文字数 1,942文字

 尼寺の門前に母子手帳の切れ端を添えて棄てられていた赤子は、警察の捜査も空しくついに真正の親に会えず、尼僧に一年育てられて後、男児だったので尼寺を離れ、善竹寺の筍道和尚へ託された。筍道和尚は尼僧の信頼する高僧の一人で、托鉢と檀家からの僅かな寄進を以て細々と寂静の寺を営んでいた。男児は筍道和尚の養子となり筍心の名を授かり、尼僧は筍心の成長を陰になり日向になりして支えた。
 筍心が中学の時分に郷土伝統の演芸大会があり、筍心は鶯の鳴き真似を披露し喝采を得た。筍心の真似る鶯の声には縄張りを警戒する雄鳥や逞しい雄鳥を求める雌鳥が集まり、素晴らし声真似を耳にした人々は筍心は鶯の子ではないかと噂した。筍心の名は「鶯名人」として巷間に流布し、善竹寺は鶯名人の寺として名声を博した。筍心十八の折に筍道は遷化し、同じ頃に尼僧も入滅し、善竹寺を継いだ筍心は善竹寺を細々と守り続けた。
 筍心二十四の春に、市長が「街おこしに力を貸してほしい」と善竹寺を訪ねてきた。
「この街を春は鶯の声が響き渡る街にしたい。竹林を数か所整備するので、鶯を呼び寄せてほしい」という。
 空家と空地として目立っていた場所が竹林に変わり、鶯を真似る名人筍心の声が響き渡ると、たちどころに四方から鶯が集まり、筍心の去った後に残った番いはその場に営巣し繁殖した。翌春には一帯に鳴り渡る鶯の声を聴こうと多くの人が公園に溢れた。その翌年には鶯餡の菓子、鶯色の饅頭などの銘菓が街に生まれ、鶯糞を使う化粧品が開発され、街は市長の目論見通りに鶯の街として栄え、翌々年に市長は再選を果たした。
 産業が興り、移住者も増え、街は市長の下で栄えてゆくものと思われたが、急激に増えた人口の反動か、「蚊が多いので竹藪を減らせ」「鶯の声がうるさい」といった苦情が届き、中には「鶯を食用に捕獲してはどうか」という不届きな提案まで市長に届いた。再々選を気にする市長は住民の声を無視できず、どうしたものかと筍心を訪ねた。
「住民の声を無視するわけにはいかず、竹林はいくつか伐採整地し、宅地造成したいと考えている。善竹寺の建替と引換に理解してはもらえまいか」と問う市長を筍心は、
「市長は伐採される竹藪に住む鶯らの命を何と心得ますのか?鶯らの命を本堂の建替えと引換えになどの戯言はお改めください。街は鶯で栄えているのですから、鶯には最大の敬意をお払いいただきたい」と退けた。
 市長は筍心の正鵠を射た指摘に反論できず、冬に筍心に内緒で善竹寺から離れた二つの竹藪を伐採するよう業者に命じた。業者の振るう鉈は竹に跳ね返されるので、業者は電動鋸の歯を押し当て竹を伐採にかかった。すると割れた竹の中から幾羽にも重なり詰まった鶯が現れ、竹の内側には隙間なく法華経が書き詰められていた。気味の悪さを感じた業者は伐採を諦め、藪に火を放った。すると藪は瞬く間に炎に包まれ、竹はパーンと大きく音を立てて弾け、天高く舞い上った火の粉は折からの強風に煽られ街の竹藪に次々と着火した。火は善竹寺の竹藪にも飛び火し、街の竹藪は善竹寺ともどもすべて焼け落ちた。
 鎮火した竹藪跡をこれ幸いと宅地造成した市長は、火事のあと筍心の行方が知れないのをいいことに、善竹寺跡を接収した。鶯が消え産業だけが残った街の市長選挙で、再々選を目指す現市長は選挙カーに乗り込むと自身の功績と今後の計画を訴えた。
「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ」
 市長は選挙カーから半身を乗り出し、道行く有権者に手を振りながら陶酔の表情で演説を打ったが、その声は人ではなく鶯で、あきれた市民に見捨てられた市長は落選した。
 鶯の消えた街には鶯に巣食う産業だけが残り、その産業も衰退の一途をたどり、街は再び寂れた地方都市に戻った。すると街おこしを考えた新市長は、鶯の声真似コンテストを開催した。参加者の中に名人筍心の姿はなかったが、元市長の姿があり、元市長はコンテストに優勝した。優勝者より一言もらおうと主催が元市長にマイクを向けると、元市長は口を動かすのだが、「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ」としか聞こえなかった。鶯の声真似新名人となった元市長の目には、声を発するたびに涙が浮かぶのだが、聴衆は嬉し涙を流しているのだろうと元市長に拍手を送った。しかしそれ以後、元市長の姿を見たものは誰もいなかった。
 新市長は接収した善竹寺跡に竹林を敷いた。翌春、善竹寺跡の竹林に縄張りを争う二羽の鶯があり、鶯の再来を感じさせる鳴き声の掛け合いに街の人々は狂喜した。
「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ」
人々は「あれは旧名人筍心と新名人元市長の魂の乗り移った二羽の鶯の戯れではないか」と噂した。
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