第1話

文字数 4,350文字

 新小岩で新小岩する為に新小岩に来たら新小岩の快速ホームに壁が出来てて新小岩出来ずに快速は新小岩を発車して行った。
 結局、列車に乗る為だけが目的の旅の予定は、中井裕也が錦糸町のパチンコ屋で大負けした事が原因で無期延期となり、その勢いで新小岩のホームから飛び降りようとして新小岩まで来たけれど、快速のホームにホームドア、それも東京駅よりも先に設置されていた事を忘れていた。錦糸町に行く時は変な夢を見ていた。
 けれども、たまたまそうだったのか、既に予約してあったホテルがキャンセル料金を取らず、きっぷも買う前だったので経済的な損失は殆ど無かったが、
「ローカル線に乗りに行けないこの悲しみは大きな損失でもあるんだよ」
と、そのほとんどをつぎ込んで消えていった、休職に伴う疾病手当金の事など忘れて1人、心の中で呟いている裕也のその目は不気味な笑みを浮かべている時のような目をしていた。
 その日の終電で木更津の自宅・・・実家だけど自宅と呼んでいるそこへ戻り、3時間後には昨日の大負けも忘れて朝一のスロット台ばりに心がリセットされた裕也は、金も無い事も忘れてエナジードリンクとスナック菓子を携えて、朝の逗子行きの快速電車に揺られていた。
 朝の総武快速はびっくりするほどの人の少なさだった。
 山手線や御堂筋線のようなロングシートの車両よりも、4人掛けのボックスシートの方が好きな裕也は当然そのボックスシートのある9号車に乗り込んだが、普段なら日曜日の今日でもそれなりに乗っているであろう車内は閑散としていた。ざっと見渡して、座席の2割くらいしか埋まっていない。
 その少ない乗客の車内では裕也以外のほとんどの人がマスクをしていた。世間では新型のウィルスが、世界単位で流行しているのだ。そんな世相を思っていたら、長浦から姉ヶ崎にかけて見える工業地域も何故か、どこか寂し気に思えて来ていた。
 東京都知事が週末の外出の自粛の要請を行った事など、世間の蚊帳の外に置かれたような人間には関係無い。蘇我駅の側線に佇んでいたタンク車を見て
「ガソリンも値段下がるんだろうな」
と、ひとり心の中で呟いたその車内は、千葉駅を発車してもまだ、ボックス席の1つが空いたままだった。
 結局、千葉からは今から行く店の前日の台データをくまなく調べる作業だけで時間がワープしたかのように、横を見れば墨田区だった。
 スロットで、前日に出ていた台が次の日も出る事は少ない。
 出玉を司る、設定を入れる方の心理として、出玉を出す=高設定の台は前日に出てた台では無く、2日間出玉が悪かったり、あまり稼働していなかった台とかに入れるだろうし、10台間隔で入れるにしても、台番号の下一桁が日付の下一桁と同じ、と言うのも避けるだろう。
 裕也はもっぱら、特定の機種しか打たないような人間だったので、それらの機種以外に打つ気など元から無く、入場後も真っ先にそれらの機種が置いてあるコーナーに直行して行った。

 結局、8時間打って12000枚出た。こんなに出たのは初めてだ。閉店まで居れば枚数はもっとあっただろうが、夕方に飽きて来て、その後その台はハイエナのような目をしていた奴が打っている。
 12000枚分の景品を早速店の近くで売り払って、すこぶる気分が良いので錦糸町の南口を用もなく歩いてみた。
 この辺りはラブホ街だが、ラブホ街としての規模は鶯谷なんかと比べれば小さい。その代わり、ラブホ街よりもお広範囲の、マンション街が同じ場所でミックスされている。そして、そのど真ん中にある小さな公園のベンチには2回に1回、女の子が佇んでいたり、女の子が泣きながら酒を飲んでいたり、女の子が精神薬を飲んでいたりする。
 今日もそうだ。ふと座ったベンチの、隣では女の子が手を震わせながら、今まさに精神薬を飲もうとしている。
 その隣のベンチに腰掛けて、タバコに火をつける。その隣では裕也の知っている精神薬を飲んでいて、それを吸いながら眺めている。
 すると、その視線に気づいてしまった女の子と目が合ってしまい、思わず目をそらす。向うも、恥かしいものを見られたような表情をしながら目をそらす。
 そこから少しばかりの沈黙が流れたような気がしたので、いつもなら根元まで吸っているタバコを、半分の所で携帯灰皿に突っ込んで立ち上がる。
 何となく気まずいような気がするので、その場を立ち去ろうとすると後ろから
「待って!」
と、声が聞こえる。振り向くと、さっきの女の子がこっちを見つめながら立っていた。
けれども、その女の子は自分が呼び止めたにも関わらず、何かもじもじしたようなしぐさを見せながらも一向に喋る気配がない。それどころか、裕也も気づかないうちに左腕を両手で掴んだまま離さない。腕を掴んだその手首には、刃物で刻んだような跡が残っていた。
 雑多な夜のごちゃごちゃした街の、空白地帯のような小さな公園に、2人だけの沈黙が流れる。その内、段々と心苦しくなった裕也がとっさに
「どこか、歩く?」
と女の子に語りかけると、掴んだ手を裕也の右手に持ち替えて2人はあてもなく歩き始めた。
 ラブホ街の近くの公園、広くない割に家賃の高そうなマンション街、パチンコ屋と謎の商店だらけの道、それらのさっきも見た光景を、さっき会ったばかりの女の子と手をつなぎながら歩いている。これは夢か何かかと思ったりもしたが、そう思った時はそれが現実である証拠であって、夢であるなら夢かどうかを疑う事など無い。
 気付けば錦糸町の南口をぐるりともう1周したようになっていた。流石に散歩のままでは間が持たないと感じた裕也は
「飯でも食う?」
と、女の子に言うと、女の子はうつむいていた顔を上げて、頷いたような動作を見せた。

