無色の鏡、黒色の鏡

文字数 16,976文字

『ではつまり、あなたは既に死んでいる、と。そう言うわけですね』
『ええそうです。私は死人です』
『あなたは昨日、隣の民家に住む一家四人を殺害しました。それは正しいですか』
『正しいです。しかし、罪ではない』
『なぜ?』
『私は死人だからです』
『死人ならば何をしても許されると?』
『法律が適用されない。よって罪ではない』
『話にならない……いいですか、ロイドさん。第一に、あなたは生きている。今こうして私の質問に答えているのがいい証拠だ。二つ目に、あなたの犯した罪はれっきとした殺人だ。法律が適用されないわけがないだろう。私が知りたいのは、あなたがどうやってミラー一家を殺害したか、ということだ』
『私は生きてなどいない』
『ならそれでもいい。どうやってミラーを殺した』
『私を真似たのではないか』
『ふざけたことを言うな。死体には傷一つなかった。薬物や毒物反応もなかった。一体どうやって殺した。凶器は。動機は何だ』
『私は死んでいる。ミラーはそれを知った』
『それが、動機か?』
『いや、そうではない。私は、ミラーが私に近づけば死ぬだろうということは知らなかった。ミラーもそうだったに違いない。これは事故のようなものだ』
『しかし、ミラーはお前が殺した、と言ったはずだ』
『そうです。事故のようなものと言ったが、通常のそれのように間接的ではない。私が直接的に関わっているから、すなわち殺したのは私だということになる』
『だから、どうやって殺したというんだ』
『ミラーが、私が死んでいるということを認識することで』
『そういうのは、もういい。具体的な殺人手段だ。人間が人間を殺すのに必要なプロセスがあるだろう。それを説明しろ、と言っているんだ。意味が分からないわけでもあるまい』
『私は死人だ。人間ではない。だから、あなたが言うようなプロセスが、私には必ずしも存在するわけではない。カラレス刑事』
『もういい』
 カラレス刑事と呼ばれた男は音を立てて立ち上がると、ロイドを残して部屋を出た。部屋にはロイドが一人残された。それまでの様子をつぶさに記録していたビデオ映像が、ノイズを残して消失した。

 フランクリン・カラレス刑事はその映像を何度も見返していた。彼は手元のリモコンに目もくれずに巻き戻し操作を選択し、ぬるくなったコーヒーを一口含み、弱った腰をいたわるようにゆっくりと机に腰掛けると、映像を再生させた。
 時よりノイズが走るそのビデオ映像の中で、ミラー一家殺害事件容疑者のロイドは、先ほどとまったく変わらない意味不明な供述を繰り返していた。カラレスはコーヒーを飲み干して、舌打ちをする。
 本来、今日カラレスは非番だった。待ちに待った非番だったというのに、署長から呼び出された。何でも、ミラー一家殺害事件容疑者の取調べを行なった警官が、次々に体調不良を訴えて病院に搬送されたと言うのだ。食中毒かもしれない。人手が足りない。だから頼む、カラレス、と署長はさほど姿勢を低くすることもなく電話越しにカラレスに非番の終了を告げた。受話器を叩きつけ、車を走らせてやって来たのはおよそ五時間前のことだった。ロイドについて、何らかの有益な情報を得るまで、カラレスはこの拘置所でこうしてぬるいコーヒーをすすっていなければならない。改めて一つ、舌打ちが漏れた。
 ビデオを再生しながら、カラレスはいらついている自分に気付く。別に仕事が嫌なわけではない。仕事をこなせば金になるし、金があれば好きなように生きていけるのだから、仕事が嫌いなわけではないのだ。では何に怒っているのだろうか、とカラレスは考える。そうか、非番を潰されたからだ、とカラレスは一つの結論に達した。カラレスにとって非番とは、仕事をしなくてもいい日、というよりも、誰からも干渉されずに済む日、だという認識が強かった。そうであるはずの非番が、干渉を受けて潰されたとなれば、当然面白くはない。だからこんなにも不機嫌なのだ、とカラレスは空のカップを弄んだ。
 時刻は午後六時を回っていた。ミラー一家殺害事件とは関係のない職員が、連れ立って雑務室を出て行くのを、カラレスは不思議な気分で眺めている。これから飲み歩きに出るということが、彼らの会話から分かった。彼らは、オフのときもああやって連れ立って、行動している。嫌じゃないのだろうか。カラレスは、少なくとも自分は嫌だ、と首を捻る。休みの時間まで他人に拘束されるなど、たまったものではない。そういったカラレスの性格を知っている同僚は、カラレスを飲みに誘うことはしない。それがカラレスにとってはありがたかったし、同僚たちにとっても扱いが面倒な男がいないというのは、清々しいことであるだろうから、それが自然なのだろう、とカラレスは考えていた。しかし問題なのは、それを自然だと解釈するのはどうやらこの自分だけだ、ということだった。カラレスは周りから変人のそれに近い扱いをされていた。
