後編
文字数 3,233文字
◆◇◆◇◆◇
夜。
ショッピングモールから少し離れたところにある居酒屋が、今回のスタッフほぼ全員での打ち上げ会場だった。
その席の隅の方で、僕は――納得できていない表情で生ビールのジョッキを見つめていた。
今回のイベントで現場主任をしていた男性が乾杯の音頭をとる。
ビールを三分の一ほど飲んでジョッキを置いて――そこにうっすらと残った色にまた、釈然としない気持ちが湧く。
「お疲れ様。どうしたの? ヘンな顔して」
と、ジョッキ片手に彼女が隣にやって来た。
「せっかく可愛くしたのに」
「そのせいだよっ」
上機嫌そうな彼女に、文句をこぼす。
「なんでまた、こうなってるんだよ」
――僕はまた、女装させられていた。
ステージを終えて、着替えてから女性側の楽屋に昨日の服を返してもらいに行ったところで捕まり、抵抗むなしく着替えさせられて化粧され、かつらをしっかりと被せられた。
「今日着てきて、って言ってたのに着てなかったし」
「そういう問題じゃないだろ」
はぐらかすような彼女の口調に、酒の入った口は止まらない。
「どうして僕が女装しなきゃいけないんだよ」
「似合ってるし。男女のバランス悪いし」
確かに、演者やスタントやスタッフも含めてこの場に二十人くらいいる中での女性は彼女と、メイクスタッフが二人(男性側のメイクにも一人、女の人がいた)と、司会のお姉さんくらいだった。
だからといって、やはり納得はできない。
「それに今日の、良かったよ」
彼女がかちんと、ジョッキを合わせてくる。
さっき聞けないままここまで来た、聞きたかったことがさらりと出て僕は文句を続けることが難しくなる。
「ほんとに?」
頷く彼女の微笑みが、さらに自分の格好を忘れさせる。
「格段に。あれなら先に出てた私との違和感もそんなになかったし、声とも合ってたし、昨日の今日で全然違ったじゃない」
絶賛だった。
「じゃあ、昨日怒られたのは――」
「あと少しこうして、私に付き合ってくれたらオッケー」
彼女の気分を害した罰(兼レクチャー)だったのかと思うと、もう少しだけ我慢すれば――と、この服装を受け入れそうになってしまう。
ふと見回すと、他の女性陣はそれぞれ数人の男に囲まれて談笑していた。
「君ってさ」
彼女が声をかけてきて、慌てて振り向く。
「何かやってたの? スタント初めてって言ってたけど動きは昨日からよかったし」
「昔――体操をちょっと」
高校生までの話だ。怪我が原因でしばらく離れ、治ってからも戻れずだらだらと大学を送り、なし崩し的なフリーター生活の日々になっている。
久しぶりに動かした体に、染み残っていたものが思い出されただけだ。
「それでかぁ。昨日は文句言ったけど、バク宙綺麗だなあ、とは思ったのよね」
「だから教えて、って?」
「それもあるけど、昨日言ったのも本当」
彼女は楽しそうに言う。
「できたら格好いいじゃない」
にっこりと笑った彼女の隣に、人影が現れた。
「女の子同士でなに喋ってんのー」
軽い口調で割り込んできたのは、ゴールドのスタントをしていた男性だった。
「こっち入ってよ、それでなくても女子少ないんだからさぁ」
彼女が愛想笑いのような笑みを浮かべるが、その前に一瞬不快そうに眉をひそめたのはこの男は気づかなかったようだ。
男は彼女に密着しようとして、彼女は距離を保とうと僕の方に寄ってくる。
「そっちの彼女もさぁ――って、見なかったけど、どこの子?」
男が僕を覗き込んでくる。
その視線を避けるように僕は顔を逸らし、腰を浮かせる。
「あの――すみません、私この子ともうちょっと話したいので」
彼女が柔らかな拒絶を見せるが、けっこう酔った様子の男は気に介さないのか無視してか、さらに絡んできて僕と彼女を見る。