 駅前のファミレスに何も考えずに入った2人は、店内のオレンジ調の明かりで雪解けされたかのように、段々と会話が芽生えていった。
 彼女の名前は浅田未来乃で、年齢は裕也と同じ27歳。裕也と違って大学に通っていたが中退し、その後は不安定な職を点々。しかし、ここ数か月で家賃の支払いも苦しくなるようになり、アパートを先日追い出された・・・との事細やかな説明を、ドリンクバーの紅茶をすすりながら裕也に話した。家具や生活用品は、先払いでまとめて支払ってあった小さな貸しコンテナに入れてあるものの、その場所は錦糸町から電車で30分以上掛かる場所についてあるそうだ。
「それにしても、あんな時間のあんな場所でだなんて、何かあったんでしょ」
裕也の、曖昧な表現で包んだ指摘に未来乃は一瞬、背中に小矢が刺さったような表情を見せると
「・・・どうして?」
とだけ返した。
「だってその・・・未来乃さんだっけ? あの辺で男に声掛けする女なんて珍しくも無いけど、君は、その・・・何というか、雰囲気が違った。いつも見るような゙金を稼いでやろう!゙って言うオーラじゃなくて、何かこう、切羽詰まったような物を感じた」
目を見開いて裕也をじっと見つめる未来乃に、裕也は続ける。
「それにさっき言ってたでしょ? アパートを追い出されたって。と言う事は、金銭的にも切羽詰まってたんじゃないかな」
未来乃はその言葉にこくり、とうなづいあ後に口を開く。
「結構鋭いんだね裕也さんって。最初は、何だかのほほんとしたような人に見えてたけど」
裕也が笑いながら下を向いて、頭をかく。
「その通りで、お金の面でピンチになっちゃって、それで、どうしようかってなった時に、普通は日払いとかのアルバイトを探したりするんだろうけど」
「・・・だろうけど?」
「実は今、スマホも止まってて、今はもうスマホが無いと働きにも出れない時代じゃない? だからどうしようも無くて、どうしようかと考えてた時に、ツイッターとかでパパ活が流行ってたのを思い出して、でもスマホが繋がって無いからツイッターもやれなくて、つらくなって薬を飲んでたら、自分でも気づかないうちにあそこで・・・」
未来乃の言葉が詰まった。入店してメニューを頼むときの沈黙にしばらく戻った後、未来乃は横に置いてあったバッグから膨らんだ白い封筒を取り出してテーブルの上に置いた。
 精神薬だ。
 黒髪のセミロングで、前髪はぱっつんだが横や後ろには時折ピンクの髪が見える。イノセントワールドの洋服にヴィヴィアンの小さなバッグ、そのバッグにはポムポムプリンとマイメロの小さなぬいぐるみが取り付けてある。耳は半分隠れたようになっているが、耳たぶには大きな穴が開いて・・・いや、開けてあって、多分、軟骨の部分にもピアスがある。そして手に出した白い封筒に書いてあったのは、メンタルクリニックの文字と、裕也が知っている精神薬の名前だった。
「引くよね・・・?」
未来乃の顔は、何か、言ってはいけないような事を言ってしまったかのような表情をしていた。
「いや」
裕也が口を開く。
「今は何も言わなくていい。きっと君のこれまでに色々な事があったんだろうし、君もその辺を今疲れるのは嫌でしょう? 何だかわけのわからないままに2人で飯食ってるけど、これも何かの縁とか、奇遇だって思えばいいし、それに・・・」
裕也は口を止めると、自分のリュックから膨らんだ白い封筒を取り出した。その封筒には、未来乃が飲んでいるのと同じ精神薬の名前が書かれていた。
「・・・これって」
「そう、君と同じやつだよ」
裕也が続ける。
「人間ってのはみんなそのどっかに影の部分だったり、見えない枷みたいなのを持っていたりするんだよ。でも、人間の本能なのかな・・・どんなに死にたいと思って、死ぬ場所に向かおうとしても、結局引き返してしまう。そんなもんなんだよ、人間って」
未来乃は小刻みに頷き続けていた。その眼には涙がにじみ出ているようだった。
 それから2人は他愛もないような話を、裕也の注文したピザやポテトフライをつまみながら延々としていった。傍から見れば暗い2人だっただろうけど、裕也の趣味である鉄道の旅の事、未来乃の趣味である洋服作りの事、互いに飲んでいる精神薬の副作用の話、それに、店内のWi-Fiで繋いだツイッターで互いのタイムラインを見せ合ったりした。そうこうしている内に注文から90分が経って、2人は店を出ることになった。このファミレスは、混雑している時に時間制限があるのだ。代金は裕也が出した。
 店を出て、錦糸町駅の改札にICカードをタッチした後、未来乃はしばらく黙って、恋人繋ぎで繋いでいた2人は、その場でしばらく立ち止まった後、見つめ合って2人同時にこう言った。
「「遠くに行こ?」」

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