渋谷メルトダウン

文字数 4,897文字

〈暗闇坂禁裏道場〉で学ぶわたしの名前は葛葉りあむ。十六歳。禁裏道場とは〈天台・真言・律・禅〉の四宗兼学の道場のことを指す。
 元麻布の暗闇坂の〈虚〉にあるバベル図書館に呼ばれて足を踏み入れると、図書館カウンターで革表紙の洋書を読みながら、バベル図書館〈司書〉折口のえるが紅茶を飲んでいた。
 ティーカップを置いて本を閉じて、のえるがわたしに言う。
「渋谷区円山町が〈メルトダウン〉して、封鎖されたわ」
「メルトダウン?」
「渋谷メルトダウンというのを聞いたこと、ないかしら」
「ない」
「東京都心の酔っ払いの写真を淡々と投稿しているSNSアカウントの名前よ。広場・駅・電車・ファーストフード店などの公共施設でだらしなく寝ているという異常でシュールな写真を掲載しているわ」
「それがなにか?」
「呪術的に酩酊(メルトダウン)が〈呪〉として〈使える〉から封鎖されたのよ。酩酊(メルトダウン)の原因が深夜のクラブハウスでの大音量と反復ビート音楽だと断じた〈元麻布呪術機構〉の〈激派〉がそれを禁止させたわ」
「クラブハウス帰りで酔っぱらうのが呪術的に使えるって?」
「〈依り代〉として、ね。英国では同様に、法律で野外の反復ビートを禁止するクリミナルジャスティス法が施行されたことがあるの。非合法(イリーガル)の温床になる、って〈時計塔〉の連中が喧伝して、ね。実際は〈大規模術式の回避〉のためよ。それをクラブハウスの集まる渋谷区円山町でもやろう、となって、呪術機構の激派と呼ばれる一派がメルトダウンしている円山町を封鎖した」
「円山町封鎖?」
「そうよ。で、激派と対立する〈諸生派〉の室生りこさんが、ぜひあなた、葛葉りあむの力を借りたい、と申し出たのよ」
「なぜわたしなの?」
 カップをあげて一口紅茶をすすった折口のえるは、
「死んでも良い人材だからでしょ」
 と、突き放すように言ってから、さっさと向かってね、とわたしを図書館から追い出した。
 わたしは終電間近の電車で移動し、渋谷まで行く。







 文化村通りで、元麻布呪術機構の制服を着た髪の毛ぱっつんロングの女性……幼女にしか見えないのだが……を見つけ、合流する。
「みゃーが〈諸生派〉の室生りこみゃ」
「え? なにその語尾……」
「ふふふ、ミステリアス過ぎてビビったみゃか?」
「全然。キモい」
「がっびーん! もう、あんたのためにこの語尾にしてるんじゃないんだからね!」
「ツンデレにすらなってない」
「がっびーん!」
「いちいち反応が昭和ね。で、わたしは葛葉りあむ。一応〈禁裏道場〉で教育は受けているわ」
「謙遜しなくて良いみゃ、りあむ。時計塔の連中と同様に、呪術の依り代化を防ぐために酩酊した円山町を封鎖させたのがみゃーの姉の〈激派〉室生素子みゃ。でも、そのやり方がまずいのみゃ」
「んん?」
「今、円山町封鎖は室生素子が行っているのみゃが、酩酊円山町の位相はその〈封鎖位相特性〉により位相がアポトーシスしていっているみゃ。いや、ネクローシスに近い、みゃか」
「意味がわからないんですけど」
「位相が自壊(アポトーシス)させるのを、呪術で加速化させているみゃ。酩酊して自壊させてなにがしたいかというと、奴らは封鎖位相から得た呪力で〈裏政府〉を元麻布呪術機構の支配下に置くための戦争を仕掛けたいのだみゃ」
「え? 裏政府を乗っ取るってこと?」
「そうみゃ。伊達にメルトダウンとは言われてないのみゃ。放射性呪力を、醸造しているところなのみゃ、室生素子は今、ここから先にある、円山町で」
「で。その素子がどこにいるかわかってるんでしょ?」
 と、そこに、やはりぱっつんロングの黒髪のボディコンシャスの女性が現れる。
 室生りこが昭和だとすると、その女性はタイトスカートだし平成初期の六本木な感じだった。
「邪魔しに来ることはわかってたわ」
 と、ボディコンシャス。
 わたしは返す。
「あなたが室生素子ね」
「考えてみて欲しいわね。〈暗闇坂家当主〉暗闇坂深雨様を頂点とする元麻布呪術機構は裏政府のために尽くしてきたわ。でも、どうかしら。裏政府は呪術機構を言いように扱うだけで、うま味はいつも奴らだけのものになる。そしてその実、裏政府は内部抗争に明け暮れて〈統合不全〉に陥っているわ。〈激派〉は暗闇坂深雨様に裏政府の実権を握っていただこうと思っているの。裏政府は〈(ディスオーダー)〉に罹っている。裏政府という概念の〈概念統合不全〉に、ね」
「で、酩酊封鎖の呪力を使った大規模術式で戦争始めるってか。阿呆ね。暗闇坂の当主もそんなの望んじゃいないわ、きっと」
「その立場が〈諸生派〉の考えね。望む、望まないじゃないわ。どうせこの国の〈虚〉を知る者たちには、今の裏政府じゃ表の日本を潰すのを加速させことになるのは見えている。深雨様を擁立させ、裏政府を建て直し、表裏どちらの政府の主導権も握るのが、この国が繁栄する希望となる。それが〈激派〉の考えよ」
 わたしは思わず深いため息をついてしまう。
「あんたねぇ。本気で考えてるの、そんなこと」
「〈時計塔〉は、実際に『クリミナルジャスティス法』でそれを達成させたの。〈現代魔術〉の繁栄はそこが鍵になったわ。日本の元麻布呪術機構としてもそれを踏襲する意向なのは知っての通り。そこにわたしたち激派は〈乗っかる〉だけよ」

