第1話 脱色の思い出

文字数 5,069文字

死者請負人
脱色の思い出



       登場人物



         氏海音





































 人の絵を解そうとする人は多いが、小鳥の歌を解そうとする者は少ない。

             パブロ・ピカソ



































 第一幕【脱色の思い出】



























 「私も、そろそろかな・・・」

 1人の老人が、呟いた。

 これまで、平穏な人生だったと思う。

 もしかしたらそれは褒められたことではないのかもしれないが、老人にとって、病気もせずに生きてこられたことが、何よりだ。

 妻を数年前に亡くしてからというもの、1人でどうやって生きていけばよいか分からなかった。

 それでも生きてきたのは、子供たちや孫の存在があるからだろう。

 老いて行く身体も心も、恨むことさえなく、ここまで一緒に生きてくれたことに感謝する。

 まだ80代ではあるが、自分の死期が近いことを感じていた。

 ピンポーン・・・

 そんなとき、老人の家のチャイムが鳴った。

 近所の人だろうかと、老人はゆっくりとした動作で動きだすと、玄関まで向かう。

 「はーい、どなたさまですか?」

 鍵を開けてドアを開けてみれば、そこには上下黒のスーツを身に纏った、黒の短髪の、爽やかな青年が立っていた。

 その手には黒いビジネスバッグを持っていて、何かの勧誘か何かだろうかと思った。

 「あの、何か?」

 恐る恐る聞いてみると、青年は見た目よりもしっかりとした口調と、見た目よりもどっしりとした声で話す。

 「初めまして。私、こう言う者です」

 「はあ・・・」

 そう言って、青年が差し出してきた名刺には、氏海音、と書かれていた。

 珍しい名字だな、と思っていると、青年が困ったように眉を下げながら続ける。

 「うじみね、と申します。すみません、読み難い名前で」

 「いえいえ、そんなこと。ほおー、氏海音さんっていうんですか。それで?」

 新聞や朝の牛乳、宅配サービスや介護施設などの勧誘なら断ろうと思っていた老人に、青年は笑顔のまま告げる。

 「私、”死者請負人“の仕事をしておりまして、是非、お話だけでも聞いていただけないかと、こうして訪問させていただきました」

 「死者請負人・・・?なんです、それ?」

 「詳しいことは、出来れば中でお話したいのですが。いえ、もちろん、お話だけです。決めるのはお客様ですし、今日すぐに決めてほしいということでもございません。お話だけ聞いていただいて、ゆっくり考えて、後日お返事を、という形でも構いませんので」

