half a year later

文字数 3,606文字

 いつものように、部屋は犯罪者の吹き溜まり。
 正規の住人は刑事たちなのに、いつも客人の方が騒いでいるのがこの部屋の特徴だ。それもそのはず、彼らは来たくてやって来ているわけではないからだ。しかも、連れてきたのは刑事たちだから、うるさいからと言って何もせずに帰すわけにはいかない。署内でも、ここと同じような部屋はあることはあったが、それでも毎日というわけではなかった。長い一日が始まってまだ半分も経っていないというのに、いったいこの部屋の末期的状況は何なんだと、刑事たちの誰もがこめかみのあたりで自身の憤懣と忍耐をじりじりと闘わせていた。

 芹沢は一係のデスクの一つに尻を乗せ、目の前のパイプ椅子に座らせた二十歳過ぎの男を頭の上から見下ろしていた。白いTシャツの上にベージュとピンクのストライプの入ったシャツを羽織り、その肩には空砲の拳銃、ボトムも白の綿パンで、その整った顔と合わせて今日もまた極めて爽やかなオーラを放っていた。
「――おまえ、何度俺に説教されたら自分のアホさ加減に気が付くんだ」
「……知るか」
 椅子の男は首を振った。視線は足下に落としたままだった。
「女の顔。可哀想に、どこが目だか鼻だか分かんなくなってたぜ。何であそこまでボコボコにするんだよ」
「俺に生意気言うからや」
「女なんてのは生意気なくらいがちょうどいいじゃねえか」と芹沢は口元を緩めた。「従順な女なんて面白くも何ともねえよ。日頃偉そうな口叩いてる女がときどき素直になる、っつーのが快感だろ」
「……アホか、あんた」と男は鼻白んだ。
「アホはてめえだ」
 芹沢はもう笑っていなかった。「二、三発張り倒して交番(ハコ)へ駆け込まれてるあいだにやめときゃ良かったんだ。痴話喧嘩なんかこっちの知ったこっちゃねえからな。ちょっと前に刃物持ち出してここへ連行されて来たときも、怪我させてなかったからすぐに帰してやれた。おまえも酒が入ってたし、女の方も気が済んだみたいだったからよ。でも、今回はもうアウトだ」
 そう言うと芹沢はデスクから下りて男の前にしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。「……あの女、死ぬかもな」
「……なわけないやろ」
「頭の骨へこんでんだからな。ヤバい状態だ」
 男は下を向き、両手を膝の上でしっかりと握って足下の一点を見つめていた。考えを巡らせているのが分かった。
「……あいつが死んだら、俺はどうなる?」
「傷害致死か、あるいは殺人」と芹沢は答えた。「階下(した)の留置場から拘置所行って、裁判が済んだらいよいよ刑務所だ。何年も出てこれねえ。そのあいだに俺は出世して、ここにいる、おまえらみたいなクズどもとは二度と会うことはねえ。綺麗なお姉ちゃんと毎日愉しくやるぜ」
 男は顔を上げて芹沢を睨み付けた。「……くそったれの、権力のイヌ野郎」
 芹沢はふんと笑った。「なんとでも言え。俺がくそったれのイヌなら、おまえは何だ? 女をフーゾクに沈めてその金でシノいでる、クソの中の寄生虫か」
「う、うるさい――!」
 男は突然立ち上がり、芹沢に掴みかかった。芹沢は素早くそれをかわし、同時に男の顎を膝で蹴り上げた。男は椅子ごと真後ろにひっくり返った。その音で部屋にいた皆が一瞬、二人を見たが、それだけだった。
「ち、ちくしょう――っ!」
 男は床に倒れこんだまま叫び、やがて泣き出した。
 芹沢は男に一瞥をくれると、自分の椅子を引き寄せてデスクに向かい、平然と机の上を片づけ始めた。

 そのあと男を留置場へ送り込み、戻ってきて席に着いた芹沢は、携帯電話を取り出して画面を睨みながら何やら真剣に操作していた。
「――またやりすぎたやろ」
 後ろから声をかけられ、その声の主が分かっている芹沢はちらりとだけ振り返り、すぐに携帯電話に戻って言った。「どこ行ってたんだよ」
「ちょっとな。野暮用」
 席に着きながら鍋島は答えた。「馴染みの八百屋から、めずらしいもん入ったって連絡が来てな。見に行ってきた」
「……何やってんだか」芹沢は言うとふんと鼻を鳴らした。「面倒くせえ仕事って言やぁ、こっちに押し付けやがって」
「そう言いながら、そっちもケータイいじって遊んでるやんか」
「遊びじゃねえ。メールの整理だよ。持ってねえから分かんねえだろうけど、ちょっとほっといたらすぐ溜まるんだ」
「どうせ女を引っかけるための餌まきやろ。そこら中に仕掛けを沈めといて、次の日になったら漁に出て獲物がかかってないかって見て回るんや。今はその作業やろ?」
「……おまえは、ほんとに失礼なやつだ」芹沢は画面を見ながら舌打ちした。
「――おい、鍋島と芹沢」
 デスクから植田課長が呼んだ。「ちょっと来てくれ」
「な。一つ目途がつきゃもう次。遊んでる暇なんてねえんだ」
 芹沢はシャツのポケットに携帯電話をしまいながら言うと立ち上がって鍋島を見た。「野菜ソムリエごっこは休みの日にやれ」

