第4話

文字数 3,169文字

 夜が明けた。窓から光が入る。雨の音はない。
 朝久は目を覚ました。半端に乾いている着物を着て荷物を手に取った。準備が整うとかんぬき代わりになっている刀を抜き、腰に差した。扉を開けた。
 雨は上がっていた。曇り空のままで、昨日に比べると大分明るい。人はなく道の脇にクチナシの花が咲いているが、匂いはしない。
 朝久は草鞋を履き、分かれ道まで戻った。分かれ道まで来ると、尾根の道をたどっていく。空は灰色のままで雨は降っていない。ぬかるんだ道は歩きにくいが、着物は乾いている分軽い。
 堂の前に来た。散切りの男の死体はない。血の跡も飛び散った肉片もなかった。
 朝久は周辺を見回し、死体の痕跡を探したが、痕跡はない。女と同じく賊が死体を漁って捨てたのだと認識した。村に向かって尾根沿いの道を進んだ。山道は次第に下がっていく。賊は雨が降っていないにも関わらず、現れないのに不審すら覚えた。村が見えた。
 村は囲いの中に田畑が広がり、合間に道と用水が走っている。
 朝久は門の前に来た。門は堅く閉ざしていた。
「領主の命により参上致した。乙名へ通してくれ」朝久は声を出した。
 門の脇にいる守人が朝久の元に来て、朝日さを見た。浅いながらも血で赤黒く染まり、汗と血の匂いが染み付いている。「いくら人を切ったんかね」
「知らんよ」
 守人は笑った。「浪人さん、数え切れん位に切ったのか。乙名様達は野良仕事で出回っててな、今は乞いで打ち合わせだ。屋敷には一人しかおらん」
「構わない」朝久は荷物を入れている箱から、巻物を取り出した。
 守人は巻物を受け取り、開いた。地図が書いてある。書いてある文字と共に花押が書いてある。
「村に行けと命を受けた」朝久は淡々と話した。
 守人は門の脇にある窓に向けて手を上げた。「開けろ、領主様の使いだ」
 門は門を通り村の内側にいる守人が押して開けた。
 朝久は村に入った。守人が続いた。
 村は山の中にある狭い盆地の一区画にあり、風はなく蒸している。道の所々に水たまりがある。田に植えてある稲や、土から生える野菜の葉は黄色みが強く、しなびている。
「すまない、宮に乙名様はいるか。領主様から客が来ていると言って、連れてきてくれ」守人は田畑を通る村人に話しかけた。
 村人はうなづき、宮に向かって行った。
 守人は朝久の方を向いた。「休みたがっているのは分かるが、しばらく待ってくれ。乙名様から許可が出てから屋敷に案内する」
「拙が直に宮に向かうか、屋敷に直に向かって待つかすればいい」
 守人は朝久に渋い表情をした。「お前の出で立ちを見てみろ」
 朝久は自分の服の袖を見た。血で赤黒く染まっていて、汗と血が混ざった匂いが漂っている。「まずは風呂に入ってからだ」
 初老の男が来た。「領主様からの客と聞いてきたが、お前か」
 朝久はうなづいた。「いかにも。貴方が乙名の一人か」
「他の者は乞いに出払っておってな」乙名は大きく息を吐いた。「屋敷に来い。風呂と着替えは用意する」
「ありがたく受け取ります」朝久は頭を下げた。
「私は門の守りに戻ります」門に向かって行った。
 乙名は屋敷に向かった。朝久が続いた。
 屋敷に来た。門番が門を開けた。
 二人は庭を通り式台に来た。庭には白い犬が眠っている。
「風呂は沸いとるか」乙名は式台に声を出した。
 使用人が式台に来た。「宮からお戻りになるのを見越して沸かしております。ぬるま湯ですが、入りますか」
 乙名は朝久の方を向いた。「客人が入る。着替えも用意してやれ」
「はい」使用人は式台から去った。
「間で待っておる。風呂に入って着替えろ」乙名は玄関に向かった。
 朝久はうなづき、式台から屋敷に入った。使用人の案内で湯殿に向かい、服を脱いで湯に浸かった。ぬるま湯が体に染み込み、ケガレがそぎ落ちていく。湯から上がると体を拭き、カゴに置いてある着物に着替えた。肩の傷はうずくが、ふさがっていて血は出ない。下手にいじるとまた血が出るので放っておいた。刀を差し、脇に置いてある荷物を持って屋敷にある間に向かった。乙名が座っていた。