「勝馬に乗りたい、ってか?」
 わたしが挑発する。
 だが、素子はニヤけただけだった。
 チャンス、と思ったわたしはこちらから攻撃を仕掛ける。
「〈二行連句(ライミング・カプレット)〉!」
「解呪」
 目の前で火花が散った。
 こいつ、言葉だけでわたしの術式を打ち消したのか。
 素子が九字を切る。
「第一期・離人」
「なっ!」
 頭が空っぽになった。
 のーみそと現実空間の関連性がシャットアウトした。
 その脳内に畳みかけるように、
「第二期・世界没落!」
 と、〈呪言〉がかけられる。
 シャットアウトの次は、シャットダウンと言えば良いのか。
 自分が今、どこにいるのかわからなくなる。
 なんだ、この絡繰りは。頭が回らない。
 近くにいたはずの室生りこさえ、見えなくなった。
「仕上げよ」
 相手が九字を切る前にわたしは術式を発動させた。
「〈英雄詩体(ヒロイック・カプレット)〉!」
「こざかしい! 最終期・能動消失ッッッ! 永遠を彷徨いなさい。あなたはこの世界から切り離される」
 言われた通りだった。
 わたしは異なる位相に吹き飛ばされた。







「りあむちゃぁん」
 マイナスイオンを発生させるような声で学生寮で相部屋の砂羽すももちゃんが部屋の机に突っ伏して、泣きそうな声をあげる。
「勉強、疲れたぁ。自販機でジュース買ってくるー。りあむちゃんはなにが良い?」
「ルートビア」
「あのサロンパス味の炭酸飲料?」
「サロンパスじゃないよ」
「わかった。買ってくるねぇ」
「ありがとう」
 わたしは二段ベッドの下の方のベッドに横になり、いつも通り、ぼーっとした夜を過ごす。
「あー。わたしはダメな奴だなぁ」
 でも、わかっているのだ。
 ありのままの自分を受け入れて愛する、というのは「自分ではどうにもならないこと」に対してそれを受け入れることを指す。
 自分で「自分のここはダメだ」と思う部分に関しては、「直せるところは直す」ことが必要だし、直す「努力」をすることが重要だ。
 ありのままの自分を愛する、という言葉を「逃げる口実」に使ってはならない。
 もしも今考えたそれを、例えばすももちゃんに言われたらわたしは傷つくだろう。もちろん、折口のえるに言われても大ショックだろう。
 でもそこで、
「直した方がいいかな? 現実から目をそらしたらダメだよね?」
 なんて聞き返したら、それこそ阿呆だ。
 すももちゃんならそんなわたしを抱きしめてくれるかもしれないけど、のえるだったら、こう切り返すだろう。
「そうした方がいいかな、なんて他人の顔色を窺った言い方をしている時点であなたはアウトね、葛葉りあむ。ダメだ、と本当に思ったのなら、直しなさい。いいかな、とか、ですよね、とか疑問符が付くのが〈自分はそうは思っていないけれどもそう言われたから疑問符付きで聞き返した〉のならば、直す必要はない。何故なら、〈そう思っていない〉からよ」
 なんて内容のことを言って、さ。
 こっちの方がツンデレ全開だな。
 ん?
 ツンデレ?
 なんの話だっけ。
 最近、似非ツンデレを見たような気がした。
 それも、ミステリアスの欠片もないような奴。
 ぱっつんロングの黒髪で、それは姉妹揃ってそうであって。
 うーむ、思い出せない。
 もう少しで思い出せそうなんだけどなぁ。
 と、そこにすももちゃんが部屋に戻ってきた。
 わたしは横になっていたベッドで上半身を起こす。
「ルートビア、買ってきたよぉ」

