其の四

文字数 3,291文字

「浮かない顔してるじゃないか。遠慮なく言ってみてくれ」
 さすが虎徹である。人の心情を読み解くのが早い。きっと、教師や聖職者が向いていたことだろう。……それでは、遠慮なく。と景勝は少し間を置き、逡巡しつつも素直に心情を吐露した。
「その……、なんていうか。ラスフーディンはどこをどうみても合理的な行動とは思えないのですよね。そこが凄く気持ち悪いというか……」
「一般的な常識では計れないってやつだな」
「不気味ですよね?」
「確かに矛盾はしてるな」
 だが、──

。と、虎鉄は大体の検討をつけて煙草を一服吸う。
 遠くの沖にみえる漁船の群れ。煌々とした眩い光を放ち、この荒れ狂う極寒の海の上でも未だ漁を続けている。船は上下に激しく揺れ、いまにも転覆しそうな勢いだ。重い波飛沫(しぶき)が交互に重なり合い、地獄のような様相を醸し出していた。
 短く切った坊主頭を撫でながら、景勝はほとほと困り果てたように言う。「……だって、そうじゃないスか。借金をするにしても直ぐ返せるはず。いくら不幸な子供を救うためとはいえ、それで何度も殺されかけてます。ただの善人なのか。それとも、そういう価値観の持ち主なんですかね?」
 その口調からして、戸惑っているのが分かる。神父が普段あまり目にしない『まともな人物』に映ってしまったせいなのか。それとも、良心の呵責で罪悪感を覚えてしまったのか。とは言え、純粋が故の、圧倒的に経験不足でもある。虎鉄からしてみれば、まだまだケツの青い子供のようなもの……。
「なるほどね。だが、そいつはちょいと違うな。見方が素直すぎるぜ」
「……道理だと思いますが、不味かったですかね」
 と、景勝はやや不満気味な顔を浮かべる。
「いや、道理としては間違ってはいない。だがな、奴は稀代の狂人だ。まともな常識や理屈、固定観念は返って邪魔になるのさ」
「……と、いいますと?」
「俺の見解でよければ、少し披露してみせるが……?」
 そう覗き込むように視線を合わせると、景勝は無言で頷く。
 その瞳の奥はやや気負いしているようにも思える。怯えていると言うより、得体の知れない神父の毒気に晒されてしまったようにも。だが、それも無理はない。考えてみれば、まだ二十歳にも満たない青年なのだから……。
 虎鉄はしたり顔で言う。「先ずだな。有り金を全部寄付しちまうのは、善意からでも子供の為でも何でもねえ。人助けだとか、慈善事業だとかそんな大層な代物でもないだろうな」
「それじゃあ、奴は何のために寄付を?」
「さあな。そんなのは知らねえよ。ただ常軌を逸した言い訳や、くだらん理由ならあるだろうよ。神の御心がどうだの。自己犠牲の精神がなんちゃらだの。でも聞くだけ無駄だ。所詮は俺らは日本人よ。奴らの宗教観など到底理解はできん」
「……つまり、理屈ではないってことですか。たとえば、無償の愛とか?」
 虎鉄は手で煙でも払うように、妙に嬉しそうに笑う。「無償の愛だって? いやいや、事は至ってもっとシンプルだって話しよ。……だからさ、

? 本当に嫌っているのさ」
「どどど、どういうことですか?」
「〝金〟を稼ぐ行為自体がだよ。拝金主義など程遠い。どういう屁理屈だか、俺にはさっぱりだがな。だが、よくよく考えてもみろ。向こうは頭の硬い共産圏の連中たぞ? やってることといえば、ほぼ資本主義の否定ときてる。平等だなんて口では謳ってはいるが、連中のやってることなんざ、ただの搾取さ」
 その言葉を耳にして、景勝が急に目を丸くする。次いで、自分が盲点だった部分に痛いほど気付かされたのだろう。先程、虎鉄が言っていた『先入観』とやらが、確かにネックになっていたからだった。
 ──なんせ、普通の常識で計れば

