四人の夏

文字数 4,871文字

 こうも律儀に暑くしてくれなくてもいいのに。太陽を睨みたくなってしまう。睨まないけど。暑さが物理的な力を持って、体を圧迫して来るように感じます。前を歩く二人も午前中より頭が垂れているように見える。
「この辺じゃない?」
一番前を歩いていた佐々木君が古い写真を見ながら言いました。祐美可が佐々木君に並んで、写真と目の前の街並みを見比べる。
「⋯⋯」
二人に追いついた私も写真を覗く、けど分からない。写真と今の街並みが違い過ぎます。写真を見ながら三人でそろそろと前進。しばらく歩いて佐々木君が止まります。でも祐美可は構わず進んでいきます。佐々木君は追いかけて祐美可の束ねた長い髪を、ちょいちょいと引っ張る。
「何?」
少し怒った顔で振り向く祐美可。髪の毛を引っ張られると、引っ張った方が思っている以上に首が辛い。なのでこの表情は分かる。でも他の男子がやると完全に怒っています。

 祐美可は子供の頃から髪を伸ばしている。背中の中ほどできれいに揃えられた黒髪。これは子供の頃から男子の注目を集めている。良くも悪くも。そしてそれは単にいたずらなのか、気を惹きたいという行為なのか、引っ張るという行動に男子を駆立ててしまうようです。なのでしょっちゅう引っ張られていました。酷い時は上半身が後ろにのけぞるほどの勢いで。私も経験があります。顔が上を向いてしまうほどの強さで引っ張られると、気分が悪くなったりする。フラッとした感覚の後、吐きそうになるくらい。それを上回る勢いで引っ張られ続けた祐美可。中学に入ってすぐの頃、爆発しました。祐美可にいつもちょっかいを出していた男子三人に反撃しました。本気で男子達を追い回して教科書や鞄で叩く。でも三回目の爆発の時は、尻もちをつくほどの強さで引っ張られました。祐美可は椅子を振り回しました、えずきながら。口から汚物を滴らせながら、よろける足で椅子を振り回した祐美可。男子の一人に怪我をさせ、教室の廊下側のガラスも割りました。そして倒れる。祐美可はむちうち状態でした。先生に連れられ病院に行き、しばらく学校に来ませんでした。そして祐美可は孤立しました、女子からも。同じクラスにいた私だけが傍に残りました。幼稚園から一緒にいる祐美可と私は、そう簡単には離れられない。でも、私も他の女子から孤立するのは嫌。学校では以前より距離を取った付き合いになってしまう。「変な女」「危ない女」「狂った女」などと言われ、祐美可の周りには誰も寄り付かなくなった一学期。長い夏休みが明けて二学期になると、祐美可は「謎の女」「不気味な女」になっていました。クラスで孤立しているのに、顔を上げて平然とした姿でいたから。
 私はこの二年になっても同じクラスでした。そして、同じく幼稚園から一緒だった佐々木君も同じクラス。私は佐々木君が一緒になったことで勇気百倍。佐々木君を巻き込んで、教室の中でも祐美可とまた一緒に過ごすようになりました。

