第2話

文字数 16,175文字


「彼ら、って誰なんだよ」と僕は言う。「一体どこにその

がいるってんだ?」

 でもその質問に答えは返ってこない。これはまあいつものことだ。僕は今こんな風に顔の見えない誰かと話をしている。もっともいつもいつも決まって顔がない、というわけではない。それはときに人の姿を取り、またあるときには動物の姿を取る。ただ今この瞬間に限っては風の姿を取っている。まあそういうことだ。

 僕は海沿いの街に住んでいる。もう五年ほどいるだろうか。もっとも好きでここに来たわけじゃない。ただ単に海の近くで家賃が安い場所を探していたら、この街に行き着いただけのことだ。というのもここでは一切経費が支給されないからだ。この世界で生きるための資金は、基本的には自分で稼ぎ出さなければならない。

 それで僕は週に何回かスーパーでアルバイトをして、なんとか生計を立てている。幸いそれほどたくさんのものを食べるわけではないし――ときどき一日中何も食べないでそのことに気付かないことすらある――酒を飲んだり、あるいは旅行に行ったりすることもない。とりあえず人並みの生活ができれば、それで十分なのだ。

 ちょっと説明が足りないかもしれない。僕はここで――この世界で――一応「人間」として生きているけれど、本当は人間ではない。じゃあ何なのか、というと、うまく自分でも説明できないのだけれど、あるいは「天使」といったほうが近いかもしれない。僕は自分の上位にいる何かから指令を受けて、この世界でやるべきことをこなす。それは単なる事務的な作業であることもあるし、ひどく込み入った大規模なプログラムの一端を担うこともある。

 ときどき自分は「天使」というよりも「悪魔」に近いんじゃないか、と思うこともある。というのも自分が何か善きことをしている、という実感をただの一度も抱いたことがないからだ。良くも悪くも僕にはそのような熱意は存在しない。実務的観点からすれば、あるいは天使も悪魔もさほど変わらないものなのかもしれない。

 僕がさっき話していたのは、要するに上位規範からのメッセージボーイ(あるいはガール)だ。彼らは今日は風の姿を取っていた。そのメッセージの中身ははっきりとしたものであることもあるし、全然はっきりせず、何がなんだか分からないこともある。場合としては後者の方がずっと多い。おそらくここまで運ばれてくる間に、何かしらの理由によって――たぶん重力の違いとか――否応(いやおう)なく(ゆが)んでしまうからなのだろう。

 僕はここでは一応二十八歳ということになってはいるのだが、もちろん歳なんてほとんど何の意味もない。今ここで六十歳の姿になれ、といわれればたぶんできるのではないかと思う。ちょっと時間はかかるかもしれないけれど、上にいる誰かの力を借りればそれは可能であるはずだ。でもまあ、今のところは六十歳になるつもりはない。というのもちょうどこの年齢が僕は結構気に入っているからだ。

 それで、僕はもう五年この街にいる。どこにでもある、いささかさびれた、海沿いの小さな町だ。魚はおいしいけれど、それ以外は特にこれといった魅力もない。本当に正直にいえば、この街に住んでいる人々もまた、いささかさびれているみたいに見える(この街で一番(にぎ)わっているのはおそらくパチンコ屋だろう。駅は一応あるのだけれど、もしかしたらない方がずっといいんじゃないかというしろものだ。図書館にやって来る老人たちは居眠りをしている。子どもの数は年々減ってきている・・・)。

 でもまあ、そんなのは僕にはどうでもいいことだ。ここでの僕の仕事は――スーパーの品出し係を除けば――ものごとのバランスを取ることにある。世界は本来微妙なバランスの(もと)に成り立っている、とかつて研修期間に教わった。人間の意識が薄暮(はくぼ)の闇に包まれていた頃には、それでほとんど問題はなかった。そのバランスを乱すものなどどこにも存在しなかったからだ。自然界はピタリとした均衡の(もと)で存在し続けていた。食べる者がおり、食べられる者がいた。一時的に問題が起きても、長い目で見れば、それはまたもとの正常な状態に戻っていった。

 しかし人間の脳が飛躍的に進歩するにつれて、その状況にある変化が生じるようになった。要するに人々は自分の道を模索し始めたのである。本能に従ってウホウホと生きるだけでなく、何か別のものを求めるようになったわけだ。もっともすべての人がそんなことに耐えられるわけではない。ごく一部の指導的な立場にある人物、あるいは意図的に主流から離れようとする人物に限られている。そういった人々は知らぬ間に――良くも悪くも――世界のバランスを崩すことになった。というのも本来自然界はそういったものを想定していなかったからだ。

