もしかしたら議論を混乱させてご迷惑をおかけしてしまっているかもしれないと思うので、補足させてください。
「人間が幸福を感じるかどうかの極限は、目に見える身近な他人との比較にある」点について、盛り込むべきかどうか悩んでいる理由について詳述していませんでした。
単純に「こういう視点もありますよ」と思うだけなら、別に省いてもよい部分だと思うのですね。そのほうがシンプルになります。
ですが、ここからが重要ですが、たとえば本書の方針にそって上手いことスキルアップして成り上がっていったと仮定してください。それで色々な幸福度スコアを獲得して、幸せが蓄積されていくはずじゃないですか。
しかし、です。
これは自分も経験してきたことなのですが、どんなに成り上がったとしても、自分が特定の目的を達したとしても、そこにはそこの世界があるわけですね。その特定の世界に所属できたとしても、結局のところ前と同じレベルに近い幸福と不幸があるわけです。
経営者には経営者の、漠然としたインナーサークルのようなまとまりがあります。経営者と一括りにもできませんが、たとえばですね、IT企業経営者としてそれなりの地位を達成したとすれば、そこに横のつながりのようなものが出来るわけです。それをここでは一つのインナーサークルと呼ぶことにします。
元々自分は、その立場を獲得するために一生懸命に努力して、ようやく目的を達成して、インナーサークル入りしたとしますね? ですが自分の世界がそこを基準に切り替わった瞬間、またそのなかで嫉妬や競争があり、ちっとも幸福感がないわけです。ごくたまに仕事から離れて、ホテルの最上階のレストランで夜景を見下ろしながら「俺も出世したな」とか思う瞬間は、それはまぁ世間一般の人たちと自分を比較している瞬間ですから、その瞬間だけはなんとなく幸福感に浸れたりすることはあるかもしれませんが、普段はそんなことを考えもしませんし、自分のインナーサークルの世界の物事を基準に動きます。
これは、どんな世界にいっても、どんなインナーサークルに自分が所属していたとしても、まぁ大体一緒でした。
いや、外の世界の人たちと比べて、たしかに幸福や不幸を感じる瞬間はあるんですよ。そこは確かです。もし自分の年収が100万円しかなかったら、世の中を恨む不幸感というのは確かにあるでしょう。でも日常的には外の世界より、自分のインナーサークルのなかでの視点のほうが強くなりがちでしたし、立場が上がり、世界が狭まれば狭まるほど、より村社会になっていき、その傾向が強くなります。
別の方面からの具体例としては、ここでのぼくは、小説家としてのインナーサークルのようなものに所属しているわけじゃないですか。でも小説家のインナーサークルに自分が所属した瞬間、やっぱりそこの世界のなかでの幸福と不幸があり、それが持つ強さというのは、他のポジションに自分がいたときと、それほど変わらないわけです。
ここをご覧になられている多くの皆さまが、もし小説家を目指していたとして、そしてもし本当に小説家になれたとして、幸福度スコアの判定からいえばかなりの幸福度を得ているはずですが、本人の気分的には、世界が切り替わった瞬間に、数字で示されたほどの満足感は得られないわけです。
幸福度スコアで判定していくのは良いのです。ぼくも何ら異論はありません。
ただ、仮に段階的に目的を達成して成り上がっていったとしても、スコアで示されたほどの幸せは手に入れられず、またそこにも人間世界が広がっているのだということは、押さえておくべきことなのではないかなと考えました。そして可能であれば、幸福度スコアのなかに入れ込むか、またあるいは幸福度スコアとは違うところで何らかの指標を入れておくべきかを検討する必要があるのではないかなと思った次第です。
長々と本当に申し訳ないです。