 一般に言われている、社会不適合者と呼ばれる存在なのだろうか、この自分は、とカラレスは考える。あるいはコミュニケーション不全と呼ばれる病気なのかもしれない。いずれにしても、カラレスは、自分が他の一般の人々に比べて何らかの欠点を持った人間であるのだろうということは自覚していた。強制参加の酒盛りなどでは、若い奴らから、空気が読めないと揶揄されていることも知っている。致命的ではないにせよ、どこか劣った点があるのだろうな、とカラレスは思った。こういった思考には慣れていたので、落ち込みはしなかったが、気分がいいものでもなかった。冷たくなったカップに、新しいコーヒーを注ぐ。カップが温まるまで、少々の時間を要する。
 流れていたロイドの供述ビデオを眺めながら、カラレスはロイドに対して、意外にも共感を抱いた。この意味不明な供述をしているロイドという男も、恐らく何らかの能力が欠如しているのだろう。多分、現実を正しく把握する能力に欠けている。だから、自分が死人だ、などという荒唐無稽な発言が飛び出すのだ。ある意味で、あの男は自分に似ている、とカラレスは考える。現実を正しく把握すれば、他者とのコミュニケーションがどれだけ大切であるかということは容易に理解できるはずなのに、それができないということは、自分も現実を正しくは理解していないということになる。それがロイドの場合は程度が大きかった、というだけの話だ。だがそれは、言い方を変えれば、確固たる自分自身の世界を持っているということでもある。強力な力を持つ現実世界に負けないほどの自分の世界を、ロイドは持っているのだろう。自分はそうではないな、とカラレスは思う。現実世界の干渉は避けられないし、しかしながら自分自身の世界に固執しているという、中途半端な存在だ。いっそロイドのようになれたら、世界は変わるのかもしれないな、とカラレスはカップを両手で包んだ。

 事件は急展開を迎えた。
 カラレスはビデオを再生するのにも飽き始めてリモコンを弄んでいた。ミラー一家殺害事件の犯人は、十中八九ロイドで決まりだった。ロイドは殺害を概ねではあるが認めているし、意味不明な発言の数々は、ロイドの精神状態が通常のそれではないのだろう、の一言で片付きそうでもあった。このまま、ロイドの供述を元にして逮捕に至ってもいいだろう、とカラレスは、報告書の文面を考えていた。ちょうどそのときだった。
 ポケットの中から、携帯電話の着信音が響いた。署長からだった。カラレスは嫌々ながら、受話ボタンを押す。
『カラレスか。今、どこだ』
「拘置所ですよ、署長。あなたの命令でしょう」
『ロイドはどうしている』
「ロイド?」
 カラレスは署長の意図を掴みかねた。思わず訊き返す。
「ロイドについては、署長の命令どおり、私が責任を持って取調べをしていたところですが、それがどうかしたのですか?」
『そういう意味ではない。ロイドは今も拘置されているか、と訊いているんだ』
「それは、そうでしょう。当たり前です」
 カラレスはロイドが拘置されている部屋を映しているモニタに目をやる。ロイドはまるで何も考えていような無表情で、ただ椅子に座っていた。
『では、これはどういうことだ。くそ、良く聞けカラレス。ミラーの対面の一家も、全員死んでいた。その隣もだ。あのあたりの住宅街はゴーストタウンの一丁目になってしまったようだ』
「何ですって」
『死に方は、ミラー一家とまったく同じだ。外傷はない。薬物の線を洗ってみるが、おそらく反応は出ないだろう。きれいな死体だったそうだ。ミラー一家と同じ方法で殺されたと考えられる』
「ロイドがやったというんですか」とカラレスはちらりとモニタに目をやった。
『その可能性が高い、と言っている。殺害方法は吐かせたか?』
「それは、まだです」
『何をやっている。速やかに殺害方法を吐かせろ。そしてあの住宅街での犯行がすべてロイドによって行なわれたものかどうか、探れ』
「ミラー一家以外の、死亡推定時刻は」
『詳しくは不明だが、少なくとも全部ばらばらであることは確かだ。先ほど運び込まれた死体の中には、ミラー家が立ち入り禁止になったのを野次馬していた連中も含まれている。全員、ばらばらの時間帯に、それぞれ死んでいったというわけだ』
「そんな殺害方法があるわけがない」
『だからそれを吐かせろ、と言っているんだ。急げカラレス。もしかしたら被害はあの一帯だけに留まらないかもしれない』
「被害拡大の可能性があると?」
『現に、拡大した。拡大と呼んでいいのかは分からないが、被害地域はロイドの家を中心に起きている。急げ。速やかにミラー一家殺害の方法を探れ。私も現地で情報を集める』
「他の警官はどうしたのです。非常召集をかけるべきだ」
『言っただろう。皆体調を崩して病院だ。食中毒かもしれん。動ける者が少ない』
「こんなときに」
『だから私が動く。ロイドは任せた。また連絡する』
 プツリ、と電話が切れる。カラレスは再びモニタを見た。ロイドは確かにそこにいた。無機質な部屋の、飾り気のない椅子に、無表情で座っている。自らを死人と呼ぶことの意味を体現しているようでもあった。カラレスはぞっとしないものを感じる。が、そういった思いを振り払って、ロイドの拘置室に向かった。ジャケットの内側につけたホルスターから感じる拳銃の重さが、今は心地よかった。


