第3話

文字数 2,750文字

「君に用はないんだが」
「……わかってます」
 街の中心部にほど近い、四条烏丸交差点。地下鉄や阪急電車、市バスといったあらゆる交通網が集中する。そんな抜群の立地にあるホテル【OINAI KYOTO】は、上質なホスピタリティを打ちだしている。その玄関口に併設しているカフェもまた、大変におしゃれな装いだ。チェーン店ではあるようだが、場所柄にカラーを合わせた仕様になっているらしい。京都らしい上品さがただよっている。
 すべてのメニューに英語表記も網羅されており、多様な国籍が客層を占めている。京都にいながら異国にいるような気分になることはままあるが、ここはまさに人種のるつぼのようだった。色とりどりのサラダボウルの中で、逆に自分だけが異物のような気持ちがして、阿久津はひたすら恐縮した。
 ウッディなテーブルをはさんでコーヒーをすする男の顔立ちが、やたら端正なのも阿久津の居心地を悪くした。自虐思考の持ち主である阿久津にとって、イケメンはいただけない。そして目の前のイケメンはクレームをつける側ということも手伝って、阿久津はますます萎縮する。
「佐倉社長はどうした」
「えーと……あの、忙しくて」
「雲隠れか」
「あの、なんでしたら、うちの職場に来てくだされば、会えると思いますけれども」
「低俗な作品ばかり扱う映画館の隣の小汚いプレハブ小屋に出向くのは御免だ」
 まるで早口言葉のように、一度も噛むことなくイケメンは――初谷はそう言いすてた。佐倉であれば今の一言で幾度も爆発していただろうが、阿久津は「はあ」と冴えない返事をしただけだった。
 初谷はフレームの細い眼鏡をはずし、鋭い眼光で阿久津をにらみつけた。まるでスナイパーかなにかのようだが、彼は【OINAI KYOTO】のフロント係だった。今日は休みらしく、シャツにジーンズというラフな格好である。
 今は人を殺せそうな視線を放っているが、普段は見事に猫をかぶった柔和な表情で接客をしている。その落差を知っているだけに、阿久津は戦々恐々とするばかりだ。
「ひとまずですね、今日は僕がご用件を聞きますんで。あとで、ちゃんと佐倉さんに伝えておきますから」
「自分の職場の社長を『さん』付けか」
 容赦なくビジネスマナーへの指摘をしてから、初谷は深くため息をついて苦い表情のまま語りはじめた。阿久津は完全に借りてきた猫状態だ。
「先日、君の会社が企画したツアーの参加者たちが、うちのホテルに押しよせてきた」
「はあ、その節はお世話になりました」
「特に予約もしていないニューハーフ軍団がぎゃんぎゃん騒ぎたてて、うちは大変迷惑を被った」
「え、あれ、佐倉さんが……いえ、佐倉が予約したって言ってましたけど……」
「近いうち何人か泊まりにいくからよろしく、という口約束のことを世間では予約とは言わない。いや、口約束ですらないな。あれは身勝手で一方的な宣言だ」
 阿久津は記憶の糸をたどる。多分、初谷が言っているのは【ニューハーフ限定! 高級おもてなしでニューワールドツアー】のことだ。祇園界隈を闊歩して高級旅館に宿泊のはずだったが、佐倉が「お高くとまりやがって」と毒を吐いていたのを思いだす。宿泊拒否をされたのか、単純に満室だったのかは知るよしもないが、佐倉は大層憤怒して【OINAI KYOTO】に出向いていった。そのとき、きっちり予約をしたものと阿久津も中川も思っていたのだが、実際は違ったようだ。
「そ、それは申し訳ありませんでした。てっきり予約したものだとばっかり」
 なぜ自分が頭を下げるのか甚だ不本意ではあったが、初谷がクレームをつけてくるのも無理はない。いや、クレームですらない。至極真っ当な、常識的な意見だ。
「佐倉社長はどうもうちを駆け込み寺のように思っている節がある。非常に不愉快だ。品位の高い、モラルあるお客様なら大歓迎だが、君の会社が投げてくる客は有害でしかない」
 有無を言わせぬ態度は、少しだけ阿久津をムッとさせた。初谷の物言いは確かに正論なのだが、こちらでもてなした客人すべてを否定するのはいかがなものか。この場合、問題なのは佐倉にほかならないのだ。あのずぼらな女社長を、阿久津は恨めしく思った。
「言いすぎじゃないですか。うちに来る客は確かに個性豊かな面々ですけど、悪い人はいないです」
「あの女に群がる客だ。そりゃあ個性豊かだろう。しかし、公共の場においてそんなものは要らない。君みたいなフリーターにはわからないだろうが、ホテル業界は逼迫している。というより、京都という街自体が逼迫している。観光客増加を目指して、観光公害ばかりが目立つ。本末転倒だ。はっきり言おう。ホテル側も客を選んでいい時代になっておかしくはない。むしろさっさとそうなることを祈るばかりだ。そして、もしそうなれば俺は真っ先に【京都サクラツーリズム】の客を断固拒否する」
 初谷は淡々と、理路整然と弁を振るった。それが逆に阿久津にぐうの音も出させなかった。感情論で返してくれたほうが、まだ言いかえしようもある。初谷の主張には隙がない。社会でまともに働いた経験もない阿久津には反論の余地もなかった。
「まあ、君に文句を言っても仕方ないな。とにかく今後ああいったことは控えろと佐倉社長に伝えてほしい」
 阿久津はうなだれながら「はい」とだけ答えた。それが精いっぱいだった。代打だとしても自分の浅はかさばかりが目につき、みじめな気持ちになる。
 周りの客たちが聞きなれない外国語でしゃべっているのが、せめてもの救いだった。もしかしたら日本語も理解しているのかもしれないが、こちらの会話の内容に聞き耳を立てられていないことは阿久津の自尊心をおおいに慰めた。
「……いろんな国の人が泊まってるんですね」
 阿久津としてはお世辞のつもりで評したのだが、初谷は眉間に深いしわを刻んだ。
「それが困るんだ。国籍で判断したくはないが、どうしても困ったお国柄というのもある。ひたすらにウェルカム精神で綺麗事ばかりのお上や平和主義者には、一日でいいからホテルの実情を体感してもらいたいもんだ」
 初谷の言葉をさえぎるように、奥のテーブル席から爆笑する大声が聞こえた。周りの怪訝な目を気にすることなく会話の声はますます弾ける。彼らの後ろにあるトイレに入ろうとする客にも目をくれない。浅く腰かけただけの椅子は進路を阻んでいる。
 初谷はもう一度ため息をついた。
「お客様は神様じゃない。それをこの街はもっと知るべきだ」
 眼鏡をかけて、初谷は奥の団体のほうへ毅然と歩いていった。その後ろ姿は完全にビジネスモードに入っており、ラフなはずの服装がかっちりした制服に阿久津には見えた。
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