第2話

文字数 5,651文字

頭に傘を付けた女と旅装束の男が連れ添って山道を歩いていた。女はなまめかしいと分かる体つきをしている。共にいる男は初老の顔つきをしている。
「すみません、わざわざご一緒してもらいまして」女は丁寧な口調で男に話しかけた。
「気にするな。女一人で旅に出ているとなれば、見過ごせん」
 女は立ち止まった。開けた場所に出る。
 男は巻物を取り出し、開いて道を確認した。
 木々が揺れた。
 男と女は周囲を見回した。5人の賊が木の隙間から現れた。皆、薄汚れた格好をしている。
「随分いい女連れてるな」賊が女に近づき、頭の傘を払った。細い目と艶のある赤い唇をしている。
 若い賊は女を見て戦慄を覚えた。女は落ち着いた表情をしているが、顔が紅潮していて興奮を隠している。獲物を見つけた動物の目だ。
「何かあったか」隣にいる賊は、若い賊に尋ねた。
「女を見ろ、不気味に見えないか」
 隣りにいる賊は笑い出した。「不気味だって、馬鹿を言うな。大げさに演技してるだけだよ」
 若い賊は改めて女を見た。女の表情が僅かに緩んだ。不気味さを覚えて周囲の賊を見回した。皆身構えている。自分の錯覚だ。
 賊達は徐々に二人を囲んだ。
 男は女の前に出た。
「刀一振り、金も置いていけ。女も借りる」賊は下品な笑みを浮かべた。山間に住む賊は山に座する神を信奉して、生活に必要な武器や金銭を通行者からせしめる武士の崩れにして、荘園の見張り番でもある。通行者から財産を奪い、荘園で生活物資に変えて生活をしている。「山に入ったら山の神様に初穂を払えって、教えてもらってなかったのか。分からないなら今すぐ教えてやる」
「教わるまでもない」男は刀に手をかけて抜いた。
 女は男と対峙する賊達の姿を見て、意味深気な笑みを浮かべた。
 賊は身構えた男を見ても表情一つ変えない。構える以前に刀を抜く気もない。
 男は戦う気のない賊達の姿に眉をひそめた。突然、背中に熱い感覚が走った。熱さは一瞬で消え、痛みに変わると共に体から力が抜けていく。男の背後にいた賊が背を切ったのだ。男の背中から血が吹き出した。
 賊は男がふらついたのを確認し、一斉に刀を抜いて切りつけた。男は切り口から血が吹き出し、意識を失ってうつ伏せに倒れた。男の死を確認すると、一斉に女に目を向けた。女は雨で着物と髪がぬれていて、よりつややかに見える。
 女は先程まで生きていた男の死体を見て、目を細めた。「男の刀で払ったとみなし、通してくれますか」淡々とした口調で賊に尋ねた。
 賊の一人は女に顔を近づけた。クチナシの濃厚な匂いが女から漂う。「奴は払う気がなかったから死んでもらっただけだ。お前はお前で別個だ。払わなければ通さん」
「困りましたね、隣の村までさほど距離がないのですから、手持ちの財はさほど持ち合わせていないのです」
 賊は女の肩に手をかけ、着物をずらした。「払う手段は別にある」
 女は賊の手を払おうとしない。表情が緩んだ。
 雨脚が強まる。
 賊は女の体に目をやった。女の着物がぬれて体に張り付いている。色気と女から漂う匂いで下半身がうずきだす。
 足音が遠くから近づいてきた。賊達は女に集中していて誰も気づいていない。刀を抜く音がしたが、賊の耳には入って来ない。
 間もなく賊の一人が地面に倒れた。賊達は我に返り、倒れた賊がいた場所に目を向けた。
 女は隙を見て森に逃げた。
 朝久が刀を片手に持って立っている。足元には賊の死体が転がっている。
 賊達は刀を抜いた。
 朝久は木々が茂っている方に逃げ出した。賊は朝久を追いかける。木が密集している場所に着いた。木を背にし、賊がいる方に刀を構えた。
 賊の一人が朝久に向かって刀を振る。朝久は軌道を読み、背にした木に沿って回り込む。賊の刀が僅かに肩に当たり、服が切れて肩の肉をえぐりとる。痛みはない。賊が振った刀は木の幹に食い込んだ。
 頼久は賊の刀が木に食い込んだ瞬間を狙い、刀を持っている賊の腕を切った。刀を持っていた腕を切断し、切り口から血が吹き出した。刀を返して首を切った。首から上が体から離れ、頭が転げ落ちる。立っていた体は倒れた。残った賊の人数を確認した。3人が片手で刀を持っている。
 賊の一人が朝久に踏み込むと同時に、刀を大きく斜めに振った。
 朝久は刀をかわし、側面に回った。賊の一人は刀を返して朝久に振った。朝久は刀で弾き、賊の伸び切った腕を切る。次に腹を蹴って賊を倒した。賊の腕が刀を持ったまま体から離れ、草まみれの地面に落ちた。賊自身は腕を切断した痛みで悶え苦しんだ。
 残った二人の賊は朝久の両脇に動いた。囲い込んで徐々に間合いを詰め、刀が届く範囲で同時に切りかかった。