 町唯一の警察署の署長であるアドルフ・ブラックマンは、自身の車を走らせながら、事態の重さに頭を痛めていた。
 連絡があったのはつい先ほどだった。通報という形で寄せられたその情報を信じるならば、ミラー家の道路向かいに家を構えるレイク一家は、実に奇怪な滅び方をしたことになる。最初に倒れたのは中学生の娘だったという。それに次いで母親が倒れ、父親が倒れた。驚くべきことは、その状況を、まだ五歳に満たない次女が電話を通じて警察に実況していたということだった。ブラックマンは戦慄を隠し切れない表情で、その報告を思い返す。
 警察がその通報を受けて到着したころには、もうレイク一家の中で動く者は誰もいなかったという。通報したと思われる次女も、コードレスの電話子機を握り締めたまま絶命していた。
 事件はそれだけでは終わらなかった。レイク一家事件により、あたりには救急車やパトカーのサイレンがけたたましく鳴り響いていたにも関わらず、近隣には、家の窓から様子をうかがう、といった者は誰もいなかった。不審に思った警官が、近くの家を訪問したところ、死体がドアにもたれかかるようにして倒れているのが発見され、事件は一気に大規模殺人事件へと発展したのだった。被害者の死に方や状況を考えると、発端は、ロイドのミラー一家殺人事件だと思われた。そしてこの殺人事件は、まだ終了していないかもしれない、とも。殺害方法や死因が特定できないのが、その不安をさらにかき立てていた。
 ミラー一家殺害事件の容疑者ロイドからの殺害方法の供述も、まだ得られていなかった。取調べを行なわせているカラレスが、まだ掴みきれていない、と言っていた。死体には外傷はなかったから、内部から殺すような、例えば毒薬などでの殺害の可能性があったが、検死の結果に毒物の名前は挙がらなかった。体内で溶けてなくなるタイプの毒物の可能性はあった。可能性には過ぎないが、そのようなタイプの毒物を、大量にロイドが散布したということも考えられる。死亡時刻が異なっているのは、それが遅効性の毒なのか、それとも個人の耐性によって発現する時期が大きく依存するものなのか。はっきりとは分からない。それよりも重要なのは、そのような毒物が散布されならば、この事件は、未曾有の大量殺人事件に発展する可能性もあるということだった。事態は、重いのだ。
 現場に到着したブラックマンは、現場の警官への挨拶もそこそこに、レイク一家に張り巡らされた黄色いテープをくぐって家の中に入った。現場を荒らされることを良く思わない捜査課の職員たちが、ブラックマンに嫌な顔を向けるが、当のブラックマンはそんなことには気が付かなかった。
「少女が持っていたという電話子機はこれか」
 ブラックマンは現場写真の撮影をしている男に向けて、そう言った。男は面倒臭そうに答える。
「そうですよ。ああ、これらは一応証拠品として扱うので触らないで下さい」
「死体の状況は?」
「特に何も。寝ているような安らかさでしたが」
「写真はあるか」
 とブラックマンは職員のカメラを指した。男はため息を吐きながら答える。
「ありますが、今は他の物品の撮影中ですから。もう少し待ってもらえませんか」
「どのくらいだ」
「撮影が終わるまでですよ」
「だからどのくらいだ、と訊いている」
「邪魔をしないで下さいよ。現場の作業は現場に出ている者の担当です。上の人が口を挟むことじゃない」 
「必要な情報だから開示しろ、と言っているのだ。現場だからとか、現場じゃないからとかは関係ないだろう」
「そういう問題ではないでしょう。現場の者としては、素人にしたり顔で現場を仕切られると迷惑なんです」
「これは遊びではない。捜査だ。情報の開示は当然の義務だ」
「だからそれは少し待ってくれ、と言っているでしょう」
「ではどれくらい待てばいい?」
「署長さん、いい加減にしてくれないか?」
 ブラックマンとカメラをもった職員とが言い争っているところに、別の捜査員が口を挟んだ。彼もまた、現場の捜査員であることが、ブラックマンには分かった。
「我々には我々のやり方があるんだ。権力をかさにした介入はやめてもらいたい」
「やり方を非難しているわけではない」とブラックマン。「ただ速やかな情報の開示を望んでいるだけだ」
「そのやり方が駄目なんですよ」とカメラの職員が言う。「現場には現場の流れ、というか、雰囲気みたいなものがある。それを濁されると困るんです」
「雰囲気の問題など知らん」とブラックマンは反論した。「捜査には迅速さが要求される。それが分からないのか」
「郷に入っては郷に従え、と言うでしょう」と別の捜査員。「それができないというのなら、署長室で報告書を待っていればいいんですよ」
 彼のその言葉を皮切りに、所定の仕事をこなしながらも署長の動向を気にかけていた他の職員たちも立ち上がって、そうだ、そうだの大合唱を始めた。