 「・・・まあ、そういうことなら」

 無理な勧誘ではなさそうだし、青年が悪い人間には思えなかった。

 饒舌そうだが、穏やかでのんびりとした口調、それに強引そうな感じにも見えなかったため、老人は青年を家に招き入れた。

 古いアパートの一室、つい先日も、下の階の老人が孤独死していたのが発見されたばかりだ。

 出しっぱなしの炬燵に座ってもらい、手を伸ばせば用意出来るお茶を出すと、青年はまずそれを口にする。

 「よかったら、これもどうぞ」

 「え、いいんですか?ありがとうございます。これ、好きなんですよ」

 炬燵の上に出してあった羊羹を進めれば、青年はまるで子供のような無邪気な笑みを見せて、その羊羹を食べ始めた。

 若いのに珍しいなと思い、それと同時に孫と会っているような気分にもなり、老人はさらに大福も勧める。

 青年はそれにも顔をほころばせ、孫たちなら年寄り臭いと言って食べないそれらを、美味しそうに食べていた。

 和菓子とお茶を交互に口に入れ少ししたとき、青年は思い出したように口を開く。

 「あ、すみません。肝心なことをすっかり忘れていました」

 「こちらこそ」

 青年は、黒い鞄から紙を一枚だけ取り出すと、それを老人の前に差し出す。

 老人は左手を伸ばして老眼鏡を手に取りかけると、猫背になりながら紙を眺める。

 「こちらに内容が書かれているのですが、ちゃんとご説明させていただきます」

 そこには契約書、と書かれており、パンフレットなどといったものは無いらしく、その契約書に全て載っているようだ。

 青年は人差し指を出すと、紙の上の方に書かれている文章にまず置く。

 「死者請負人とは、亡くなられたご契約様と、生前に約束事をいたします。その約束事を、ご契約様の死後、遂行するのが私の仕事となります」

 「生前に約束とは?」

 「まあ、簡単に言ってしまいますと、お部屋のお片付けから、大事な方への贈り物、遺言書や遺産の通達、他にも、死後起こり得る全ての事柄に対応させていただいております」

 「遺言書なんかは、弁護士に渡しても、自分で持っていてもいいんですよね?」

 「ええ。ですが、弁護士よりもお安く済みますし、御自分で持たれているよりは、安全安心かと」

 「なるほど。まあ確かに、自分が死んだあと、部屋の片づけなんて大変ですもんね。息子たちも、きっと嫌がるでしょうし」

 「息子さんがいらっしゃるんですか?」

 小さく肩を揺らしながら、老人は笑う。

 「ええ、3人とも男で。しかし、みーんな遠くに住んでいて、年に1度も会いになんて来やしません。孫と会ったのだって、もう、5年以上も前のことです」

 「それはお寂しいでしょう」

 「でもまあ、幸せに暮らしているのであれば、それでいいんです。小さい頃は親の後ろを着いて歩いていても、大きくなれば、親より前を歩いて行ってしまう」

 「親子の距離というのは、難しいものがありますね」

 「氏海音さんは、ご両親とは仲が良いんですか?」

 老人の問いかけに、氏海音は笑みを崩さぬまま答える。

 「父も母も、もういません」

 「あ、これは、すみません」

 「いえ、構いません」

 申し訳なさそうに謝るが、氏海音は首を横に振りながら笑う。

 そして食べかけだった大福を全部口に入れると、まだ温かいお茶を飲む。

 老人がその紙をじーっと眺めていると、氏海音は炬燵から出て立ち上がり、そろそろ帰ると言いだした。

 「ちょっと、待ってください」

 老人は引き留めると、再び炬燵へ入るように促す。

 また炬燵に逆戻りした氏海音に、老人はこう言った。

 「是非、契約させてください。よろしくお願いします」

 頭を下げながら言うと、氏海音の優しい声が降ってくる。

 「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いいたします」







 「それでは、この内容で、ご契約させていただきました。御希望通り、遂行させていただきます」

 「よろしくお願いします」

 氏海音と契約を交わしたあと、老人はまた1人でテレビを見る。

 いつ自分が死ぬかも分からない状況の中、なぜだか心は穏やかだ。

 それから老人は4年半生きた。

 最期を家族に看取られることもなく、老人が1人で亡くなっているのが発見された。

 ただ不思議なことに、近所ともあまり関わりを持っていなかった老人の死亡がすぐに確認出来たのは、大家さんのもとへ、一本の電話がかかってきたからだそうだ。

 その内容というのが、老人が亡くなっている、という匿名のものだった。

 すぐに大家さんがやってきて部屋を開けると、そこに住んでいた住人が亡くなっていて、すぐに警察を呼んだが、自然死とのことだった。

 その日のうちに、訪問者が現れる。

 黒髪に黒スーツの、爽やかな青年だ。

 「すみませんが、部屋の片づけを行いたいので、中に入れていただけますか」

 事件性もないことから、すんなりと部屋の中に入ることが出来た。

 部屋の中に入ると、青年、氏海音は白い手袋をつけ、両手を合わせて合掌する。

 「さてと、ご契約様の希望通りに」

 ゴミと思われるものは次々に処分していき、冷蔵庫や洗濯機などの大型のものも、もう古いものだったため処分する。

