1 『百年戦争の予想』の背景

文字数 2,857文字

石橋湛山の百年戦争
Saven Satow
Jan. 01, 2008

「自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。『百年はもう来ていたんだな』とこの時始めて気がついた」。
夏目漱石『夢十夜』

1 『百年戦争の予想』の背景
 石橋湛山は、1941年7月5日・12日・19日号の東洋経済新報において、『百年戦争の予想』と題された論説を連載する。従来、石橋湛山を論じる際に、『大日本主義の幻想』や『更正日本の針路』がよくとりあげられ、この作品をめぐる読解は限定的である。けれども、『百年戦争の予想』は、その質量共に、それらに引けをとらない。湛山のテキストは、通常、具体的な出来事や事件、政策についての批評であるが、これは、そういった記述も見られるものの、むしろ、近代を論じた原理的な作品である。英国の歴史家エリック・ホブズボームの「長い19世紀」=「短い20世紀」論を先取りするだけではなく、それを凌駕している。

 言うまでもなく、この作品にしても、特定の時代的・社会的背景の下で、生まれたことは確かであり、それを振り返る必要がある。特に、当時の国内外の情勢は、1941年12月8日の出来事からも明らかなように、極めて緊迫している。

 1940年7月、ナチスやファシストを模倣した国民組織を結成しようとする新体制運動を背景として、その中心人物である近衛文麿が首相に就任する。第二次近衛内閣は「基本国策綱要」を決定し、その運動を促進していく。政府は政党を解散して、大政翼賛会を組織、労働組合・労働団体も解体し、大日本産業報国会を結成させる。さらに、総合計画経済機構を確立し、配給制・切符制などを実施して、価格・賃金・生産・労働を統制する。泥沼化した日中戦争を遂行するために、国家総動員体制を強化している。外交において政府は、日独伊三国同盟・日ソ中立条約を締結し、ユーラシア大陸を横断する日独伊ソの連携によってABCD包囲網に対抗する構想を指向する。

 しかし、近衛内閣の構想はあっさりと根本から覆されてしまう。1940年7月から始まり、翌年5月まで断続的に続けられた英独戦争、すなわちバトル・オブ・ブリテンはドイツの敗北に終わる。1941年6月には、突然、ドイツがソ連に奇襲攻撃を仕掛ける。しかも、イギリスに経済支援を行う中立国アメリカが、態度はすでに事実上そうであったとしても、連合国側に立って参戦すると噂されている。

 その上、仏領インドシナへの進駐をめぐり、日米関係が決定的に悪化する。1941年7月、第三次近衛内閣が成立する。しかし、これまでが示している通り、近衛内閣にはリアルな国際情勢の分析・対応能力に乏しく、自分の願望に基づいて字体を判断する傾向が顕著であり、状況は悪化の一途をたどる。10月、日米交渉に失敗した近衛は政権を放り出し、代わって、対米戦争を辞さない考えの東条英機陸相が首相に就任する。

 近衛文麿は、元々、国家主義的傾向が強い人物で、そのイデオロギーに沿って政治的主張を発している。1919年、パリ講和会議に全権西園寺公望に随行した際、その成り行きにをめぐり前年に発表した自著『英米本位の平和主義を排す』を正当化するほどだ。

 1937年6月、近衛文麿は挙国一致を目指して組閣する。近衛の人気は民衆レベルでも圧倒的だったが、政権を担当するには未熟かつひ弱であることがすぐに明らかとなる。7月、日中戦争が勃発し、不拡大方針をとっていたものの、事態は逆に進む。しかし、近衛は和平交渉に失敗、38年1月、「国民政府を対手とせず」で知られる声明を発表して、国民党政府との和平の道を閉ざしてしまう。そこで、38年11月、近衛首相は泥沼化した日中戦争の目的を「東亜新秩序」とする声明を発表する。この第二次近衛声明は、後に「大東亜共栄圏」構想へと発展している。12月、近衛内閣は中国和平の基本方針を善隣友好・共同防共・経済提携の三原則と示す。

 近衛の東亜新秩序建設・新体制運動は、彼のブレーンである後藤隆之助を中心とする学者・官僚による昭和研究会の提唱するイデオロギーである。それは、1942年に出現する「大東亜共栄圏」および「近代の超克」へと発展している。東亜新秩序は「民族自決(Self-determination)」に代わる原理として提示されたものの、対抗できるほどのアイデアではない。

 1918年1月、第一次世界大戦終決にあたって、ウッドロー・ウィルソン合衆国大統領は「14か条の平和原則(14 Points)」を提唱する。民族自決は、秘密外交の廃止や海洋の自由、関税障壁の撤廃、軍備縮小、国際平和機構の設立、植民地問題の公正解決などと並んでそれに含まれている。これらはパリ講和会議におけるアメリカの主張に反映している。

 昭和研究会のイデオロギーは大正デモクラシーの批判にすぎない。しかも、大正デモクラシーは自由民権運動につながる近代日本発の本格的政治思想であるが、それを攻撃して自己規定しているだけで、理論としては非常に脆弱である。

 『百年戦争の予想』はこうした国内外の危険な情勢の下で発表されている。目の前の状況に惑わされることがないように、あえて本質的な議論を挑んだと考えるべきだろう。
 事実、湛山も、『百年戦争の予想』の中で、今に囚われすぎていては真に問題を解決することはできないと次のように述べている。

 私は、今日の経済問題、政治問題などを考え、近頃痛切に感じますのは、単に目の前の戦争中の事だけを考えたのでは駄目だ、ということであります。戦争中の事ばかりを考えて、物価がどうとか、物資の配給がどうとか、あるいはまた新体制とか、いろいろの議論をしているのでありますけれども、それでもこれは解決しない。も一つ先に進んで、一体時局はいかなる形を以って収まって、そして時局後の世界ないし日本はどうなるのだ、という時局後の問題を検討して見て、それから逆に現在の製作を樹てなければならない。それでなくては現在の問題は処理出来ない。こういう感じを昨年頃から強く持ち始めたのであります。

 「そこで、その手がかりとして、いろいろと過去のことを考えて見た」。今日のことを考えて、明日への見通しを立てるのではなく、逆に、過去を研究した上で、それを未来の問題として検討し、現在を捉えるという発想の転換が必要だと湛山は訴える。近代の超克の一環としての東亜新秩序・新体制運動への大正デモクラシーを代表するジャーナリストによる批判とも読める。湛山は政策を正当化するためのイデオロギーによる世界理解を斥ける。彼は独ソ戦を「世界の経済的覇権を争う衝突の一部」と考え、これにより、「独米戦」が不可避であろうと予測している。さらに、近い将来どうなるかだけではなく、戦後体制を予想する。この射程の長さは近代に関する深い洞察が可能にしているのであり、それは、湛山思想を考察する際、十分に吟味されなければならない。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み