 現場の捜査員たちが、自らのやり方を非難されることを最も嫌うということは、情報として知っていたブラックマンであったが、ここまで何というか、そのような場合ではないというのに、子供染みた真似ができるほどに、現場のつながり、とでもいうものが厚いものだということは知らなかった。中には、このような、まるでイジメのようなことを望んでやっているわけではない者もいるには違いなかったが、それを許さないようなコミュニティが現場には存在しているのだろう、と罵声を浴びせられながらも冷静にブラックマンは考えた。昔からそういったコミュニティには関心のなかったブラックマンには、自分の意思以外の、他の誰かの意思に乗るという行為に、何ら合理性を見出すことが出来ないでいた。それを行なわなければ、つまり他者の行為に自らも加担しなければ、コミュニティを失ってしまう。そのために、やりたくもない行為に加担せざるを得ないのである、という理屈はブラックマンも聞いたことがあった。だが、その理屈はブラックマンには理解できなかった。彼は、コミュニティというものに価値はないと考えていたからだ。価値がないものを失うことに、躊躇はなかった。
「早く署長室に戻ってくれませんかね?」とカメラの男が言う。「この通り、現場の総意ですので」
 しかし彼らにとっては、このコミュニティは価値あるものなのだろう、とブラックマンは思う。だから失うことを恐れ、このように総意という言葉に沿うように生きるのだ。利口といえば、利口だろう、とブラックマンが思ったそのとき、信じられないような事象が、目の前で展開された。
 最初は足を滑らせたのかと思った。目の前で得意げな表情をしていたカメラの男が、急に後ろにひっくり返った。頭を強打したことが音で分かったが、カメラの男は痛そうな仕草を見せることもなく、そのまま沈黙した。次いで、ブラックマンの後方で野次を飛ばしていた男が昏倒した。それからばたばたと、現場の人間たちがブラックマンを残して倒れていく。ブラックマンは手近な捜査員を抱きかかえたが、呼吸が停止していることに気付く。その隣で昏倒していた男にも、カメラを携えたまま虚空を睨んでいる男にも、既に息はなかった。


 カラレスは意を決して、ロイドの拘置室に入室した。部屋の中央に置かれたテーブルの奥に、椅子に座った容疑者ロイドが、先ほどとまったく変わらない様子でそこにいた。カラレスはドアを閉めると、テーブルを挟んでロイドの対面に置かれた椅子に腰掛けた。
「訊きたいことがある」
「今度は何でしょう、カラレス刑事」
「お前はミラー一家を殺害した。それは間違いないんだな」
「間違いありません」
「どうやって」
 カラレスは鋭く詰問した。その言葉に鈍く反応するように、ゆっくりと、ロイドは俯いていた顔をカラレスに向けた。
「ミラーは私の死に共感した。だから死んだ」
「そういうのはもういい。それはお前の妄想だ。現実に、生きていたものが死体に変化するには、何らかの物理的な力が働く必要がある。それが外側からにせよ内側からにせよ、だ。しかし、ミラー一家の、誰の死体からも、外傷の類は発見されなかった」
「共感することに、物理的な力は関係ないでしょう」
「黙れ。聞け。外からの力ではないのなら、内側からの力だということになる。つまり殺害方法は何らかの毒物か、致死性のウィルスではないのか。お前はそれを保有している。違うか」
「人間は、刺されるか、病むかのどちらかでしか死ねないというのは、大きな誤解だ」
「もうよせ。きちんと捜査すれば、いずれ殺害方法も明らかになる。お前は、多分ウィルスか何かを、あの一帯に散布したんだ。そうだろう?」
「仮にそうだとしても、既に死人である私には関係ない」
「関係ないだと」とカラレスは怒鳴った。「関係ないはずがあるか。既にあのあたりの人間のほとんどが死んでいるんだ。死に方はミラーとほぼ同じだ。お前がやったに違いない」
「それは、そうです。私が殺した」
「何?」
「ミラー一家、その対面のレイク一家、及びその隣の家々。あのあたりの人たちが死んだというのは、すべて私が殺したからだ、と言うことが出来ます」
「なぜ、そう言える」
「私の死に、共感しやすかったからです」
「つまりお前は、致死性のウィルスを自分の家の周辺に散布した、と解釈してもいいんだな。それによって自分もいつ死ぬか分からない状況だから、つまり自分は死んでいる、と言い張っているわけだな」
「違う」
「何が違うと言うんだ」
「まず、私は確かに死んでいる。いつ死ぬか分からない状況にいるわけではない。そして、ウィルスを散布したという事実もない」
「しかし、お前はミラー一家、レイク一家を殺害した」
「そうです」
「意味が通っていない。どうやって殺害したと言うんだ。現実的な殺害方法がないというのに」
「それは別に問題ではありません」
「問題だ。現に今も死者が増加している。被害が拡大しているんだ。これもお前の計画のうちか、ロイド。その謎の殺害方法で、何人殺すつもりなんだ」
「計画などありませんでした。ただ、私がこのように死ねば、こうなることは分かっていた」
