第5話 祐樹

文字数 2,580文字

 また、蹴られる!

 体を丸めたときだった。
「やめてーーーーーっ!」
 聞きなれた声がした。おどろいて顔を向ける。そこには、玲が立っていた。
「あ、玲……な、なんでここに」

 まずい、まずいよ。玲を守らなきゃ。

 おれは、内臓破裂しちゃったんじゃないか、ってくらいの痛みをおさえながら、玲に向かって這った。
「おまえ、卑怯な男だな。玲ちゃん呼んでたのか」
 おれを蹴った男が言った。

 だめだ、玲。そんなやつ、相手にしちゃ。

 でも、声にならない。あんまり痛くて、息をするのも苦しい。

 やめてくれ、玲。

 それなのに。

「あんたに祐樹くんを卑怯もの呼ばわりする資格はない!」
 と叫んで、
「たあっ!」
 玲が走り出した。たん、と軽い感じで地面を蹴った、その直後、玲の体がまるで宙に浮いたみたいにものすごい高いところまで飛び上がった。とおもったら、両足をそろえて、そのまま両足で男の顔面を蹴りつけた。
「うぐっ」
 えぐい声をあげて、男があおむけに倒れた。玲はそのままその勢いをバネにして空中で一回転して地面に下りた。
 
 なんだ、こりゃ。

 おれは、痛いのも忘れて玲に見入った。それは、残りの三人も同じみたいだった。青ざめた顔で、玲を見ている。それでも玲はそのまま振り返り、腰を落としたまま残りの三人をにらみつけた。もう一段、腰を落としたときだった。
「に、逃げろ!」
 三人のうちのひとりが、我に返ったように背中を向けた。残りのふたりもつられたようにそいつの後を追っていく。
「ま、待てよ……お前ら……」
 おれを蹴った男がのろのろと起き上がった。鼻血が出ていた。蹴られたときの恐怖に、体がこわばった。でも、痛すぎて動けない。
「あたしにまかせて!」
 玲が駆けてきて、両手を広げておれの前に立ちはだかった。ボクシングのポーズで男と向かい合う。けれど、その時に気づいた。男の体がゆれている。

 ちょっとまずい。

 その時にはもうすでに、男はものすごい音を立てて地面に倒れこんでしまった。
「だ、だいじょうぶか?」
 起き上がろうとしたときだ。だれかがおれたちの隣りを、すっ、と、通り過ぎて行った。気がつかなかったけれど、さっき声をかけてきた茶髪のイケメンだった。イケメンは倒れた男の前にしゃがみこんで頭に手を当てた。
「こいつ、まじでヤバいぞ」
 ヤバいって、どういうことだ? まさか、死……。いや、そんなはずない!
 けれども男は平然と玲を見た。ニヤリと笑い、
「とうとう、祐樹の前で本性を出したな」
 玲が、びくっと体をふるわせた。
「完全に嫌われた」
茶髪のイケメンはそう言った後、ちらりとおれを見た。
「だろ? 祐樹くん。こんな乱暴な女、怖くてつきあえないよな。君まで殺されちゃうよ」
 なんだよ、こいつ。顔はいいけど、性格、最悪じゃねえか!
おれはそいつを無視してのろのろと立ち上がった。っつーか、痛い。でも、玲を守らなきゃ。玲は傷ついたみたいに、うつむいたまま、おれのことさえ見てくれない。
「……れい……」

 気にすることなんかない。こんな華奢な女の子に蹴られたぐらいで、こんな大男が死んだりするもんか。茶髪が、おどしてるだけだ。……言いたいのに、声にならない。
「れ、い……」
 玲の顔をのぞきこんだ。真っ青になって、小刻みに頬を震わせている。目にはいっぱい涙をためていた。そんな姿を見たらもう、じっとしてなんかいられなかった。
 おれは、玲の体を抱きしめた。抱きしめた、というよりは、倒れかかった、に近いけど。
「つよ……く……なった、な……」
 昔の、運動が苦手で歩くのさえもどかしそうにしていたころの玲を思い出し、感動した。
「あり、が、とう……助け、て、くれ……て」
 玲はおれの全体重を受け止めながら、驚いたみたいに顔をあげた。
「すっげー……かっこ、よかった」
「これは、ちがうの。……えっと、あの」
「あんな、男の、言うこと……気に、するな」
 だめだ。目を開けてられない。なんでだろう。もう、痛みも感じない。でも、玲が泣いてるみたいなのはわかった。息づかい。小さく鼻をすする音。おれに嫌われた、って思ってるかもしれない。おれは、力を振り絞って手を上げた。指で玲の涙をぬぐう。
 泣いてる顔は、見たくない。
「祐樹くん……」
 玲は、おれの手をにぎった。やわらかくて、今にも折れちゃいそうなくらい繊細な指先。おれには……もったいないくらいの子だ。
「おれ、の、こと……きらい、に、なった?」
「どうして!?」
「……弱っ、ち、い……から……」
「そんなことない!」
 抱きしめられた。
「そんなこと、あるはずない! だって、祐樹くんは、あたしの王子様なんだから!」
「……好きだ、玲……」
「……えっ?」
 目を閉じたら、昔のことがよみがえってきた。玲は覚えてないかもしれない。でも、はじめて玲と一緒にここに来た時のことがあざやかに思い出された。

 ここはまだ舗装がされてなくて、みんなが通るところだけ、けもの道みたいになっていた。雨上がりのぬかるんだ道。それでも昔からの仲間は競うようにしててっぺんを目指した。玲は一人だけ遅れていた。あいつがのろいのはみんなが知っていたことだから、一緒にいたやつらは誰も気にしていなかった。むしろ……バカにしていた、というか。おれも最初は「しかたねーな」ぐらいにしか思ってなかったんだけど……やっぱりほっとけなくて一人で戻った。
 玲は、おれたちについて来ようと必死に丘を登っていた。運動が得意じゃなさそうなのは知っていた。それでもあまりうまく動かせない足を引きずるみたいにして必死になって歩いていた。靴が泥だらけになって、転んだのか、膝がすりむけて血がにじんでいた。それでも怒ったみたいに歯を食いしばり、一生懸命足を踏み出す。それがなんか尊く見えて……気が付いたら手を差しのべていた。
「ほら」
 玲は驚いたみたいに顔を上げた。その目には涙がいっぱいたまっていた。はっとしたみたいにおれを見て、あわてて腕で涙をぬぐった。ちょっと、じん、と来た。
「ありがとう」
目元と鼻の先を赤くして笑った顔。
あのとき、おれは、玲のことが好きになった。そして、その後も、ずっと。

「あたしも、祐樹くんのことが好き。ずっと、ずっと大好き」
 どこか遠くの方で玲の声が聞こえる。
 ああ。よかった。嫌われたんじゃなかったんだ。
そして、記憶がなくなった。
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