中編

文字数 4,915文字

 連れ込まれた女性用の楽屋(にしている小会議室)は、司会をしていた女性がもう一人と談笑しているだけで、男性側とは人口密度がまったく違っていた。
 彼女がその、もう一人の方を呼んで僕を指差し、やや控えめな声で「この彼を――」とか「さっき買ってた――」とか言っていたのが三十分ほど前。
 その人は、彼女のメイクさんだった。
 ほぼ強引に大きい鏡――会議室に設置されたものではなく、番組側で用意してきているらしい――の前に座らされ、塗られたり描かれたり色々され、かつらをかぶせられた。
 そうして今、その鏡に、女子に見えなくもない感じになった僕が映っていた。
「さすがプロのメイク、さすが大きなモール、だわ」
 彼女が頷く。
 服は、ヒラヒラした襟と袖のシャツと肘くらいまでのカーディガンに、短いスカート、それにニーソックス。スポーツブラに詰め物で丸く膨らんだ胸と長い髪が自分じゃないみたいだ。
 下着からかつらまで、全部このショッピングモールでそろえたものだった。
 男にしては華奢で小柄で、彼女と背格好が近い――だからこそイエローのスタント役になったのだけど――ことで、女性ものの服も変に張ったりピチピチしたりもせずに、着れてしまっていた。
 しかも、下着はともかく、スカートなどはショーの前に彼女が自分用に買っていたものらしい。
 彼女が僕を立たせる。
 冷房の風が脚の間を通っていく。
 もともと体毛は薄いほうだけど、腿の内側を空気に撫でられる感触は慣れない。
 腰には締めつけ感があるのに、何もはいてないような不安が残る。
「アリじゃない?」
 司会のお姉さんがこっちを眺めて言う。帰り支度を済ませていたようで「それじゃ、お先に」と楽屋を出ていった。
「回ってみて」
 彼女に言われて、ゆっくりと回る。
「もっと早く。ターンみたいに」
 速度を上げると、スカートと髪がふわっと広がって、慌てて僕はスカートを押さえた。
「――わかった?」
 その様子を、彼女がまっすぐ見つめていた。
 僕は頷く。
「なんとなく。中見えそうで恥ずかしい――ですね。
 でも、ここまでしなくても……」
 彼女が軽く笑う。微笑みというより何か企んだような口の端を見せて、また僕の手を引いた。
「じゃ、行きましょっか」
「え?」
 妙な空気を感じた。
「行く、って……?」
「外。私にちょっと付き合ってもらうから」
 抵抗する。
「いや、ちょっと、それはさすがにマズいというか恥ずかしいというかこんな格好で、なんて――」
「じゃなきゃ意味ないでしょ」
 え? と疑問が浮かんで力の緩んだところを引かれ、後ろからはメイクさんに押されて、ずるずると廊下に出された。
 僕が振り返るより早くメイクさんに、会議室を施錠されてしまう。
「女の子らしく――と言うより、私の仕草を少し真似てもらうの」
「そ、それならそこの中で練習しても――」
「それじゃ、リアリティなくて身につかないでしょ」
 ほら、と促される。
 メイクさんは「じゃあ、また明日」とその場で別れ、僕と彼女の二人きりになった。
 鼓動の高まるシチュエーションのようで、しかし僕は女装してしかも彼女のさまを見て倣え、というのはあまり心躍らない。
「いや、もう解りました。明日は気を付けますから、着替えさせてください……」
「ダメ」
 彼女の手はひやりとして柔らかく、心地いい。
 こんな状態じゃなく、彼女とこうしていられたら、もっと楽しいのに……
 僕は着せられている自分の格好を見直して、ため息をこぼした。
「それじゃ行くよ。ねっ」
 それなのに、彼女の笑顔は写真や画面越しに見るのとは比べ物にならないほどまぶしく、僕の抵抗心を削ぐには充分だった。