 老人がいつも座っていたであろう場所のすぐ近くに、大きな段ボールがあった。

 その中を見てみると、そこには昔撮ったのであろう、老人の若い頃と、その妻と思われる女性が一緒に映っている写真があった。

 白黒が時代を感じさせるが、写真は他にもあった。

 それはカラーのもので、すっかり歳をとってしまった老人と、それから息子たち、孫たちと映っているものだ。

 一枚一枚、ゆっくりと見ていると、あまり埃が被っていないことに気付く。

 きっと頻繁にこの段ボールを開けて、写真を眺めていたのだろう。

 写真の下には、画用紙や折り紙、黒い筒や制服などが入っていた。

 「これは・・・」

 大きな画用紙を広げると、そこに描かれていたのは、きっと老人夫婦と家族たち。

 子供の字で“ぱぱ”“まま”と書かれていた。

 一緒に折ったのだろう折り紙は、原型をとどめているものもあれば、すでにくしゃくしゃになっていて、何を作ったのか分からないものまであった。

 息子たちの卒業証書や、学生制服。

 それに、小さい頃に遊んでいた玩具も、所狭しと入れてあった。

 きっとこれを見たら、息子たちは言うのだろう。

 なんでこんなものをまだとっておいているのか、と。

 しかし、それは老人にとってはかけがえのない思い出であって、今となっては家族の繋がりを証明する、唯一のものだったのかもしれない。

 氏海音は、その段ボールだけ、別にする。

 カーテンなども取っ払って、台所も風呂場も床も網戸も、プロ並みに綺麗に掃除をすると、すでに外は暗くなっていた。

 来たときとは全く別の部屋になってしまったその部屋を後にすると、氏海音は、そっとそこから消えていった。







 その翌日、自分達の父親が亡くなったと報された息子たちは、慌てて古いアパートまで来ていた。

 嫁たちも連れてきて、子供たちに至ってはつまらなさそうにしているが、それを気にしている暇もなく、駐車場に車を停めると、急いで部屋まで向かう。

 部屋を開けてもらうと、目を丸くする。

 なぜなら、昨日亡くなったばかりだというのに、もう部屋が綺麗さっぱり、物がなくなっているからだ。

 どういうことだと互いの顔を見合わせていると、部屋の中に1つだけ、段ボールがぽつん、と置いてあった。

 そして、その段ボールの上には、一枚の折られた紙が乗せられていた。

 開いてみると、こんなことが書かれていた。

 【この度は、亡くなられた坂下徳様のご希望により、誠に勝手ながら、部屋の清掃をさせていただきました。自分の子供たちに迷惑をかけたくないという強い願いを、何よりも尊重させていただくことにいたしました。しかしながら、私にも処分出来ないものがございましたので、こちらはどうか、坂下様のご氏族様方に、判断を委ねたいと存じます】

 読み終えると、長男が段ボールを静かに開ける。

 「・・・ははっ。なんだよ、これ」

 「こんなの、まだとっておくなんてな」

 「俺達、全然、親孝行なんてしてないのに」

 そこに詰まっている、かつて、頼る者が親しかいなかった頃の、自分達の過去。

 一緒に虫採りに行った日も、運動会で喉を壊しながらも応援してくれた日も、作文発表会で緊張していたのに、親の方が緊張していた日のことも、父親のことを罵倒した日のことも・・・。

 「見ろよコレ。兄貴が描いた絵だ」

 「これ、小学生の頃に作った貯金箱だ。懐かしい・・・」

 「なあ、この写真に映ってる親父とおふくろ、誰かに似てるよな」

 「ねえパパ、早く帰ろうよ」

 後ろから子供の声がして、長男は自分の子供の腕を引っ張って自分の隣に座らせると、その写真や絵を見せる。

 「これはな、パパが小さい頃描いた絵なんだぞ。上手だろ」

 「えー、下手だよ」

 次男と三男の子供も近づいてきたため、みんなで段ボールを囲みながら、昔の話をしていた。

 部活で使っていたボールも、負けて悔しくて、二度とやらないと言って投げつけた帽子も、初めて勝って嬉しくてはしゃいでいたら破いてしまった賞状も。

 当時は感情に振りまわされてばかりで、母親にも酷いことを言って泣かせたり、父親には生意気なことを言って叱られたり。

 思い出すことは怖くて、弱い頃の自分を思い出してしまいそうで、情けなくて。

 でも、本当は違った。

 弱くなっていったのは親の方で、昔とは逆に、自分たちが守っていかなければいけなかったのに。

 後悔してもしきれずにいると、手紙にはもう一枚、追伸が記されていた。

 【追伸 坂下徳様は、ご氏族様方のことを心から愛し、誇っておられました。坂下徳様のご冥福を、心より、お祈り申し上げます】







 とある古いアパートの一室からは、数人の男たちの泣き声が聞こえたらしい。

 それから彼らがどうしたのかは、分からないが。







 「死者請負人をさせていただいております。よろしければ、お話だけでも聞いていただけないでしょうか」



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登場人物紹介

氏海音:死者請負人。

生前に依頼を受け、それを全うする。


『死んで尚、尊重されるべきです』

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