第2話

文字数 2,815文字


      その二十六  (2)

 牛丼食べたいなぁといいつつ〈ハンバートハンバーガー〉のフィッシュバーガーを昼食として二つほど食したジャクソン皇帝は、
「船倉くん、おれちょっと昼寝するよ」
 といってシエスタルームに入ろうとしたのだけれど、職員の誰かが、
「皇帝、届きました」
 と子ども用自転車をもってくると、皇帝は、
「わあ!」
 と目の色を変えて、宮廷内でその子ども用自転車を乗り回しはじめた。
 ピーチタルト帝国の実情や皇帝の性質をぼくはミニスターの范礼一氏からちょくちょくきいていて、それによると近年のジャクソン皇帝は国政にはほとんど関心がなく、ひたすら骨董品等を収集することに情熱をそそいでいるようなのだが、いま窮屈な姿勢で乗り回している子ども用自転車もだからきっとわれわれの国から買い付けてきたいわゆる〝ピンク・レディー自転車〟で、先日も皇帝は四半世紀以上財布に入れてあるいわゆる〝なめ猫免許証〟を、
「あげましょうか」
 とぼくが差し出すと、後日ものすごい額の謝礼をジュラルミンケースに詰めて手渡してきたのだった。
 ガトーショコラ帝国との関係が悪化したのもこの収集癖がからんでいて、あちらの皇帝が狙っていたスパイダーマンのスープカップだったか、とにかく変な蜘蛛っぽい絵が入った平べったい食器みたいなやつをジャクソン皇帝が横取りして、
「ヒラグモ返せよ」
「嫌だね」
「返せよ」
「返さねぇよ」
 とこじれて牛肉の輸出を止められてしまったようだが、范礼一さんがおっしゃるには、ガトーショコラにいま〝いくさ〟を仕掛けられたら、まずピーチタルトに勝ち目はないので、あんなスープカップ一つでまるく収まるのであれば、
「さっさとあげちゃえばいいのに、ウチの皇帝はぜんぜん聞く耳もたないんですよ」
 とのことらしくて、だからミニスターはここ数日、そのあたりの調整のために水面下でいろいろ奔走しているのである。
 ただお話をうかがっていると、ジャクソン皇帝だけではなく、ガトーショコラの皇帝にも悪いところはあるように思える。というのは、ガトーショコラとピーチタルトは以前は仲良くしていて、そのときに、
「テレビばかり観ていると民が家にひきこもりがちになって人と人との交流が減り未婚率が上がって少子化が進んじゃって国力が落ちちゃうのでテレビを廃止しようよ」
 と決めたのにガトーショコラは勝手に衛星放送とかの事業に手をひろげていたからで、どうやらガトーショコラ帝国はそういう娯楽の方面にかなり予算をつぎ込んでいるみたいなのだが、どちらにしてもピーチタルトのほうが権利をもっていたテレビ電波のあれをいわば人類のために無効にしたのにガトーショコラが勝手に使っちゃっているというのは許しがたいことで――この点については范礼一さんも一歩も譲る気はないとおっしゃっているのである。
 そんなわけなのでピーチタルト帝国にテレビ放送というものはないのだけれど、そのかわりなのか、図書館とレンタルビデオ屋は充実していて、これは、
「図書館とかレンタルビデオ屋というのは、物理的にその場所まで行かないと楽しめないでしょ。つまり動きが出るわけなんですよ。家にいると誰にも会わないけれど図書館に行けば他者がいるじゃないですか」
 という理由で活用することを推奨しているのだが、じっさい范礼一さんもお住まいの地区の図書館で西施子(にしとしこ)さんという恋人と出会ったのだそうで、ミニスターはこの西施子さんがそばにいると、
「施子ちゃんの鶏のから揚げは世界一おいしいよ。あんあん」
 とあからさまにデレデレになってしまうのである。
「でも船倉軍師も奥さんがそばにいるとデレデレしてますよ」
「これはもうミニスターのおかげですよ。あんなかわいい子を娶れるなんて――」
 西施子さんは一時期われわれの国の「クレヨンしんちゃん」というアニメに夢中になっていて、だから范礼一さんと西施子さんはクレヨンしんちゃんの作品の舞台になっている埼玉県の春日部市に何度かお忍びで行っているそうなのだが、
「わたし、大凧がみたいわ」
 という西施子さんと春日部大凧祭りがおこなわれている場所に向かうと、その日は大凧をあげる日ではなく「春日部大凧マラソン大会」の日だったらしくて、それでも、
「もしかしたら、しんちゃんのお父さんかお母さんが走ってるかも」
 と西施子さんは喜んでそのマラソンの大会を見学した。
 するとピーチタルト帝国にあっては国民的大作家である蔵間鉄山がこのマラソン大会になにげに参加していて、ちなみに鉄山先生は汗一つかかずにのんびりとしたペースで楽しそうに走っていたようだが、范礼一さんに気がついた大作家は各ポイントにある給水場で水分を補給しながらも范礼一氏にゴール付近で待っているように、というゼスチャーをしてきて、そんなわけで鉄山が完走したのちのお三方は、とりあえずもんじゃ焼き屋さんでお食事をすることとあいなった。
 范礼一さんが蔵間鉄山氏に、
「どうしてこっちのマラソン大会に出てるんですか?」
 とたずねると鉄山先生は、
「ピーチパイドンの取材ですよ」
 ともったいぶることなくすぐこたえ、そのとき范礼一さんと西施子さんははじめてわたくし船倉たまきの存在を知ったようなのだが、赤木さん(蔵間鉄山の本名)はぼくには最近完成したみたいにいっていたけれど、ミニスター情報を元にざっと計算すると、Kの森テレビの「太陽にほえちゃう」が流行っていたころにはもう〝フナクラタマキ〟が主人公の作品は何作か仕上がっていたわけで――まあこのあたりのことは赤木さんに会ったときに直接きいてみればいいだろう。
 ジャクソン皇帝はピンク・レディー自転車を高額で買い取ってきてもピンク・レディー自体にそれほど精通しているわけではなくて、だから午後のぼくはピンク・レディーについて知っていることをカードゲームをやりながら皇帝にざっとおしえていたのだけれど、こちらの皇帝館に別邸からめずらしくおもむいてきた奥方様に、
「ねえ、ジャクソン、わたしモンブラン帝国に旅行に行きたいの。いい?」
 と青いドレスをみせられつつきかれると、皇帝は、
「でも、モンブランには自由に行き来できないんだよ。法律上」
「でもジャクソンは行ってるじゃない」
「それはたまにあっちの皇帝と会合とか、あるからさぁ」
「つまんないなぁ」
「辛抱してくれよ、マリリン。ティラミス帝国のほかにも、自由に行き来できる国、増やしていくからさ」
 となんとか夫人を説き伏せたのちに人目も気にせず奥方様を抱きしめていて、ぼくが、
「おれも早く菊池さんに会いたいな」
 とそんな光景をぼんやり見つつつぶやいていると、ジャクソン様は、
「そうだよな。船倉くん新婚だもんな。じゃあ、きょうはもう帰っていいよ。また明日カードゲームのつづきやろうぜ」
 とマリリン様を抱きしめている腰のあたりの手の甲の向きを変えて、ひらひらっと一二度手を振った。
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