第2話

文字数 3,734文字

小学五年生になったころ、ちょっとしたいざこざがあり、ボクは今まで付き合いのあった友人達と絶交した。
そのなかにはクモンに通っている友人も含まれていた。
どうして絶交するハメになったのか、ボクには今ひとつ理解できなかった。
確かに彼らと口論したが、それは今まで何度もあったことだし、絶交するほど致命的に傷つけたわけでもないからだ。
しかし、彼らはボクを避け無視するようになった。
このことに関して言えば、二十年以上経った今なら、少しは理解できるかもしれない。
当時、ボクが付き合っていた友人達というのはひとつのグループで、なかにはボクがひそかに思いを寄せていた女子生徒も含まれていた。
ボクと彼女は仲が良く、いつも一緒に登下校しており、グループの連中からは"デキテル"と思われていたのだ。
彼らは、こう言ってボクを囃し立てた。
「お前、あいつと付き合ってんだろ?」
「バレバレなんだよ」
「あんなブスのどこがいいの?」
「小学生でもう恋人がいるってどんな気持ちなの?」
そんな風に茶化されると、ボクは顔を真っ赤にして怒った。
ボクが怒ると大抵の人間は逃げていくが、なかにはボクが喧嘩に弱いことを知ってるヤツもいて、そいつらとは殴り合いの喧嘩になった。
殴り合いになると、ボクは必ず負けた。(ボクは悲しいほど殴り合いに弱いのだ)
喧嘩に負けると負けず嫌いのボクは、教室中に響き渡るほどの大声で泣き喚いた。
こうすれば、周りの生徒や大人達が駆けつけて、喧嘩で負かしてきた相手を叱ってくれるからだ。
そして、最終的に相手はボクに謝罪することになる。
先に手を出したのは向こうなのだから、それぐらいのペナルティは受けて当然だろう、というのが当時のボクの考えだった。
これは、昔から兄と喧嘩していたボクの考案した喧嘩に勝つための姑息な手段のひとつだった。
そして、担任にこっぴどく叱られる友人をみて、表では泣きながら裏では嘲笑っていたのだ。
当然のことながら、そんなボクのことを好ましく思う人間などいるはずもなく、嫌気がさしてグループから一人。また一人。と脱落していったというのが真相なのだと思う-
話を戻そう。
そんなわけで、小学五年生のときにボクはひとりぼっちになってしまった。
それならそれで構いやしない。
どうせ友達なんかいてもいなくても自分の人生にはなんの影響もないのだ。
友達がいなくても人生は十分楽しいし、登下校だってもう一人でできる。
何も困ることはない、とボクは思っていた。
実際、小学校五年生になってから一ヶ月の間は、ひとりぼっちでもうまくやれた。
学校で一人でいることも、ひとりぼっちの登下校も寂しいと思わなかったし、ゲームや漫画は相変わらず楽しかった。
しかしながら、それも五月までのハナシで、六月に入ってからは次第に学校へ行くのが億劫になった。
どうしても学校へ行きたくないときは仮病を装って休んだ。
学校を休んだときは一日中ゲームをプレイした。
午前八時から正午までみっちりゲームをやるのだ。
その後、一時間程度のお昼休憩を挟んで十三時から兄が帰宅する十五時までプレイした。
一日中ゲームばかりしていると、なんだか自分がどんどん堕落していくような錯覚に襲われた。
このままダメになってしまうのではないかという漠然とした不安感は、着実にボクの体を蝕んでいき、気づいたら本当に熱を出して寝込んでいたということもあった。
今にして思えば、その時のボクは心を病んでいたのだと思う。
それでも、不登校にだけはならなかった。
両親がそれを許さなかったからだ。
調子が悪いというと必ず体温計で熱を測るようになり、熱がなければ学校へ行かされた。
学校に行きたくないと正直に打ち明けると、無理矢理車のなかに入れられて直接学校へ送られた。
これでは、不登校になりようがない。
そんなふうにして、六月も過ぎ去ろうとしたある日のこと。
ボクは無性に犬が飼いたくて仕方なくなった。
土日の昼過ぎにやっていたテレビ(パピーウォーカーの奮闘を描いたドラマ)の影響だ。
そのドラマに出ていた子犬がとても愛らしく、欲しくてたまらなくなった。
両親にそのことを打ち明けると、猛反発された。
「犬なんてうるさいだけだからいらないわよ。世話だって大変だし。あんた犬の世話できる?できないでしょ」
「ちゃんと世話するから!お願い!飼って!」
「とにかく犬はダメ。ジャッキー(ボクがまだ幼稚園児のころに飼っていた犬だ)のことあんた忘れちゃったの?あの子、一年で死んじゃったのよ。しかも衰弱死。あのとき、犬はもう絶対に飼わないって泣きながら話し合ったじゃない。可哀想だからって。忘れたの?」
