a dilemma and an interrogation

文字数 3,124文字


 そのあと二人は西天満署を出て、刺された被害者が入院している南森町の病院に向かった。依然として課長から説明を受けた状況と何も変わらなかったが、とりあえずは自分たちでも話を聞いておこうと思ったのだ。
 病院への道のりを歩きながら、芹沢は鍋島に言った。
「――あの、昨日はすいませんでした」
「え?」
 鍋島は首を少し回して芹沢に顔を向けた。ただし視線は外したままだった。
 芹沢は言った。「けしかけるようなこと言って」
 鍋島はふんと笑った。「ちょっと悪意を感じたな。昨日が初対面やったのに」
「……親のコネを利用して当然と思ってるタイプなんだと、勝手に思っちゃって」
「にしたって、そこをいきなり攻撃するかね」
「すいません」
 鍋島はここでようやく芹沢を見た。「ま、そっちもビジュアルを冷やかされてイラついてたようやしな」
 芹沢はため息をついた。「……うんざりですよ」
「けど、そのメリットを利用してええ思いもして来てるんやろ?」
「そりゃそうでしょ。これは俺の個性ですから」
「……まあな」
 鍋島は言ってまたふんと笑った。「要は、理解されへんジレンマってやつや。俺のもそっちのも」
「そうですね」
 意外と素直なところがあるんやなと鍋島は思った。生意気であることには変わりはないが、自ら非を認めて謝ってくるあたり、卑怯なやつではないのかもしれない。
「――それはそうと」鍋島は言った。
「はい」
「自分、猫は好きなんか」
 そう言って真っ直ぐに見上げてきた鍋島を見つめて、芹沢はやがて、口角をちょっと上げて微笑むと静かに言った。「別に」
「ふうん」
「どうしてそんなこと訊くんです?」
「特に理由はない。何となくや」鍋島は言うと造り笑顔を浮かべた。「忘れて」
 そうですか、と頷くと芹沢もまた笑顔になった。「じゃあ、俺も訊いていいですか」
「なに」
「料理、得意なんですか」
「え、ああ、まあ」
「昨日、鍋作ってるときの手際が良かったから」と芹沢は言った。「だったら、食べることも好きでしょ」
「そりゃ、嫌いやないけど――」
「作るときの手間暇を知ってるから、残さずについ食べ過ぎるんじゃないですか」
 何でそんなことを訊くのだろうと、鍋島は立ち止まって怪訝そうに芹沢を見上げた。
 すると芹沢は何とも愉しそうな目で鍋島を見下ろして言った。「――で、結果、腹壊しちゃったりして。歩くのも辛いくらい」
「…………」
 鍋島はじっと芹沢を見つめた。そうか。こいつも俺のことを分かってたんやな。
「……滅多にないけどな」
 鍋島は俯いて歩き出した。
 芹沢が追いつき、しばらくのあいだ二人は黙って病院への道を進んだ。陽射しの明るい朝で、川の多い地域であるがゆえにあたり一帯の空気がすべて輝いているようだった。
 やがて芹沢が訊いた。
「――鍋島さんは、被害者と発見者、どっちが怪しいと思ってるんですか」
「どっちも」
 鍋島は即答した。そしてゆっくりと芹沢に振り返った。「あれまさか、二択フラグでも立ってたっけ?」
「……いえ」
 芹沢は苦笑しながらかぶりを振った。


