a detective qualification and... 

文字数 3,366文字

an extremely vulgar act


 翌朝。今日は鍋島が先に出勤してきた。同僚に挨拶をしてデスクに着くと、すぐに後ろの席の捜査員が椅子を回転させて振り返り、話しかけてきた。
「――どうや、慣れたか」
 盗犯担当の三係の(あずま)という主任だった。灼けた肌にスポーツ刈りのよく似合う、三十代半ばの巡査部長だ。
「あ、ええ、まあ」
 鍋島は半身だけ後ろに向けて、こくんと頷いた。
「あっそうか。キミは先に十三で刑事やってるんやったな」
「はい。一年だけですけど。盗犯担当でした」
「ほな、強行犯は初めてか」
「ええ。それなのに、いきなり新人と組まされてある程度自由裁量でやれって言われても、どうしてええのか分かりません」鍋島はわざとふてくされて言った。「ゆとり世代なんで」
 わはは、じゅうぶんや、と東は笑った。「それで? あのイケメンの相方はどや」
「どうって?」
「ちゃんとやってるか」
 鍋島は首を傾げた。「普通やと思いますけど」
「態度が悪かったり、勝手な行動に出たりしてへんか」
「ええ、そんなことありません」
「ほな、キミがやりにくいと感じたことは?」
「……特にないです」
「……ふうん。そんならええんや」東は目を細めて鍋島を見た。「キミが困ってなかったら、それでええ」
「どういうことですか」
 鍋島は改めて真っ直ぐ東に向き直った。「困るって、何に?」
「いや、せやからキミが特に何も感じてないんやったら、問題ないよ」
 そう言うと東は自分のデスクに向き直ろうとした。
「いやいやいや」
 鍋島はあえて人懐っこく言って東を引き留め、にこにこと笑った。「そこまで言うといて、引っ込めるってナシですよ。教えてくださいよ」
「いや、なんでもない」
「なわけないでしょ。結構しつこく訊いてきはったやないですか」
「え、しつこかったか?」
「あ、すいません」鍋島はぺこりと頭を下げた。「お願いします。彼、何か問題あるんですか」
「まぁ、なあ……これから一緒にやっていくのはキミやしなぁ」
 夜勤だった東は髭の生えはじめた顎を触りながら独り言のように言うと鍋島をちらりと見た。「極めて漠然とした話なんやけどな」
「あ、はい」
「彼、前任地では地域課やったやろ。刑事は西天満署(ここ)で新任や」
「らしいですね」
「しかも制服やってた期間も短い。なのに刑事になれたんは――」
 東は腕を組んだ。
「なれたんは?」鍋島は強く頷いた。
「どうも、勤務中に著しい越権行為があったらしい。ところがそれが逆に、刑事の資質に合うてると判断されたそうや」
「何それ、どういうことです?」
「詳しいことは分からん。俺の同期の嫁が、先月まで難波署の生安課にいてな。昨日そいつと電話で喋ったら、そんなようなこと言うてた」
 鍋島はにわかに信じられなかった。自分も同じように昇格が早く、そして根も葉もない噂を立てられた。やはり七光り効果の現れだというのが主力説で、ほぼ確定の真実だと言われた。覚悟はしていたが、そのときほど府警に入ったことを後悔したことはなかった。大阪府民だから府警を選んだまでで、他に何の根拠もなかったが、兵庫県警か京都府警にしておけばよかったと心の底から悔やんだ。
「ただの噂やないんですか」
「かも知れん。でも、百パーセントありえへんって話でもないやろ」
 そう言ったあと、東は何かに気付いて廊下の方に視線を移し、僅かに目を見開いた。
 鍋島も廊下を見た。芹沢が部屋に入ってくるところだった。
 東は腕を解くと鍋島を見て言った。「まあ、気をつけとくんやな」
 東が背を向けて、鍋島も黙って椅子を元に戻した。
「おはようございます」
 芹沢がデスクにやって来て言った。
「――あ、おはようございます」鍋島は頭を下げた。
 芹沢は席に着くと、鞄を引き出しに片付けて言った。「何かありました?」
「え?」鍋島は顔を上げた。「いや、別に」
「そうですか」
 芹沢は頷いた。そしてその涼しい瞳をゆっくりと動かして東の背中を捉えると、ふっと笑みを漏らして自分のデスクに向き直った。
 その様子を視界の隅で確認した鍋島は、なるほど確かにこの男は刑事の資質を持っているんだろうなと思った。