 それでまあ要するに、長い間人々には生きるべき人生のフォーマット、とでもいえるものが用意されてきた。それはおそらく僕の上にいる人々が作成したものなのだろう。何を信じるべきなのか。何にプライオリティーを置いて生きるべきなのか。どうすれば迷うことなく日々健康に――そして健全に――過ごすことができるのか。

 もちろんすべての人がそれに従うことを想定していたわけではない。あくまでこういうやり方がありますよ、といういくつかの例を提示したに過ぎない。しかし圧倒的に多くの人々がそれに盲目的に従うことになった。というのも彼らは意識というものの重荷に耐えることができなかったからである。意識を持つ、ということはつまりそれなりの責任を負う、ということを意味する。というか本来はそうであるはずなのだが、それができない人々のために我々がそれを肩代わりしてあげよう、ということなのだ。それが道義的に正しいことなのかどうかは・・・正直分からない。ただそうでもしないことには何十億という人々が一気に途方に暮れてしまうだろう。そうしたら世界はどうなる? きっとカオスのような状況になるに違いない。今だってひどいのに、もっとひどくなるに決まっている。だとすると「まあそれでいい」と感じている人には、まあそれでいいのかもしれない、と僕は思う。

 しかしまあ、中にはそれに耐えられない人もいるわけだ。ごく少数ではあるのだけれど、社会のメインストリームに組み込まれることを良しとしない人々が存在する。まあだからといって僕には特に興味なんかないのだけれど、中にはそこに結構危険な要素を持った人も存在するわけだ。その人物が自らの責任をきちんと負うことができたなら、世界に一つ

がもたらされるだろう。それはほかの人々が気付きもしない何かだ。しかしそれなりに強い力を持っている。生きるという行為の目的ともなり得るものだ。

 しかしその一方で、たとえばその人物が責任を負うのを放棄したとする(そういうことは往々にして起こり得る)。それはそれで僕としては知ったこっちゃない、ということにはなるのだけれど、ときどき上の誰かが「それは正しくない」と判断することがある。というのもその責任を放棄した心に、何か別のものが入り込む可能性があるからだ。それはおそらく闇の領域に属するものだ。僕のちょうど反対側に存在するものだ。もしそんなことになってしまったら・・・正直そんなことは想像もしたくない。いずれにせよ「それは良くない」と彼らに判断されれば、まあ僕の出番がやってくる、ということになる。

 
 そのとき僕が指令を受けたのはある女性の画家についてだ。すぐ近くの街に住んでいて、よく海の風景を見にやって来た。ときどきそこで簡単なスケッチを取ることもあったが、ただ景色を眺めているだけのことも多かった。遠い目をして、しばらくの間ただじっと波の動きを見つめている。一体何を考えているのだろう、とその姿を見るたびに僕は思ったものだ。いずれにせよ、今その彼女が一種の精神的な危機に(おちい)っているのだ。

 彼女は過食症だった。というかそういう情報を僕は上からもらっている。もう十年ほど食べ、そして毎日吐き続けている。今年で三十歳になるが、そろそろ自分の人生を終わりにしてしまおうと思っている。というのも生きていることに積極的な喜びというものを見いだすことができないからだ。毎日くだらないお菓子を食べ、そしてそれをそっくり吐いてしまう。必要な栄養を摂ることができないから、今ではすっかり()せ細ってしまっている。

 始めは魔法の解決策を見いだしたつもりだった。好きなものを好きなだけ食べて、それでいて太らないのだ。誰かに迷惑をかけるわけでもない。それの一体何が悪い? でもそれはやはり不自然なことだった。吐けば吐くほど、彼女の精神は(むしば)まれていった。あたかも込み上げてくる胃液が本来そこにある正常な思考をも溶かし去ってしまうかのようだった。そのせいで一体なんであんな男のことが好きになったんだろう、と思える男のもとに走ったこともある(当然ひどい結果がもたらされた)。あるいはごく単純な食欲に突き動かされて、何度か万引きをしたこともある。そのうちの一回はばれて捕まったが、反省している振りをしているだけで、通報はされずに放免してもらった。でもいつまでもこんなことが続くわけではないことは本人にも分かっていた。というのも自分の中の何かが、そろそろ悲鳴を上げ始めていたからだ。その部分は執拗にこう言っていた。

、と。

 
 もちろん彼女なりに努力をしなかったわけではない。一度専門医にも相談したし、似たような症状を抱えた女性たちの集会にも参加した。それによって「自分が必ずしも特殊ではないのだ」と思えたことは収穫だったが、彼らに頼っていることは、かえって根本的な解決から遠ざかることを意味するような気がして仕方なかった。それで徐々に病院にも行かなくなり、薬も飲まなくなってしまった。結局集会は二度参加しただけだった。