「それを計画的犯行と言うんだ。言え。どうやって殺している。まだ被害は増えるのか」
「それは分かりません」
「なぜ」
「死者が増えているということは、つまり、私に共感しているものが増えている、ということでもあります。その人たちの共感能力を私が制御しているわけではないから、死者が増えるかどうかは、それぞれの……」 
「よせ」とカラレスはテーブルを叩いた。「わけの分からないことをごちゃごちゃと。重要なのは、お前がどうやって殺しているかということなんだ。言え。ウィルスはどこに隠した。どのくらいで効果が出る。範囲はどの程度だ」
 カラレスが矢継ぎ早に質問をしたそのとき、再びポケットの中から携帯電話の着信音が響いた。署長からだった。カラレスは舌打ちをすると、部屋から出て、扉を閉めてから受話ボタンを押す。
『カラレス。ロイドから情報は得られたか』
「すいません。具体的にはまだ」
『謝られても困る。こちらは大変なことになっているというのに』
 携帯電話から聴こえる署長の声に混じって、救急車のそれと思われるサイレン音が響いている。
「やけに賑やかなようですが。現場ですか」
『レイク家を捜査中の捜査員が死んだ』
「何ですって」
『それも全員だ。信じられない』
「死に方は? まさかミラー一家と同じだと言うんじゃ……」
『その通りだ。外傷なし。急に倒れたと思ったら既に死んでいた』
「署長はなぜ無事なんですか」
『分からない。しかし、何ともない』
「署長。ロイドは、レイク一家、及びその周辺での死亡事件は、すべて自分がやったものだと供述しました」
『そうか。手口は同じだから、そこまでは予想通りだ。で、その方法は』
「それは不明です」
『いいかカラレス。事態は思った以上に深刻かもしれん。被害の拡大が進行している。もはや一刻の猶予も許されない。ロイドから情報を訊き出せ』
「現場の捜査員の死亡も、ロイドが原因だと?」
『それも確かめたくてはならない』
「署長はどうするんです」
『私はこのまま現場に残る。何らかの情報を得られるかもしれない』
「では私は、このまま取調べを続けます」
『また連絡する。急げ』
 電話が切れる。
 現場の捜査員にも被害が及んだ。これは非常に危険な事態だ。なぜ署長だけ無事だったのかは分からないが、現場には未だ、ウィルスが残留している可能性がある。あるいは、新たにウィルスが散布されたか。どちらにしても、急がなければいけないのは事実だ。緊急事態であると言ってもいい。多少過激な手段になろうと、情報を訊き出さなければならない。
 カラレスはホルスターに収めた拳銃に手を触れながら、そう思った。


 理解できない事象を目の当たりにしたブラックマンは、それでも冷静な処置を施し、駆けつけた救急隊に一切を引継いだ。引継ぎはしたが、彼らが助かる可能性は極めて薄いであろうということは、ブラックマンには分かっていた。心停止からかなりの時間が経過していた。
 確かに理解しがたい事象ではあったが、ブラックマンにとって、捜査員の死亡はある意味で想定の範囲内の出来事でもあった。仮にロイドが遅効性の毒物や薬品を散布したとするならば、それらが現場であるここに残留している可能性は十分に考えられたからだ。その効果の程を確認できただけでも、現場に赴いた価値があった、とブラックマンは迅速な救急隊員の対応を眺めながら思った。
 ブラックマンは、これらの事件を、ほぼロイドによる毒性薬物散布が引き起こしたものであると断定しつつあった。ある一定量を超えて摂取すると、急激に毒性を増す物質なのかもしれない。そうだと考えれば、遅れて現場に到着したブラックマンが発症しなかった理由も説明できる。しかし、断定できない理由が、他にもいくつかあった。
 毒物が検出されていないというのもその理由の一つだが、最も大きな理由が、そこらかしこを歩き回っていた。近隣の家々を捜査していた捜査員たちだった。
「ちょっと、きみ」
 ブラックマンは、救急隊の到着に驚いてレイク家の隣の家から飛び出してきた捜査員を捕まえて尋ねた。
「体調に問題はないか。気分が悪いとか」
「いえ、そのようなことはありませんが」と捜査員は答える。「何があったんですか」
「目がかすむ、目眩がする、あるいは吐き気などは」
「ありません。あの救急隊は?」
「きみと一緒に捜査をしていた者たちは? 彼らの体調に問題は?」
「ですから問題ありません。何があったと言うのです?」
 ブラックマンは、その捜査員の質問には答えず、その場を離れた。なんだよ、くそ、と悪態を吐く声がブラックマンの背中にも届いたが、彼はそれを無視した。一定量を超えることで発症する毒物が残留している可能性を考えるならば、彼ら、別の家の捜査員たちにもある程度の兆候が感じられてもおかしくはない。レイク家の捜査員たちが倒れてから一時間余りが経過しようとしているというのに、その他の捜査員たちには何らの影響もないのは、ブラックマンには解せない事象であった。
「あの野郎。署長だからって偉そうにしやがって」
