第5話

文字数 1,093文字

 僕は二人で座るにはちょっと大きすぎるシートをちょっぴり遠慮がちに敷いてーー
手持ちぶさたで何をしたらいいかわからずに靴を脱いで真ん中に座り、桜ではなく行き交う人の流れを見ていた。十分くらいして、やっとお父さんが戻ってきた。手には焼きそばと、お茶のペットボトルを小脇に抱えてシートに倒れ込んだ。
「お待たせ……すごい人だな。まっすぐ歩けなかったよ。さぁ、お腹すいただろう。桜を見ながら食べよう」
 暖かい春風のなか、お父さんと二人並んで、焼きそばを口いっぱい頬張った。
(外で食べるご飯はどうしてこんなに美味しいんだろう)
 僕は隣で美味しそうに食べているお父さんの横顔を見ながら、お父さんとご飯を一緒に食べるのは久しぶりだな……とちょっと嬉しかった。

 お父さんが先に食べ終わり、ポケットからチョコレートを取り出すと食後のデザートだ、と言って僕のペットボトルの横に二つ並べた。
「なぁ、純平」
「なに?」
「お父さんの仕事ってタクシー運転手ってこと知ってるだろう?」
「うん」
「お父さんな、純平の寝顔を見ていて、思うことがあるんだ。お父さんの仕事は、いつ事故にあって命をおとすかわからない仕事だろう?もちろん、トラックドライバーとか警察官とか、命懸けの仕事は他にもあるよな。でも毎日、仕事が終わって家の前に車を停めるときに今日も無事で良かった……って思うんだよ。純平が大きくなるまでは、どんなことがあっても長生きしないといけないなって。だけどな、もし、万が一、お父さんに何かあったら純平もお母さんも悲しいかもしれないが、純平は泣いてちゃダメだ。お母さんは女だし、弱いんだ。でも純平は男だ。男は強くなければならない。もしお父さんがいなくなるようなことがあったら、お母さんのことを純平が守ってくれるか?どうだ……言ってることがわかるか?」
「うん、なんとなく。僕のなかでお父さんがいなくなるなんてことは想像できないけど、もしも……もしもの話だよね、もしもそんなことが起こったら、僕がお母さんを守ってあげなくちゃいけない……ってことだよね。うん、それは、男だから、だよね」
「うん、そうだ。純平は賢いな。父さんに似たんだな。このことはお母さんには内緒だよ。男同士の約束だ」
「うん、わかった。約束」

 帰りの車の中でお父さんの好きな音楽を聴きながら、僕も一緒に歌いながら帰った。楽しい歌のはずなのに、舞い散る夜の桜を見ているうちに、ちょっぴり切ない気持ちになった。

 あれから一年。たった一年で男同士の約束を果たさなければいけない時がきてしまった。お母さんは僕が守る……僕は呪文のようにその言葉を心の中で繰り返していた。
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