーカドーに入って、アンダーシャツと半袖の襟シャツ、それにボクサーパンツを3セットづつ買い込んだ。
「寄るのはいいけど、スーツケースの中に入ってるんじゃないの?」
「いや忘れた」
「えっ」
「甚兵衛とボトムスと小さめのリュック以外入れるの忘れた」
「そ、そう・・・もったいない」
「いいのいいの、安もんだし買ったの」
「そう言う問題じゃないでしょ?」
「問題?」
「裕也はすぐ忘れ物をする」
「しゃーない」
「しゃーないって・・・」
「それが中井裕也だもの」
「うーなんかもやもやするー、なんかこう、物凄い感情が湧き出てくるような感じがする」
「細かいことはいいんだよ、さ、いこいこ」
「わかった・・・」
店内のベンチで買ったものをスーツケースに突っ込むと、長岡駅の分かりにくい階段を登り、在来線の改札を通ってその先の売店で1780を出して牛めし弁当を2つ貰う。
「もーさっき食べたばかりでしょうが」
「記憶にございません」
「はい図星」
「指摘は当たらない」
「ほら!それも!」
「政府資料が無いのでお答えできません」
「もうなんか脱線してきてるよ・・・どうするのその弁当、スーツケースに詰めてるけど、まだおなかすかないわよこっちは」
「15時くらいに食べてるでしょ、多分」
「多分」
「うん、多分」
2人は新幹線の方の改札を通った。
 新潟行きの新幹線は時間通りにやって来た。車両は既存の車両で、風景は田んぼに、三条や燕辺りにありそうなメーカーの広告看板がやたらと目に付く。どれも、新幹線の線路に向けて看板が立てられている。ストーブの方のコロナのロゴマークも見えた。
 意識は途中で吹き飛んでいたようで、目を閉じて再び開けたらもうすでに新潟の市街地を120キロくらいで走っていたが、何の事は無い。未来乃が言うには気持ちよさそうに寝ていたらしい。
 新潟駅では近くの店で、イタリアンのようでイタリアンで無い何かでスパゲッティらしき何か違う物を食べた。行く時に未来乃が裕也のスーツケースと顔を交互にじろっと見ると言う無言の抗議があったが、結局未来乃も新潟に着く頃には腹が減っていたようで、2人で1人前づつ平らげた。気付けば、太陽は空の真上にのぼっていた。
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