 ブラックマンに先ほど質問を無視された捜査員が、同僚と思しき二人組みに向かって愚痴をこぼしていた。ブラックマンの耳にもその声は届いていたが、ブラックマンには彼らに用があるわけではないので、無視した。同僚の二人は、声がでかいと男をたしなめながらも、分かる分かると相槌を打っている。男は尚も続けていた。
「あんな空気も読めないやつが署長じゃ、この町もおしまいだぜ」
「そうだな。分かるよ」
「確かにあの署長は、そういうところがあるよな」
 愚痴をこぼされた二人組みは、特にブラックマンに対して不満があったわけではないようで、歯切れ悪そうに男の意見を支持していた。そう思っていないのなら、嫌々に支持などしなければいいのに、とブラックマンは思う。別に強制しているわけではないのだから、と。そのときだった。
 その三人が、ほぼ同時に、何の兆候もなく、地面に倒れ込んだ。
 ざわめきが広がり、近くにいた救急隊員が素早く駆けつけ、脈拍と呼吸の確認を行なう。救急隊員は腕時計をちらりと見ると、午後九時十八分、心肺停止、と宣言した。応援に駆けつけた救急隊員たちと共に、心臓マッサージを開始する。
 どういうことだ、とブラックマンはその様子を遠巻きに眺めながら考えた。重要なのはその三人が倒れて心肺停止状態に陥ったということではなく、彼らと同時に、他の誰も倒れないでいるということだった。ブラックマンにとってはそちらの方が重要な命題だった。


「上からの命令が下った」とカラレスは乱暴に椅子に座って言った。「どんな手段を用いても、ロイドに本当のことを吐かせろ、だそうだ」
「私は、嘘は吐いていません」
「言っていろ。どんな手段を用いてもいい、ということは、今後この部屋であった出来事が秘密裏に処理される、ということでもある。本当にどんな手段でも構わないということだ。下手に隠せば、怪我では済まない」
「あなたがそうしたいのならば、そうすればいい。カラレス刑事。しかし私は嘘は言っていないし、嘘は吐かない」
「では訊こう。ミラー一家を殺害したのはお前だ。そうだな」
「その通りです」
「レイク一家、及び近隣住宅のあらゆる死亡事件も、お前のしわざだな」
「それも、その通りです」
「現場の捜査官が死んだ」とカラレスは声を低くする。「それもお前がやったのか」
「多分、そうでしょう」
「多分、ということは、お前は直接的には関知していないということか」
「そうです。私には、彼らの思考を操ることはできない」
「余計なことは言うな。黙れ。質問にのみ答えろ。どうやって殺した。具体的に言え」
「彼らが私の死に共感することで――」
「余計なことは言うな!」とカラレスはテーブルを叩いた。「質問を変える。ウィルスはどこだ」
「そんなものは知りません」
「では、人間を死に至らしめる薬物、及びそれに類する物質を、どこに隠した」
「隠していません。私は、そのような薬物に関しては何も知らない」
「それに類する物質は」
「それも知りません」
「もう一度訊く」とカラレスは言う。「どうやってミラーを殺した」
「ミラーは私の死に共感した。正確に言えば、共感する、という能力を行使した。故に――」
「もういい」
 とカラレスは手を振った。これでは堂々巡りだ。具体的な答えが何一つ返ってこない。多分ロイドの中では、そのわけの分からない理屈が真理なのだろう。妄想がそのままの形で固形化したのだ。精神に異常をきたしていると言ってもいい。そのロイドから正しい答えを導くのは、おおよそ不可能なことのように、カラレスには思えた。
「あなたはなぜ」とロイドが口を開いた。「そんなにも必死になっているのです、カラレス刑事」
「仕事だからだ。余計な口を利くな」
「それだけですか」
「何?」
「それだけで、そこまで必死になっているというのですか。他に理由があるのではないですか」
「ない。余計なことは言うな。質問にのみ答えろ。死にたくなければ」
「私は既に死人です」
「なら、墓を荒らされたくなければ黙っていろ。私が本気で捜査しているのは、それが仕事だからだ。これでいいか。黙れ」
「例えば警察組織のためであるとか、民衆を守るためでは、ないというのですか」
「そうだ。仕事だからだ。職業が刑事でなければ、こんなことをしたりはしない」
 そのカラレスの言葉を聞いたロイドは、何か考え込むような仕草を見せて黙り込んだ。顔を伏せて、テーブルの淵を見つめている。カラレスは不審に思ったが、あえて何も言わなかった。
「私を放っておけば」とロイドは顔を上げて言う。「恐らくこれからも死者は増え続けるでしょう。あなた方が言うなら、被害者、となるのでしょうが」
「それは、お前をどうにかすることで、今後の被害拡大を止めることが出来る、ということだな」
「その事実を、あなたはどう考えますか」
「方法を言え。殺害方法だ。そしてそれを止める方法も」
「被害が拡大したとしても、あなた自身の心は痛まないのですか」
「黙れ。質問に答えろ。どうやって殺している。遠隔操作で何かやっているのか」
「あなたも組織の一員のはずだ。どうしてそのように考えることが出来る?」