「いいじゃん、グラビアの話とか聞きたいしさぁ」
「ちょっとっ」
僕はとっさに、肩を抱こうと伸びてきた男の手を払い除けていた。
「彼女、嫌がってるじゃないですか」
男の目が細くなる。
首を傾げるようにして僕をじろじろと観てきて、
「お前――もしかして、イエロー演 ってた奴かァ?」
焦る。
男がにやりと笑った。
「キモっ――男かよ!」
その声で僕が動けない隙に、男は彼女の腕を取って引いた。
「こんな新人でしかも変態な奴なんて放っといて、向こうで俺らと話しようぜ」
彼女は肘を引くが、男の手を振り払えない。
「なァ、いいじゃんよォ」
「やめてください」
体ごと退く彼女の片手が、僕の手に当たった。
「あとでご挨拶に伺いますから」
彼女は毅然と言う――が、僕に触れている手が細かく震えていた。
強がってるけど、どこかで怖がってもいる――そんな気がした。
守りたい。
「そう言わずにさァ。いいじゃん、女装のキモい奴のことなんて」
水音が弾けて、周囲が静まった。
僕は自分のジョッキの中身を男にすっかり、ぶちまけていた。
広い卓の別のところで盛り上がっていた人たちの視線も集まる。
「あ、あの――」
僕が何をどう言おうか迷っている内に、彼女が男の手を解いて僕の腕を掴んだ。
二人で男から距離を取る。
「な、何しやがる! 新人のクセに失礼じゃねェか! それに変態の――」
「失礼なのはあなたでしょ!」
彼女が男の言葉を切った。
「それでもヒーロー役やってた人なの!? 新人のこの彼の方がよっぽどヒーローらしいわ!」
顔を真っ赤にして何か言おうとした男を、他の人が僕らから引きずり離した。
僕の肘を握る彼女の手は、まだ震えていた。
「彼は変態じゃない、私に付き合ってもらってるだけよ! 謝って!」
男はいかにも不機嫌そうな怒りを露わにして、立ち上がった。
「気持ち悪ィ。やってられっかよ」
そのまま足音高く、男が去っていった。
しばらく静まった何とも言えない空気を破ったのは、怪人役を演っていた男性だった。
「あいつ酒癖悪いからさ、気にしないでやってくれるとありがたいな」
そう言って、テーブルから離れ気味になっていた僕と彼女のところに、苦笑を浮かべて近付いてくる。
「オレが注意しておくから、さ」
彼の言動をきっかけに、他の人たちもまたじわりと雰囲気を戻し始めた。
「君も、今日のイエロー本当に良かったし、その服装も――いいんじゃないかな」
言葉を選ぶようにして言う。
「あっ、あの――すみませんでした」
妙に騒がせて。そう謝った僕の肩に、彼がそっと手を置いてくる。
「君たちが謝ることじゃないさ」
嫌な触れ方じゃなかった。
「それよりさ」
と腰を下ろし、僕と彼女にウーロン茶のグラスを渡してくれる。
彼も同じもののようだった。
三人のグラスで軽く音を奏でてから、彼が言う。
「君、これから本格的にスタントやってみる気はないか?」
僕はまったく予想外な話に目を丸くする。
「その気があったら、オレから事務所に推薦する――というか、来てほしい」
「え、でも、僕こんなチビだし」
「おいおい」
彼が笑う。
「ガタイのいいのばっかりが必要なんじゃないし、むしろ君ぐらいの体格であれだけ動けるほうが重宝されることもあるよ」
横を見ると、彼女と目が合う。
「守ってくれてありがとう。さっきの君は格好よかったよ」
彼女は、柔らかな微笑みを見せていた。
――そうだな。
ほとんど迷いが生まれなかったのは、少し入った酒のせいだったかも知れない。
僕は彼を見上げた。
「お願いします。その――未熟ですけど」
「最初は誰だってそうだろ。こっちこそよろしくな」
彼が力強く握手してくる。
「私も。これからもよろしくね」
彼女も僕の手を取ってきた。
ここから――こんな僕でも、ヒーローになれるのかも。