 正直にいえば、彼女は医師や、その集会に参加していたほかの女性たちを軽蔑していた。決して自分が何かまともなことをやっているわけではなかったにもかかわらず、だ(ただ食べて吐いているだけ)。しかし心のどこかには自分は彼らとは決定的に違っているのだ、という思いがあった。あの人たちはきっと永遠になんにも見ないで生きていくのだろう、と彼女は思った。でも私は違う。私の中には何かがある。何か普通とは違ったものが。

 そういう感覚は実は高校時代からあったものだった。もともと絵を描くのは好きだったのだが、たとえば同級生たちのように、その関心は漫画やアニメーションの方には向かわなかった。彼女に興味があったのは、もっとシリアスな油絵や彫刻、そういった(たぐい)のものだった。一度図書室の画集でゴッホのいくつかの作品を見て、息を呑んだ記憶がある。その独特なタッチには何かが込められていた。精神の非常に深いところにある、言いようによっては(ゆが)んだものだ。彼は明らかにそれに突き動かされて絵を描いていた。私もいつかこんなものが描けるのだろうか、と彼女は思った。

 学校のコンクールなんかでは何度も入賞したのだが、彼女は根本的に自分の描いているものが好きになれなかった。そこには何かが欠けている、といつも感じていたからだ。教師や両親は手放しで称賛してくれたものの、褒められれば褒められるほどその心は冷めていった。実をいうと、この時点ですでに例の軽蔑が顔を出していたのだ。この人たちはなんにも見ないのだ、と彼女は思っていた。私が欲しているもののことなんて、きっと一生かかっても理解できないのだろう。

 卒業後は都内の美大に進む予定だった。というかそれ以外興味の持てそうなものがなかったのだから仕方がない。でも結局第一志望には受からずに、一浪して第二志望の私立の大学に入った。しかしそこで教えられていることに一切興味が持てず――教師よりも自分の方が優秀なのだ、という思いをどうしても(ぬぐ)い去ることができなかった――一年で退学した。

 当然両親はそんなことは認めなかった。もともとあまり折り合いの良い方ではなかったのだが、この歳になってさらにその傾向が顕著になってきた。一体いくら入学金を払ったと思っているんだ、と父親は言った。母親は半狂乱になって何かを叫んでいた。彼女は一方的に電話を切り、これからは一人で、自分自身のために生きていこう、と思った。頭のおかしい人間に構っている暇などないのだ。なにしろ私には私のやるべきことがあるのだから。


 アルバイトをしながらなんとか絵を描き続けよう、というのが当初の目論見だった。やるべきことをきちんとやっていさえすれば、いつかもっと成長した自分が現れるのではないか、と思った。そこまでいけば、あるいは他人の目から見ても優れたものが作れるようになるかもしれない。

 しかしどうしてもその「やるべきこと」に意識を集中することができなかった。両親はその後仲直りの電話(みたいなもの)をしてきて、何度か実際に顔を合わせる機会もあった(それはもちろん彼女にとってはありがたいことだった)。コンビニでアルバイトをして、なんとか狭い六畳間のアパートの家賃を払った。それはもちろん良かったのだけれど、肝心の「やるべきこと」に意識を集中することができなかった。一人部屋にいて、白紙のキャンバスを――あるいはスケッチブックだっていいのだが――眺めていると、自分がひどく無力な人間になったような気がした。自分の中から闇の人間が出てきて、お前なんか何の価値もない、と(ささや)いた。「ゴッホだって?」と彼らは言った。「勘弁してくれよな。君にあんなものが描けると思っているのかね? 君なんてただの田舎から出てきた世間知らずのお嬢さんに過ぎないのさ。自分に才能があるだって? 笑わせてくれるよ。せいぜい物好きな男に抱かれて子どもでも産めばいいのさ。何の役にも立たない子どもを」

 そんなとき彼女は一人部屋でじっとしていることに耐えることができなかった。そんなのが自分の意識の声に過ぎない、ということが分かっていたにもかかわらずだ。その結果彼女の心が向かうのは、食べることだった。過食嘔吐のサイクルが始まったのはちょうど大学をやめた頃だったと思う。突然「お菓子を食べたい」というものすごい衝動に駆られる。頭の中はすでにその妄想で(ふく)れ上がっている。急いでスーパーやコンビニに行き、くだらないお菓子を大量に買ってきて、ほとんど何を考えることもなくボリボリと食べる。胃がパンパンになるまでそれが続く。もうこれ以上物理的に入らない、というポイントに至って初めてそれは終わる。そのあと消化吸収されてしまう前に、トイレに行って全部を吐き出してしまう。すべてが終わると自分が無になっていることが分かる。何の価値もない。生きている意味もない。絵を描くこともできない。生産性のない人間。

