第1話 行けなかった花火大会

文字数 786文字

ふらふらと、操縦士を失ったように力無い軌跡を描いて、トンボは汗で湿ったベンチに落ちるように止まった。
「こうなったら、死んだらいいのに。」
光の無い目でナユは呟いた。艶々とリップを塗った唇に、真っ白な雫が伝う。
「アイス、早く食べないと溶けるよ。」
僕は彼女がトンボに止めを指すかどうか、もうどうでもよかった。遠くの入道雲はいつも同じ形をしていて、傾いた太陽の温度は少しも下がらない。僕の思考は半分も動いてない。
団地の狭間に申し訳程度に作られた、言い訳みたいな「公園」のベンチに迷い込んだ時点で、このトンボは詰んでいる。
「今年も、花火大会行けなかった。」
彼女は恨めしげに言った。
「行きたいなら、東京まで出ればまだ花火大会あるよ。」
「浴衣着ていくのしんどいじゃない。」
「ここの花火大会、知り合い沢山いるよ。しんどいじゃん。」
コンビニで買った、コンビニにしては美味しいアイスを頬張る。少し電車に乗れば、食べたこともないようなアイス屋があるのに、この街の人間はこれで満足している。
「ねえ、あれ。」
ナユが、団地のある高台の下の道路を指差す。手足の長い、女性が佇んでいた。
「あれ、見たことある人。」
「ふうん。」
コピー&ペーストみたいな街には、静けさの割には多くの人間が住んでいて、ほとんどが自分に関係ない人間だ。僅かに、危害になるような者もいる。
「僕、知らないや。」
西日の中にいる人影は、急にぐいん、と揺らいだ。そして、手を真っ直ぐに前に突き出すと、スキップするように走り出した。
「何あれ、怖。」
ナユは嘲るように笑った。
並木の陰に差し掛かり、逆光で見えなかった彼女の表情が見えた。
「ナユ、行こう。」
「は?アイスまだなんだけど。」
ナユが人影に視線を落とした。
近付いてくる彼女が首を傾げてこちらを認めた。
真っ白な目を見開いて、口角を上げて極限の笑みを浮かべる。
僕たちはアイスを捨てて走り出した。
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