「ここ、座りなよ、ここ」
 自分の隣を手ではたく。
「ありがと。座るねぇ」
 わたしの横にちょこんと座るすももちゃんは缶ポタージュスープを飲む。
 笑顔だ。
 横目でまじまじ観てしまう、可愛い。
「やだなぁ、りあむちゃん。そんなにじろじろ見ないでよぉ」
「いやぁ、カピバラみたいな愛くるしい動物みたいでさ、可愛いよ」
「なにそれぇ、褒めてるの?」
「褒めてる、褒めてる」
「りあむちゃんはのえるちゃんのことが好きなんでしょぉ」
「違うよ、あんなツンデレ嫌いだよ!」
 んん?
 なんかのえるから頼まれていたような。
「カピバラかぁ。絶対褒めてないよね、それ」
 待て。
 カピバラ。
 カピバラ……カラビ。
 あ。
 そうだ、思い出した。
 ここは〈カラビ=ヤウ空間〉だ、間違いない。
 カラビ=ヤウ空間とは、三次元を越える余剰空間のことで、普段は折り畳まれている、宇宙を構成する九次元のなかの六個の余剰次元のことだ。
 通常、カラビ=ヤウ空間は、重力(グラビトン)でしか移動できないとされる。
 わたしは高次元で幻想を見ている。
 術式で跳ばされたのだ、あのぱっつんロングの姉の方、室生素子によって。
 そして、その素子を阻止するのが、バベル図書館〈司書〉折口のえるに頼まれたことだ。
 へぇ。
 やるじゃん。
 でも、〈思い出した〉なら。







「しっかり! しっかりするみゃ、りあむ! あ、目が開いたみゃー!」
 仰向けに倒れていたわたしはその場で飛び上がる。
「読めたわ! そう、室生素子。あんた、カラビ=ヤウ空間を使うのね、わたしと〈同じ〉ように。だから、今回のミッションはわたしが選ばれた!」
 目を丸くする、室生素子。
 わたしは相手に悟らせる前に、術式を発動させた。
「わたしは〈自発的対称性破れ〉を操れる! 食らえ、〈無韻詩(ブランク・ヴァース)〉!」
 ダンッッッ! と、人体が切断される音が響いて、室生素子の上半身がへその上から消失した。
 しばらくしてから二メートルは高く血液が噴水のように飛び出す。
 それから血溜まりをつくりながら下半身がアスファルトに倒れた。
「ど、どういうことみゃ!」
 目が点になる室生りこ。
「わたしたちは三次元の(ブレーン)に住んでいる。その宇宙はインフレーション理論的には泡の空間(バルク)。あいつが高次元にわたしを飛ばしたように、わたしはあいつ、室生素子の上半身をほかの泡のバルクに飛ばしたの。インフレーション宇宙の、無数の泡のどこかに、ね」
「え、えぐいみゃ……」
「円山町封鎖・解除完了! いえーい!」







 ティーカップをソーサーに置いて、折口のえるは言う。
「ふぅ。一件落着。当該犯人は死亡。〈激派〉は、幹部を失ってしばらく動けないでしょうね」
「室生素子が言っていたこと、裏政府の抗争とか、本当のことなんでしょ」
「そうね」
「この国で内戦が水面下では起きているなんて、これを中立の立場で静観していられるのも時間の問題だったりして」
「そうね」
「なによー、のえるー。勝利して帰ってきたってのにぃ」
「室生素子は室生りこの姉よ。姉妹だったの。家族だった者が目の前で上半身切断で惨殺されたら、どう思うかしらね」
「……わたし、恨まれる?」
「知らないわよ。でも、そうね。中立でいられなくなるかもね」
「殺したから?」
「殺したのよ、あなた。罪の意識、ないのね。こころの欠陥にもほどがあるわ」
 そっかぁ、と思いながら、わたしは今後の身の振り方を考える。
 せめてすももちゃんや、のえるを困らせないようにしなくちゃな、なんて思いながら。 
 
(了)
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