第9話 秘匿の街

文字数 765文字

何度目の熱帯夜だろうか。素肌に貼り付くシャツが気持ち悪い。
僕はベンチに座って携帯を眺めていた。
お姉さんを待っていた。あの状態になった人間がどのように暮らしてるか、想像に難かった。
お姉さんは、仕事に行くのだろうか。あの男は、変わらずフラフラとしているのだろうか。
そんなことを考えながら、僕はSNSを検索していた。誰かが、この街に起きていることを発信していないか。
ー発信したとて、どうなるんだろうか。
炎上狙いのインフルエンサーが見物に来る?
行政が動く?
そうなったら、僕たちの生活は?
ーサクトはどうなる。
僕は少しだけ過った考えを振り払った。

コツコツとした足音が聞こえた。顔を上げると、遠く、桃色に燃える月は遠い街を照らしている。
世界で此処だけが取り残されている。

LEDに照らされた明るいアスファルトに影が伸びる。
「お姉さん。」
全く人を追いかけられなそうなピンヒールが、足を止めた。
お姉さんは、白目を剥いていなかった。いつも通り、綺麗に巻かれた髪に甘い香りを纒い、柔らかな肌を熱い空気に晒している。濡れた唇がにやりと開いた。
「見ちゃったね。」
「ええ。」
「お兄さん、私達をどうにかする?」
瞬きが多いが、長い睫は一糸乱れない。
「お姉さんは、あれは、本当ではなかった。」
ゆっくり言い聞かせるように言うと、お姉さんは笑みを曇らせた。
「下手くそだったかな。」
「何で?どうして、わざわざ。」
あの男と同じようになりたかったのか。
「だって、遅かれ早かれじゃない。」
お姉さんは、僕に会釈をすると、歩みを再開した。
「みんな、ああなるでしょ。」
最後の言葉は、自分に言い聞かせるように噛み締めた。
僕は、胸に空いた喪失を、失恋だと理解した。
ーお姉さんは僕を頼らなかった。
僕もお姉さんに歩み寄らなかった。

帰途、地面に血液を滴らせながら、瀕死で森に消える男を見送った。
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