 もっとも本当の「無」になったときに、ごくわずかではあるけれど絵を描くこともできた。そんなとき彼女はほとんど何も考えずに絵筆――あるいは鉛筆――を動かした。描くべきことはごく自然に浮き上がってきた。それは具体的なイメージを取ることもあったし、ひどく抽象的な形のままやってくることもあった。いずれにせよ彼女はほとんど自動的に手を動かしていた。それはなかなか悪くない気分だった。正直自分でも何をしているのかよく分かっていなかったのだが。

 しかしそういう時間もあっという間に終わりを告げた。吐いたことによる空腹が拷問のように胃を締め上げるからだ。ついさっき全部出してしまったのだから、本当に生きるために少しくらいは食べてもいいのではないか・・・。そういう声がどこかから聞こえてくる。一度その声が聞こえてきてしまうと、もう意識を集中することなんてできない。彼女は何にせよ描いていたものを放り出し、そしてまた食べることに戻っていく・・・。


 過食症の症状は男と付き合っている間も止まらなかった。というかむしろよりひどくなっていったくらいだ。以前はあるいは本当に自分のことを思ってくれる人と一緒にいたらこれは治癒するのではないか、と期待していた。というのもたった一人で生きていることの孤独が、その原因であるような気がしたからだ。私はおそらく一人で生きることには向いていないのだろう、と彼女は思った。

 初めて寝たのはアルバイト先で知り合った年上の男だった。大学院に通いながら物理学の研究者を目指している、ということだった。彼はごく客観的に見てもまともで、なかなかハンサムな青年だった。人生に対する明るい希望を持っていたし、適度なジョークを言うこともできた。彼女は本当に、

彼に惹かれている、というわけではなかったにしろ、その優しい態度にはなにかしら身体を芯の方から温めてくれるものがあった。もっとも彼女としては彼が一体自分のどこに惹かれたのかよく分からなかったのだが――というのも彼女は一般的にいえば「美人」というわけでもなかったから――彼に言わせれば、君はほかの人とは違っていて、そこが魅力的なのだ、ということらしかった。

 彼との関係自体はなかなか悪くなかったのだが――もしかしたら結婚するかもしれない、とさえ思った――しかし次第に何かが足りないと感じるようになった。結局のところ(まだ実際には作品を一つも仕上げていなかったにしろ)彼女は芸術家気質の人間だった。自分の中のまだ見ぬ領域を、いずれなんとかして掘り起こしたいと考えていた。一方の彼は純粋な理系人間で、論理的に把握できるものがすべてだと考えていた。余暇に絵を描くのはまあ悪くないかもしれない。でも本当に大事なのは物理学的法則なのだ、と。

 彼はやがてアルバイトを辞め、結局は研究者の道をあきらめて、ある企業の開発部門に就職した。まあ夢はあきらめたにしろ、むしろこっちの方がずっと収入は良いだろう、と彼は言った。安定もしているしね。そして当然のことながら、その後彼女が自分と一緒に暮らすものと確信しているようだった。君はもうアルバイト生活をする必要はないよ、と彼は言った。

 でもそのときの彼女には決断を下すことができなかった。これから

この人の妻となるなんて。問題は、おそらく何一つ問題がない、という点だった。彼は優しいし、突然暴力をふるったりすることもないだろう。きっと浮気もしないに違いない。いささか状況が悪くなったとしても、あの素敵な笑顔で罪のないジョークを飛ばすに違いない。きっと大丈夫だよ、とかなんとか・・・。

 あるいは普通の女の子ならそれでいいと思うのかもしれない。しかし彼女には無理だった。私はそんな風にはできていないのだ。なぜかは知らないのだが、「予測可能な生活」というものを彼女は軽蔑していた。私はそんな風にこれからの人生を無駄にすることはできない。

 彼女は別れ話を切り出そうとしたのだが、まさかそんなことが起きるとは想像すらしていない彼に対して一体何をどう話し始めたらいいのか分からなかった。それでまず最初に、例の自分の過食症についてカミングアウトしてみた(彼はそれまでそのことを一切知らなかった)。

「そうか・・・」としばしの沈黙の(のち)、彼は言った。どうやらそれは想像していた以上に彼にショックを与えたようだった。もっとも彼女としては、それは決して褒められた(たぐい)のことではなかったにしろ、自分という人間の本質とは何の関係もないことなのだ、と思っていたから、少々驚いた。彼にとってはそんなことが問題になるのか、と。