 片山祐樹(かたやまひろき)は警察の訪問を受けていささか緊張した面持ちではあったが、やってきた刑事が自分とほぼ同年代のいかにも経験の浅そうな若手だと確認すると、僅かではあったが安堵の表情を浮かべた。
 その様子を見逃さなかった鍋島は、面白くはないが所詮はそんなものだろうと思った。
「――何も憶えてらっしゃらないということですが」
 ベッド脇のパイプ椅子に腰掛け、鍋島は落ち着いた口調で言った。
「あ、ええ、はい」
 片山も静かに答えた。大怪我を負っているせいか少し気弱そうに見えたが、おしなべての印象はいたって好青年だ。
「逆に、どこまでだったら憶えてるんですか?」
 鍋島の後ろで、窓際の空調設備に腰を下ろしている芹沢が言った。
「え、あ、あの……」
 片山は首を捻って俯いた。「それが、本当に何も――」
 鍋島は後ろを振り返った。芹沢の質問の仕方が気に食わなかったのだ。しかし芹沢は咎めるような鍋島の視線を受け止めても、一切表情を変えなかった。
「昨日は出勤されてたようですが」鍋島は言った。「北浜(きたはま)にある会社を定時に退社されてますね」
「ええ、はい」
「そのあとの記憶は、どこらへんまで残ってます?」
「……梅田(うめだ)まで行って――」
「どうやって行きましたか?」
「あ、電車で」
「どういう経路で?」
「地下鉄です。北浜から堺筋(さかいすじ)線で。南森町(みなみもりまち)で東西線に乗り換えて、北新地(きたしんち)で降りて」
「そこで何をしました?」
「夕食を摂りました」
「一人で?」
「……ええ」
「確かですか?」
「はい」
「店はどこか、憶えてますか」
「北新地のスペインバルです」
「店の名前は?」
「確か、えっと――」片山は顔をしかめた。「エル……なんとかって、言ったような――」
「初めて行った場所ですか?」
「いえ、違います。ちょっと前に友達に連れて行ってもらって気に入って、最近ちょくちょく」
「分かりました、あとで調べます」鍋島はメモを取ると頷いた。「何時頃まで居ました?」
「……実は、そのあたりからの記憶がないんです。結構飲みましたし、疲れてもいたので」
「誰かともめた、ってことはないんですか」ここで芹沢が言った。
「え?」片山は芹沢に顔を向けた。
「タチの悪いのに絡まれて、それであとで刺されたとか」
「……そんなことは……なかったように思います……が……」
 片山は言うと俯き、右手で左腕をさすった。「すいません……本当に憶えてないんです」
「じゃあ質問を変えます」鍋島が言った。「同僚の秋山(あきやま)さんについてですが。怪我を負ったあなたがその方の部屋の前で倒れていたっていう」
「……はい」
 片山は俯いたままだった。
「片山さんの先輩ですよね」
「ええ。二年先輩です」
「同じ部署?」
「はい」
「仕事以外でも付き合いがあったということですか」
「え?」片山は顔を上げた。「……というと?」
「部屋の前まで行くくらいやから」と鍋島は答えた。「あなたが一人で行ったのか、秋山さんと一緒に行ったのかは知りませんけど」
 片山はまた俯いた。
「どういう経緯でその方の部屋まで行ったのか、理由は憶えていますか。憶えていないとしたら、分かりますか。推測で結構です」
 片山はずっと俯いていたが、やがてゆっくりと首を振り、そして咳払いを一つしてからゆるゆると顔を上げた。
「すいません、やっぱり分かりません。ごめんなさい」
「……そうですか」
 鍋島は溜め息をついた。

 病室を出て、エレベーターに乗り込んで「1」のボタンを押したところで鍋島は芹沢に振り返って言った。
「ああいう訊き方はやめてくれ」
「は?」芹沢は腕を組んだまま鍋島を見下ろした。「ああいうって?」
「『逆にどこまでやったら憶えてるんや』とか」
 芹沢はふんと笑った。「ダメっすか」
「喧嘩腰やないか」と鍋島は眉をひそめた。「事情聴取や。職質でも取り調べでもない」
「単刀直入に訊いただけですけど」
「何も憶えてないって返されたら、そこで終わりや」
「でも、結果同じことになってるんじゃないんですか」
 鍋島は口元を歪めて芹沢を見据えた。そこでエレベーターが止まり、一階ですとのアナウンスとともに扉が開いた。
 鍋島は何も言わずにフロアに出た。
「……気をつけます」
 芹沢は不敵とも言える笑みを浮かべながら鍋島の背中に言って、後に続いた。

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