 デスクの前に立った二人に、課長は言った。
天満(てんま)駅構内で傷害事件や。サラリーマンが電車に乗り込もうとしたとこを、後ろに並んでた男に背中を刺された。刺した男は逃走、電車に乗ったか駅から逃げたか、それはまだ分からん。サラリーマンは意識不明の重体や。先に機捜が出てるが、おまえらも行ってこい」
西天満署(うち)からは他に誰が?」鍋島が訊いた。
「は? おまえらだけや」
 課長は呆れ顔で言うと椅子に背を預けて二人を見た。「うちのどこにそんな余裕がある?」
「え、でも――」
 芹沢が戸惑いがちに言った。
 この半年間、確かに二人でやって来たけれど、どの案件も失礼ながらさほど緊迫感のあるものではなく、自分たちで言うのも何だが『新人向き』の事件ばかりだった。たまに重要事案の捜査本部入りすることもあったが、その場合はあくまで所轄の応援要員としてであって、一課の駒として動いているに過ぎなかったからだ。
「半年ものんびりやらせてやったんや。もうじゅうぶんやろ」課長は言った。「早期解決したらそれでええが、そうでない場合は機捜も手を引く。そのときは担当はおまえらや」
「……はい」鍋島は頷いた。
「遊んでる暇はないぞ。すぐ行ってこい」
 二人は軽く頭を下げ、自分たちのデスクに戻った。
「――通り魔かな」
 デスクの上を片付けながら芹沢が言った。
「刺され方によるやろけどな」
 鍋島は椅子の背に掛けていたGジャンを羽織った。「電車に乗られてたら、めんどくさいな」
「そうなったら徹夜で防犯カメラの映像とにらめっこだ」
 そう言って間仕切り戸に向かった二人を、課長が呼び止めた。「おい、ちょっと待った」
「何ですか」芹沢がちょっと面倒臭そうに言って振り返った。
「乗って行け。場合によっちゃ遠出になるかもしれん」
 課長は言いながら、車の鍵を顔の前にかざした。「そろそろ専用車両を支給する。自由に使ったらええ」
「あ、はい」
 芹沢は課長に向き直り、屈託のない笑顔で頷くと右手を前に出した。「投げてください。持ってきてもらうの悪いんで」
「……取りに()ぇへんのかぃ」
 課長は独り言ち、苦々しく笑って鍵を投げた。
 鍵は放物線を描き、吸い込まれるように芹沢の右手に収まった。
「ナイスキャッチ」
 芹沢は言うと軽くウインクして、先に出て行った鍋島の後を追った。
 呆然と見送った課長はやがて思い出したかのように腰を下ろすと、今度は吐き捨てるように言った。
「……ゆとりめ」

 駐車場で鍋島に追いつくと、芹沢が言った。
「どっちが運転する?」
「そらそっちやろ」鍋島は即答した。
「なんでだよ」
「後輩やし」
「……今さら?」芹沢は顔をしかめた。
「今さらも何も、ずっと変わらんからな」
 そう言うと鍋島は助手席のドアをこんこんと叩いた。「はよ。ロック外して」
 芹沢は舌打ちした。鍵のボタンを押して解錠すると、運転席に乗り込んでエンジンをかけた。
「えっと、天満駅ってどっちだっけ」
「ええ~そっから?」鍋島は笑った。「

で行った方が早いやん」
「いいからナビ、見てくれよ」芹沢も笑っていた。
「ここからやと――」
 鍋島はナビゲーションシステムを操作しながら呟いた。「菅原町(すがわらちょう)んとこで天神橋筋に入ったらええんか」
「とりあえずここは左だな」
 そう言うと芹沢はハンドルを切った。「もたもたしてる間に

で着きそうだ」
「ええんちゃう。俺らどうせ、期待値ゼロの遊軍やし」
「ゆとりだし」

 車は通りに出て、雲一つない青空のもとを走り出した。


                              ──終わり──

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係はありません。


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