 彼が黙り込んでいる間に、彼女は頭の中で海のことを考えていた。広くて、何もない海。灰色の雲が上空を覆っている。自分はその波打ち(ぎわ)にいて、ただ波の音を聞いている。誰かを求めることもないし、誰かに求められることもない。そういう状況を。

 それはなかなか悪くない光景だった。これまでの自分の人生なんか全部ちっぽけなものに感じられた(おそらく実際にそうだったのだろうが)。なにもかもが(はる)か遠くに流れ去っていくように思えた。孤独も、芸術も、哀しみも、精神も・・・。あまりにもそうやってそちら側の幻想に(ひた)り込んでいたため、しばらくの間、彼がぼそぼそと何かを言っているのに全然気付かなかったくらいだ。

「ええと、それは大変だったと思う・・・」と彼は言っていた。「でも専門医に相談すれば、きっとよくなるはずだと思うんだよ。あるいは結婚するのはそのあとの方がいいのかもしれないな・・・。でもそのあとにはきっと、僕らは幸福な家庭を築くことができると思うんだ。なにしろ君は個性的で、魅力的だしね・・・」

 せいぜい物好きな男に抱かれて、子どもでも産めばいいのさ、とどこかで誰かが言った。何の役にも立たない子どもを。

 そのとき彼女は自分の心が完全に彼から離れていることを知った。


 不思議なことに、彼と別れたあとには過食嘔吐の症状は少しだけ快方に向かったように思えた。いまだ吐くことは続けているものの、その頻度や程度が明らかに軽くなっていたのだ。彼女は食べること自体にさほど興味が持てなくなっていた。もっとも惰性でずるずると似たような習慣を続けてはいたのだが、あるいは今ならきちんとした絵が描けるのかもしれない、と思うようになった。

 別れた彼の方は未練たらたら、という感じではあったのだが、しばらく時間が経つと結局そのことにも納得したらしかった。あるいは彼にしたところで、二人の間のコミュニケーションが必ずしも相互的ではなかった、ということはうすうす感じ取っていたのかもしれない。あなたにはもっと可愛くて、なんにも考えない女の子の方が似合っているんだよ、と彼女は思った。家事をこなし、育児をこなし、罪のない笑顔を振り撒き・・・。彼女はある意味では自分が彼よりも強いことを知っていた。彼が名のある企業に就職し、平均よりも高い収入を得ていたとしてもなお、だ。彼女は自分がものごとの真実を見ている――あるいは見ようとしている――のだと認識していた。そしてそのことは自分でも意外なほど強い力を与えてくれたようだった。

 結局のところそういった認識がなければあの時期を生き延びることはできなかったのかもしれないな、と彼女は思った。実家に戻ってきてこっちで働いたらいい――おそらくは結婚するまで――という家族の誘いも何度もあったし(それはその都度断ったのだが)、よっぽど絵を描くことなんかやめてしまおうと思ったこともある。しかしそのたびに

が彼女をキャンバスの前に引き戻すのだった。自分は本来どこかと結び付くことのできる人間なのだ、と彼女は思っていた。どこかこの世ではない場所に。


 そんな中大学時代の数少ない友人の一人が自殺したことを知った。一年に数回ほどは連絡を取り合う仲だったのだが、風呂場で手首と、そして(けい)動脈を切っているところを発見された、とのことだった。素敵な笑顔で笑う、快活な女の子だった。彼女の方はきちんと大学を卒業し、今ではアニメ会社のスタジオで働いていた。給料が安い割に労働は厳しい、ということをこぼしてはいたものの、自分の人生にそれなりの期待を持っているように思えた。

 しかしその彼女も今では死んでしまった。それは意外なほどショックなことだった。どうしてあの子が死んでしまわなければならなかったのだろう、と彼女は思った。優しくて、人の心の痛みというものを敏感に感じ取れる女の子だった。歳を取るにつれて私たちがいつの間にか失ってしまうイノセンスのようなものを、すごく大事に保持し続けていた。あの子は正直なところ、最も死ぬべきではない種類の人間だった。もし戦争が起きたら――そんなことは考えたくもないが――真っ先に守られるべき種類の人間だ。

 あるいは世界はそのバランスを取ろうとしたのかもしれない、とそのときふと彼女は思った。何か大きな波のようなものがやってきて、そしてその結果、最も死から遠いところにいた人物に死がもたらされたのかもしれない、と。

