其の四

文字数 3,445文字

   *

 ──東京とはいえ、朝方はよく冷えるものだった。
 シャッター前にあった木の椅子に腰掛け、遠くの沿岸線に視線を送る。
 倉庫棟の防寒設備がしっかりしてないというのもあるのだろう。海風が吹くと身体の芯まで冷えてくる。昨夜から降り続いた雪はすっかり降り止み、外は積雪の景色が延々と広がっていた。左吉は石炭ストーブで暖を取りながら、機動戦車「グラスジョー」の説明書に細かく目を通すのだった。
 昨夜、揚陸艇の搬入で初めて戦車を動かしてみたが、得体の知れない機器ばかりが目立つ。頭に装着するヘッドセットも然る事ながら、システムによる自動的な介入が厄介だった。いまいち操縦の要領も掴めず細かいミスを連発。他の重機と比べて癖も強く、微調整もまだまだ必要な感じがした。
 同時に手渡された仕様書も一晩で覚えられるような内容ではなく、用語の半分以上が意味不明。その情報量も半端ではなく、未知の機器が多すぎるのも難点だ。せめて、操作板の位置ぐらいは把握しようと懸命に努めるのだった。

 ……そして、倉庫内を見渡せば、飲み残された酒が沢山並んでいる。

 昨晩は騒がしく、交流会を兼ねたクリスマス・パーティが催されたのだった。長臣と行待は相変わらず一定の距離を保ちつつ、一言も言葉を交わそうとはしない。その反面、他の面子は存外楽しんでいたと思う。中でも、ミユキと遊佐は面識があったりと、世間は意外と狭いもの……。パーティなどの宴は魔女たちにとっても馴染みが深かったようで、左吉にとっても貴重な体験となったのだった。
 大きなモミの木には派手な装飾品の数々。どういう慣習なのか大小様々な靴下が多数ぶら下がり、ひときわ目を引く。机には洒落た洋食や洋菓子が並び、高級なスコッチやシャンパンまで用意されていた。珍しさや好奇心も手伝ってか、ついつい食べ過ぎてしまったかもしれない。
 気づけば宴もたけなわ、何時の間にか行待は帰り、魔女と女性たちはさっさと寝てしまったのだった。そうして男だけで酒を酌み交わし、夜半過ぎまで長臣や九十九を交えて話し込んでいたもの。互いに神経が図太いのか、ついさっきまで啀み合っていた者同士とは思えなかった。
 いずれにせよ、愉快な思い出ができたかもしれない。僅かな滞在時間だったとしても、なかなか良い旅路だった気がする。今宵が人生最後の遠出になったとしても、もう思い残すことはなかった。ただ、ひとつ贅沢を言わせて貰うならば、東京タワーを間近で見てみたかったぐらいだろうか。

 ……そろそろ、夜が明ける。仕様書を閉じ、左吉は東京湾に目を遣った。

 雲間から、白々しい朝日が差してくる。海上はシケの状態が続いていた。
 ストーブで温めていたやかんで、左吉は持参してきたコーヒー・サーバーにお湯を注ぐ。珈琲豆から成分が抽出され、真っ白な湯気が立ち上る。寒い朝には、温かい飲み物が一番だ。ほぼ、習慣化されている日課だが、場所が場所なだけに幾分新鮮な気分にもなった。

 ──「ほんとうに、左吉は寝ないのだな……」

 と、寝起きのカカが大欠伸をしながら遣って来る。
 寝癖をそのままにしてるのを見る限り、年頃の娘という感じもあまりしない。昨日から見ていても、普段から異性を意識することもないのだろう……。
 左吉は「おはよう。カカは珈琲は飲む?」とコーヒー・サーバーを片手に挨拶を交わす。カカは眠そうに頷くと、椅子を手元に引き寄せて、ちょこんと座るのだった。
 見た目だけはあどけない少女だが、もう生まれてから二十年以上は疾うに過ぎているそうだ。つまり、左吉にとっては少し歳上のお姉様でもある。……とはいえ、何百年も生きるとされる魔女にとって、赤子も同然な年齢のだろう。
 総責任者のエヴァに至っては魔女の中でも最年長に近く、齢はもう五百歳を超えているとも聴く。日本でなら、室町時代の生まれとなる。欧州ならば、オスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼしたあたりだろうか……。
 しかしながら、どうみても二十代中盤から後半ぐらいの女性にしか見えず、畏怖すら覚える若々しさだ。ただ、あの銀髪や眼鏡は魔女の中でも唯一見られる「老化現象」でもあるらしい。それ以外は普通の若者もなんら変わらず、やたら身体が丈夫で体力や腕力もあるそうだ。
 それが故に、もし