「遠隔操作デバイスを体内に隠しているのか。どこにある。言え」
「周りからどう思われるかを、考えたことはないとでも言うのですか?」
「黙れ。お前の妄想を押し付けられる気はない。言え。質問に答えろ」
「あなたは一人で生きているとでも言うのですか?」 
「黙れ!」
 カラレスは勢い良く立ち上がりホルスターから拳銃を抜いた。驚いて椅子に座ったまま仰け反るロイドの眉間に素早く照準。数瞬遅れて、カラレスの椅子が後ろに倒れてけたたましい音を立てた。カラレスは早まる呼吸を意識しながら、努めて冷静に言う。
「質問に答えろ。この馬鹿げた大規模殺人事件の幕はどうやって引く? 殺人はどのようにして行なわれていた? そして行なわれている? どうやって止めることが出来る? もし答えられないと言うのならば、この引き金の方を引くことになる」
 カラレスは人差し指を拳銃の引き金に掛けた。激しい脈打ちが指先まで伝わっているのが分かる。鼓動を感じるたびに、カラレスの指も僅かに脈動していた。
「私は死人です」とロイドが口を開いた。「殺す、という行為に意味はない。既に死んでいるのだから」
「この馬鹿げた言い合いに終止符が打てる。それだけで意味がある。それに、お前が犯人だということは分かっている。最終的にはお前を殺せばいいということだ」
 ロイドの眉間に照準された銃口が、カラレスの呼吸に合わせて上下する。狂気と凶器を介して、カラレスはロイドを睨んだ。


 事態は加速していた。続けざまに三人が意識を失って昏倒したかと思った矢先に、今度は忙しなく動き回る救急隊員が二人、糸が切れたマリオネットのように通りに転がった。その事態にいち早く対応し、皆に落ち着くよう指示を出した捜査員と、それを支持支援しようとした数名が、同時に往来に転がる。事態は、加速度的に悪化していたのだ。
 ブラックマンはその事態を目の当たりにし、驚いてはいても取り乱すようなことはなかった。むしろ、警官の捜査員ではなく、救急隊員の方が倒れたことに、新たな発見を見出していた。毒物の蓄積による死亡の線は、これで薄くなった。ブラックマンよりも遅れて現場に到着した救急隊員に、毒物の蓄積があるとは考えにくいからだ。つまり、蓄積により死亡に至る毒物の可能性は低いということが分かる。
 混乱の坩堝の中で、冷静に状況を分析していたブラックマンは、自身のポケットの携帯電話が着信を告げていることに気付いた。着信は本署からだった。素早く応答する。
「ブラックマンだ」
『署長。今どこです。大変なことになりました』
「何だ」
『早く本署に戻って下さい。我々だけでは対応できません!』
 電話口の奥から、雑多なノイズにまみれて、電話のコール音が多数鳴り響いていた。
「今、報告しろ」
『ああ、もう! 町のいたるところで昏倒する者が現れています。意識不明で、心肺も停止状態。同じような症状の者たちがいたるところで。病院もパニック状態です。警察署の方にも電話が鳴りっぱなしで』
「そうか」
『それだけですか! 早く本署に戻ってください』
「無理だ。何とか対応しろ」
 そんな、という言葉を聞く前に、ブラックマンは通話を終了した。町中で同じような症状の者たちが現れている。ウィルスや薬物の類ではない。それではない何かだ。ロイドがやっている。そしてこれは全員に平等に効果をきたすわけではないようだ。死ぬ者もいるが、死なない者もいる。死者に電話を使うことは出来ないから、警察署への電話は生きている誰かが行なうしかない。つまり生きている者も、いる。平等な効果ではない。何か条件があるのか。それとも初めから選択的な大規模殺人を、ロイドが計画していたのか。ただの偶然で、死者と生者が分かれているのか。
 ブラックマンは混乱が加速する往来で、一人佇むように考え込んだ。その姿は、混乱の中にあって尚、皆の注目を浴びるほどだった。異常な、男だ、と皆思った。あるいは、この混乱におかしくなったと思った者もいたのかもしれない。ブラックマンは、自身に浴びせられる視線の中に、同情を含むそれがあることに気付いた。しかし、同時に違和感も覚える。同情の視線が、長く続くことはない。向けられた瞬間にはもうなくなっているようにも感じられる。まるで同情した者から先に死んでいっているようでもある。これはどういうことだ。
 この騒動は、ロイドが何らかの方法で引き起こしたということに間違いはない。時限性のウィルスでも仕掛けたか。いや、そうではない。恐らく違う。効果に偏りがありすぎる。なぜ自分は死なないのだ。こんな現場にいるというのに。個人差。いや毒物に対する個人差がここまで顕著に現れたりはしない。毒物やウィルスではない。違う方法。物理的な方法ではない。外傷はない。つまり内部だ。しかし疾患の類ではない。もっと直接的だ。しかしなぜ、こんなにも差が出る。なぜ死なない者がいる。この現場だけで考えれば、死なないものは少数のようだ。どんどん倒れている。おそらく町全体で見てもそうなのだろう。ならば死なない者に何か特徴があるというのか。死なない者の特徴。私の特徴――?