幼稚園に通っていたころのことなので、ほとんど覚えていないが、確かにそういう犬がいたような気がする。
親戚の飼っていた犬が子供をたくさん産んで、飼いきれないから貰ってほしいと、両親に持ちかけてきたのだ。
最初、小さい子供が二人もいるからと言って両親は断ったが、親戚のおじさんに押し切られてしまい(このおじさんというのがまたひどく強引な人だった)、渋々飼うことになったらしい。
それがジャッキーだった。
ただ、先述したとおりボクはその犬のことをほとんど覚えていない。
その犬と遊んだことはおろか、触れた記憶さえなかった。
ジャッキーの死後、母親が涙を流しながらボクに打ち明けたことだけは今でもはっきり覚えている。
「実を言うとね、ジャッキーにはあんた達に近づかせないようにしていたのよ。噛みつかれると怖いから。だって、あの子狂犬病の注射とかそういうの一切してなかったんだもん。でも、わたしあの子にはかわいそうなことしちゃった…。散歩もろくに連れて行かなかったし、餌も水もろくに与えなかったから…」
当時は、それがどういう状況か理解できなかったが、今ならそれがどんなに悲惨な状況か理解している。
だが、ボクはどうしても犬を飼いたかった。
犬を飼えばそれだけで、ゲームや漫画しか趣味のないボクの退屈な人生が変わるような気がしたのだ。
ドラマで見たあのパピーウォーカーの一家がそうであったように。
「絶対に世話するから!お願い!飼わせて!」
必死に懇願するボクを、両親は困った表情で見ていた。
やがて、母親が口を開いた。
「そこまで言うなら飼ってもいいけど…。犬はどうするの?悪いけど金なら出せないわよ。犬って四、五十万するんだもの」
「それなら大丈夫だよ。ちょっと待ってて」
ボクはそういうと、机の引き出しにしまってある里親募集の記事を集めたクリアファイルを取り出して、母親に見せた。
実はパピーウォーカーのドラマを見始めたころから、新聞の犬猫里親探しの欄を毎日チェックしていたのだ。
そして、気になる記事があればそこをハサミで切り取ってクリアファイルに保管していた。
「ほら!こんなに里親を募集している人がいるんだよ!しかも全部タダ!どの子にしようかな?やっぱりラブラドールがいいよね。賢いらしいし」
すると、母親は呆れたような表情を浮かべてこう言った。
「いつの間にこんなにたくさん……。あのね、こんなことしてる暇があるならもっと勉強しなさいよ。この前の中間テストなんて惨憺たるものだったわよ。半分もとれてなかったじゃない。あれじゃ保護者面談のときにまた言われるわ。いくら勉強が嫌だって言ってもテストのときぐらい我慢して勉強するの。いい?わかった?」
母親の言うことはもっともだったが、勉強じたいがボクにとってディストレスかつ、不毛な行為なのだから仕方ない。
当時のボクにとっては、進化論よりゲーム。
三角形の面積よりパピーウォーカーだ。
「犬を飼わせてくれたら勉強してもいいよ。犬を飼わせてくれなきゃ勉強しない」
「またそんなこと言って!ゲーム機買ったときだってあんた勉強するから買えって言ったじゃない。忘れたとは言わせないわよ。犬を飼いたければ次のテストで70点とること。70点とれなきゃ犬は飼わない!」
「えー、70点とか無理だよー。せめて60点にしてくれない?」
「ダメ。70点とらなきゃ犬は飼わせない!」
ボクにそう言い残すと、母親は食事の支度のため台所に消えた。
ボクは狼狽した。
70点なんか奇跡でも起きない限り取れそうもない点数だからだ。
犬は飼いたい。
犬を飼って、あのドラマの一家のような笑いあり涙ありの人生を歩んでみたい。
だが、そのためには次のテストで70点以上とる必要があるのだ。
数学と国語に関しては、その課題を達成する自信があった。
いつもそれぐらいの点数を実際にとっているからだ。
しかし、それ以外の科目となると旗色が悪くなる。
だいたい60点台かそれ以下の点数しかとれないのだ。
勉強すればいいのだが、元々興味のない科目(歴史、理科、音楽など)なので、イマイチやる気が起きない。
しかも、次のテストは夏休み前の期末テストだ。つまり、ボクが犬を飼えるようになるのは、最短でも夏休みに入ってからということになる。
今が六月なので一ヶ月も先のことだ。
それまで、犬なしの無味乾燥な生活に耐えることができるだろうか?
いや、そもそも現在里親を募集しているラブラドールの子犬達が誰かに貰われてしまわないだろうか?
ボクは一抹の不安を抱きつつ、新品同然の理科の教科書を開くのだった。

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