 振り返った祐美可に佐々木君が言います。
「この辺やって言うのにちょっと待てや」
「なんでー、どこがこの辺なん」
また三人で写真と周りを見比べます。ところで、私たちは今何をやっているのか。それは班単位での夏休みの課題、自由研究。ひょんなことがきっかけで、親世代の頃の校区の地図を作っています。親世代が私達の年齢の頃、この辺りは今とは全然違う姿でした。それを地図にすることに。何人かの大人有志に助けられて、地図はほぼ完成。今は地図を作っているときに提供してもらった昔の写真、約二十年から二十五年前の写真をもとに、同じ場所の今を写真に撮ってまわっています。本当はもう一人、菊田薫って男子がいるんだけど、彼は部活でこっちにはほとんど不参加。
「ねえ、この山みたいなの、さっき見えた気がするんだけど」
二人にそう言いました。
「どれ?」
二人が写真に顔を寄せます。写真に写っているのは、今は跡形もない民家の前でピースサインをしている三人の少年。民家の周りは畑なのか空き地なのか、何もありません。でも遠くに山か丘のようなものが写っています。
「これ?」
「どこで見た?」
二人から同時に聞かれます。私は来た道を少し戻りました。そして道の反対側にあるマンションと店舗の間の路地を見通します。その向こうに似たような稜線がありました。今はびっしりと家が立ち並んでいますが、丘っぽい地形は似ています。
「ほんまや、さすが原やなぁ」
「梨恵すごい、あれ間違いないわ」
二人がそう言ってくれて少し自慢げになってしまう。
「でしょ~」
「でも少し角度が違うなぁ、やっぱもう少し向こうかな」
佐々木君がそう言ってまた先に進もうとします。でもそっちに行くとマンションやビルで多分見えない。
「そっち行くと見えないんじゃない?」
呼びかけましたが彼は止まらない。私はついて行きませんでした。暑さでもう限界。無駄に動きたくない。祐美可も動かないので同じかも。
「この辺でええと思うけど、さっきのは見えんなぁ」
しばらく行ったところで立ち止まりそう言ってきます。そして写真を撮ろうとしました。
「悠太! 比べるもんがなかったら分らんでしょ。ここであれが写るように撮った方がいいって」
祐美可が大声で言います。佐々木君が戻って来ました。
「そやな、そうしよか」
稜線が一番長く見えるところで写真を撮りました。
 午後三時を過ぎていました。今いるところの近くの、昔の写真はもうありません。故に今日はこれで撤収。祐美可の家を拠点としているのでそこに戻ります。ま、私の家も佐々木君の家も、同じ町内なのですぐ近くなんだけど。「重田」の表札がついた大きな門を入ります。祐美可の家は古いけど大きいです。お父さんの実家らしいです。でも元々の持ち主のおじいさんは転勤族。最後の赴任地だった北海道で退職した後、住み着いてしまったとか。なので今は祐美可とご両親の三人暮らし。そのご両親も共働きなので、大きな家で部屋が空いてる上にほぼ無人。祐美可の家が拠点になった理由です。

 玄関から一番近い部屋に入る。祐美可がまずエアコンを入れます。外よりはるかにましですが、部屋の中も十分暑いです。
「疲れた」
そう言って寝転ぼうとする佐々木君。
「寝転ぶなって言ってるでしょ。汗で畳が汚れる」
祐美可が佐々木君を睨みます。この部屋は十二畳もある和室。大きな座卓が一つあるだけです。その座卓の上に住宅地図をA3でコピーして張り合わせた、大きな地図が置いてあります。中学校の校区全てが入っています。そして色んな色の蛍光ペンで塗ってあったり、書き込みがあったりします。私たちがしたもの。
「パソコン立ち上げて今日の写真入れといて、私、飲み物取って来るから」
部屋の隅のコンセントの所に置かれた、ノートパソコンとプリンターの辺りを顎で示しながら、祐美可は佐々木君にそう言って部屋を出て行きました。
「はいはい」
佐々木君がパソコンの方へ行きます。私は今日持って出た古い写真を並べて整理。ついでに明日の分の写真も用意することに。
 祐美可が麦茶の入った大きなピッチャーとコップ四つ、それにタオル数枚を持って戻って来ました。コップが一つ多いのは後から来るであろう菊田君の分でしょう。夏休みも残り少なくなったので、今日から菊田君も強制参加になっています。部活が終わってから来る予定でした。
「はい、汗拭いて」
そう言って佐々木君にタオルを投げます。私にも手渡してくれました。佐々木君はパソコンをいじりながら汗を拭きます。
「毎回お前だけ着替えてずるいぞ」
祐美可は着替えていました。
「私の家なんやからいいでしょ」
二人でそんなことを言い合っています。
「お前、家やといつもジーパンやなぁ」
そう言う佐々木君。確かに最近そうです。今日もさっきまではスカートを履いていた祐美可。
「そんなことないよ、悠太がいるときはジーパンにしてるけど」
「なんで?」
「あんた寝転んでスカートの中覗こうとするやん」
私は無意識にスカートの裾を押さえてしまう。
「そんなことするか」
「梨恵も気い付けた方がええよ、こいつほんまにスケベやから」
「うん、分かってる」
私は賛同しました。
「原までそんなこと言うか?」
佐々木君はそう言いながら、今日の写真を打ち出し終えて座卓まで来ました。