 ブラックマンは携帯電話を取り出して、短いキー操作でカラレスにコールした。なかなか繋がらない。コール音が何度も響いていた。


「銃を向けられているとは思えないな」とカラレスは言った。「その無表情は一体何なんだ」
「私は死人ですから。死体を銃で撃とうが、何をしようが、何も変わらない」
「一つ言ってやる。ロイド。お前はおかしい。精神がいかれている」
「そうあなたが思うのなら、思えばいい」
「お前が既に死んでいるとか、死が、何だ、共感している、とか、そんな妄言を吐く一般人はこの世界にはいない。全員が声を揃えて、ロイドはおかしい、と言うだろう」
「しかし実際に死人が出ている。私が殺しているんだ」
「茶番はおしまいにしろ。吐け。本当に撃つぞ。冗談ではない。許可もある。仕事だ。ならば撃つさ」
「私がミラー一家を殺したのと、その現場の警察を殺したのとでは、本質的な殺害方法は変わりません」
「ずいぶんましなことを言うようになったな。続けろ」
「ただミラー一家の場合は、私と直接的に顔を合わせる機会があったから、死が早まっただけです。隣に住んでいたのがミラー一家でなければ、彼らはもう少し長く生きた」
「何、どういう意味だ。お前が感染源だ、とでもいうのか」
「感染源、という表現は正しくない。しかし、私を中心として殺人が起こる、ということは、正しい。近いほど、死にやすくはなる」
「おまえ自身が、ウィルスを保持しているというのか。若干量ずつ放出しているとでも?」
「そうではありません。ウィルスではない。実際には私は何もしていない」
「そんな馬鹿なことがあるか」
「私は、死人です」
「聞き飽きた。それがどうした。その意味のない嘘がどうしたというんだ」
「本当です。私は死んでいる。私はそう信じている」
「黙れ!」
 カラレスは銃口をロイドの眉間から左肩にスライドさせ、発砲した。火薬が爆ぜ、鉛弾が射出される。強烈な運動エネルギーを携えた鉛弾は、ロイドの左肩を薄く削った。服が破けて露出した肌から、鮮血が流れた。
 それでもロイドは、表情を変えなかった。カラレスは荒い呼吸を抑えながら、再びロイドの眉間に銃口を向けた。ロイドは傷口を意に介することなく、静かにカラレスを見据え、口を開いた。
「私には、普通の人間と異なるところがあった」
 カラレスは口を挟まなかった。銃口をロイドの眉間に照準したまま、無言で続きを促した。ロイドは続けた。
「あまり幸福とは言えない子供時代を過ごしてきました。その異なるところ、があったからです。同情されやすい、と言えば分かりやすいでしょうか」
「同情されやすい……?」
「はい。それも異常に。それは何も情けにのみ作用するわけではありませんでした。私が怒れば、その意思が移り皆怒り出し、私が悲しめば、同じように皆悲しむ、といった具合に、私の感情にみなが同調するかのような現象が、しばしば起きていました」
「だから?」
「そのような異常な性質を持っていたため、私が皆と共同生活を送るのには困難が伴いました。しかも成長するにつれて、その性質も強くなっていきました。私が少しいらいらしただけで、ルームメイトは癇癪を起こして暴れる始末でした」
「じゃあお前が死んだと思えば、その意思を感じ取った奴は死ぬとでもいうのか」
「そうなるだろうということは予想出来ていました。事実、その通りになっているわけです。ただし、私は死んでいます。その点だけは異なる」
「何をわけのわからないことを……」
 コール音。カラレスのポケットの中から、唐突に携帯電話のコール音が鳴り響いた。しかし、カラレスは出ない。今下手に動くのは危険な気がした。カラレスの携帯電話は、一定のコールが響いても通話が開始されない場合には、自動で外部音声出力モードで通話を開始する仕組みだった。ポケットに入れたままでも、通話が可能な機能だった。
 一定のコールが過ぎ、外部音声出力モードに移行したノイズ音が発生した。その間、カラレスがロイドから視線を外すことはなかった。
「誰だ」とカラレス。「電話の相手」
『私だ、カラレス。やはりお前は生きていたか』
「署長」
『状況は』
 署長は、言わなくても外部音声出力モードであることを察したようだった。簡潔な状況説明を求めてきた。
「ロイドの前です。銃を突きつけている」
『この声は、ロイドにも届いているな』
「はい」
『通話も可能か』
「そのまま話して大丈夫です」
 カラレスはロイドにあごで合図を送る。ロイドは頷いて口を開いた。
「何ですか」
『ロイドか。どうやって殺している』
「死んでいる人は、私の死んでいる、という感覚に共感している。それによって死んでいるのです」
『しかし、お前は生きている人間だ、ロイド。違うか』
「いいえ。私は死んでいます。死人です」
『死んでいる、だと。本当にそう思っているのか』
「思っているのではなく、実際に、私は死んでいます」
『そうか。ならば仕方ない。カラレス』
「はい」
『仕事だ。ロイドを殺せ』
 カラレスは迷うことなく引き金を引いた。
 カラレスが火薬の匂いを感じる頃には、本物のロイドの死体が出来上がっていた。本物の死体は、当然、話すことなどなかった。
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