 彼女は葬式には行かなかった。そんなことをしたらかつての((つか)の間の)同級生たちと顔を合わせることはまず間違いのないことだったし、彼女としてはそんなことには耐えられそうになかったのだ。それに今回の件の本質を理解している人なんかきっとどこにもいないだろう、という気もした。人々はただただ首をかしげるに違いない。可愛くて、仕事もよくできた。いつも笑顔で笑っていた。一体あの子に死んでしまうだけのどんな理由があったのだろう、と。

 しかし日々食べては吐くことを繰り返している自分には、ある程度のところまでは理解することができた。たとえ「そうではない」と思っていたとしても、人は事実として闇のすぐそばで生きているのだと。一体いつそれがやって来てあなたたちを(とら)えるのか、それはほとんど自然の気まぐれのようなものに過ぎないのだと。


 そのあたりから彼女は新たな作品を描き始めた。まず最初に頭に浮かんだのは、灰色の海辺の光景だった。そしてそこに一人の女性が(たたず)んでいる。それは自分自身にも見えたし、自殺してしまった友人のようにも見えた。いずれにせよ顔ははっきりとは見えないのだが、麦わら帽を(かぶ)って、どこか遠いところを見つめている。その先には雲があるが、不吉な黒い色の奥に何かがあるようにも見える。

。それが何であるのか、描いている本人にさえよくは分からなかったのだが、おそらくそれが死を含んだものであることだけはたしかだった。外から観察している我々には、それは彼女の視線と周囲を渦巻く雲の微妙な色合いによって判断するしかない。しかしそれが「生きる」という行為の本質的な部分に関与していることは明らかだった。自分が描きたかったのはまさにこれなのだ、と彼女は思った。

 彼女は寝るのも忘れてその作業に取り組んだ。これまで(つちか)ってきた技術を総動員してその絵を描いた。もちろんその間も食べては吐き、食べては吐きというサイクルを――不毛なサイクルだ――繰り返してはいたのだが、もはやそれについて罪悪感を抱いている暇もなかった。アルバイトをしなければならない境遇がこれほど腹立たしかったことはない。なにしろ自分には本来そんな時間はないはずだからだ。これにすべてを傾注しろ、と何かが告げていたのだ。

 作品が完成したとき、彼女は自分が少しだけ移動したことを知った。あるいは一度死んで、生まれ変わったのかもしれない、とさえ思った。作品の出来(でき)そのものには必ずしも満足はできなかったものの、少なくとも本来これが取るべき形は取っているのではないか、と思った。彼女はそれをあるコンクールに送ってみたのだが、結果は七位だか八位くらいの入賞止まりだった(大賞を取った作品を見たが、まったく面白いとは思えなかった)。もっともそれでも特に傷ついたりはしなかった。結局本当の意味で絵の分かる人間なんてそれほど多くはいないのだろう、と始めから分かっていたからだ。

 それを描き上げたあとしばらくは何もしたいとは思わなかった。ただぼおっとして、例の食べては吐く、というサイクルを繰り返していた。それは実のところ彼女にとっては少々不思議なことだった。というのももしきちんとした作品を仕上げることができたなら、これはきれいさっぱり治るものだとばかり思い込んでいたからだ。しかしそんなことは起こらなかった。その習慣は我が物顔で彼女の生活の中心に居座り、毎回まったく同じことを要求してくるのだった。

、とそれは言っていた。



 もしかしたら自分は一生こいつから離れることはできないのかもしれない、と彼女は思った。あるいはこれはすでに私のパーソナリティーの欠くべからざる一部になってしまっているのかもしれない。だからこそこうしてようやく納得のいく作品ができたというのに、いつまで経っても去ろうとしないのではないか?


 それに関して彼女はある夢を見た。それは自分が空白になってしまう夢だった。自分の外側には何かが存在している。そのことは感覚的によく分かる。しかしちょうど自分の輪郭の内側だけ、何も存在しない。そこには空気すらなかった。まるでドーナツの穴になってしまったような気分だった。周囲にある何かの存在を(きわ)立たせるためだけに、自分は存在しているのだ。

 そこで感じたのは激しい飢餓(きが)感だった。空腹で空腹で、頭がおかしくなってしまいそうだった。でも自分には何もできない。なにしろ空白だから。自分から何か

を起こすということができないのだ。

 そのとき音が聞こえてきた。ゴォー、という低い地鳴りのような音だ。彼女はただそれを聞いていた。というかそれ以外することができなかったのだ。彼女は自分の身体の中に何かが満ちていくのを感じている。それは徐々に空白を埋め、実体らしきものを獲得していった。ゴォー、という音はまだ続いている。それは時間と共に大きくなってくる。ゴォー。ゴォー。

