第3話

文字数 2,377文字

必死で勉強したにも関わらず、テストの結果は芳しくなかった。
70点以上とれたのは、結局、数学と国語と歴史の三科目だけで、残りの科目(理科・家庭・音楽だ)はすべて60点以下だった。
あれだけ必死に勉強したのに、こんな点数しかとれない自分がひどく情けなく感じた。
何よりこれでは犬を飼えないではないか。
やはり、普段からちゃんと勉強するべきだったなと、ボクは今さらながら後悔した。
一学期が終わり、いよいよ夏休みということで、クラスメイト達が妙にはしゃいでいた。
彼らは、夏休みの間ディズニーランドへ行くハナシとか、沖縄旅行へ行くハナシなどをしていた。
そんなハナシを聞いていると、今まで気にも止めなかったクラスメイト達にたいして、初めて嫉妬心が芽生えるのを感じた。
帰宅すると、ボクは机に突っ伏して泣いた。
自分自身への不甲斐なさと、犬を飼えない悲しさで胸がいっぱいだった。
祖母が部屋のドアを開けて、心配そうに声をかけてきた。
「おや?あっちゃん(ボクは祖母からそう呼ばれていた)。何をそんなに泣いているのかね?」
ボクは"テストでいい点とれなかったからだ"と泣きながら答えた。
「テストでいい点とれなかった?そう。それは残念だねえ」
祖母はそういうと、ドアを閉めてノソノソとした足取りでどこかへ行ってしまった。
それは自分には関係のないことだと判断したのだろう。
祖母の判断は正しいと思った。
そもそも、祖母が口を出すと余計にハナシがややこしくなるということがよくあったからだ。
祖母が何処かへ消えても、ボクは泣き続けた。
その頃のボクはよく泣いたが、このときほど泣いたのは久しぶりのことだった。
今までで一番泣いたのは、恐らく幼稚園生のころエンガワから落ちて頭を打ちつけたとき(このときは頭を四針縫う大怪我をした)で、二番目に泣いたのが小学二年のころ、兄と鬼ごっこをしてるとき兄の持っていた棒切れが唇に当たって怪我をしたとき(これは三針縫って今でも傷跡がくっきりと残っている)だ。
今回は、その次に泣いた場面ということになる。
それほど、犬を飼えないという事実が、ボクにとっては堪え難いものだったのだ。
十七時過ぎに両親が仕事から帰宅しても、ボクがまだ泣き続けていたので、さすがに心配した母親が「何かあったの?」と、たずねてきた。
ボクはベソをかきながら「テストで70点とれなかったんだ…。これじゃあ犬飼えないね」と、言った。
母親はボクのそばまでくると、少しだけ身を屈めて「それで。何点だったの?見せてみなさい」と、言った。
ボクは、ランドセルから六科目分の答案用紙を取り出すと机の上に置いた。
母親は、答案用紙を手に取ると一枚づつ目を通した。
しばらく答案用紙を見ていた母親が、やがて口を開いた。
「まあ、確かによくはないわよね。でも、全体的に点数が上がってるみたいだしいいんじゃないかしら?これから犬飼ってあげてもいいかもね」
ボクは、目を輝かせると「えっ?本当にいいの?」と母親にたずねた。
「とりあえずお父さんにも訊いてみて。お父さんが飼っていいって言ったら飼ってもいいよ」
「えー、なんだよ、それ」
自分が約束したくせに、最後の判断は父親に委ねる。
母親のいつもの手口だった。
渋々、父親のいるリビングに入ると、説得するための言葉を慎重に選んだ。
「ねえ、犬飼ってもいいでしょ?世話はボクがするからさ。お願い!」
ボクがそういうと父親は表情ひとつ変えずに「ダメだ」と、答えた。
それから、父親は手でボクを追い払う仕草をした。
ボクは諦めずに食い下がった。
「イヤだ!犬ほしい!お願い!犬飼って!」
「だから、ダメだって言ってるだろ!何度も言わせるな!」
「なんでダメなの?理由を説明してよ」
「犬が嫌いだからだ」
そんなの嘘に決まってると、ボクは思った。
そもそも、本当に犬が嫌いならジャッキーを飼うわけがない。
それに、ジャッキーが死んだとき一番悲しんでいたのは他でもない父親なのだ。
「ジャッキーのことあんなに可愛がっていたじゃん。キライなら可愛がるわけないよね?」
父親は眉間にシワを寄せると「とにかくダメなものはダメだ。何度も言わせるな」と、言った。
これではとりつく島もない。
ボクは、とりあえず母親のいるキッチンに退散することにした。
「ねえ、お母さん。お父さんが犬飼っちゃダメだって」
「じゃあ、諦めるしかないわね」
母親が、そういうと人参をタンザク切りにして、玉ねぎの皮をむき始めた。
ボクは、目から涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で我慢しながら、こう反論した。
「さっきは犬飼っていいって言ったじゃん。そのために、ボク、頑張って勉強したんだよ」
母親は、玉ねぎをみじん切りにしていた手を止めて顔をあげると「でも、平均70点とれなかったんでしょ」と、したり顔で言った。
「確かにそうだけど…」
ボクの目からは再び涙が溢れた。
「男のくせにメソメソ泣かないの!」
母親が困ったようにそう言ったが、ボクだって泣きたくて泣いてるわけじゃない。
泣くという行為は生理現象のようなもので、我慢しても自然に出てきてしまうものなのだ。
そんなわけで、ボクは台所で母親が料理の支度を終えるまでの三十分間、ずっと泣き続けた。
「もう!本当にしょうがないわね!私がお父さんを説得してあげるから。だから、そんなに泣かないの。わかった?」
やがて、母親が困ったような表情でそう言った。
ボクは涙を袖で拭きながら「え…?本当に?いいの?」と、たずねた。
「いいわよ。だってテスト勉強頑張ったんでしょ?だから、そのご褒美。ただし、里親の家にはあんたも行くのよ。あんたが行かなきゃ相手に誠意が伝わらないからね」
「うん!わかった!」
ボクは目を輝かせてそう言った。
「さっきまで鳴いていたカラスがもう鳴きやんでる」
母親が呆れたような表情でそう言った。
実際に、涙はどこかへ消えていたのだった。







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