「村に来いと命を受けたと聞いている」
 朝久は巻物を取り出した。ぬれた形跡があるが、にじみはない。乙名に差し出した。
 乙名は巻物を受け取り、開いて内容を読んだ。一通り読み終え、朝久の方を向いた。「荘園の土地も、村と同じ状況か」
「同じだ」
「なら知らんふりは言い訳にならん。年貢を減らせぬと申している」
 朝久は顔をしかめた。先の状況は予測できる。少ない収穫を取れば村の民は年を越せず死に至る。飢餓の苦しみは強奪や殺人と別の質だ。飢餓は一時の財産を失う強盗と違い、食料を確保できるまで続いていく。終わりはない。
「領主様に返しますか」
「今すぐは出さん。感情じみた返答は相手の怒りをかき立てる。下手をすればすぐにでも賊をけしかけてくる。賊には何名会ったか」
「4、5名でした。1度だけしか会っていません」
 乙名は驚いた。賊は何かに付けて現れては金や刀をせびてくる。一度しか会わないなどあり得ない。「運の良い奴だ。山の神が付いとったのか」
「山の神か、拙は理由があれど賊から助けた女と夫を切り刀を奪った、賊と同然の身だ。加護など受ける資格はない」
「奪った刀を見せよ」
 朝久は刀を帯から外し、乙名に差し出した。
 乙名は刀を手に取り、抜いた。顔が刃に鮮明に映った。「山の天辺に奉納した刀だ。念をがこもっておってな、分かる者には恐れを与える」刀をサヤにしまった。
 朝久は乙名の言葉に眉をひそめた。賊は山に根ざす者だ、山の力を感じ取り恐れを覚えるのは分かる。「賊が襲わぬ理由は分かった。では何故、賊ではなく夫婦が持っていたのだ」
「奉納してある刀を持ち出したか、山神自身かだな」
 朝久は乙名の言葉に驚いた。「神だとすれば、拙は神を切った不届き者となる」
「山神は死なんよ。切ったとすれば空だ。山神は強者の血と精を欲し一体になるのを望む。対象が現れた時、求める強さに値するか試すと聞く」
 朝久は顔をしかめた。女が山神の写しと仮定した場合、賊が襲った理由が理解できない。山に住んでいるのだから、女が人ならぬ者と分かる。
「人ならざる存在なら、気配は異なるのではないか」
「きつねとたぬきの变化すら見抜けぬ人間が、神を見抜けるとでも」
「二人は本来切らずに済んだ人だ。人では駄目で、山神なら良い道理はない」
「迷っとるのか」
 朝久は黙っていた。
「山の神は迷いを持つ者を誘惑し、血と精を奪う。君は振り切ったからこそ、今生きとるんだよ」
 朝久はうなった。
「後悔しとるのか、なら持っている刀を返せば良い。付き合うぞ」乙名は立ち上がった。
「山にか。盗賊が襲ってくるぞ」
「安心せい。山神の刀を持っていれば、賊は襲いはせん」
 朝久は気難しい表情をした。危険がある山に向かうなど、荷が重い。「刀がなくなるのが嫌か。なら以前、賊が襲ってきた時に奪った刀がある。持っていても邪魔なだけだ、くれてやる」
「初めて会うのに、妙にひいきにするな」
「山神が認めた剣客だからな。終わったら一仕事、付き合ってもらうぞ」
「一揆か」
 乙名はうなづいた。「他に何がある。前と同じく、竹を並べとくだけならいいがな」
 朝久は渋い表情をした。領主と対抗するとなれば、勘兵衛と戦うのは必至だ。勝てるか不安だ。
 乙名は奥の間の方を向いた。「三郎太を起こせ。ついでに俺の刀と件の刀をもって来い。客と共に奥宮まで行ってくるぞ」
「息子か」
「犬だ」乙名は笑みを浮かべた。「山神は犬を嫌うのでな。迷うなよ、山神は諦めはせん、またも血と精を奪いに来るぞ」
 朝久はうなづいた。乙名の言葉に了承し、立ち上がった。足にしびれを覚え、軽くよろけた。
 乙名は笑った。「脇が甘いな、よく山の神の誘惑に勝てたもんだ」
 朝久は苦笑いをした。
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