 それから二人は、それぞれが昨夜(おこな)った秋山尚央のマンションでの聞き込みと本人への聴取で判明した事実を突き合わせた。
 まずは芹沢が、秋山尚央が後輩の樫村蓉世から相談を受けていた件について説明した。
「――なかなかのゲス野郎やな、片山くん」
 鍋島は言った。「姉妹を二股掛けるとは」
「一時の気の迷いみたいですけど」
「それで、妹を妊娠させてそっちの責任とらされると」
「……地獄ですよね」
 芹沢は首を振った。心底ぞっとしているようだった。
 まあな、と鍋島は苦笑した。「で、姉ちゃんの方は秋山に相談した日に彼女の部屋に一泊したあと、音信不通のままってわけか」
「それが、ゆうべ電話があったらしいです。俺と食事してるときに」芹沢は言って鍋島を見た。「ちょうど鍋島さんが電話くれてたときです」
「どこにいてるって? 実家に戻ったん?」
淡路(あわじ)島の祖母のところだそうです。会社には休暇届を出してあるって」
「へえ。それならそうと、秋山にひとこと連絡寄越してもよさそうなもんやのにな」
「俺も彼女にそう言いました。そしたら、そんな余裕ないんだろうって」芹沢は肩をすくめた。「優しいっていうか、お人よしっていうか」
「それで、その姉ちゃんは何て?」
「文句言ってきたそうですよ。片山のことをなんであんなに追い詰めたんですかって」
「追い詰めた?」
「ほら、片山が四日前にも彼女の部屋を訪ねたんでしょ。そこでちょっともめて、彼女が追い返したって」
「あ、そうや。で、片山は何の用で来たって?」
「自分のやらかしたことで姉妹の間で板挟みになって、姉妹の親はもちろん、自分の親にも責められて、どうしていいかわからなくなって、秋山に泣きついてきたみたいです」
「情けな」鍋島は吐き捨てた。「ゲスの上にヘタレとは」
 芹沢は苦笑した。「秋山も結構厳しく叱責したそうです。後輩の女性は片山からそのことを聞いたんでしょうね」
「二人は連絡を取り合ってるってことか」
「ええ、たぶん。それと、今回の件も家族から聞いて知ってるんじゃないですかね」
「それで文句?」鍋島は眉間に皺を寄せた。「勝手な女やな」
「ですよね」
「って言うか、その女やないんか、片山を刺したん」
 鍋島は言って芹沢をじっと見た。「淡路島にいるっていうの、裏取れてるわけやないんやろ」
「ええ、まあ」
「戻って来てるかもしれんわけや。美人?」
「えっ?」
「その後輩。美人なんか」
「ああ……スペインバルの件」芹沢は呟いた。「すいません、訊くの忘れました」
 鍋島はうんうんと頷いた。「とりあえずは重要参考人やな」
「所在確認して、事情聴取ですね」
「秋山への態度からして、ちょっと面倒くさそうな女や。慎重な対応を要すると思う」
 鍋島は言葉のとおり面倒くさそうに顔をしかめて耳の裏を掻いた。「って言うか、片山がさっさと喋ってくれたらええ話やねんけどな」
「もう一度片山に当たりますか」
「まあ、それもアリやけど」
 鍋島は言うと芹沢をじっと見た。「秋山への容疑は晴れたんか」
「えっ?」
「彼女は片山を刺してないって、確証は得られたんか」
「ああ……そうか」芹沢はため息をついた。「一応、アリバイは聞きました」
「ほなまずその裏取りからやな」
 鍋島はデスクに置いた煙草とライターを上着のポケットに入れて立ち上がった。「さっさと終わらせて、本命に取り掛かろ」
「分かりました」
 芹沢も立ち上がったところで、「鍋島くん、芹沢くん」と声をかけられた。
 二人が振り返ると、課長のデスクの脇に立った高野係長がこちらを見ていた。
「一応、報告して行ってね」
 高野は歪な笑顔で言った。
「……あ、すいません」鍋島はぺろっと舌を出した。
 デスクの課長は苦虫を噛み潰したような表情でこちらへ向かってくる二人を睨み付けると、小さく吐き捨てた。
「……ったく、ナメよってからに」

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