僕はそう、思いはじめていた。
夜。
ショッピングモールから少し離れたところにある居酒屋が、今回のスタッフほぼ全員での打ち上げ会場だった。
その席の隅の方で、僕は――納得できていない表情で生ビールのジョッキを見つめていた。
今回のイベントで現場主任をしていた男性が乾杯の音頭をとる。
ビールを三分の一ほど飲んでジョッキを置いて――そこにうっすらと残った色にまた、釈然としない気持ちが湧く。
「お疲れ様。どうしたの? ヘンな顔して」
と、ジョッキ片手に彼女が隣にやって来た。
「せっかく可愛くしたのに」
「そのせいだよっ」
上機嫌そうな彼女に、文句をこぼす。
「なんでまた、こうなってるんだよ」
――僕はまた、女装させられていた。
ステージを終えて、着替えてから女性側の楽屋に昨日の服を返してもらいに行ったところで捕まり、抵抗むなしく着替えさせられて化粧され、かつらをしっかりと被せられた。
「今日着てきて、って言ってたのに着てなかったし」
「そういう問題じゃないだろ」
はぐらかすような彼女の口調に、酒の入った口は止まらない。
「どうして僕が女装しなきゃいけないんだよ」
「似合ってるし。男女のバランス悪いし」
確かに、演者やスタントやスタッフも含めてこの場に二十人くらいいる中での女性は彼女と、メイクスタッフが二人(男性側のメイクにも一人、女の人がいた)と、司会のお姉さんくらいだった。
だからといって、やはり納得はできない。
「それに今日の、良かったよ」
彼女がかちんと、ジョッキを合わせてくる。
さっき聞けないままここまで来た、聞きたかったことがさらりと出て僕は文句を続けることが難しくなる。
「ほんとに?」
頷く彼女の微笑みが、さらに自分の格好を忘れさせる。
「格段に。あれなら先に出てた私との違和感もそんなになかったし、声とも合ってたし、昨日の今日で全然違ったじゃない」
絶賛だった。
「じゃあ、昨日怒られたのは――」
「あと少しこうして、私に付き合ってくれたらオッケー」
彼女の気分を害した罰(兼レクチャー)だったのかと思うと、もう少しだけ我慢すれば――と、この服装を受け入れそうになってしまう。
ふと見回すと、他の女性陣はそれぞれ数人の男に囲まれて談笑していた。
「君ってさ」
彼女が声をかけてきて、慌てて振り向く。
「何かやってたの? スタント初めてって言ってたけど動きは昨日からよかったし」
「昔――体操をちょっと」
高校生までの話だ。怪我が原因でしばらく離れ、治ってからも戻れずだらだらと大学を送り、なし崩し的なフリーター生活の日々になっている。
久しぶりに動かした体に、染み残っていたものが思い出されただけだ。
「それでかぁ。昨日は文句言ったけど、バク宙綺麗だなあ、とは思ったのよね」
「だから教えて、って?」
「それもあるけど、昨日言ったのも本当」
彼女は楽しそうに言う。
「できたら格好いいじゃない」
にっこりと笑った彼女の隣に、人影が現れた。
「女の子同士でなに喋ってんのー」
軽い口調で割り込んできたのは、ゴールドのスタントをしていた男性だった。
「こっち入ってよ、それでなくても女子少ないんだからさぁ」
彼女が愛想笑いのような笑みを浮かべるが、その前に一瞬不快そうに眉をひそめたのはこの男は気づかなかったようだ。
男は彼女に密着しようとして、彼女は距離を保とうと僕の方に寄ってくる。
「そっちの彼女もさぁ――って、見なかったけど、どこの子?」
男が僕を覗き込んでくる。
その視線を避けるように僕は顔を逸らし、腰を浮かせる。
「あの――すみません、私この子ともうちょっと話したいので」
彼女が柔らかな拒絶を見せるが、けっこう酔った様子の男は気に介さないのか無視してか、さらに絡んできて僕と彼女を見る。