 彼女はついに自分が何かの形を取るに至ったことを知る。それまで単なる空白でしかなかった輪郭を、今完全に何かが埋めたのだ。しかしそれは価値のない「何か」だった。むしろ存在しない方がいいようなものだ。彼女には感覚的にそれが分かった。もっともそのおかげで終始感じ続けていた例のひどい空腹は姿を消していた。今彼女の中にあるのは、一種の膨満(ぼうまん)感だった。これ以上もう何も要らない、と彼女は思っていた。

そう思っていた。でもそこにあの音がやってきた。ゴォー、という低い地鳴りのような音だ。それは徐々に近づいてくる。彼女はもうどうすることもできない。不毛なものが、自らの身体の中を埋め尽くしている。世界が細かく揺れているのが分かる。

 そのとき一つの声がする。

、とその声は言っている。

 




 ゴォー、という音はやがて耳をつんざくような轟音となり、徐々に高まって、ついにピークを迎えようか、というところで突然消えた。その瞬間あたりは完全な静寂に包まれた。もはやどのような物音も周囲には存在しない。そのとき彼女は自分が世界

と向き合っていることを知った。これまでは決してそんなことはできなかった。しかし今、何かに空白を満たされた結果、このように本来見るべきであったものと面と向き合うことができたのだ。

 それは正直かなりグロテスクな光景ではあったのだが、かといって簡単に目を逸らしてはいけないことを本能的に知っていた。自分にはこれを見る責任さえあるのだ、という気がなぜかしていたからだ。

 そこにいたのは一人の赤ん坊だった。まだ生後二週間ほどだろうか。(やなぎ)細工の(かご)の中で、白い布にくるまれてすやすやと眠っている。何か悪いことが起こるかもしれないなんてことは、これっぽっちも考えてはいない。その夢は一体どんなものなんだろう、と彼女は思う。生後二週間の赤ん坊は一体どんな夢を見るのだろう。

 でもすぐに何かがおかしいことに気付く。というのもそこには彼(あるいは彼女)の母親らしき人の姿がどこにも見当たらなかったからだ。こんな無防備な赤ん坊をたった一人で置いておいてもいいものだろうか、と彼女は思った。

 今その背後にはただの真っ白な空間が広がっていた。あたりには何の音もない。その穏やかな眠りを乱す者はどこにもいない・・・。と、そのとき誰かがやって来たことを知る。その人物は音もなくやって来て、今赤ん坊を木のテーブルのようなものの上に載せていた。一体何をしようとしているんだろう、と彼女は思う。どうしてあの赤ちゃんの眠りを(さまた)げるようなことをしなければならないんだろう?

 そこにいたのは一人の男だった。年齢は三十代から四十代の始めくらい。日本人とも、外国人ともつかない容姿をしている。髪の毛は長く、不精(ぶしょう)(ひげ)を生やしている。肩幅が広く、腕が太い。焦げ茶色のワークブーツに、色の()せたジーンズ、そして分厚い生地のチェック柄のシャツを着ていた。傍目(はため)から見ればなかなか魅力的な男に見えなくもなかったが、今その雰囲気が彼女を怯えさせていた。というのも明らかに彼は何かを確信していたからだ。こんなにも強く何かを確信している人を、私は今まで一度も見たことがない、と彼女は思う。そして問題は、その確信の矛先が赤ん坊に向けられている、ということだ。

 男は腕まくりをすると、ポケットから小さな鋭いナイフを取り出した。その刃先は銀色に(にぶ)く光っている。彼女は()(すべ)もなくただそれを見ていた。男は淡々とした動作でその作業を進めていった。彼は眠っている赤ん坊の布を取り()けると――赤ん坊は女の子であったことが分かった――その頭頂部に刃先を当てた。躊躇(ちゅうちょ)はなかった。道義的な疑問のようなものも一切感じていないらしかった。とにかく確信しているのだ。おそらくは世界にとって今まさにこの行為が必要とされているのだ、ということを。

 彼女は息を呑んでその光景を見守っていた。彼はナイフを器用に動かし、赤ん坊の皮を()いでいった。とても薄い皮膚が徐々に切り取られていった。赤ん坊本人は始めのうち何も気付かずに眠ったままだった。しかしその作業が途中まで進んだところでようやく目を覚ました。彼女は本能的に「今何か尋常ならざることが起きているのだ」と悟ったらしかった。その瞬間大声を上げて泣こうとしたのだが、男がすかさず何本かの指を口の中に入れた。赤ん坊はそれで息が詰まり、呼吸ができなくなってしまった。男はその間に一気に作業を進めた。頭部全体の皮膚を片手で剥ぎ取り、そのあとで身体の方に移った。そこに残っているのはもはや赤い肉の(かたまり)のようなものに過ぎなかった。男はすでに指を外していたが、それでももう赤ん坊には泣く力は残されていないみたいだった。しかし決して死んだわけではない。それがまだ動いていることを彼女ははっきりと視認することができたし、ある意味ではその光景に魅せられてもいたのだ。