を見かけたら十分に用心しろという話でもあった。老人だと思って舐めてかかると痛い目を見るとも。そんな魔女の中でも、とびきり優秀な新人がカカらしい。好奇心が旺盛で、昨夜も遅くまで機動戦車の調整を一人でやっていた。その様子から察するに、機械いじりが余程に好きなのだろう。
 ……やがて、カカに愚痴を溢すように左吉が呟く。
「あの戦車だけど、なかなか大変そうだよ」
「乗りこなすには、時間は掛かるかもな」
「まるで、じゃじゃ馬だ」
「優秀な乗り物ってやつは、一癖も二癖もあるもんだ」
 と、カカは揚陸艇へ視線を送り、素っ気なく言うのだった。
 左吉は何気に聴く。「珈琲の角砂糖は何個入れる?」
「ええと、二個……」
 と、カカはVサインを向けた後に、少し躊躇してから「ごめん、やっぱ三個にする」とやや恥じらうのだった。どうやら、彼女は甘党らしい。それとも、まだ舌が幼いのか。次いで、周りをキョロキョロと見渡す。何かを探しているのか、やたらと落ち着きがなかった。
「あれ? どうかしたのか?」
「ミルクがない……」
 と、憮然とした表情を作る。普段は砂糖すら入れない左吉にとっては、寝耳に水な話だった。「すまん、牛乳はちょっとないな」と頬を掻くと、カカは口をへの字にして「仕方あるまい」と珈琲カップを渋々受け取る。
 猫舌なのか、何度もカップに息を吹きかけてから珈琲を啜る。熱そうに舌を出して、再び冷ます作業を繰り返す。左吉はその様子を横目でみながら、珈琲を口に運ぶ。なまじ言動が大人すぎるせいか、魔女には違和感しか覚えない。ただ、故郷の子供たちもこんな風だったなと、しみじみ回想するのだった。
 しかし、珈琲のようなハイカラな飲み物を口にする様になったのはいつの頃からだったろうか。これも、村が少しづつ豊かになっていった証拠でもある。
 物心ついた時から狩りや仕事の所作を学び、時折訪れる山賊もどきの襲撃に対処してきた。あらゆる武器の扱いを学び、時には元軍人を招いての訓練も行ってきたのだ。珈琲はそんな日々に対する唯一の嗜み。去年亡くなってしまった爺様たちの置き土産でもあったのだろう……。
 冬守でもある左吉にとって、毎日が孤独との戦いだった。
 なんせ、村人三百人に対して、冬守は二十数人程度。仕込み中である子供を除外すると十人にも満たなかった。そんな少人数で村を守りきらないとならない。だが、問題はそれだけではなかった。厳しい冬の間、その殆どを家屋の室内で過ごす。そんな時、どのように時間を潰すかが肝だった。
 読書、料理、運動、囲碁将棋、各々がそれぞれの趣味に没頭する。暗くて長い冬の寒さは人の精神を平気で蝕む。故に、左吉も勉強をしつつも、工学技術を学んだり、夜はネムラズの古い歴史を調べて編纂する作業などもしていた。
 しかし、本当に辛いのは寒さではなく人のいない寂しさだった……。
 これも、冬守として生まれてしまった人間の宿命なのだろう。正直、今年の冬はどうなるのかと悩んでいたが、応援を連れて故郷に戻れそうでもある。魔女が付いてくるとなれば、否が応でも期待してしまうからだ。左吉は、昂まる感情を抑えつつ、真横の少女を見守るのだった。
 ──すると、思い出したように「おお、そうだ。そうだったっ!」と、カカが急に手を叩く。慌ただしく立ち上がり、すぐ手前にある木箱を漁りだす。身を乗り出し、身体を半分埋めて何をしているのやら……。天真爛漫な少女の一面。暫くして、カーキ色の軍用ぽいジャケットを取り出したのだった。
「メリー・クリスマスだ」
「これは、プレゼントってことかな?」
「チームを組むのだぞ。制服ぐらいは用意しておかないとな」
「……ってことは、皆の分もあるのか」
「当然だ。残りの服なら、もう船に積んであるぞ」
 と、左吉にジャケットを無造作に手渡す。
 次いでとばかりに、袖口周りを見てみると、防寒に特化した造りになっているようだ。厚い生地やファスナーに至るまで、全てお手製のもので、特注で作成している感じもする。加えて、魔女を象徴するようなワッペンが縫い付けられていた。確か、同じマークが機動戦車にも貼ってあったような……。
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