 朝久は切りかかる直前で引き下がると同時に腹を切った。賊の腹が切れ、内臓が飛び出す。切断面を蹴って体勢を崩して切った。
 残った賊は朝久の正面から踏み込み、刀を振り回した。適当に振った刀は正面だけにしか効果はなく、軌道は容易に読める。
 朝久は賊の払いをかがんで避けると同時に足を切り払った。賊の切った足から血が吹き出し、重心が傾いて倒れる。倒した賊の胸を突き刺した。刀が肉に埋め込む感覚が手を通して伝わる。賊はうめき声を上げ、突き刺した箇所から血が吹き出す。賊から刀を抜いた。賊は間もなく死んだ。
 片腕を失った賊は痛みを堪えて立った。朝久の淡々とした処理から、人を切り慣れていると分かった。今の状況で相手をすればもう片方の腕だけで済まない。背を向けて逃げ出した。
 朝久は戦意を失った者を無視した。下手に追えば仲間が待ち伏せしている可能性がある。周囲を見回した。生きている賊はいない。徐々に力を抜き、刀を払って血を落とした。深呼吸をして刀をサヤに収めた。木の根本に置いた荷物を取りに向かった。
 女は賊の死体を見つめていた。血は雨水で薄まって地面に染み込んでいく。僅かに震え、口が緩んだ。
「大丈夫か」朝久は女に声をかけた。
 女は朝久に頭を下げた。「賊から助けて下さり、ありがとうございます」
 朝久は女の体を眺めた。体はぬれていて、血は付いていない。体からクチナシの匂いが漂っている。
「雨にぬれているが、合羽はないのか」朝久は女に尋ねた。
「時雨に会うのは旅の常です」
 朝久は自分が来た道を指差した。「近くに荘園がある。引き返すといい」
 女は首を振った。「今更別の道を通れとは、無理です」
「では行き先は」女は朝久に尋ねた。
「8、9里程離れた村だ」朝久は先を指差した。
「行き先は同じですね。夫から分かれ道で待ち合わせると手紙を受け取ったのです」
「手紙か」
「今日に出立すると知らせを受け、合流するために出ました」
 朝久は昨日見た地図を脳裏に浮かべた。堂は分かれ道の先にある。女はウソをついていない。「分かれ道か、賊がまた現れるやもしれんから供をするか。付き合えるか」
「はい」女はぎこちない笑みを浮かべた。朝久は女の笑顔に不気味さを覚えたが、感謝に慣れない人だと解釈した。空を見上げた。灰色しかない。
「当面雨が続くな、改めて聞くが合羽を着なくていいのか」
「大丈夫です、今の格好が一番慣れています」
 朝久は女の行動に違和感を覚えながらも、道を進んだ。追求しても意味はないと判断した。所詮は他人だ。女は朝久に続いた。
 雨は延々と降り続き、止む気配がない。
 二人はぬかるんだ道を進んでいく。ササとクチナシが脇に生えている。
 女は朝久の隣にいた。道を行き交う人は誰もいない。
 朝久は女の方を向いた。しずくが傘から滴り落ちている。着物はぬれていて、はだけて白い肩が露わになっている。女の肩に触れる妄想が脳裏に浮かぶも、間もなく消えて目の前の景色に戻る。雨が体温を奪い、理性を弱めている。
 女は朝久の足がわずかにふらついているのを認めた。「調子が悪いのですか。休みませんか」
「足を止めれば、ますます一歩を踏みにくくなる」
 女は朝久の状況を見て表情が緩んだ。体が弱っている。
 時間の経過と共に雨脚が徐々に強まっていく。先が見渡しにくくなった。地面の土は水を吸い付くし、しみ出る水が水たまりを作っていた。
 雨脚が強いのか、逃げた賊が朝久の立ち回りを伝達しているのか、賊が現れる気配はない。
 朝久は道のぬかるみで足が引っかかり、軽くよろけた。女は朝久の腰をつかんで支えた。
「大丈夫ですか」女は朝久に声をかけた。
「大丈夫だ」朝久は女の手を腰から払った。手が温石に触れたのかと錯覚する、絶妙な暖かさを持っている。女の体を抱けば暖かさは全身に渡る。欲望が芽を出すが、理性が薄皮一枚でも残っている限り、欲望の芽は抑え込める。
 開けた場所に出た。
 雨は降り続いている。空は灰色の雲を含めて何も変化はなく、時間の把握を困難にしている。
「君は夫に会うために、一人で来たのか」朝久は適当に声をかけた。話をして気が紛れないと、弱っていく体が欲望に屈する。
「はい。途中で男と旅をともにしましたが、賊が切り殺しました」女は朝久を見つめた。出会った頃に比べて顔が青い。
「君は平気なのか」
「私を気にかけてくれるのですか。私は山道は慣れていますから、平気です」
 朝久は女に目をやった。ぬれた着物が体に張り付いている。
「私に何かついていますか」
「いや」朝久は女から目をそらした。
 女は赤く染まった唇をなめた。
 分かれ道に来た。