「いいじゃん、グラビアの話とか聞きたいしさぁ」
「ちょっとっ」
僕はとっさに、肩を抱こうと伸びてきた男の手を払い除けていた。
「彼女、嫌がってるじゃないですか」
男の目が細くなる。
首を傾げるようにして僕をじろじろと観てきて、
「お前――もしかして、イエロー
焦る。
男がにやりと笑った。
「キモっ――男かよ!」
その声で僕が動けない隙に、男は彼女の腕を取って引いた。
「こんな新人でしかも変態な奴なんて放っといて、向こうで俺らと話しようぜ」
彼女は肘を引くが、男の手を振り払えない。
「なァ、いいじゃんよォ」
「やめてください」
体ごと退く彼女の片手が、僕の手に当たった。
「あとでご挨拶に伺いますから」
彼女は毅然と言う――が、僕に触れている手が細かく震えていた。
強がってるけど、どこかで怖がってもいる――そんな気がした。
守りたい。
「そう言わずにさァ。いいじゃん、女装のキモい奴のことなんて」
水音が弾けて、周囲が静まった。
僕は自分のジョッキの中身を男にすっかり、ぶちまけていた。
広い卓の別のところで盛り上がっていた人たちの視線も集まる。
「あ、あの――」
僕が何をどう言おうか迷っている内に、彼女が男の手を解いて僕の腕を掴んだ。
二人で男から距離を取る。
「な、何しやがる! 新人のクセに失礼じゃねェか! それに変態の――」
「失礼なのはあなたでしょ!」
彼女が男の言葉を切った。
「それでもヒーロー役やってた人なの!? 新人のこの彼の方がよっぽどヒーローらしいわ!」
顔を真っ赤にして何か言おうとした男を、他の人が僕らから引きずり離した。
僕の肘を握る彼女の手は、まだ震えていた。
「彼は変態じゃない、私に付き合ってもらってるだけよ! 謝って!」
男はいかにも不機嫌そうな怒りを露わにして、立ち上がった。
「気持ち悪ィ。やってられっかよ」
そのまま足音高く、男が去っていった。
しばらく静まった何とも言えない空気を破ったのは、怪人役を演っていた男性だった。
「あいつ酒癖悪いからさ、気にしないでやってくれるとありがたいな」
そう言って、テーブルから離れ気味になっていた僕と彼女のところに、苦笑を浮かべて近付いてくる。
「オレが注意しておくから、さ」
彼の言動をきっかけに、他の人たちもまたじわりと雰囲気を戻し始めた。
「君も、今日のイエロー本当に良かったし、その服装も――いいんじゃないかな」
言葉を選ぶようにして言う。
「あっ、あの――すみませんでした」
妙に騒がせて。そう謝った僕の肩に、彼がそっと手を置いてくる。
「君たちが謝ることじゃないさ」
嫌な触れ方じゃなかった。
「それよりさ」
と腰を下ろし、僕と彼女にウーロン茶のグラスを渡してくれる。
彼も同じもののようだった。
三人のグラスで軽く音を奏でてから、彼が言う。
「君、これから本格的にスタントやってみる気はないか?」
僕はまったく予想外な話に目を丸くする。
「その気があったら、オレから事務所に推薦する――というか、来てほしい」
「え、でも、僕こんなチビだし」
「おいおい」
彼が笑う。
「ガタイのいいのばっかりが必要なんじゃないし、むしろ君ぐらいの体格であれだけ動けるほうが重宝されることもあるよ」
横を見ると、彼女と目が合う。
「守ってくれてありがとう。さっきの君は格好よかったよ」
彼女は、柔らかな微笑みを見せていた。
――そうだな。
ほとんど迷いが生まれなかったのは、少し入った酒のせいだったかも知れない。
僕は彼を見上げた。
「お願いします。その――未熟ですけど」
「最初は誰だってそうだろ。こっちこそよろしくな」
彼が力強く握手してくる。
「私も。これからもよろしくね」
彼女も僕の手を取ってきた。
ここから――こんな僕でも、ヒーローになれるのかも。
僕はそう、思いはじめていた。