   ◆◇◆◇◆◇

 ショーは、土日の二日間の公演になっていた。
 昨日のことはともかく、今日は気を付けてスタントしよう――そう思いながら楽屋にしている小会議室に着いたところで、僕は先に女性用の扉を叩いた。
「あ、昨日の――」
 出てきたのはメイクさんだった。
「今日は『女の子モード』しないの?」
 からかうように言われた声が聞こえたのか、奥から彼女が顔を出した。
「あれ、なんで昨日渡したの着てきてないの?」
 彼女は、もうステージの準備を済ませていた。
 僕は持っていた紙袋を彼女に押し付けるようにして言う。
「昨日の僕の服、返して」
 渡した紙袋には昨日着せられた服と、かつらと、今日着てくるように言われた女物の服が入っている。
 昨日は女装させられたあと鍵を閉められたため、もともと着ていた僕の服はここに残っているはずだ。
「なんで着てこなかったの? 可愛いコーデだと思うけどな」
「似合わないし――化粧も、できないし」
 何より、お断りしたい。
「ていうか、女装しなくてもいいじゃないか」
「気分の問題。女役やるんだし」
 それに、と彼女は僕を指差す。
「似合わなくはなかったよ、昨日。
 男バレしてなかったでしょ」
 そこは――残念ながら否定できない。
「ま、いっか。今日もよろしくね」
 彼女は僕の差し出していた袋を中に置いて、部屋を出てきた。
「私ちょっと打ち合わせで先に行くから、ステージ終わってから返すね」
「あ……うん」
 昨日あれから、このモールの中だけとはいえ服を見たりお茶したり、彼女に連れ回される格好で数時間一緒に過ごした。
 そこで同い年ということが判って、少し打ち解けていた――女子扱いのようだったのは気になるけど。
 デートのような女子の遊びのような中で、歩き方や座り方なんかの、不自然じゃない女の子の仕草を教えられ、広場でセリフと動きの――短いショーとはいえ、彼女はステージの流れ全てを暗記していた――練習もした。
 彼女と数歩歩いて男性側の楽屋で別れる。
「今日終わったら打ち上げやるって」
 参加する方向の口調だった。
 彼女が行くなら――と、下心はまだまだ残っていた。