 地面が平坦な岩が土から浮き出ている。道の一方は尾根に沿った緩やかな道で、一方は頂上に向かっている。
 朝久が立ち止まった瞬間、疲労がのしかかってきた。クチナシの濃密な匂いが漂い、妙な心地よさを与える。体が雨で重く、疲れが眠気を誘発する。
 女は朝久が疲労で睡魔が襲い始めたのに気づいた。目を細めて笑みを浮かべた。
「登った先に小屋があります。休みませんか」頂上に向かう道を見つめた。
 朝久は女が見た方に目をやった。獣道を伝って水が流れている。「拙を気にかけるか。君は夫に会うのが重要だ、別れて行けばいい」
「貴方の体を癒やしてからでも遅くないです。まず共を置いて、女一人で向かえと仰るのですか」
「拙にも行き先がある。回り道などできない」
「小屋まで半刻もすれば着きますよ。大丈夫です、お休みになれば、意固地な態度は疲れと混ざって溶けます」朝久に顔を近づけた。
 朝久は強まっていくクチナシの匂いにめまいを覚える。意識が匂いで削げていく。
 女は朝久の手を取った。朝久は抵抗するも、女が人ならざる握力で離せない。「貴方が私を見ていた視線、知っていますとも。欲を開放なさい。温まれば互いに楽です」つかんでいる朝久の手を胸に当てた。不敵な笑みを浮かべる。
 朝久は女の目を見た瞬間、動悸が全身を巡った。引き下がる、逃げるの選択が消える。圧倒する、何かを食い尽くす目だ。
 女は朝久の股間に手を当てた。「賊を切り捨てた力、未だため込んでいますね。体に毒です」顔を朝久に近づけた。クチナシの匂いが鼻につく。「開放しませんか、手伝いますとも。私も貴方と同じ、鬱積が溜まっていますよ」
 朝久は女の美しさに幻惑し、目が虚ろになってきた。欲望が理性を溶かしていく。
 女は肩の傷に触れた。痛みが体に走る。同時に朝久の脳に刺激が走る。痛みは溶けきれない理性を引き寄せた。
 朝久は女の服をつかみ、ひねると同時に足を女の足元に引っ掛けた。女は体勢を崩す。腕に力を入れて女を地面にたたきつけた。女の握力がたたきつけた衝撃で弱まる。女から手を離した。地面にたたき伏せた程度で死んだのか、不安になった。女に近づき、脇に立った。
 空が暗く変わり、雷鳴が響く。
 女は不気味に笑い、朝久の足をつかんだ。朝久はもがくも、女は手を離さない。「素直になさい」朝久の足を引っ張り、仰向けに倒した。起き上がり服に付いた泥を落とした。傘が落ち、くしが外れて腰まである髪が乱れている。不気味な笑みで朝久を見つめた。
 朝久は女への欲情は消えていた。生命を守る本能が頭と体を支配している。小回りの利く腰の脇差に手をかける。
 女は帯に手を回し、帯に入れている小刀を手に取った。サヤを抜き、朝久の腕に向かって突き出す。
 朝久は女が間合いに入ったと確信して脇差を抜き、勢いを殺さずに女の胴を切った。血と内臓が飛び散る。
 女は痛みで引き下がり、小刀を突くのを止めた。
 朝久は女が動きを止めている間に立ち上がり、女の体を肩から斜めに切った。女は倒れた。地面に流れる血は、地面にしみ込んだ雨で薄まっていく。
 空が光り、雷が落ちる音がした。
 朝久は刀を振って血と肉を払ってサヤにしまい、女の死体を見つめた。人は無数に切ったが女を切った経験はなかった。心にトゲが刺さる。女が持っていた小刀を手に取り、もう片方の手に持っていたサヤを取って収めた。女は客死したと話し、知る者に渡すと決めた。女の死体に背を向けて、尾根沿いの道を通った。
 木に乗った猿が女の死体を見つめていた。猿は女の死体の元に来て騒ぎ始めた。次々と猿が集まって来る。女の顔は目を見開き、満足げな表情をしていた。
 猿は人の気配を察知して一斉に散った。隻腕の賊が死体の元に来た。死体の切断面を見て、切ったのは自身の腕を切った男だと推測した。
 水が跳ねる音がした。
 賊は音がした方を向いた。ほおがやせこけた、肩まである散切りの男が眼前に立っている。
 散切りの男は賊をにらみつけた。
 賊は眼光の鋭さに体が震えつつ、腰に差した刀を不器用に抜いた。今までにない殺気が男から漂う。背を向ければ命はない。片腕はないが、一瞬の隙を作るには十分だ。一瞬を稼いだら山に逃げればいい。
 散切りの男は腰に差している刀を遅く、なめらかに抜いた。
 賊は散切りの男の刀装を見て驚いた。見覚えがある。
 散切りの男は驚いた賊の元に素早く踏み込み、腕を切った。賊の片方の腕が離れる。賊の頭に激痛が届く前に、喉を素早く、正確に突き刺した。
 賊は意識を失う直前、刀装を改めて見た。山の神に奉納した刀と同じだ。
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