2 「百年戦争」とは何か

文字数 2,469文字

2 「百年戦争」とは何か
 湛山は自らが提起する「百年戦争」という概念がいささか奇妙だということを承知している。後に加筆するときに、変更使しようも考えたが、自分の述べるところを「最も端的に現わすもの」としてそのままにしている。

 イギリスの歴史学者エリック・ホブズボームは、『帝国の時代』(1987)において、19世紀をフランス革命勃発の1789年から第一次世界大戦開始の1914年までと区分し、それを「長い19世紀(The Long 19th Century)」と呼んでいる。実は、湛山はこうした時代区分を半世紀近く前に公表している。それが「百年戦争」である。日本語で書かれたことが返す返すも残念だ。

 この「百年戦争」という概念は、湛山によると、1338年から1453年までの間続いた英仏百年戦争に由来する。これは、一般的には、ジャンヌ・ダルクの活躍で知られる戦争である。1338年、英国軍が仏領に上陸し、翌年に開戦する。中断が非常に多く、時折、決戦が行われるというのが実情で、大砲などを投入した英軍が優勢を終始保ち続けたものの、ペストの流行や農民反乱、農奴解放の進展が戦況に影響し、仏軍が巻き返して休戦となる。両国共に、領主や騎士が凋落する一方、国王による集権化が進み、同時に、農民の自由化や市民階級の成長も促進される。さらにイギリスでは、この結末に不満を覚えた貴族たちがランカスター=ヨーク両家による王位争いに加わり、1455年から30年間に及ぶばら戦争へと発展する。けれども、貴族階級はただ疲弊しただけで、戦後、チューダー朝による中央集権化が一層強化されてしまう。

 これを踏まえ、湛山は、『百年戦争の予想』において、「百年戦争」の意味を次のように説明している。

 しかし私か、百年戦争の予想などという妙な題を掲げましたのは、必ずしも戦争そのものが百年続くと申すのではありません。昔の英仏戦争も、一三三八年から一四五三年まで、毎日毎日戦争をしていたわけではありません。ただこの間両国は敵対関係を続けておりました。そしてしばしば戦争を繰り返したのであります。いわんや現今の戦争の如く、武器が進歩し、惨禍が広く銃後の民衆にまで及ぶ戦争が百年もの間、毎日間断なく続け得るものではありません。その間には講和の行われることもありましょうし、いろいろ変化があることでありましょう。しかし私は、今日の世界の政治的不安動揺は容易に収まらない、現在の戦争そのものは、近く片付くと致しましても、それで戦争が終ると見られない、かように考えるのであります。百年は無論形容でありますが、その形容に該当するほど、世界の動揺は長く継続する。只今の戦争は畢竟この前の世界大戦の引続きでありますから、既に一九一四年から三十年近く過ぎております。これからなお七十年余り過ぎれば百年で、その位の間、今日の世界のこの混雑が続いたとて、そう長い事ではないかも知れません。

 こういうわけで、今度の戦後には、世界に大変化が現れるだろうとは、多くの人の感ずる所でありますが、それがどんな変化であるかということは、未だ誰にもわかっていないように思われます。それならこれは、いつになったらはっきりいたすか。またいつになったらその変化が成し遂げられるか。百年戦争と申すのは、前にも述べた通り、必ずしも戦争が百年続くというのではありませんで、実はこの戦後の変化が、百年もかからないと完成しないだろうという意味であります。即ちこの前の世界戦争以来始まった政治的経済的の変化は、非常に大きな動きでありまして、一朝一夕には安定しない。今度の戦争を経ても、おそらくまだ駄目である。かように考えるのであります。従ってこれが安定するまでには、また戦争も起るかも知れない。しかし戦争が起る起らぬにかかわらず、とにかく、世界の政治経済は動揺を続けると見なければならない。これが私の申す百年戦争であります。

 「百年戦争」は百年の間ずっと戦争をしている状態を指すのではなく、ある問題系を土台にして「世界の政治経済は動揺を続ける」ということである。激しい戦争がある一定期間続いた後、その戦争がもたらす問題系が持続したまま、時折、世界は小康状態に転ずるものの、百年かからないとその動揺は安定しない。戦争が起きていようがいまいが、それは大きな百年戦争の中に組みこまれている。英仏百年戦争の歴史的意味は貴族階級の衰退と国王による集権化、市民階級の発達という政治的・経済的変化を招いたという点であって、ジャンヌ・ダルクが登場したなどの個々の戦闘それ自体は本質的な問題ではない。「百年戦争」は問題系による歴史のパースペクティヴ的認識である。

 第二次世界大戦後に世界が冷戦という大きな見えない戦争の下に置かれていたことを経験したものから見れば、これは決して奇異な発想ではない。実際、柄谷行人の『安吾その可能性の中心』によると、文芸批評家のジョージ・スタイナーが後に同様の理論を主張している。彼は19世紀を1815年から1914年までと区分し、その前にフランス革命以降のシュトルム・ウント・ドランクと呼ばれる激動の30年間があり、それ以後の100年間は相対的に安定しているという循環的歴史観を提示している。彼もホブズボームを先取りしている。

 百年という区切りは世紀に相当する。19世紀は1801年に始まり、1900年に終わるというのは西暦の暦上の見方である。しかし、その世紀の持つ本質から時代区分するのなら、それに囚われる必要はない。百年戦争論に従うなら、20世紀は1914年の第一次世界大戦棒に幕を開けたということになろう。

 湛山によれば、1941年の今は新しい事態を迎えていると言うよりも、第一次世界大戦に端を発する「百年戦争」の真っ只中にいる。歴史の変化に戸惑うのでも、自分たちの願望思考に基づいて判断するのでもなく、そうしたパースペクティヴから考えて、その意味を読みとるべきであるというのが湛山の「百年戦争」の認識である。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み