 司会のお姉さんが充分集まっていた観客を一旦静めるところから、ステージは始まる。
 陰からそっと見ると、立ち見もいる盛況ぶりだった。
『友達との待ち合わせ』という設定になっているお姉さんが「うーん、まだかなあ……」と言いながら周囲を見回す。
 そこに、彼女が登場して歓声があがった。
 昨日聞いた話では公演の数をこなしてゆくにつれ、ファンの間で『本人降臨』が浸透しているらしい。場合によっては本編で出たばかりのアイテムを使ったり、地方公演の設定や話が本編に出ることも稀ながらあったり、単に『地方のショー』と軽く扱えないものになっていることもあるのだとか。
「ごめんね、待った?」
 などとお喋りをしながら、ステージ上を歩く。
 買い物をした体でステージの袖から紙袋を持ってきたり、フードコートに行ったりという二人の舞台上での遊びが彼女と僕との昨日のことを思い出させる。
 フードコートのスイーツで使っている果物がどうとか、いくぶんメタ発言っぽいセリフも挟んでしばらく歩き回った二人の前に、全身真っ黒で口だけが異様に大きい敵の戦闘員が現れた。
 彼女が司会のお姉さんを守る格好で構える。
「こんな所にまで奴らが……っ!?
 私服のままで戦闘員と戦いはじめる。
「あなたは逃げてっ!」
 怯えた表情の司会のお姉さんが上手(かみて)に引っ込む。
 彼女はいくらか倒してはまた増える戦闘員との小競り合いを続けるが、やがて、
「このままでは(らち)があかないわね。変身して一気に――」
 そこで彼女はあっ、と口に手を当てる。
「ファーマーズキー、さっきのバッグだ……」
 ステージ上の照明が落ちて、彼女も戦闘員も動きを止める。
 舞台のすぐ下に司会のお姉さんが現れて、そこにスポットが当たる。
「大変! 急いでこのバッグを彼女に渡さないと! でも私、怖くて足がすくんじゃって……誰か行ってくれる、勇気のある子はいないかなあ!?
 と、客席に向かって呼びかける。
 前説でもあったのだろうか、子どもたちがわっと手を挙げて、お姉さんがその中から少年を一人を指名してステージ下まで呼び寄せた。
 その子にバッグを渡して、数言かわしてから「じゃあ、お願いね!」と肩を叩く。
 ステージが明るくなる。
 彼女が戦闘員と戦いながら司会のお姉さんたちのいる位置に近付いてきたところで、少年が「お姉ちゃん、これを!」と叫びながらステージに登った。
「危ない!」
 彼女が声を上げる。
 バッグを彼女に向かって投げた少年が戦闘員に抱え上げられた。バッグを辛うじて受取った彼女はその勢いで前転してステージの中央に戻る。
「その子を放しなさいっ!
 墾装(こんそう)っ!」
 彼女がバッグから取り出した『ファーマーズキー』要は変身アイテムになっているスマホっぽい端末を掲げて叫ぶ。
 スモークが濃く吹かれて客席からは彼女の姿が完全に見えなくなり、彼女がステージの壁に設けられている出入り口から舞台裏に引っ込んだ。
 僕の出番だ。
「よろしくねっ」
 と彼女に『フルーティイエロー』の姿になっている僕の腰を軽く叩かれる。
 僕がステージに出て構える。
『余裕でいられるのもここまでよ! その子を放しなさいっ!』
 彼女が裏から喋るセリフと動作を合わせて、少年を抱えている戦闘員を指差す。
 そこに、下手から電子機器っぽいメーターや電光板をゴテゴテと付けた姿の怪人が現れる。
「ふはははは、ファーミンジャー! この地の作物は我らのものだッ!」
『そんなことさせないわっ!』
 練習していてよかった――と思うくらい、昨日のステージより声と動きが合っているように思えた。
 僕が突っ込んで、再び戦闘が始まる。
 流れは決まっている。戦闘員のパンチをかわして僕が殴り、足払いを跳んでからハイキック――と、昨日はそれをバク宙で避けたのを、今日は普通のジャンプにする。
 戦闘の最中も、戦闘スーツのスカートが浮かないよう、足が広がらないよう、気にして立ち回る。
 司会のお姉さんが煽って、観客席の子供たちが「がんばれー!」と応援するのも聞こえる。昨日はそれも思い出せなかったけど、それだけ今日の方が落ち着けてるってことか。
 怪人まであと少し、というところで「待てッ!」と止められる。
「そこまでだファーミンジャー! この子がどうなっても――」
「そうはいかんっ!」
 子供を抱えたままの戦闘員を示した怪人のセリフが途中で遮られ、何かが飛んでくる効果音と、それが当たった音とともに戦闘員が倒れる。
 黒ずくめの彼は怪我しないように子供を上にしてゆっくりと転がり、少年を放す。
 僕のところに走ってた少年を一旦抱きとめて上手(かみて)に後退し、袖に控えていた司会のお姉さんに引き渡す。
 さっきの戦闘員は緑色の輪っかのようなもの――立性作物用の支柱に脇腹の下からステージに拘束されていた。
『こ、これは――』
 彼女が声を当て、僕が驚いたようにマスクに手をやって、客席のさらに向こうを見る。
 そこに、金色の姿があった。
『あ、あなたは!』
『よく一人で頑張った、イエロー!
 とうっ!!
 掛け声とともに、金の戦士――レイジングゴールドがステージまで走ってくる。
『来てくれたのね、ゴールド!』
 イエロー、つまり僕がいかにも女の子らしい「お祈り」ポーズで小首を傾げる。これも昨日より自然にできた――気がする。
『行くぞ、イエロー!』
『ええ!』
 僕より身長も体格もあるゴールドと並んで構え、怪人と対峙する。
 ここから二人で怪人を倒し、今回のステージの決めゼリフ『みんな、野菜もしっかり食べようね!』に合わせてポーズをとって、僕の役割は終了だ。
 このあと握手会があるが、そこには本人である彼女と、やはり本人であるゴールドの『中の人』が出ることになっている。

 昨日と比べて、どうだっただろうか――あとで彼女の評価を聞きたい、そう思うくらい達成感があった。
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