まずいない。
 多かれ少なかれ、現代社会で生きるのであれば『金』という存在からは逃れられぬ運命。しかし、そこが重要なポイントだったのだ。もちろん、その意味に偽りはないのだが、虎鉄が言いたかったのは物の見方や捉え方のことを指摘したかったのだろう。要するに、角度が変われば映り方も印象もガラリと変わるということ……。
 その反応に準じて、虎鉄は更に話を続ける。
「覚えておくんだ。矛盾する行動っていうのは時に人の目を曇らせる。だが、それで物事の本質が変わるわけではない。詐欺師やペテン師が使う常套手段のひとつだ」
 俯き加減だった景勝は合点がいったのか、鼻先を触り急にしたり顔になる。
「へへへ、そうか。金が嫌いな神父か。……確かに、向こうのお国柄ってやつかも。……いうならば奴等は〝嫌儲(けんもう)主義〟って感じスね」
 と、虎鉄の前でその四文字をそらで書いてみせる。
 義手であるにも関わらず、指で器用な線を描くもの。漆黒の荒れた夜空に、その二文字が白く透けて浮かんで見えるような気がした。
「……『儲け』を『嫌がる』か。なかなか面白い語呂合わせじゃねえか」
「そういえば、婆さまも言ってました。こういう考えの根幹には、すべての富や権力を自分の手元に集中させる為にあると……。裏を返せば、これほど強欲な発想はないとも」
「昔から言うんだよな。〝無理を通せば道理は引っ込む〟ってな。だが、それもいつまでも続くもんじゃねえ。因果なもんでな。必ず、そのツケをどこかで払う羽目になるのさ」
 等と、虎鉄は断言する。まるで神父に引導を渡すのは俺らだ、と言わんばかりに。それにつけても、虎鉄はなんとも愉快そうな表情を見せる。具合が悪いながらも、そんな好敵手の登場を歓迎しているきらいさえあった。
 そして自問自答するように煙草を口で蒸し、虎鉄はこうも付け加えた。
「──それによ、借りた金を返さないのはワルの基本だろ? カツもそれはよく知ってるよな? 一般庶民が銀行から金を借りて商売するのとは訳が違うからな」
「では、神父は〝善人などではない〟ってことっスね?」
「当たり前だ。向こうは全員が悪党って寸法よ。気に病むこともねえ。殺されたって仕方がねえ。もし違ってたら、俺はこの仕事を降りたっていいさ」
「……それなら安心です。なんせ、俺も虎鉄さんも生粋のワルですからね」
 と、まるで憑き物が落ちたように、景勝の目に精気がみるみると戻ってゆく。

 ──しかしながら、少々危ないところだったかもしれない。

 結局のところ、蛇の道は蛇なのだ。自分のような人間と搗ち合い、鎬を削り合ってる時点で連中が善人なわけがない。仮に、善人であったとしても狂った思想の極悪人だと相場は決まっている。とはいえ、景勝がラスフーディンという怪僧に並々ならぬ業や魅力を感じてしまっているのは言うまでもなかった。
 ……やはり「ヴァーガ・ラスフーディン」は危険な男だ。
 特に多感な若者にとっては刺激が強すぎるのだ。最近では『ロック』とでもいう概念まで登場している。その強烈なまでのカリスマ性は、他者を惹きつけることをやめない。景勝と志戸は若いだけに、影響を受けないかが心配だ。怪僧に魅入られるぬよう注意深く監視し、細心の注意を払わねばならなかった。
 いつの間にか煙草の火は燃え尽き、幾分だが少し気分がよくなってきた。
 しかしその分、真冬の海風に当てられ身体も冷えてくる。新月が近づいているのか、月光は殆ど見えず……。遠くに見えていた漁船の群れも消え、陸地の街明かりだけが寂しく光っていた。
 雪も散らつきはじめ、天候も怪しい。船内へ戻ったほうが良さそうだ。
 ……と、虎鉄は吸い殻を灰皿に捨てようと手を伸ばすと、ふと向こうから人がやってくる気配を察知したのだった。──昨日の今日でまた来客か。分かりやすいまでに突き刺すような強い視線を向けてくる。同時にそれを感じ取った景勝も、咄嗟に身構えたのだった。
 ゆらりと佇む不気味な人影……。甲板のレーンマスト塔から照射される光りを背に徐々に迫りくる。もし、追手がくるなら絶妙なタイミング。二人は息を飲み、目の焦点を合わせ、虎鉄と景勝は影に刮目する。
 その人影からして女性だろうか。身体の線は細く、妙に小柄だ。次いで、その右手には錫杖(しゃくじょう)らしき棒が握られていた……。
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