 私たちは当初、地図に写真を貼っていこうと考えていました。でも、手に入った古い写真で使いたい場所が、絞り込んでも三十か所になってしまいました。と言うことは、今昔で計六十枚の写真になります。大きいとは言え、それだけの写真を貼ると地図が見えなくなってしまう。故に写真だけでもう一枚大きな掲示物を作ることに。地図上の場所に数字を記入して、写真側にも対応する数字を付ける。そうすることにしました。でもまだ準備だけ。古い写真の場所が全て特定できるとは限らないから。で、その準備をしているとインターホンが鳴りました。部活を終えた菊田君が来たのでしょう。祐美可が立っていきます。玄関の開く音がしてしばらくすると、祐美可の大きな声が聞こえてきました。
「ストーップ! その靴下やめて」
私と佐々木君も玄関に。片足を浮かせた菊田君がいました。泥で茶色くなった靴下でした。
「やめてって、どうしたらええねん。脱ぐんか? 替えなんか持ってへんぞ」
「ちょっと待ってて」
茶色い靴下を睨んでいた祐美可はそう言うと家の奥へ。
「うちのテニスコートは土なんやから、こうなるのはしゃーないやんなぁ」
「まあな」
菊田君と佐々木君がそんなことを話していました。
「はい、これあげる」
祐美可が戻って来て、菊田君に水色の靴下を渡しました。
「ええよ、今度洗って持ってくる」
受け取って履き替えながらそう言う菊田君。
「お父さんの一番ボロそうなやつやから、あげる」

 部屋に入ると菊田君が持参したビニール袋を座卓の上に置きます。
「三人にまかせっきりやったから、大したことないけど差し入れ買って来た」
ペットボトルの飲料と菓子パンでした。
「お前、自分が食いたいもん買って来ただけやろ」
と、突っ込む佐々木君に対して、
「いただき!」
と、すぐにペットボトルに手を伸ばす祐美可。
「お前に買って来たんとちゃうぞ」
「わかってるよ」
嬉しそうに祐美可は口を付けます。炭酸飲料が飲みたかっただけだと私は思いますが、男子二人は何か勘違いしたかも。菊田君は口の端がにやけていて、佐々木君は祐美可を睨んでいます。

 明日は部活が休みと言う菊田君。
「じゃあ、明日二組に分かれて、残りの写真撮っちゃお」
残りは地域として言えば二か所です。二組に分かれて行けば一日で終わると思いそう言いました。
「そだね、そうしよ」
祐美可が賛同。
「女子組と男子組でいいよね、どっちがどっち行く?」
「いや、それはちょっと待ったや」
「そやそや」
今度は男子二人が拒否してきました。
「何を待つの?」
祐美可が佐々木君に尋ねます。
「せっかく男女二人ずつおるんやから、男女ペアでええんちゃうんか?」
私と祐美可は目を合わせました。そして目で会話。
(どうする?)
(しょうがないんとちゃう?)
(そやね)
(いや?)
(まあええよ)って感じ。
「ま、それでもいいわ。で、組み合わせはどうする?」
祐美可が二人に聞きます。
「俺は気い楽やから祐美可でええわ」
「待て待て、そう言う決め方はあかんやろ」
佐々木君の言い分を菊田君が拒否。ん? これって二人とも祐美可と組みたいってこと? 私的にはなんだかすんごく不愉快。と言うより辛い。
「グッパにしよ。男女別々でグッパしたらええでしょ」
祐美可がそう言って私を廊下に連れ出します。そして二人でグッパ。私がグーになりました。
「決まった?」
部屋に戻り祐美可が二人に聞きます。すると佐々木君がパー、菊田君がグーで手を上げました。
「結局私と悠太か」
祐美可がそう言うと佐々木君は笑顔に、菊田君は渋い顔。私、明日寝込もうかな、なんて本気で思ってしまう。ま、明日で写真撮影が終わるってことで良しとしよう。それに、菊田君と二人っていうのは、なんとなく嬉しくなってきました。
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