前編
文字数 1,662文字
楽屋代わりの小部屋に入って来るなり、彼女が言った。
「さっきイエロー演 ってたの、どなたですか!?」
丁寧語は崩しきらない、だが明らかに言いたいことがあるといった調子。
この場にいた全員――この時は男ばっかりだった。男性用にしたこの小会議室のドアを彼女は臆することなく、控えめなノックとともに開けたのだ――が彼女を見て、僕を見た。
彼女と目が合う。
「僕……ですけど」
ごまかしても仕方ないし、軽く手を上げる。
何か失敗してたのだろうか? 僕の思い出せる限り、初めての経験だったのに転んだりするような、ヒーローらしからぬ無様な格好はしなかったと思うけど……
彼女はつかつかと僕に近付いてきた。
三十分くらい前の舞台の時と同じ、フルーツ柄の長袖シャツとオーバーオール。作業着感が強いのにどこか可愛い。
短めのポニーテールを揺らして、座ったままの僕を見下す。
「スタント、長いんですか?」
まだ敬語は保っていた。
「いや、今日が初めて――です」
彼女は目を丸くして、僕を見つめなおす。
近すぎてドキドキしてくる。彼女はデビューしたばかりとはいえグラビアアイドルで、しかもこのショーの『本人』だ。
「僕が、何か……?」
はっ、と彼女は思い出したのか、
「そう、そうよ! あなた、さっきの!」
と、指さしてきた。
不満げな表情を浮かべている理由が解らず黙っていると、彼女は続けた。
「スカート捲 れても気にしてないし、脚は開くし。あなた『ファーミンジャー』見てる?」
首を横に振る。戦隊ものなんて、小学四年生以来見ていない。
そういう戦隊ヒーローとかに憧れていたこともあったけど、今の現実はただのフリーターだ。
「それに――あのバク宙!」
歓声もあがったし、会心の見せ場だったと思っていたのに、彼女の口調は文句寄りだった。
「本放送でそんなことやってないのに、あんなのされたら『イエローはバク宙できる』って子供たちが思うでしょ、もう……本編で期待されたらどうしてくれるのよ」
敬語が消えていた。
離れたところで笑い声がした。
まだ真っ黒な衣装のままの、スタントの先輩だった。
「その子の言う通りだな」
その彼をちらっと見てから、彼女が言う。
「コツ教えて」
「すみま……へ?」
謝ろうとして、変な声が出た。
「できるようになるから、教えて。
それとあなたの仕草は――」
そこで、彼女は僕の全身を改めて眺めなおした。
「いや、ちょっと来て」
手を引かれる。
バランスを崩しかけたが転ぶことなく、僕は彼女に引っ張られたまま部屋の出口へ向かう。
出際に彼女が「今日はお疲れ様でした。明日もよろしくお願いしますっ!」と中の男性陣に勢いよく頭を下げて、僕も促されるままに挨拶を残して、退出したのだった。
『特耕戦隊 ファーミンジャー』は今シーズン放映中の特撮ドラマだ。
農業をモチーフにした戦隊で、農作物を独占し地球の支配を企む宇宙からの侵略者と戦う、というストーリーとなっている――と、バイトを紹介された時に教わった。
最初は三人――米、野菜、果物それぞれの農家の若手が『ファーミンジャー』の力を得て、途中から小麦農家と花農家の二人が加わった。
そして、時々現れて助太刀する畜産業の『謎の戦士』ゴールドがいる。
果物農家と花農家の二人が女の子で、それぞれイエローとホワイト。
コンセプトに合わせてなのか、この戦隊のヒーローショーは地方公演が他よりも多いらしい。実際、この田舎町のショッピングモールで開催しなかったら僕がこのバイトに関わることもなかっただろう。
いきおい、ショーでのスタント役も需要があるわけだ。
――と、簡単に説明してもらったが、スタント役なのでマスクを被る上にセリフも他の人の役目なので、打ち合わせに従って動くだけ――のはずだった。
それがなぜか、一日目の仕事 を終えて帰るはずだった僕は――女装していた。
「さっきイエロー
丁寧語は崩しきらない、だが明らかに言いたいことがあるといった調子。
この場にいた全員――この時は男ばっかりだった。男性用にしたこの小会議室のドアを彼女は臆することなく、控えめなノックとともに開けたのだ――が彼女を見て、僕を見た。
彼女と目が合う。
「僕……ですけど」
ごまかしても仕方ないし、軽く手を上げる。
何か失敗してたのだろうか? 僕の思い出せる限り、初めての経験だったのに転んだりするような、ヒーローらしからぬ無様な格好はしなかったと思うけど……
彼女はつかつかと僕に近付いてきた。
三十分くらい前の舞台の時と同じ、フルーツ柄の長袖シャツとオーバーオール。作業着感が強いのにどこか可愛い。
短めのポニーテールを揺らして、座ったままの僕を見下す。
「スタント、長いんですか?」
まだ敬語は保っていた。
「いや、今日が初めて――です」
彼女は目を丸くして、僕を見つめなおす。
近すぎてドキドキしてくる。彼女はデビューしたばかりとはいえグラビアアイドルで、しかもこのショーの『本人』だ。
「僕が、何か……?」
はっ、と彼女は思い出したのか、
「そう、そうよ! あなた、さっきの!」
と、指さしてきた。
不満げな表情を浮かべている理由が解らず黙っていると、彼女は続けた。
「スカート
首を横に振る。戦隊ものなんて、小学四年生以来見ていない。
そういう戦隊ヒーローとかに憧れていたこともあったけど、今の現実はただのフリーターだ。
「それに――あのバク宙!」
歓声もあがったし、会心の見せ場だったと思っていたのに、彼女の口調は文句寄りだった。
「本放送でそんなことやってないのに、あんなのされたら『イエローはバク宙できる』って子供たちが思うでしょ、もう……本編で期待されたらどうしてくれるのよ」
敬語が消えていた。
離れたところで笑い声がした。
まだ真っ黒な衣装のままの、スタントの先輩だった。
「その子の言う通りだな」
その彼をちらっと見てから、彼女が言う。
「コツ教えて」
「すみま……へ?」
謝ろうとして、変な声が出た。
「できるようになるから、教えて。
それとあなたの仕草は――」
そこで、彼女は僕の全身を改めて眺めなおした。
「いや、ちょっと来て」
手を引かれる。
バランスを崩しかけたが転ぶことなく、僕は彼女に引っ張られたまま部屋の出口へ向かう。
出際に彼女が「今日はお疲れ様でした。明日もよろしくお願いしますっ!」と中の男性陣に勢いよく頭を下げて、僕も促されるままに挨拶を残して、退出したのだった。
『
農業をモチーフにした戦隊で、農作物を独占し地球の支配を企む宇宙からの侵略者と戦う、というストーリーとなっている――と、バイトを紹介された時に教わった。
最初は三人――米、野菜、果物それぞれの農家の若手が『ファーミンジャー』の力を得て、途中から小麦農家と花農家の二人が加わった。
そして、時々現れて助太刀する畜産業の『謎の戦士』ゴールドがいる。
果物農家と花農家の二人が女の子で、それぞれイエローとホワイト。
コンセプトに合わせてなのか、この戦隊のヒーローショーは地方公演が他よりも多いらしい。実際、この田舎町のショッピングモールで開催しなかったら僕がこのバイトに関わることもなかっただろう。
いきおい、ショーでのスタント役も需要があるわけだ。
――と、簡単に説明してもらったが、スタント役なのでマスクを被る上にセリフも他の人の役目なので、打ち合わせに従って動くだけ――のはずだった。
それがなぜか、一日目の