 やがてすべての作業が終わってしまうと、彼は剥ぎ取った皮を下に投げ捨てた。どうやら皮膚そのものが目的ではなかったようだ。だとしたら一体何が目的だったのだろう、と彼女は思う。どうしてこんな()生臭(なまぐさ)いことをしなければならなかったのだろう?

 そのとき彼が自分の目を見ていることに気付く。彼女は――今一体自分がどんな姿をしているのかも分からなかったのだが――彼とまっすぐ視線を合わせていることを知る。さっきの行為からしてこの男を憎んでもよさそうなものだったが、なぜかそんな感情は湧いてこなかった。この男は何かを遂行したに過ぎないのだ、と彼女は思っていた。何か世界にとって必要だったことを、だ。

 今やかつて赤ん坊だった赤い(かたまり)は、木のテーブルの上でごく小さく収縮と拡張を繰り返していた。彼女にはまるで手に取るようにその動きを感じ取ることができた。飛び散った赤い血が、周囲の白い空間を(けが)していた。男は彼女の目をしばらく見つめていたあと、なぜか突然ジーンズを脱ぎ出した。靴を脱ぎ(靴下ははいていなかった)、さらに下着まで脱いだ。彼の大きなペニスが彼女の目に飛び込んできた。

 彼女には一般的な男性器の大きさ、というものは正直よく分からなかったものの、身体とのバランスからいってそれがかなり大きなものだ、ということは容易に想像できた。そしてなによりも、今それは硬く勃起していた。

 男は彼女がそれを目にしたのを確認すると――彼の目付きからそれが分かった――今度はついさっき赤ん坊の皮を剥いだナイフを自らの股間に当てた。彼はその行為にもまた揺らぎのない確信を抱いているようだった。彼女は当然こんなものは見たくもなかったのだが、自分の中の何かが(かたく)なに視線を()らすことを(こば)んでいた。ここには何か大事なものが含まれている、とそれは言っていた。自分という人間にとって真に重要な何かが。

 やがて男はその行為を始め、そしてすぐにやり遂げた。彼の立派なペニスはいとも簡単に切り取られたのだ。当然出血はひどかったものの、その表情はまったく変化を見せなかった。さっきの皮のときと同様、一旦切り取られてしまうとそれは無造作に下に投げ捨てられた。きっと「切り取る」という行為そのものが大事だったのだろう、と彼女は思った。

 性器を切り取られた彼の股間には「無」が生じた。彼女はそれを見逃さなかった。「無」は血を流しながらもなおそこに存在していた。あるいはこれこそが世界の中心だったのかもしれない、と彼女は思った。それはまるでこう言っているみたいだった。

 

? 

、と。

 やがて彼女の視点は急速に後方に退(しりぞ)いていった。男と、その隣に置かれたかつて赤ん坊だった赤い(かたまり)もまた、徐々に遠ざかっていった。彼女は自分が根なし草になったような気分を味わいながらもなお、

、と感じていた。自分は最初空白で――お腹が()いてお腹が空いて仕方がなかった――次にそこに何かが流れ込んできた。何か価値のないものだ。そして価値のない自分は、それによって世界そのものと向き合った。その先で見たのは奇妙な光景だった。白い世界の真ん中に男と、赤ん坊がいる。赤ん坊の皮は()がれ、男は自らの性器を切り取った。彼の股間には純粋な「無」が生じた。それは当然のことながら女性器とは違っている。女性器は子宮につながり、その奥でまた新たな生命を(はぐく)むことができる。しかしあの男の股間に生じたのは単なる男性器の

に過ぎなかった。それが意味するものとは何なんだろう? つまり世界の本質は不毛である、ということなのだろうか?

 彼女は遠ざかっていく彼らの姿を眺めながら、そんなことを考えていた。でももちろんどれだけ考えたところで何も理解はできなかったのだが。やがて周囲を覆っていた白い(もや)のようなものは深い闇に姿を変えた。ゴォー、という地鳴りのような音が再び聞こえてきた。それは彼女の腹のずっと奥の方に入り込み、そこでしばらく鳴り続けていた。でもそれも、やがて消えた。

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